第30話 もう二度と会えなくても

 なんとか、今日の分の星空ツアーを無事に終え、お客さんたちが民宿へと戻っていくのを見送った。

 うまく笑えていただろうか。変じゃなかっただろうか。不安に思うことはたくさんある。こんなとき、北斗がいてくれたら……。「大丈夫だ」って笑って言ってくれたら……。


「っ……」

「明莉、お疲れ様」

「つか、さ……」


 いつの間にか、すぐそばに立っていた司が、イチゴミルクを差し出してくれた。ありがとうと言って受け取ったそれはぬるくなっていて、いったいいつからこれを持ってくれていたのかと思うと、少しだけ胸の奥があたたかくなるのを感じた。


「すげーな、お前」

「え?」

「ちゃんとやれてたじゃん」

「そう、かな」

「そうだよ。なんか、いつの間にかこんなにしっかりしてたんだなって」

「なにそれ」


 親戚のおじさんのような台詞に思わず笑うと、司も優しく微笑んだ。


「んじゃ、さっさと行くぞ」

「……もしかして、今日もうちでご飯食べるの?」

「悪いか?」

「いいけど……作るの手伝ってよね」

「任せとけ。卵ぐらいなら割れるぞ」


 私たちは満天の星空を背に、家へと帰る。

 北斗のいなくなった家へと。

 いつか、北斗が帰ってくる家へと――。



 8月31日、星空ツアー最終日を迎えた。

 もうすでに学校が始まっているところもあるのか、今日の予約は三人だけ。最後のお客さんだ。

 満天の星空を堪能し、お客さんたちが帰って行く姿を見送りながら、目頭が熱くなるのを感じた。

 無事、全ての日程を終えることができた。

 トラブルがなかった訳じゃない。それでも、最終日である今日も、お客さんは星空に負けないぐらい満面の笑みで帰って行った。


「お疲れ様」

「お疲れ様でした」

「終わったな」

「はい」


 隣に並ぶ課長が、私に缶コーヒーを差し出すと、軽く缶をぶつけた。


「ビールで乾杯、といきたいところだが、まあこれで勘弁してくれ」

「ありがとうございます」

「まだきちんとしたデータは出してないけど、上もな今回のこと評価してたぞ」

「え……?」


 思わず振り向いた私に、課長は優しく微笑むと、歩き出した。私は、課長の言葉の続きが聞きたくて、慌てて後ろをついて行く。


「それって……!」

「おおよそ見積もって、昨年度の7月8月の来島者数を2000人以上オーバーしているそうだ。例年10%ぐらいはアップしてるのを引いたとしても、単純計算このツアーで1600人増ぐらいじゃないかと。こんな数字今までなかったし、諸経費を除いたとしても民宿やホテルも収益が増えたと喜んでいたぞ。……来年もこの調子で観光課に頑張って欲しいってさ」

「よかった……!」

「次は冬の企画だな-」


 観光課がなくならないことにホッとして、ガッツポーズをする私に、課長がポツリと呟いた。

 夏はもう終わる。この星空ツアーも今日が最後だ。観光シーズンが終わると、どうしても来島者は減ってしまう。


「何か考えないとな」

「そうですね」

「星空ツアーの時のような、ビシッとした企画、楽しみにしてるぞ」


 課長の言葉に、私は曖昧に微笑むことしかできなかった。だって、この企画は私一人で考えたものじゃない。北斗の言葉があったから、北斗がいてくれたからできた企画だ。

 なのに……。


「北斗……」


 会いたいよ、北斗。

 北斗……。



***



 北斗がいなくなってから数か月が経った。

 季節は早いもので冬になり、私は結局企画を考えることができないままだった。

 課長は来年への課題だな、なんて言ってたけれど……。

 私は小さくため息をつくと、干し終わった洗濯かごを部屋の中へと入れた。

 一人分しかない洗濯は、早くて軽くて、それから寂しい。寂しいけれど――でも、北斗のいない生活にも少しずつ慣れてきた気がする。


「明莉―、もう出るぞ」

「ちょっと待って」

「じいちゃん、明莉は今日もドタバタだよ」

「余計な報告しないで! さ、行こっか」


 あの日から、司は毎朝私の家に顔を出して朝ごはんを一緒に食べてから出勤するようになった。

 どうしてこんなことをしてくれるのかと尋ねるたびに、なんだかんだそれっぽい理由を司は言うけれど、本当はちゃんとわかっている。私を心配してきてくれているということを――。

 こうやって……少しずつ当たり前の生活を送れるようになったのは、司のおかげだと思っている。

 毎日一緒に仕事に行って、帰りは私の家でご飯を食べる司のおかげできちんとした生活を嫌でも送ることができた。

 司がいなかったら、きっと今頃まだあの港で泣きながら北斗を待っていたと思う。


「っ……」


 あの港を見るのは、まだ辛い。

 それでも時折、北斗が帰ってくるんじゃないかとふらりとあの場所へ行ってしまうことがある。

 そんな日は決まって――。


「帰るぞ」


 そう言って、司が迎えに来てくれた。


 司の優しさに甘えていることは分かっている。

 でも、一人で立ち上がるには……北斗の存在が大きすぎて、ぽっかり空いた穴が埋めきれないでいた。



***



 北斗を目撃したという知らせが舞い込んできたのは、早咲きの桜が咲く暖かい日のことだった。


「明莉姉ちゃん!」

「太一……? どうしたの?」

「俺、見たんだ!」

「何を……?」


 仕事が終わり、帰り道を司とともに歩いていた私を、この春から東京の大学に進学する太一が呼び止めた。

 たしか今日は、マンションの契約に行くために……東京に――。


「だから、北斗だよ! 俺、今日東京に行ってたんだけど、北斗を見たんだ!」

「ほく……と……」


 太一の口から出てきたのは……懐かしくて大切で……愛しい人の名前だった。


「っ……」

「本当に北斗だったのか?」


 言葉に詰まった私の代わりに、司が太一に尋ねる。

 そんな司の言葉に、太一は不満そうに言う。


「司兄ちゃんまで疑うのかよ! あれは北斗だった。間違いない」

「……で? 声はかけたのか?」

「う……。それが……」

「それが?」

「呼びかけたんだけど、俺のことなんか知りませんって顔して……通り過ぎてった」


 司はため息をつくと、太一に言った。


「お前それは……よく似た他人だったんじゃないのか?」

「そんなことない! ……と、思う……けど……」

「それにお前のことが分からなかったとしても、名前を呼ばれたんだ。本人なら何か言うはずだろ?」

「それは、そうだけど……。でも、あれは絶対北斗だったって!」

「……だってよ、明莉」

「っ……うん……」


 ボロボロと涙が頬を伝う。

 北斗が、生きていた。

 東京で生きている……。

 それがわかっただけで、それだけで十分だ。


「太一、教えてくれて、ありがとう」

「ううん……連れて帰って来れなくて、ごめんな」

「そんなこと気にしないで。太一のおかげで、北斗が生きているってわかったんだから」


 太一にお礼を言う私を……何か言いたげな顔をして司が見つめているのに気付いた。

 でも、それには気付かないふりをして、私は北斗がいるであろう海の向こうを見つめ続けた。

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