第9話 北斗七星と北極星

 結局、良い考えも思い浮かばないまま終業時刻を迎えた私は、重い足取りで役場を出た。一緒に還ろうかと会議室を覗いてみたけれど、北斗の姿はなかった。

 買い物を終え、自宅のドアを開けようとするとどこからかコンコンと何かを叩くような音が聞こえてきた。不思議に思って音の出所を探すと、どうやら裏庭から聞こえてくるようだ。

 ソーッと足音を立てないようにそっと裏庭へとまわると、そこにはしゃがみ込む北斗の姿があった。


「…………」

「おかえり」

「わっ……気付いてたの?」

「気付くだろ、そりゃあ」

「そっか、ただいま。……何やってるの?」


 北斗の正面へとまわると、手元には金槌と、足の外れた踏み台があった。

 あれは……。


「この間、私が壊しちゃったやつだ」

「らしいな。上のものが届かなくて不便だって言ってたって言うから――」

「直してくれてたの?」

「まあな」


 慣れた手つきで釘を打つと、上に乗って強度を確かめる。そして、私へと差し出した。


「できたぞ」

「凄い……!」

「別にこれぐらい。……まあ、またなんか壊れたら言えよ」


 鼻の下を擦ると、照れくさそうに北斗はそっぽを向いてしまう。

 私は渡された踏み台を見る。


「私も直そうと思ったんだけど全然できなくて。凄いね、北斗」

「だから、凄くなんかねぇよ。これぐらい誰だってできるって言っただろ」

「そんなことないよ! ……もしかしたら、こういうことをやってたのかもしれないね」

「え?」


 私の言葉に、北斗は眉をひそめる。その反応に一瞬ひるみそうになったものの、わざと明るい口調で私は言った。


「だから、こういう仕事を、記憶を失う前はやってたのかもしれないねって! だから妙になれてるのかも!」

「……大工とか?」

「そう!」


 思わず手を打つ私を、北斗は笑う。

 そして、腕まくりをすると私に見せた。


「冗談。こんな真っ白な腕をした大工はいないだろ」

「……それもそうだね」


 北斗の言葉に、顔を見合わせて私たちは笑う。

 初日に比べると、随分と自然に北斗は笑うようになってきた。

 でも、まだ北斗の記憶は戻らない。自分自身に関すること以外の記憶はあるようで、昼に会議室で話したときのように植物園についてどんなところかを話してくれたりはするのに、自分のことになると綺麗さっぱり忘れてしまっているようだった。


「……どうした?」

「ううん。……早く、記憶が戻るといいね」

「そうだな」


 そう言って北斗は空を見上げた。

 つられるように私も視線を上にあげる。

 そらにはすでに北極星と、北斗七星が輝いていた。


「そのうち、戻るよ」

「まあ、期待せずに待ってるよ。それに、明莉は俺の記憶のことより考えなきゃいけないことがあるだろ」

「そ、それはそうだけど。それとこれとは別でしょ!」

「へー? 大丈夫なのかね」


 北斗はそう言って笑うけれど、本当はきっと不安なはず。今までの自分の過去が思い出せなくなって、自分自身が何者なのかわからないなんて……。

 それに……心配している人も、きっといる。早く記憶を戻して、その人たちに連絡してあげないと……。


「っ……」


 その瞬間、胸の奥がちりちりと妙に痛んだ。

 おかしいな。

 私は思わずお腹に手を当てる。そんな私の行動を不思議に思ったのか、北斗は心配そうに私の方を見ると「どうかしたのか?」と尋ねた。


「んー……胃がちりちりしてて」

「大丈夫か? 胃薬、家にあるか? なければ買って来るけど」

「大丈夫だと思う……。食べ合わせでも悪かったのかなぁ。それか変なものでも食べたか……」

「……拾い食いとかするなよ」

「失礼な! 子どもの頃じゃあるまいし!」


 私の返答に、北斗は眉をひそめると馬鹿にしたように口の端を上げた。


「子どもの頃はしてたのかよ」

「うっ。遠山さんの家の庭になってるみかんとか……」

「誰だよ、遠山さん」


 可笑しそうに笑うと北斗は、「気をつけろよ」と言って私の頭をポンポンとした。

 その手つきが妙に優しくて……気が付くと、胃の不快感はマシになっていた。

 かわりに、心臓がいつもよりもドキドキしている気がするけれど、これは気のせいかもしれない。

 でも……。

 私はもう一度空を見上げる。

 つかず離れず、ずっとすぐそばで北斗七星を見守り続ける北極星。

 たとえば――北斗が北斗七星なら……。


「明莉は、北極星みたいだな」

「え……?」


 まるで私の心を読んだかのように、北斗は呟いた。

 どういう意味か尋ねようとした私にくしゃっとした笑顔で笑った。


「どういう意味?」

「名前に負けないぐらい明るくて、元気で、それから……」


 北斗は私から視線を外すと、言った。


「お前がいればなんとかなるんじゃないかってそんな気にさせる。昔の人もこんな気持ちで北極星を見上げてたのかなって、明莉のことを見てると思わせてくれるよ」

「北斗……?」

「あーっと。そろそろ中入ろうぜ。腹減った」

「あ、北斗……。もう! 行っちゃったし」


 置いて行かれた私は、もう一度空を見上げたあとで、北斗を追いかけて家の中へと入った。

 そんな私たちを笑うように、北斗七星と北極星が北の空に並んでいた。


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