第11話 噂と大切な幼馴染

 翌日、朝から用があるという北斗を残して私は家を出た。

 そんな私を待ち構えていたかのように……行き道の途中に司が立っていた。


「司? おはよう、どうしたの?」

「おはよ。……別に」

「別にって……。司の家、こっちじゃないじゃん」

「…………」


 何か怒らせるようなことでもしたかな……。

 不安に思っていると、司が口を開いた。


「……なあ」

「どうしたの?」

「その……」


 珍しく歯切れが悪い。

 ……ううん、そう珍しくもなくなったかもしれない。

 

 ――北斗が来た、あの日から。


「何かあったの?」

「……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「だから、どうしたの?」

「……お前、さ。あいつと付き合ってるって本当?」

「はぁっ!?」


 突然のことに、頭がついていかない。

 あいつって……あいつって、まさか……。


「だから、北斗と付き合ってるって本当なのかって聞いてんだよ」

「なっ……付き合ってないよ!」

「本当か……?」

「本当だよ! それに……北斗なんて、いつ記憶が戻ってここから出て行くかもわからないじゃん。そんな相手と付き合おうなんて、思わないでしょ。……普通」

「……そうか」


 そう言うと、司は私を置いて歩き出した。


「え、ちょっと待ってよ! それを聞くためにここで待ってたの?」


 慌てて追いかけるけれど、司は返事をしない。


「ねぇってば!」

「うるさいな。……気になったから確かめに来ただけだよ」

「だからなんで……」

「知るか!」


 司はそう言い捨てると、スタスタと歩いて行く。


「待ってよ」

「待たない」

「なんで!」

「なんででもー」


 追いついた背中を叩くと司はやめろよといって振り返る。

 その表情は、子どもの頃からいつもそばにいた、見慣れた司のものだった。



 職場に着いた私たちはそれぞれの席へと向かう。

 引き出しから今日やるべき書類を出していると、課長と一緒に歩いてきた部長が、私の姿を見かけると笑いながら私の方へとやってきた。


「七瀬―。聞いたぞー?」

「おはようございます。……で、何をですか?」

「またまたとぼけちゃってー。結婚が決まったらちゃんと教えろよな」

「けっ……!? ちょっとホントに何の話ですか!」

「そんな隠すなって。みんな知ってんだからさ」


 部長の言葉に、どうやら聞き耳を立てていたらしい同僚と目が合って、気まずそうな笑みを浮かべられてしまう。

 これは、もしかして――。


「それって、北斗のことですか……?」

「それ以外に何があるんだよ」

「はぁ……」


 頭が痛くなる。

 司といい部長といい誰からそんな話を聞いたというのだろうか……。


「いやー、家に住まわせるって聞いた時からこうなる気がしてたんだよな」

「だから、違うんですって」

「いいって、いいって。いやー若いっていいなぁ。毎晩一緒に何やってんだか」

「なっ……!」


 部長の言葉に思わずカッとなって立ち上がりそうになる。

 けれど、そんな私を抑えるように……誰かが私の肩を掴んだ。


「――部長」

「司……」

「安藤! 急に現れたら驚くだろ!」

「すみません。でも……それ以上はちょっと」

「ん?」

「周りの視線、見てください」


 司の言葉に、部長は慌てて辺りを見回す。

 つられるように私も周りを見ると……部署のみんなが冷たい視線を部長に向けていた。


「最近セクハラとかうるさいですし、あれ以上言っちゃうとまずいことになるかなと思まして」

「……そ、そうか」

「あと、七瀬の件どうもデマらしいですよ」

「なに!? だが、遠山さんが――」

「一杯喰わされたんじゃないですか? 俺も、部長も」


 部長の口から出てきた名前にため息をつく。

 昨日の私たちの姿を見て、面白おかしく誰かに話したのかもしれない……。

 いくら小さな島だといっても、それが翌日にはここまで広がっているなんて……。


「そ、そうか。悪かったな、変なこと言って」

「いえ……」


 バツが悪そうな顔をして、部長はスタスタと去って行った。

 私は――立ち去ろうとした司の腕を掴んだ。


「ありがと」

「別に。……今朝の詫びってことで」


 私の手を振りほどくと、司は自分の席へと戻って行った。

 その後ろ姿があい変わらず優しくて、私はなんだかくすぐったい気持ちになった。


 子どもの頃、犬に追いかけられた時、守ってくれたのはあの背中だった。

 自分の背丈よりも大きな犬から私を庇って、立ち向かってくれた。


 山道で転んだ私を背負ってくれたのも、あの背中だった。

 家までの距離を、文句ひとつ言わずに歩いてくれた。


 いつだって、あの背中が私を守ってくれた。

 懐かしい……。


 そういえば……。

 そんな司の背中を見て育って、ずっと背中を追いかけてきた私が、一度だけ……司の胸で泣いたことがあった。

