第6話 木から落ちる猫と――私?

 朝食の後、準備を済ませた私は北斗に行ってきますと声をかけると玄関へと向かった。ちなみに、おじいちゃんは朝ご飯を食べると早々に家を出て行った。今日は寮に出る日じゃなかったはずだから、また誰かの家で囲碁か将棋でもするのだろう。

 私は下駄箱の上にかかった鏡で髪型が変じゃないか確認をすると、少しでも可愛く見えるように意識して口角を上に上げた。おじいちゃんなんか別に窓口じゃないから誰に見られるわけでもないだろなんて言うけれど、そこは私も年頃の女の子。気になるものは気になるんだから仕方がない。


「ちょっと待って」


 そんな私を北斗は呼びかけると、隣に並んで靴を履く。

 どうしたんだろう、不思議そうに見つめていた私の視線に気付くと、北斗は口を開いた。


「聞いてないか? 大貫さんのところに行くようにって言われたんだ」

「大貫さんのところに?」

「そう。村の人の手伝いして来いって。一日中、家の中にいられても困るからってさ」


 北斗の言葉に思わず苦笑いを浮かべる。おじいちゃんらしい物言いだ。誰に対してもざっくばらんに話すおじいちゃんは味方も多いけれど敵も多い。まあ昨日の敵は今日の友。喧嘩した翌日にうちでサシ飲みをしているなんてこともよくあるのだけれど。とはいえ、まだ知り合ったばかりの北斗にまでそんな言い方をするなんて。

 私はおじいちゃんが誤解されないように慌てて北斗に言った。


「あの、別に北斗のことをどうこう思ってるわけじゃなくてね! その……」

「わかってる。知らないやつが引きこもっていると村の人が心配するからな。顔だけでも見せて挨拶しておいた方が幾らか安心だろうし」


 肩をすくめて北斗は言う。

 私はおじいちゃんの意図がきちんと伝わっていたことが分かって安心する。

 小さな島だから北斗のことはもうほとんどの人が噂を聞いていると思う。だからこそ、早めに島の人に紹介する必要があった。

 島という閉鎖的な空間だから、よそ者を嫌う人だって少なくない。いくら大貫さんやおじいちゃんが面倒を見ていると言っても、不審がられることだってあるだろう。そして、そんな目を向けられたら北斗がどんな気持ちになるか。想像に難くない。

 そうなる前に、みんなに紹介しておこうとおじいちゃんは思ったのだと思う。


「いい人だな」

「あんな言い方だからよく誤解されるけどね」

「……でも、きっとそういうところもみんな分かってくれてると思うぞ」

「そうだね」


 歩く私たちの視線の先には、船の近くで揉めているおじいちゃんたちの姿があった。私が大きく手を振ると、こちらに気付いたのかおじいちゃんとそれから周りにいた人たちがこちらを向いた。


「いってきまーす!」

「おう、気をつけてな」

「はーい」

「北斗も、ちゃんとやれよ」

「はい」


 私たちはおじいちゃんにもう一度手を振ると、並んで村役場へと向かった。

 大貫さんのところに案内しようと入り口のドアに手をかけた私の耳に、どこからかか細い鳴き声が聞こえてきた。

 ミャーミャーと鳴き続ける声が気になって辺りを見回すと……気の上に、一匹の子猫の姿が見えた。


「猫……」

「ん?」

「ちょっと待ってて! すぐ戻るから!」

「お、おい」


 何かないかと見回すと、近くにこの間のイベントで使ったパイプ椅子が積んであるのが見えた。あれに乗れば私の身長でも届くかも。

 私はそれを手に取ると、北斗を置いて駆け出した。

 木の上では震えながら猫が鳴いている。まだ小さい子猫だ。登ったものの降りられなくなったのかもしれない。


「よっと……。ちょ、ちょっとぐらつくけど、なんとか」


 子猫を驚かせないように静かに手を伸ばす。あとちょっと……。


「んっ……つ、かまえた!」


 そっと猫の首の後ろを掴むと、何とかこちらへと引き寄せる。

 特に怪我をしているわけでもないようだし、このまま離してあげても大丈夫だろう。

 バランスを崩さないように椅子から降りようとしたはずなのに、背伸びをした足を上手く椅子の上に戻すことができず、私の身体が斜めに傾いた。


 ――落ちる!


 そう思った瞬間、子猫をギュッと抱きしめた。

 この子だけは、怪我をさせたりするものか……。

 必死に子猫を庇って衝撃を待つ。

 でも――どれだけの時間が経っても、衝撃が訪れることはなかった。


「え……?」


 そっと目を開けると、私の身体は誰かの腕に包まれていた。


「どういう……」

「この……バカが!」

「北斗?」

「何勝手に突っ走ってんだよ! 届かないのに椅子になんて登って……そんなことするぐらいなら、俺に頼めよ!」

「なんで……怒ってるの?」

「知るか!」


 北斗はブツブツ言いながら私の身体を押しやると、立ち上がった。


「……いつまでそうしてるんだ」

「それが」

「どうした?」

「ビックリしすぎて立ち上がれなくて」


 足に力が入らない。

 ヘラヘラと苦笑いを浮かべる私を見下ろしながらため息をつくと、北斗は手を差し出した。その手が何を示すのかわからず首を傾げると、北斗は苛立ちを隠さず口を開いた。


「手、貸せ」

「なに……」


 言われるまま伸ばした私の手を北斗は掴むと、そのまま引っ張り上げた。別にそんなに体重が重いとは思っていないけれど、ここまで軽々と引っ張り上げられてしまうとビックリしてしまう。そしてその勢いのまま、私は北斗の腕の中へと飛び込んだ。


「きゃっ!」

「っと」


 北斗の腕に抱きとめられた私は、ドキドキとうるさい心臓が落ち着かないまま、北斗の体温を感じていた。こんなふうに、誰かに抱きしめられるなんて久しぶりでなんだか……。


「俺は別にいいけど、見られてるぞ」

「え……?」


 ボーッとしていた私に、北斗が笑いながら言う。

 その言葉に振り返ると、こちらを見つめたまま動かない人影があった。

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