第3章 いつか離れてしまうと分かっていても

第10話 芽生えた感情と重ならない影

 北斗が島に来てから三週間が経った。


「じいちゃん、これさ」

「ああ、これか。これは――」


 いつの間にか、おじいちゃんのことをじいちゃんと呼ぶようになり、おじいちゃんも口には出さないけれど北斗を可愛がっているようだった。

 お酒の弱い私とは違って北斗はどうやら飲める口のようで、こうして夜になるとおじいちゃんに付き合わされて二人縁側でお酒を飲みながら話し込んでいた。

 ――こんなふうに、おじいちゃんがこの家で誰かとお酒を飲む姿を見ることなんてもうないと思っていた……。お父さんが生きていた頃は、こうやってよく二人で月見酒と称してお酒を飲んでいたっけ……。


「あまり飲みすぎないようにね」

「はいはい。うるせーなー。なあ、北斗」

「いや、じいちゃんホント飲み過ぎ。そろそろやめとこうな?」

「お前までそんなこと言うのか!」

「ほら、布団に運んでやるよ」


 飲み過ぎてフラフラになったおじいちゃんを北斗は抱えると、布団へと運び始める。私は慌ててドアを開けると、「明莉にしては気が利くな」なんて言って北斗は笑った。


「年寄り扱いするな!」

「いや、じいちゃんもうだいぶ年だからな」

「なんだと!」


 軽口を叩くと、北斗は笑う。

 おじいちゃんも本当に怒っているわけではないようで、ブツブツと文句を言いながらもされるがままになっていた。

 そんな二人の姿を見ていると、まるで本当の祖父と孫のように見えて……ずっとこの時間が続けばいいのに、なんて有り得ないことを思ってしまう。



 そして――おじいちゃんや大貫さんに、司が言っていたような意図があったかどうかは分からないけれど、二人のはからいでいろんなところに手伝いに行った甲斐があったのか、島のみんなも北斗を見かけると気安く声をかけてくれるようになった。

 若い人が少ないこの村で、誰に何を言われても嫌がらずに手伝ってくれる北斗の存在は重宝がられているようだった。


「よー、北斗! 今度はうちの納戸を直してくれるか」

「んじゃ、明日の昼ぐらいに行きます」

「昼か! かみさんにいって飯作らせておくわ」

「楽しみにしてます」


 日曜日の午前中、スーパーへと買い出しに行くために二人で並んで歩いていても、北斗はたくさんの人から声をかけられる。

 さっきのように何かを頼まれることもあれば、直した何かのお礼を言われていることも。

 北斗には人を引き付ける魅力があるようで……気付けば自然にみんなが北斗を受け入れていた。


「どうした?」

「ううん、すっかり馴染んだなって思って」

「ああ……。みんなに良くしてもらってる」


 嬉しそうに北斗は微笑む。

 そんな顔を見ると、思わず胸がキュッとなる。

 ……いつからだろう、北斗のこういう表情を見ると胸がギュッと締め付けられたようになって、ドキドキがおさまらなくなったのは。

 最初はそんなわけないって思ってた。

 だって、北斗だし。口悪いし、たまにいじわるだし……それに、きっといつかここから出て行ってしまうから。

 記憶が戻ったら、北斗はきっと元の場所に戻る。

 ここにいるのは今だけ――。

 なのに、好きになるのに何の意味があるの。

 何度も何度も自分自身に問いかけた。

 でも……それでもどんどん惹かれていく私自身を止めることができなかった。


「明莉?」

「あ……」

「ホントにどうした? 熱でもあるのか?」


 心配そうに私の顔を覗き込む北斗の顔の近さに、思わず後ずさる。

 そんな私を怪訝そうに北斗は見る。


「風邪なら病院に――」

「おうおう、熱いねー。お二人さん」


 北斗の声に被さるように誰かの声がした。

 声のした方を見ると、遠山さんが私たちを見てヒューヒューと口笛を鳴らしていた。


「明莉ちゃん、北斗のこと婿にもらっちまえよ」

「なっ、何言ってるの! 遠山さん!!」

「お似合いだし、これで泰三さんも安心するだろうよー!」

「もう! ……行こう、北斗」


 北斗の腕を掴むと、私は遠山さんの声を無視して歩き始める。


「いいのか?」

「いいの!」


 心配そうに振り返りながらも、北斗は私についてきてくれる。

 ……そっと北斗を見上げると、動揺も何もないようで飄々とした顔で歩いている。

 こんなふうに、慌ててドキドキして焦ってるのなんて、きっと私だけ――。


「明莉?」

「なんでもない。早く買い物行って帰ろう。おじいちゃん待ってるよ」

「そうだな」


 握りしめていたままだった北斗の腕を離すと、私たちは目的地のスーパーまで再び歩き始めた。

 ふと、視線を地面に向けると、私たちの影が見えた。

 触れそうで触れない私たちの影。

 でも実際の私たちの距離はもっと遠くて、おおよそ30センチ。

 近いようで遠い距離。

 いつかこの影のように、私たちの距離も縮まる日が来るのだろうか。

 ――ううん、そんな未来が訪れることがないことなんて、本当はわかっている。

 でも……。

 私は僅かな希望に願いを込めて、影が重なる距離までほんの少しだけ――身体を北斗のそばへと寄せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る