第7章 春の嵐の訪れ

第31話 あなたの心臓の音色

 北斗がいなくなって、二度目の春が来た。北斗と一緒にいた期間よりも……いなくなってからの方が長くなった。

 もう二度と、この島に北斗は帰って来ない。なんとなくそんな気がしていた。

 だから、このままこうして北斗のいない生活をずっと送っていくんだと思う。……少し寂しいけれど、仕方がない。

 ようやくそう思えるようにもなってきた。

 それはきっと――。


「なんだよ」

「ううん、なんでもない」


 当たり前のように一緒にご飯を食べる司の姿を見つめる。

 北斗がいなくなったあの頃よりも頻度は減ったけれど、今でもこうやって週末になると一緒にご飯を食べるために司はやってくる。

 もう大丈夫だよと何度か言ったけれど、心配だからと言って通ってくれている。

 でも……そろそろ司の優しさに甘えるのもおしまいにしなければいけない。


「ねえ、司」

「ん?」

「話があるんだけど」

「……ちょうどよかった。俺も話があったんだ」

「え?」


 司は真剣な表情で私を見つめる。

 こんな司、初めて見る……。


「先に言ってもいいか?」

「あ、うん……」


 いったいなんだというのだろう。

 ゴホンと咳払いを一つすると、司は口を開いた。


「俺たち……結婚しないか?」

「……え?」

「違うな。……明莉、俺と結婚してください」


 冗談で言っているんじゃないことは、司の表情を見れば一目でわかった。

 司は、本気だ。


「あ、の……」


 なんて言っていいのかわからずに、私は言葉に詰まる。

 だって、私の中にはまだ――。


「そんな顔するなよ」

「っ……」

「明莉の中に、まだ北斗の存在がいることはわかってる」

「司……」


 なのに、どうして……。

 そんな私の疑問に答えるかのように、司は笑った。


「でもさ、そんな明莉のそばで支えたいって思っちゃったんだから……しょうがないだろ」

「司……」

「少しずつでいい。北斗じゃなくて、俺のことを見てくれないか」


 どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。

 私なんかのために……。


「どう、して……」

「どうしてって……そりゃあずっと好きだったからに決まってるだろ」

「え……?」

「気付いてなかったのか? 子どもの頃からずっと、お前のことを好きだったこと」


 照れくさそうに司は笑った。

 その言葉に、私は驚きを隠せなかった。

 だって、司が私を好きだったなんて……。


「う、そ」

「嘘なもんか」

「だって、彼女いたじゃない!」

「それは……」


 今度は司が口ごもる番だった。

 ブツブツと何かを言っているけれど、誤魔化されないんだから。司に何人も彼女がいたことを知らない私じゃない。


「それは、何よ」

「だから……! ああ、もう! お前が俺のことを全く意識しないから! それでヤキモチ妬かそうとして……」

「え……」

「くそっ……カッコ悪いことを思い出させるなよ」

「そんな……」


 ずっと失恋したとばっかり思っていた。

 それなのに実は、あの頃両思いだっただなんて……。


「なんで……」

「え?」

「だって、私……」

「明莉?」


 司に彼女が出来て夜通し泣いた日のことを思い出す。

 あの頃の私は、いつか司と結婚するんだってそう信じていた。

 年の近い子供は司だけだったし、親同士も仲が良かったから。

 でも……もう、遅い。


「ごめん……。私、やっぱり……北斗のことが――」

「いいよ」

「え……」

「何年でも何十年でも、明莉が北斗のことを忘れるまで待つ」

「そんな……」


 司は当たり前のように言って、そして笑った。


「大丈夫、そのうちきっと忘れるよ。俺がそばにいれば」

「バカじゃないの……」

「バカだよ。でも、好きなんだからしょうがないだろ」

「司……」


 司は私の手に触れると、優しく握りしめた。

 その手が少しだけ震えていることに気付く。

 思わず顔を上げると……司は笑った。


「気付いた? カッコ悪いな、俺」

「司……」

「緊張でさ、手が震えてんだ。結婚してほしいって、たった一言伝えることが……こんなにも緊張するなんて思わなかった。でも、どうしても伝えたかったんだ。明莉の辛さも寂しさも、全部俺が引き受ける。もう一人でなんて泣かせない。俺がずっとずっとそばにいる。北斗のことを忘れられないのなら、忘れなくてもいい。北斗を忘れられない明莉ごと、俺が受け止めてやる。だから……俺のお嫁さんになってください」


 司の優しさが、愛情が伝わってきて……涙が溢れる。

 北斗がいなくなってから、ずっとずっと司は私のそばで支えていてくれた。

 今度は私が、司から与えてもらったものを返す番なんじゃないだろうか。

 それに――もしかしたら、司となら……本当に北斗のことを忘れて幸せになれるかもしれない。

 ギュッと手を握り返すと、驚いた表情で司が私を見つめる。


「はい、よろしくお願いします」

「え……?」

「なに……?」

「いや……本当に? いいのか? やっぱりやめましたっていうのは、なしだぞ?」

「そんなこと言わないよ――」

「っ……! 明莉!」


 私が言い終わるより早く、司は私の名前を呼ぶと……食卓の上のコップが倒れるのも気にしないで、私の身体を抱き寄せた。

 司の、心臓の音が聞こえる。それをボーっと聞きながら、いつの間にかこんなに大きくなっていたんだな、と司の腕に抱きしめられながら考える。

 こんなふうに司と抱き合ったのは、いつが最後だったっけ。

 あの頃は、お互いにもっともっと小さかったのに……。


「明莉?」

「あ、ごめん……。ボーっとしてた」

「なんだそれ」


 突然無言になった私の顔を訝しげに覗き込んだ後、司は笑った。

 その顔が幸せそうで嬉しそうで……私の胸はズキッと痛んだ。

 ごめんね、司。いつかきっと、北斗のことを忘れてみせるから。司のことを北斗以上に好きになるように頑張るから。


「っ……」


 顔を見られないように、私はもう一度司の胸に顔を埋めた。

 さっきよりも幾分か静かになった心臓の音色を聞きながら、司に聞こえないように、小さな声で「ごめんね」と呟いた。

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