第12話 昔話と流れ星
課長の話のあと、何度かいつもの会議室に顔を出したけれど北斗の姿はなく、どうやら今日も島のあちこちを修繕作業に回っているようだった。諦めて他の仕事を進め、終業後、家に帰ると先に帰ってきたらしい北斗が台所に立っていた。
おじいちゃんの姿が見えないところを見ると、また誰かの家で飲んでいるのかもしれない。
この間も病院の先生から「そろそろ酒はやめにしとかんか」なんて言われたのに……。
「おかえり」
「あ、ただいま」
私が帰ってきたことに気付いた北斗がこちらを振り返る。……その姿を見て思わず笑ってしまいそうになるのを必死でこらえた。
「なんだよ」
「べ、別に……」
私のエプロンをつけて菜箸を持つ北斗は……まるでどこかのお嫁さんのようで。
そんなことを思っていると、朝部長から言われたことを思い出してしまう。
結婚なんて、そんなことあるわけないのに、どうしてみんなそんなことを言うのだろう。
北斗だってきっと嫌がるはずだ。……そうだ、いくら私がそうしたいと思ったところで、北斗に拒絶されることだって十分あり得るんだ――。
そこまで思ったところで、私は自分の中にある感情に驚いた。
――私、北斗と結婚したいなんて、思ってたんだ……。
いつかはこの島から出て行ってしまう人だって、わかっていた。
だから、好きになってもこの気持ちを伝えることができないとそう思っていた。
なのにまさか、北斗と結婚したいなんて、そんなこと……。
「急に黙り込んでどうした?」
「あ……ううん、ちょっと疲れちゃったかな」
「そうか。……大変だったみたいだな」
「え?」
「今日、なんか言われたんだろ」
どうしてそれを北斗が知っているんだろう……。
そんな私の疑問に答えるかのように、北斗は言葉を続けた。
「さっき買い物に出た時に、服部さんが言ってた」
「服部さん……」
三件向こうの服部さんは、奥さんがパートで役場に来ている。どうやらその奥さんから聞いたようで可笑しそうに北斗に話してきたらしい……。
余計なことばかり一瞬で広まるこの島にため息が出る。
みんなが親兄弟のように接してくれる分、いろんなことが筒抜けだ。
思い返せば子どもの頃、テストで百点取った時も上靴を忘れた時も、家に帰ってお母さんに話す前に、お母さんはもう知っていた。
今では笑い話だけれども、今日のようなことがあるとやっぱりうんざりする……。
「……さっさと訂正しとけよ」
「え?」
「じゃないと勘違いされるぞ。……司に」
はぁ……と、ため息をついた私に……北斗は何を思ったのか、そんなことを言った。
司に勘違いって……。
「なんで、司?」
「……別に。司に勘違いされたら困るんじゃないかって思っただけだ」
「だから、どうして……」
話がかみ合わない。
北斗の話の意図が分からず、首をかしげた私に苛立ちが交じったような声で北斗は言った。
「だから……好きなんだろ? 司のこと」
「誰が?」
「お前が」
「誰を?」
「だから、司を!」
「……えええ!?」
思わず大きな声を上げた私を見て、北斗は眉をしかめる。
どうしてそんな勘違いをされたのかは分からない。でも、訂正しなくちゃ!
伝えることは出来ないとしても、そんな勘違いされたままなのは嫌だ。
「司のことは、そんなふうに思ってないよ」
「嘘つかなくていいって」
「ホントだよ! どうしてそんな……」
「……他の人と接するときと態度が違う。あと、二人が
ポツリと北斗は言った。
態度と空気……。
そんなこと、今まで誰にも言われたことなかった。
でも……心当たりがないわけではない。
「それ、は……」
「ん?」
「多分、昔私が司のことを好きだったからだと思う」
「昔?」
「そう。ちっちゃい頃から、ずっと司のお嫁さんになるって思ってたから」
懐かしい思い出に笑いがこみあげてくる。
立ちっぱなしだった私たちは、コップに入れた麦茶を持って縁側へと移動した。
「でも、私が高校生になった時、司に彼女が出来たの」
「そう、なのか」
「あの時は泣いたなー。……でも、それでおしまい」
「……好きだって、伝えなかったのか?」
「彼女がいる司に? ないない。まあ、その彼女ともすぐに別れちゃったみたいだけど……でも、そのあとも何人か付き合ってた人がいたの、知ってるから」
島に観光できた子や、年上の人、私より年下の子もいたっけ……。
そういえば、いつからかとっかえひっかえすることもなくなったけど……あれはいつの頃だったっけ……。
「でも、明莉は今でも好きなんじゃないのか?」
「だから、違うって……」
「本当に?」
やけに、北斗は食い下がる。
あまりにも真剣な表情でそう言うから、私は……。
「……多分ね、今でも私は司が好きだよ」
「やっぱり――」
「でも、それはもう恋愛の好きではないんだ」
そう、恋愛の好きなんて気持ちはこれっぽっちも残っていない。でも……。
「でもね、それでもなんとなく気になっちゃう。好きだった人って、それだけで特別な存在なの」
「特別……」
「あの頃のようなドキドキはもうないけど、それでも笑っていれば嬉しくなるし、落ち込んでいたら心配になっちゃう」
「ふーん。そんなもんか」
「そんなものなんだよ。……変?」
思わず尋ねた私に、北斗は「いいんじゃないか」と言った。
「俺にはわかんねーけど……明莉がそう言うならきっとそうなんだろ」
「うん……」
麦茶の入ったグラスに口を付けると、私たちはどちらからともなく空を見上げた。
満天の星空の中で輝きを放つ北斗七星と北極星。
そして――。
「あ、流れ星!」
「お、ホントだ」
「ほら、早く願い事!」
ギュッと目を閉じると、私は夜空を流れる星に心の中で願いを唱える。
北斗の記憶が戻りますように。
一日でも長く、北斗のそばにいられますように。
相反する二つの願い。
どちらも本音だけれども……。
隣に座る北斗の姿をそっと見つめる。
真剣な表情で夜空を見つめる北斗の願い事は、私にはわからない。
いつか記憶が戻ったら、この時間は終わってしまう。
なら……。
北斗の記憶が戻るその日までは、隣で笑っていることを、許してください。
そう願った私の目の前で、再び星が流れた。
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