第17話 ポラリスと交わした約束
唇を離すと、北斗が私をジッと見つめていた。
「なに……?」
「いや、まさか明莉とこんなふうになるなんてって思って」
「なっ……どういう意味!」
思わず声を上げた私にごめんと言いながら北斗は笑う。
「だって最初は騒がしいやつだなって思っていたから。口うるさくて、おせっかいで、心配性で……人のことばっかり一生懸命で、気付いたら目が離せなくなってた」
出会ったばかりの頃を思い返す。
まだたった数か月前のことなのに、もうずいぶんと長い時間を一緒に過ごしたような気がする。
それぐらい――北斗が隣にいることが自然になっていた。
「でも……」
「でも?」
「……お前は司のことが好きだって思っていたし――それに、俺はいずれここからいなくなるから、明莉のことを好きになんてなるわけない、なっちゃいけないって思い込んでた」
「北斗……」
まさか北斗が、同じことを考えていたなんて……。
拭ったはずの涙が、再び視界を歪ませる。
そんな私に、北斗は優しく微笑んだ。
「それでも、諦めきれなかった。俺に北斗って名前を与えてくれて、俺をずっとそばで支えてくれた――まるで北斗七星のそばによりそう北極星のようなお前のことを、どうしても諦めることができなかった」
「っ……」
「お前は、俺にとっての
「北斗……」
どちらからともなく空を見上げる。
春が終わり夏の足音が近づいてくるけれど、相変わらず夜空には北斗七星と北極星が寄り添い合って輝いている。
あんなふうに、私たちも――ずっと一緒に。
「……帰ろうか」
「うん……。そろそろおじいちゃん帰ってるかな」
「どうかな、服部さんと飲むと長いからな」
月明かりに照らされて、アスファルトに私たちの影が映る。
あの時と同じ30センチの距離。
でも……。
「っ……!」
そっと手を伸ばすと――その手を北斗が握りしめてくれた。
思わず見上げた私の顔を、北斗は優しく見下ろしている。
「どうした?」
「……ううん、なんでもない」
北斗の手をギュッと握り返すと、私はもう一度アスファルトに視線を向けた。
重なり合う私たちの影の真ん中で、繋いだ手が私たちの間にあった距離をなくしていた。
***
家に帰ると、電気がついていておじいちゃんが帰ってきているのがわかった。
なんとなく気恥ずかしくて手を離して家に入ると、食卓の椅子におじいちゃんが座っていた。
「やっとか」
「え……?」
おじいちゃんは私たちの姿を見ると……そう北斗に言った。
なんのことか分からない私をよそに、北斗は小さく頷いた。
そして北斗は――おじいちゃんに頭を下げた。
「遅くなってすみません。……明莉さんと、結婚させてください」
「本当に遅いわ! ……さっさと腹括って、うちの孫娘を幸せにしてやってくれ」
「はい……」
北斗とおじいちゃんの間でどんどんと話が進んでいくけれど、私はおいてきぼりだった。
それに……さっきの口ぶりじゃあまるでおじいちゃんは北斗の気持ちも、さっき私たちの間であった出来事も全部知っているみたいで――。
「あ、あの……私、ちょっとついていけてないんだけど……」
「ああ、悪い」
「そもそもどうしておじいちゃんが私たちのことを知ってるの……? まだ誰にも言ってないのに……」
「そんなの、ずっと前から気付いてたぞ。お前らが想い合ってることなんてな」
「え、えええ!?」
おじいちゃんの言葉に、思わず私は大きな声を出してしまって慌てて口をふさぐ。
そんな私をおじいちゃんは呆れたような表情で見ている。
「あれで気付かれてないとでも思ってたか。お前はずっと北斗を気にしとるし、北斗も司に対してライバル心むき出しで」
「そ、それは……」
「だから、こいつにずっと言ってたんだ。……明莉と一緒になって、ずっとここにいたらどうだって」
「おじいちゃん……」
それは、なかなか決断できなくても仕方がないと思う。だって、それは自分自身の過去を、全て捨てるということだから……。
でも、北斗は選んでくれた。
ここで、北斗として生きていくことを――。
「……待ってろ」
そう言うと、おじいちゃんは立ち上がって自分の部屋へと向かうと、小さな箱を持って戻ってきた。
「おじいちゃん、それ何?」
「これは、じいちゃんが昔ばあさんにやったやつだ。それで。お前の父親も美和さん……明莉の母親に渡した」
おいじちゃんは手の中の箱をそっと開けた。そこには――小さな石のついた指輪が入っていた。
「……いいのか?」
「いいも何も、明莉の母親の願いだ」
「お母さんの……?」
突然出てきた名前に、私は動揺を隠せずにいた。
お母さんの願いって、どういうこと……?