 お父さんとお母さんを事故で失くしたあの時――わんわんと大きな声で泣き続ける私を司はぎゅっと抱きしめてくれた。

 大丈夫だ、俺がそばにいる、絶対に離れないから、そう言って私が泣きやむまで何分も何時間も抱きしめてくれていた。

 あの時、もしも司がいなかったら……きっと私は立ち直るのに何倍も時間がかかったと思う。

 根気よく、そばにいてくれる司の存在があったからこそ、悲惨な状態から這い出すことができた。

 どれだけお礼を言っても言い切れない。

 だから私は、あの時心に誓った。

 いつか司が悲しんだり苦しんだりしたときは、絶対にそばにいようって。

 私だけは味方でいようって。


 なのに、現実は……いつまでたっても私が守られっぱなし。

 自分自身のダメさ加減にため息が出る……。

 そんな私を現実に呼び戻すように、フロアに課長の声が響いた。


「七瀬、ちょっと来い」

「……はい」


 何がダメだったんだろうか……。

 苦笑いを浮かべていると、司と目があった。


「(大丈夫か?)」


 心配そうな表情をする司に安心してもらおうと、

 何も言わない。

 何も聞かない。

 司は、北斗とはまた違う意味で――かけがえのない存在だ。


「(大丈夫だよ)」


 声に出さずにそう伝えると、私はニッコリと微笑んだ。

 かつての想い人だった――優しい、優しい幼馴染へ。


 課長の元へと向かうと、椅子に座ったまま険しい顔をしているのが見えた。ああ、これはよくない話だ。口を開かなくてもそれぐらいわかる。

 身構えた私を課長が見上げた。


「あの、課長。何でしょう?」

「進捗はどうなってる?」


 何の、なんて言われなくてもわかっている。


「あれからもうすぐ一ヶ月だな」

「期限は、半年ですよね」

「ああ。だが、見込みがないとわかったらその時点で切る」

「なっ……」

「だから、聞いてるんだろう。進捗はどうだ?」


 課長の言葉に、私は手のひらをギュッと握りしめると、顔を上げた。


「島の中で、観光客の人が使う場所について調査しました」

「ほう?」

「その結果、トイレのドアやベンチなど壊れている箇所がありましたのでそちらの修繕を行いました。そのほかにも壊れているものや使いにくいものがないか確認中です」


 ほぼほぼ北斗の手柄だけれど、そうも言ってられない。私は罪悪感を覚えつつ、課長に報告をした。課長は私の報告に、渋い顔をしていたが、しばらくして口を開いた。


「それで?」

「っ……」

「それをしたことで、どれぐらい観光客は増えた?」

「それは……」

「七瀬」


 課長の声に、身体がビクッとなるのを感じる。静かに、でも重みのあるトーンで話す課長の声は、私の頭の中を冷たくしていく。


「たしかに、今君がしていることは大事なことだと思う。でも、それじゃあ島に来てくれた人へのフォローにはなっても、今まで島に来たことのない人へは届かないんじゃないかな」


 北斗と同じことを課長は言う。

 でも、今までこの島に来たことのない人へのアプローチなんてこれ以上どうすれば……。


「北斗君、といったっけ」

「え?」

「七瀬のところで預かっている――本州から来た記憶喪失の青年というのは」

「あ、はい。そうですけど……」


 それがいったいどうしたというのだろう?


「聞いた話によると、失っている記憶は本人のものだけで、生活に必要な知識や一般常識は忘れていないんだったね?」

「そうです。それが……あっ」

「気付いたかな? 協力してもらえるようだったら協力してもらって頑張りなさい。それに、住んでいた環境を思い出すことは、記憶を取り戻すのにもプラスになるんじゃないかな」

「……課長は、観光課をなくしたいんじゃないんですか?」


 優しい口調で言う課長に、私は思わず尋ねていた。けれど、課長は首を振ると、手元の書類に視線を向けた。


「別に、なくしたいとは思ってない。この島が好きなのはみんな一緒だからね。でも、仕事としては不要なものは不要と割り切らなければいけないこともある。そういうことだよ」


 わかったような、わからないような。

 でも、課長がこの島のことを思ってくれているというのはわかった気がした。だから……。


「私、頑張ります!」

「……まあ、商工の方に吸収されても観光の仕事ができなくなるわけじゃないからね。ほどほどでもいいよ」

「全力で! 頑張ります!」


 私の返事に課長は小さく笑うと、それで話は終わりとでも言うかのように書類に何かを書き込みはじめた。私は小さく頭を下げると、自分の席へと向かってパソコンを立ち上げる。北斗のところに行く前に、この島の魅力を書き出そう。それで、島の外の人がどんなことに興味を持つか、どういうふうに伝えれば届くか北斗に相談してみよう。


「頑張るぞー!」


 思わず大きな声を出した私を、周りの同僚が呆れたような表情で見ていたことには――気付かないふりをして。


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