第29話 あなたのいない日常なんて
翌朝、いつもより早く家を出ると私は港へ向かった。
昨日の夜、東京を出る便に乗っていればきっと朝一の船で島に着くはず。
そうしたら、北斗に「おかえり」って言って、それで……。
「早く帰って来ないかな……」
でも……朝一の船が来ても、その次の船が来ても、そのまた次の船が来ても――降りてくる人の中に北斗の姿はなかった。
次の日も、そのまた次の日も、私は港で北斗の帰りを待った。
でも、どれだけ船が来ても、北斗は帰って来ない。
――そして、今日もまた日が暮れていく。
「帰ら、なきゃ……」
このままここにいたら、また心配した司が迎えに来てしまう。
そうわかっているのに、足が動かない。
もう来るはずがないのに、海の向こうに船の影が見えないか、必死で探してしまう。
もう戻ってこないと、心のどこかでわかっているのに。
それでも、北斗のことを待ってしまう。
「っ……」
必死に我慢していたのに、ぽたりぽたりと落ちた涙がアスファルトに染みを作っていく。
絶対に北斗は帰ってくる。
だから、泣かない。泣くものか。
そう、思っていたのに――。
「っ……くっ……。ほく、と……っ……ほく……」
「明莉!」
「っ……あっ……つか……」
「泣くな!」
気が付けば――私の身体はぎゅっと抱きしめられていた。
「な……」
「一人で、泣くな……!」
「司……」
冷えた身体に、司の体温が伝わる。
走って来てくれたのだろうか、心臓の音が早い。
「俺がいるから……! だから……!」
「……ありがとう」
そっと身体を離すと、悲しそうに私を見つめる司の姿があった。
頬を汗が伝うのが見えた。
「司、汗凄い」
「あ……悪い。お前が蹲っているのが見えたから……」
「それで走って来てくれたの?」
「……まあ、な」
「ありがとう」
無理矢理に笑顔を作って司に微笑みかけると……泣きそうな顔で司は言った。
「俺の前で、そんなふうに笑うな」
「司……?」
「……お前がそんな顔してたら、俺は……」
何かを言いかけて……でも、司は口を
代わりに――。
「ほら、帰るぞ」
「でも……」
「……今日、晩ご飯何作る予定?」
「え……?」
唐突に、司は言った。
意図が分からず、ぽかんとする私に……笑いながら司は言った。
「何か食わせてよ、俺に」
「え、えええ?」
「ほら、決まり。さっさと明莉の家行くぞ」
「なっ、ちょっと待ってよ!」
私の返事を待たず、司は私の手を取ると歩き始めた。
「へー、美味いじゃん」
「……まあ、ね」
私は司に促されるまま晩ご飯を作ると、一緒に食卓についた。
冷蔵庫の有り合わせで作った夕食を平らげると「じゃあ、帰るわ」と司は席を立った。
「明日は仕事来いよな」
「……うん」
「みんな心配してるぞ。それに、明日も星空ツアーの予約、入ってるんだろ」
「……わかってる」
いつまでも、このままじゃいけないことはわかっている。
でも、今日は帰って来なかったけど、明日の船には乗っているかもしれない。
明日がダメなら明後日、それもダメなら――。
「いつか、必ず帰ってくるよ」
「え……?」
「明莉のことを放ったままにするようなやつじゃないだろ、北斗は」
「司……」
「帰ってきたときに文句の一つも言えるように、明莉は明莉でちゃんと生きろ」
「……うん」
司の言う通りだ。
北斗が帰ってきたときに、笑顔で出迎えてあげられるように、私は私できちんとしなければ。
きっといつか、必ず帰ってくる。
そう信じて……。
翌日、なんとか出勤した私は、周りの人たちの心配そうな視線に頭を下げることしかできなかった。
そして……。
「七瀬!」
「課長……」
「この時期に、お前が休むとはいったいどういうつもりだ!!」
「す、すみません」
他の人たちとは違い……課長は怒っていた。
当たり前だ。私が立てた企画の真っ最中に、私自身が休んだんだから……。
頭を下げる私の頭上から、課長の怒鳴り声が響く。
「事情は聞いた。でもな、お前は社会人なんだ。自分のしなければいけないことを全うしろ!」
「はい!」
「……それから、ちゃんと飯を食って、寝ろ」
「え……?」
顔を上げると――課長はもう私の方なんて見ていなかった。
書類を睨み付けるようにする課長の前でどうしていいかわからず動けずにいると、課長が口を開いた。
「何を呆けた顔をしてるんだ。やらなきゃいけないことは山積みだぞ」
「は、はい」
もう一度、課長に頭を下げると、私は自分のデスクに向かった。まだ気持ちは重いままだけれど、みんなに心配をかけて、このままじゃいけない。
辛くても悲しくても、前を向かなくちゃ。私は私の仕事をしなくちゃ。
たまったメールやFAXの確認を終わらせて、一息ついたときにはお昼をとっくに過ぎていた。持ってきたおにぎりを食べるけれど、味がしない。それでも、なんとか全て食べ終えると今日の星空ツアーの参加人数を確認する。
夏休みも終わりを迎えようとしているから仕方ないのかもしれないけれど、最初の頃に比べると人数がガクンと減った。それでも、平日と言うことを考えるとまずまずなのかもしれないが。
定時になり、一度自宅に戻った私は簡単に準備をすると南が丘園地へと向かう。ボーッと山道を歩きながら考える。司はああ言ってくれたけれど、北斗はもう戻ってこないのかもしれない、と。
いつかきっと帰ってくる。そう信じていたいけれど……。
鼻の奥がツンとなるのを感じて、私は慌てて上を向いた。目を腫らして、涙声でなんてお客さんの前に立てない。溢れそうになる涙をなんとかこらえた私の目に、星空が見えた。
北極星と北斗七星は今日も夜空に浮かんでいるのに――私の隣には、もう……。
「っ……」
こらえることのできなかった涙が、地面に染みを作っていく。
ダメ、泣いちゃダメ。
そう思えば思うほど、涙は止まらなくなって……。
「明莉」
「っ……」
後ろから、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。けれど、こんな顔で振り返れない――。私は、よく知ったその声に、泣いてることがバレないように必死に明るく返事をした。
「つ、司? どうしたの?」
「……別に。俺も星空ツアーに参加しようかなと思って」
「そ、そうなんだ。あと少しで始まるから、急いだ方がいいよ」
「なに言ってんだよ。お前がいないのに始まらないだろ」
「そ、そっか」
泣いていることに気付かなかったのか、司はいつものように軽口を叩くと、私の隣に並んだ。
メイクが取れないようにハンカチで涙を拭うと――そんな私の頭を、司が優しく撫でた。
「っ……」
「無理すんなよな」
全て見透かされているようで……私は頷くことしかできなかった。
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