第27話 それは嵐の前の静けさで

 8月も後半に入り、星空ツアーも終盤を迎えていた。あと今週と来週の予約分が終われば、無事全行程が終了となる。何か忘れていることはないか考えながら終業後、いつものように北斗が出てくるのをベンチに座って待っていた私の耳に、言い争いをする声が聞こえてきた。

 この声は……。

 どうやら自転車置き場の方から聞こえてくるその声は、思った通り北斗と司のものだった。


「だから……!」

「いいって! 大丈夫だから!」

「大丈夫じゃないからそんなふうになってるんだろ!」

「っ……」


 喧嘩でもしているのかと思った。

 けれど目に映ったのは……荒々しい声とは反対に、しゃがみ込んだ北斗の背中をさすっている司の姿だった。


「っ……あっああっ……!!」

「ほらみろ、だから病院に行けって言ったんだ」

「いっ……た、だろ……だか、ら……」

「診療所じゃない、ちゃんと大きな病院って意味だ。……わかってるだろ」

「も、う……大丈夫……だから……」


 そう言って立ち上がった北斗の顔は真っ青で……大丈夫じゃないことを物語っていた。


「ほく、と……」

「明莉……」

「っ……」

「なんで……! 痛いのマシになってなかったの? もしかしてあれからずっと!? どうして言ってくれなかったの!?」


 思わず詰め寄る私を止めたのは、司だった。

 北斗はいつものように微笑もうと口角をあげる。けれど、その笑顔は歪なものだった。


「大丈夫……。ちょっとこいつが大げさなだけだ」

「大げさなもんか。……明莉、北斗の具合が悪いの知ってたのか?」

「知ってたっていうか……随分前に頭痛が酷くて、次こんなことがあったら病院行こうねって言って……それっきり何も言わないから、てっきり……」

「そうか……」


 司はため息をつくと、ここ数週間のことを教えてくれた。


「俺が知ったのも少し前のことなんだけどな。そこで倒れてたこいつを見つけて診療所に連れて行ったんだ。痛み止めを出してもらったようだったけど効かないみたいで……」

「そんな……どうしてそんな大事なこと、二人とも私に黙ってたの!?」


 私の知らないところで、北斗が辛い思いをしていただなんて……。

 なのに私は、私だけが不幸で辛い顔をして、北斗に支えてもらうだけで……。


「――明莉には言わないでくれって言われてたんだ」

「だから、どうして!」

「……頭痛の原因が、多分精神的なものから来ているから」

「え……?」

「記憶に、関係することかもしれないんだ」


 記憶に……?

 言われた言葉の意味が分からないでいる私に、司は言いにくそうに口を開いた。


「頭痛を治すってことは……過去を思い出すことに繋がるかもしれない。そうしたら、今のこの暮らしが壊れてしまうんじゃあって北斗は不安なんだよ」

「そう、なの……?」

「……頭痛がするたびに頭の中のモヤの向こうで誰かが俺を呼んでいる気がするんだ。北斗じゃない、別の名前で俺を」

「誰かって……」

「わからない。でも、その声を聞くと俺はたまらなく不安になるんだ。じゃあ今ここにいる俺はいったいなんなんだってね」

「っ……」


 そんな顔を、しないでほしい。

 寂しそうに笑う北斗の腕をそっと握りしめると、私は何か言おうと思って口を開いた。……でも、言葉が出てこない。

 記憶のない北斗の気持ちは私にはわからない。

 でも、それでも……。


「でもな、北斗。だんだんと頭痛がおきる頻度も、それに痛みの強さも酷くなってる。このままって訳にはいかないだろ」

「どうするの……?」

「……船で東京に行って、大きな病院で見てもらう方が、いいと思う」

「東京に……」


 島から出ている定期便に乗れば東京までは数時間で着く。

 確かに島の診療所よりは詳しく検査をしてもらえると思うけれど……。


「……行かねえよ」

「北斗!」

「どうして……!」

「こんなのたいしたことじゃない。だから行かない」


 そう言って私の手を引くと、北斗は司のことを無視して歩き始める。

 そんな北斗の肩を、後ろから司が掴んだ。


「お前……!」

「離せよ」

「っ……」

「心配かけてごめんな。でも、大丈夫だから」

「あ、北斗……! ご、ごめん司! また明日!」


 司の腕を振り払うと、再び北斗は歩き始める。立ち尽くす司に声をかけると、私は北斗に連れられて帰り道を歩き始めた。



 いつもなら今日あったことや晩ご飯のことなんかを話しながら帰るのに、今日はお互いに無言のままだった。

 何かを話しかけようとするけれど、上手く言葉が出てこない。

 ……私は自分自身のために、北斗に強く病院に行くことを勧められずにいた。

 もしも……もしも北斗のいう通り、この頭痛の原因が記憶喪失によるもので、痛みを取り除くための過程で記憶が戻ったら……?

 その時、北斗は――私の元に戻ってきてくれるの……?

 もしも北斗がいなくなったら、私は――。


「そんな顔するなよ」

「っ……北斗」

「心配しなくても、俺はどこにも行かない。ずっと明莉の隣にいるって約束しただろ?」

「うん……」


 でも、でもね……本当は司の言うように大きな病院に行ってきちんと調べてもらった方がいいことはわかっているんだよ。

 万が一、記憶に関することが原因じゃなくて大変な病気が隠れていたりしたら大変だし……。

 わかっているのに……北斗を失うことが怖くて、口に出してそれを伝えることができない。

 行って調べてみようよって、背中を押すことも出来ない。

 北斗はこんなにも、私のことを考えてくれているっていうのに――。


「ほく……」

「今日の晩ご飯、何にしようか」

「え?」

「昨日の夜が中華だったからあっさりがいいな」


 さっきまでの出来事なんてなかったかのように、北斗はいつも通り私に笑いかける。

 そんな北斗に甘えて、曖昧に笑う私が嫌になる。


「そうだね……じゃあ、魚でも焼こうか」

「そうするか。味噌汁は朝の残りがあったよな」


 いつも通りを装いながら私たちは、いつもの帰り道を二人で歩いた。

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