第9章 輝く空に、いつかの君を見付けに行こう

第41話 北斗七星の輝く空で

 夏の日差しが照りつける中、私は結婚式場となった会館からの帰り道を歩いていた。たくさんの人が訪れ、祝福の声に溢れた式だった。

 白のタキシードを着た司は、今まで見たこともないような表情で――ウエディングドレス姿のお嫁さんの隣に立っていた。

 結婚することにした、と司から聞いたのがつい三ヶ月前。島に観光で遊びに来ていた女の子に一目惚れされたらしい。

 突然の報告に「よかったね」と言った私を、司は心配そうな顔で見つめていた。

 まるで母親のように私のことを気に掛ける司に、「幸せになってね」と伝えると、一瞬困ったように眉をしかめて、それから照れくさそうな顔で笑っていた。

 私が傷付けた過去が亡くなるわけじゃない。でも……幸せそうな司の姿を見たらほんの少しだけ、気持ちが楽になった気がする。


 東京で碧生さんと約束をしたあの日から、いつの間にか二年の月日が経った。彼からの連絡は一度もなかったし、私からもすることはなかった。

 それでも、私は待ち続けていた。あの日、碧生さんは必ずこの島に帰ってくると約束したから。


「んー! いい天気!」


 海岸沿いを歩きながら、私は海の向こうにいるであろう北斗のことを思う。

 今頃何をしているのだろうか。

 少しは私のことを、思い出してくれたかな。


「会いたいなぁ……」


 無意識のうちに、言葉が口をついて出ていた。

 会いたい、北斗に会いたい。

 会って、抱きしめて、好きって言って、それで……それで……。


「会いたいよ、北斗……」


 ぽたりぽたりと涙が流れ落ちる。

 でも、それを拭ってくれる人はもういない。

 私は、手の甲で涙を拭うと前を向いた。


「よしっ……!」


 ネックレスの先につけた指輪をギュッと握りしめると、私は歩き出した。

 北斗が帰ってくるまで、待つって決めたのは私自身だ。

 いつか北斗が帰ってきたときに、胸を張って「おかえり」と言える自分でいられるように――。



***



 そして、また春が来た。

 北斗と出会ってから五回目の春が。


「もう、五年も前のことなんだなぁ……」


 つい昨日のことのように、あの日のことを思い出せるのに、いつの間にそんなに月日が経っていたのかと驚いてしまう。

 私は、夜明け前の海岸通りを一人歩きながら、北斗と出会ったころのことを思い出していた。

 あの頃の私は、北斗を好きだといいながら、どこかで逃げていた。記憶のない北斗の過去と向き合うことから。


「元気にしてるかな」


 ここに来ると、つい海の向こうを見てしまう。話しかけてしまう。見えるはずなんてないのに、聞こえるわけなんてないのに。

 白み始めた空に、星が消えていくのが見えた。

 今日もまた朝を迎える……。

 仕事に行く前に一度家に帰ろう、そう思って歩き出そうとした私の背中に、誰かが声をかけた。


「また星を見ていたのか?」


 私は、この声を知っている。

 聞き間違えるわけなんてない。

 だって、ずっとずっとこの声の主を私は待っていたのだから。


「っ……!」


 振り返った私の目の前には――あの頃と変わらない笑顔の彼が立っていた。


「ただいま」

「おか、かえり……」

「なんて顔してんだよ」

「だっ、だって……!」


 あの頃のように、ぶっきらぼうにそう言うと彼は笑う。


「ずいぶん時間が経ったな。……待たせて悪かった」

「――思い、出したの……?」


 絞り出すように言った私の言葉に、彼は小さく頷くと、左手の薬指にはめた指輪を私に見せた。

 それはあの日、彼が私に贈った、あの指輪だった。


「全てを思い出した瞬間、たくさんの思い出が頭の中に流れ込んできたよ。二人で笑い合ったことも、泣かせたことも、喧嘩したことも……明莉に、恋に落ちた日のことも」

「っ……!」

「こんなに大切なこと、どうして忘れていられたんだろうな」


 苦笑いをする彼に、首を振ることしか出来なかった。

 そんな私の頬を伝う涙を、彼は指先で拭う。


「また泣かせちゃったな」

「っ……あっ……」


 言いたいことはいろいろあるのに、口から出るのは嗚咽ばかりで、言葉にならない。

 彼は「ゆっくりでいいから」と言って笑う。


「時間は――たっぷりあるんだからさ」


 「おいで」と言って伸ばされた手を取ることを躊躇してしまう。その手を、本当に取ってもいいのだろうか。だって――。

 そんな私の不安を拭うように、彼は言った。


「先日、正式に婚約破棄が成立したよ」

「っ……。楓香、さんは……」

「楓香には、もう一度やり直したいって言われた。本当に好きなのが誰なのかようやくわかったって。……でも、どうしても駄目だった」


 彼の頬を、涙が伝う。

 私にしてくれたように、その涙をそっと拭うと、彼が私を見つめた。

 私は彼の頬に触れたまま、尋ねた。


「後悔、してる?」


 私の言葉に、一瞬驚いた表情をした後、彼は小さく首を振った。


「……いいや。どれだけ罵られても、泣かれても……たとえ誰かを傷付けることになったとしても……明莉。君を諦めることができなかった」

「っ……」

「楓香には悪いことをしたと思っている。でも……」


 俯いた彼の手のひらがギュッと握りしめられているのに気付いた。

 その手をそっと開かせると、食い込んだ爪が手のひらに痕をつけていた。

 重ね合わせるようにして、彼の手を包み込むと、彼は顔を上げた。

 そして――。


「もう俺には何もない。大村碧人という名前も、過去も、全て捨てた。それでも――」

「それでも、私はあなたがいい。あなたが何者だって構わない。私には、あなたがいればそれでいい」


 私の頬に、手を伸ばすと、彼は言った。


「名前を、呼んでくれないか」

「え……?」

「明莉、君がつけた、俺の名前を呼んで」

「……北斗」


 言い終わる前に、言葉をかき消すかのように北斗の唇が私のそれへと触れた。

 何度も何度も、啄むように、北斗は私の唇へとキスを落とした。


「――ただいま、明莉」

「おかえりなさい、北斗」


 顔を見合わせて、小さく笑うと、私たちはもう一度キスをした。

 私たちを見守るかのように、白んだ空で北斗七星が微かに光り輝いていた。

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北斗七星の輝く空で ~離島で記憶探しと島興しはじめます~ 望月くらげ @kurage0827

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