第4章 全てを捨てたとしても
第14話 隠し事と目に染みた玉ねぎ
数日後、仕事から私が帰ってくると、居間でおじいちゃんと北斗が真剣な顔で何かを話しあっていた。いったい何を話しているんだろう。そう思って部屋に入るけれど、二人とも私が帰ってきたことに気付くと話をやめてしまう。
そんなことが何回か続いたある日、私は北斗を捕まえると尋ねた。
「ね。この間から二人で何を隠しているの?」
「別に、何でもない」
「何でもなくないでしょ?」
「お前には関係ない。それより仕事は大丈夫なのか?」
「っ……」
その言葉に、思わず黙り込んでしまう。そんなふうに言わなくてもいいじゃない。なんとなく、拒絶されたような気持ちになって胸の奥が苦しくなる。
私の態度に北斗もまずいと思ったのか「あー」だの「うー」だの言った後、小さく口を開いた。
「その、大貫さんに頼まれてる件で相談してるだけだから」
「そう、なんだ」
「ああ」
目をそらしながら言うそれが、嘘だということは、さすがにわかる。でも、きっと何か私には言えないことがあるんだと思うと、寂しいけれどそれだけ島に北斗が馴染んできたということだから……。
私は、重たい気持ちを押し込めるように顔を上げると、ニッコリと笑った。
「わかった。ね、今日の晩ごはんどうしよっか」
「俺が作るから休んでろよ」
「ホント? ありがとう!」
あからさまにホッとした表情を浮かべると、北斗は台所へ向かう。
そんな北斗の後姿を見ながら、私はおじいちゃんの元へと向かった。
「ただいま」
「おかえり。遅かったな」
「ちょっと仕事が長引いて。それより北斗、大貫さんから何か面倒なこと頼まれたの?」
「うん? そんな話は聞いてないが」
「おじいちゃんと何話してたの? って聞いたら、そう言ってたよ」
私の言葉に、おじいちゃんは飲んでいたお茶をむせた。
ゲホゲホと咳き込むおじいちゃんの背中を撫でながら私はため息をつく。
二人とも隠し事が下手すぎる。
話してくれる気がないなら、もう少し上手に隠してくれればいいのに……。
「ゲッホ……。あー……そうだった、ちょっとな人出が必要で」
「そうなんだ。あまりこき使わないであげてね」
「ああ……。なあ、明莉」
「ん?」
おじいちゃんは真剣な表情をしたかと思うと、私の名前を呼んだ。
「どうしたの? おじいちゃん」
「まあ、ここに座れ」
北斗の手伝いをしようかと台所に戻ろうと思っていた私は、おじいちゃんに促され仕方なく畳に座る。
どうしたというのだろう……。
「座ったけど……」
「うん? ああ……そう、だな」
「どうしたの? 変だよ、おじいちゃん」
「――なあ、明莉」
私の言葉を無視すると、おじいちゃんはもう一度私の名前を呼んだ。
「お前、北斗のことはどう思ってる?」
「どうって……。島にもだいぶ馴染んできてよかったなって思ってるよ」
「そうか。いや、そうじゃなくて」
「なんなの? 今日のおじいちゃんちょっと変だよ?」
「……北斗と一緒になる気はないか?」
一瞬、おじいちゃんが何を言ったのか、理解できなかった。
一緒って、どういうこと?
それってまさか――。
「けっ……」
「明莉」
「っ……北斗」
私の言葉を遮るように、北斗が私を呼んだ。
北斗の姿を見ると、おじいちゃんは慌てたように目を逸らす。
「……悪いけど、ご飯作るの手伝ってくれるか?」
「あ、うん。私も今行こうと思ってたんだ」
「ありがと」
チラッとおじいちゃんの方を見ると、私たちに背中を向けて近くにあった本を読み始めた。
そんなおじいちゃんに北斗は――。
「じいちゃん」
「な、なんだ」
「余計なこと、言わないでくれよ」
「……すまん」
しょんぼりとしたおじいちゃんに北斗はため息をつくと、台所へと向かう。
そんな北斗の後ろを追いかけるけれど……。
「ねえ、北斗」
「ん?」
「さっきの、なんだったの?」
「何が」
「おじいちゃんに余計なこと言うなって言ってたでしょ」
聞かない方がいいと分かっているのに、どうしても気になって聞いてしまう。
そんな私に北斗はため息をついた。
「気まずくなるようなこと、言わないでくれってことだよ」
「気まずく?」
「あんなこと言われたら、何も思ってなくても意識するだろ。こうやって一緒に生活してるのに、ぎくしゃくしたら明莉もやり辛いだろ」
何も思ってなくても――。
やっぱりそうだよね……。
もしかしたら北斗も私のことを好きでいてくれるんじゃあ、そんなふうに期待したことがないといえば嘘になる。でも、今の言葉で気付いてしまった。
北斗は私のことなんてこれっぽっちも――。
「そ、そうだよね! おじいちゃんも変なこと言うよね! なんで急にあんなこと言いだしたのかな」
