第4話 夕日が照らした帰り道

 夕方、仕事を終えた私は帰り道を急いでいた。

 「デートか?」なんて軽口を言う課長を無視して役場を出た。早足で村に一つのスーパーへと向かうと、いつもより奮発して食材を買い込んだ。……ちょっと、買いすぎたかもしれない。でも……。

 朝、おじいちゃんを追いかける北斗の後姿を思い出すと胸がチクリと痛む。

 なんだかんだ言ったって、全然知らない家に住む上に、記憶喪失。不安がないわけないと思う。せめて美味しいものでも食べて、元気を出してくれたら……。


「なんて思ってたら遅くなっちゃった! 急いで帰らないと……」


 昨日と同じように自宅までの近道を私は走る。

 昨日あんなに騒がしかった浜辺は、今日は静かに沈む夕日に照らされていた。

 

「……あれ?」


 堤防から浜辺へと降りる階段の上に、人影が見えた。

 見覚えのあるあの後ろ姿は……。


「司?」

「……おう」


 私の声に気付くと司は手をあげる。

 どうしたんだろう、司の家とは反対方向なのに……。

 何かあったのだろうか……私は心配になって司の元へと駆け寄った。


「どうしたの?」

「ん?」

「だって、こっち司の家とは反対方向じゃない。何かあったんじゃないの?」

「そういうわけじゃないんだけど……」


 珍しく歯切れが悪い司。

 ホントどうしたというんだろう……。

 司は視線を合わせることなく、「あー」とか「うー」とか言っている。

 具合でも悪いんだろうか……それとも、お腹が痛いとか……?


「司……? ホントに大丈夫? 何かあったのなら……」

「いや、なんでもない」

「……ホントに?」

「本当に。……にしても、今から帰るところか? ずいぶん遅かったんだな」

「買い物しすぎちゃって」


 いつもと変わらない口調で言う司に少しだけ安心する。

 私は手に持った荷物を見せると、司は苦笑いを浮かべた。そして……私の手から袋を取ると歩き出した。


「え、司?」

「買い過ぎだよ、バカ。家まで持っていってやるよ」

「い、いいよ。これぐらいなら大丈夫だし」

「いいって。ほら、さっさと……」

「司……?」


 行くぞ、続くはずだった司の言葉はそこで途切れた。何かに気付いたように、司は前方を見つめたまま立ち止まった。

 いったい何があったというんだろう。

 私は、司の視線を追いかけるようにしてそちらを見た。

 するとそこには、私たちを見つめる人影があった。あれは……。


「……北斗?」

「おかえり」

「どうしたの?」

「そろそろ帰ってくるころだから、荷物持ちに行けって。……でも」


 言葉を濁したまま、北斗は私の隣にいる司の姿を見つめていた。

 そして、ふっと笑うと北斗は言った。


「邪魔しちゃったかな」

「なっ……そんなことないよ!」


 北斗の言葉を、私は慌てて否定する。

 司がどんな顔をしているのか知るのが怖くて、隣を見ることができない。でも、そんな私の頭をポンポンとすると、司は気にするな、と小さな声で言った。


「じゃ、俺帰るな」

「あ、うん。司、ありがとね」

「おう。それじゃあ、また明日な」

「うん、また明日」


 司は手に持った袋を北斗に渡すと、私の横をすり抜けて行く。

 そんな司の姿を見つめていた私を、北斗がふっと笑う。


「わかりやすいな」

「……何か言った?」

「いいや、なんにも」


 北斗は私の手に残ったもう一個の袋も取り上げると、元来た道を戻り始めた。

 そんな北斗を私は慌てて追いかける。


「い、いいよ。そっちは持つよ」

「いいって」

「だって、重いよ……」

「だからだろ」


 バカだなぁと北斗は笑った。


「にしても、これ何が入ってんの?」


 歩き始めた北斗は明らかに重すぎる買い物袋に訝しげな視線を向ける。


「何って……今日の夕食の準備ですけど」

「これ全部?」

「だって! 男の人ってどれぐらい食べるかわかんないし! おじいちゃんと二人だけだったら簡単なもので済ますこともあるけど、今日は北斗の歓迎もかねてって思って」

「歓迎? 記憶喪失で厄介になるやつのために? なんでそこまで――」

「……そりゃあ、今の状況がいいわけじゃないけど……。でも、せっかくだったら楽しく過ごしてほしいし。何があってこうなったかはわかんないけど、でも美味しいご飯でも食べたら気持ちだけでも前向きになれるかもって。だから……」


 私の言葉に、北斗は戸惑ったような、驚いたような表情を浮かべる。

 そして、そっぽを向くと、小さく呟いた。


「……ありがと」


 そう言った北斗の耳が、ほんのり赤くなって見えた。


「……もしかして、照れてる?」

「照れてない」

「嘘、耳まで真っ赤!」

「夕焼けのせいだろ」


 行くぞ、と言うと北斗は歩き出す。

 そんな北斗の隣を私は並んで歩いた。

 特に何かを話すわけじゃないけれど、でも……私を置いて行かないように、北斗が少し歩くスピードをゆっくりにしてくれている事に気付いて、嬉しくなるのを感じた。


「……何」

「なんでもない」

「変なやつ」

「あ、そんなこと言うと晩ごはんのおかず、北斗の分だけ減らすよ」

「子どもか」


 軽口を言いながら、私たちは家への帰り道を歩く。

 そんな私たちを追い立てるように、空には星たちが輝き始めていた。

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