第16話 星空と腕の中のぬくもり

「ただいま」

「……おかえり」


 家に帰ると、北斗が私を待っていた。

 一瞬、たじろぎそうになりながらも、なるべく普通を装って話しかける。


「ただいま。あれ? おじいちゃんは? いないの?」

「ああ、じいちゃんなら……服部さんの家に行った」

「また? もー今日も飲んでるのかなー」

「そうじゃないか。大物が獲れたって上機嫌だったぞ」


 北斗は笑う。

 けど……その笑顔が、どこかひきつっている気がする。


「北斗……?」

「ん?」

「どうか、したの?」


 私の言葉に、北斗の方がビクッとなったのがわかった。

 本当にどうしたというのだろう……。


「ほく――」

「明莉」

「え?」

「ちょっといいか?」


 そう言うと北斗は、私の返事も聞かずに外へと出る。


「ちょ、北斗?」


 私は荷物を置くと、北斗の後を慌てて追いかけた。


「…………」

「…………」


 何も言わない北斗の後ろを黙ったままついていく。いったい北斗が何を思っているのか、後姿からは何もわからない。


「あ……」


 どこに行くのか、なんて聞かなくてもわかった。

 だって、ついさっき私が歩いた道のりを戻っているだけだったから……。


「明莉」


 北斗が私を振り返ったのは、さっきまで私が夕日を見ていた海岸だった。

 夕日が沈んだ海は真っ暗で……月明かりと満天の星空が輝いていた。

 北斗が初めて我が家に来た時には北の空高く似合った北斗七星も季節が変わった今では随分と北西の方へと動いた。

 もうすぐ夏が来る。


「北斗?」


 何も言わない北斗に思わず声をかけると……真剣な表情の北斗と目があった。

 思わず、息が止まる。

 そして――北斗は口を開いた。


「好きだ」

「……え?」

「俺は、明莉が好きだ」


 思いもしなかった言葉に、私は何も言えなくなる。

 誰が、誰を好きって……?

 だって、そんな、そんなことって……。

 私の反応に、北斗は苦笑いを浮かべる。


「そんな顔するな。……ずっと、悩んでた。この気持ちをお前に言うかどうか」

「どう、して……」

「……記憶を失っている間だけ、ここにいさせてもらっている身だから」


 寂しそうに、北斗は笑う。

 そんな北斗に何と言っていいのか、わからなくなる。


「だから、本当は伝えるつもりなんてなかったんだ。けど――」

「けど……?」

「いつか俺がここからいなくなって、お前が誰かの隣に並んで歩いて……誰かと結婚して、誰かの子どもを産んで……そんなことを考えたら耐えられなかった」


 ジャリっという音を立てて、北斗は一歩私へと近寄った。


「俺は……俺の本当の名前も過去も分からない。でも、俺は北斗としてお前のことを好きになった。何もない俺だけど、この気持ちだけは俺自身のものだ」

「ほく……と……」

「だからお前が受け入れてくれるなら……北斗として、ここで、この島でお前と一緒に生きたい。お前の隣で一生お前と同じ道を歩きたい」


 何か言わなければと口を開くけれど、出てくるのは嗚咽ばかりで……。

 頬を伝う涙を北斗は指先で拭うと優しく微笑んだ。

 両思い、だなんて想像したことなかった。

 それどころか、好きだって伝えることだってできないって、しちゃいけないって諦めていた。

 なのに――なのに――。


「なんで泣くんだよ」

「だ、って……」

「返事は?」

「え……?」

「聞かせてくれないのか?」


 北斗は笑う。

 その先の答えを知っているかのように。

 だから、私は北斗に尋ねた。


「いいの……?」

「ん?」

「私、北斗のことを、好きでいても……いいの?」

「ああ」

「だって、だってここで北斗として生きるってことは、北斗は過去を全部捨てるってことだよ?」

「わかってる」

「わかってないよ! 北斗のことを違う名前で大事に思っていた人がいたかもしれない! 北斗にとって大切な人がいたかもしれない! なのに! なのに全部捨てるってことだよ!?」


 涙がとめどなく溢れてくる。

 好きだと言われて嬉しいはずなのに、なのに、どうしても引っかかる。

 私が北斗を好きだと思うのと同じように、北斗を好きだと思って、今もなお帰りを待っている人がいるかもしれないのに。

 それなのに――。


「なのに……!」

「――それでも、俺はお前と生きたい」

「っ……」

「俺自身の過去を全て捨てたとしても……俺は北斗として、お前と一緒にいたい」

「ほく、と……」


 北斗は、決めたんだ。

 きっと私が考えているよりも、ずっとずっと悩んで、そして、過去を捨てることを、決めた。

 私と、生きるために……。


「だから――返事を聞かせてくれ」

「っ……」

「北斗として生きる俺の隣に、いてくれるか?」

「……は、い」


 私の返事に、北斗は優しく微笑むと両手を広げた。


「おいで」

「北斗……!」


 北斗の腕の中に飛び込むと、ギュッと抱きしめられる。

 北斗の温もりと……私と同じぐらい早く鳴る北斗の心臓の音が伝わってくる。

 私は照れくさくて顔を上げることができなかった。けれど――代わりに北斗の背中に腕を回すと、そっと抱きしめ返した。


「明莉」


 どれぐらいの時間そうしていただろう。名前を呼ばれて、おずおずと顔を上げると、私を見下ろす北斗の姿がそこにはあった。


「大事にするから」


 そして私たちは――星たちが見守る下で、初めてのキスをした。

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