「……知らん。また服部さんあたりに何か言われたんじゃないか」
じゃがいもの皮を器用に剥きながら北斗は言う。
あまりにもいつも通りの北斗の態度に……私は思わず口走る。
「服部さんかー! 有り得そう! だいたい北斗に失礼だよね! 一緒になる気はないかって……北斗だって私なんかとじゃなくて、ちゃんと相手を選びたいよね」
「いや、そういう訳じゃ……」
「いいって、無理しなくても! もーホント……おじいちゃんったら嫌になっちゃう……」
笑いながら言ったはずの言葉は、私自身の胸に突き刺さる。
零れそうになる涙を必死に堪えるけれど、一度溢れたそれを
「っ……」
「明莉……?」
頬を伝う涙を慌てて拭う私を、心配そうに北斗は見つめる。
そんな北斗に、私は手の中の玉ねぎを見せた。
「目に、しみちゃって……」
「あ……」
あからさまにホッとした顔をすると、北斗は小さく笑う。
「ここはいいから、向こうでちょっと休んでろよ」
「ごめ、んね。あ、そうだ。あとでね、ちょっと相談したいことがあるんだけどいいかな?」
「ん? いいよ。そしたら、さっさと晩飯食べてしまうか」
必死に笑った私を北斗は優しく微笑むと受け取った玉ねぎを剥き始めた。
「うわっ、これホントに目に来るな」
わざとらしく笑いながら北斗は言う。
そんな北斗に私も笑いかけながら、涙の向こうにいるその背中を見つめていた。
***
夕食後、早々に寝ると言って寝室に向かったおじいちゃんにおやすみと声をかけると、私は小さく息を吐いて、おやすみと北斗に言おうとした。そんな私よりも、北斗が先に口を開く。
「さっき言ってたやつ、なんだったんだ?」
「え……?」
「何か相談したいことがあるって言ってただろ」
「あ……。えっと……」
「何かあるんだろ?」
真剣な表情で言う北斗に、心臓がキュッとなる。
好きになってもらえなくても、こうやって一緒に生活して、それでこんなふうに気にかけてもらえるなら、それでいいじゃないか。
わざわざ自分から気まずくしなくても――。
「明莉?」
「あ、えっとちょっと待ってね! 資料取ってくるから!」
私は慌てて自分の部屋へと戻ると、鞄を取って今へと戻った。それから持って帰ってきた資料を机の上に資料を広げていく。
資料と言っても、観光マップとか各所に置いてある立て札の写真だった。
「これなんだけどね」
「……えらく古い立て札だな」
「そうなの」
いったい何年前に立てたものなのか……ううん、もしかしたら何十年かもしれないそれは、古びて見にくいものの特に不便もなく島の各所に立っていた。
汚れてはいるものの折れているわけでもないし朽ちているわけでもない。読めなくもないそれらは、建て替えの話があがることもなかった。
「これを建て替えたいって話か?」
島の人に頼まれていろいろなものを作り直したり塗り直している北斗は、あたりまえのように私に言う。けれど、私は首を振った。
「半分正解で、半分不正解」
「と、いうと?」
「これにね、英語表記と中国語表記を追記したいの」
「……外国人観光客か」
「そういうこと」
この島の立て札は何年も何十年も立て替えられていない。それはつまり、グローバルな社会には対応していないということでもあった。
課長には島の中を変えることは来てくれる観光客にしか目を向けられていないと言われたけれど、外国の観光客の人に向けてわかりやすく表示することはプラスになることはあれどマイナスになることはない。……と、思う。
「いいと思う」
「ホント!?」
「ああ。で、どうすればいい?」
身を乗り出すようにした北斗の顔がやけに近くて、私はパッと顔を背けると何枚かある写真を北斗の前に並べた。私の態度なんて特に気にすることもなく、北斗は差し出された写真に視線を落とす。
「ふ、古くなってて危ないものは立て替えた上で外国語表記を追記したいの。で、そこまで古くないものは塗り直すか、そのまま利用できるものは日本語の下に外国語表記を追記する形で」
「わかった。……今ちょうど急いでる案件もないから、明日からでも取りかかるわ」
「ありがとう!」
お礼を言う私に、北斗は優しく微笑む。その笑顔が妙に優しくて、私の心臓がどくんと跳ね上がるのを感じる。
私はいったいどうしてしまったんだろう。
ドキドキと未だに心臓はうるさいけれど、今はその意味を考えている余裕はない。机の上に広げた資料を片付けると、私はそれらを鞄の中に戻した。
少しずつ、ホントに少しずつではあるけれど着実に進んでいる。あとは……。
私は作成中の企画について考えはじめた。
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