そんな私の疑問に答えるように、おじいちゃんは口を開いた。
「明莉が起きくなって――結婚する時が来たら、これを譲りたいって……そう言っていた。だから、喜んでいるだろうよ」
「お母さん……!」
思わず涙を流す私の肩を、北斗が優しく抱きしめてくれた。
「泣かせたら、許さんぞ」
「わかってる」
「もしいつか俺が死んだとき」
「お、おじいちゃん!?」
縁起でもないことを言い始めたおじいちゃんに思わず声を荒げると「当たり前だろ」とめんどくさそうにおじいちゃんは言った。
「嫌でも俺の方が先に死ぬ。それは自然の摂理だし、そうじゃないといけないんだ。だから、その時は――必ずお前がそばにいてこいつを一人にしないでやってくれ。……約束できるか」
「ああ。……必ず、明莉のそばにいる。明莉を一人になんてしない。……約束する」
「……ありがとよ」
おじいちゃんはそっぽを向いた。
耳が赤い……。
泣いてるのかな……。
「おじいちゃ……」
「さて、飯にするか。明日も俺は早いんだ。さっさと食って寝るぞ」
「あ、う、うん……」
いつも通りの口調でそう言うと……おじいちゃんは再び食卓の椅子にドカッと座った。
そんなおじいちゃんを見て私たちは……顔を見合わせて笑った。
おじいちゃんと、私と、それから北斗。
何の変哲もない、いつも通りの日常。
でも、そんな日常が続くことが何よりも幸せで、何よりも嬉しい。
「手伝う」
「ありがとう」
私たちは台所に並ぶと、晩ごはんの準備に取り掛かった。
***
翌日、大貫さんに呼ばれている北斗と一緒に職場へと向かった。
「おはようございま……」
「おめでとー!」
「え、えええ?」
到着するなり……クラッカーが鳴らされて、盛大に祝われた。
どうやら……もうみんなに知れ渡っているらしい。
「結婚するんだって? よかったなー、貰い手が見つかって」
「イケメンを捕まえたもんだ」
「あーあ、若い女の子がまた一人、人妻になっちまった……」
みんなが口々にお祝いの言葉を投げかけてくれる。
何故知っているのかと尋ねれば、漁に出る前におじいちゃんが嬉しそうに話したんだそうだ。
この分じゃあ、島中の人が知ってるんじゃないだろうか……。
「……よう」
「司、おはよう」
「……よかったな」
そう言うと司は、いちごミルクを私の机の上に置いて自分の席へと向かう。
もっとからかわれるかと思ったからそっけない態度に拍子抜けするけれど、でも他の人からのお祝いの言葉の多さに、私はそんな司を気に掛けることができない。
「このまま結婚できないかと思ってたよ」
「し、失礼な!」
「北斗君なら泰三さんも信頼してるし、一安心だな」
始業時間を迎えるまで続いたお祭り騒ぎは、始業のベルによってなんとか落ち着きを取り戻した。
そして、仕事を始めた私は大貫さんに呼ばれた。
「失礼します……」
向かった部屋には北斗の姿もあった。
「明莉ちゃん、結婚するって聞いたよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
情報は、大貫さんにまで知れ渡っていた。
ううん、もしかしたらおじいちゃんが大貫さんに伝えたことが広まったのかもしれない。
現に、朝一番にうちに電話をかけてきて北斗を呼びだしたのは大貫さんだもん。
「それで、用というのはね……北斗君を正規職員相当の扱いに格上げしようと思うんだ」
「え……?」
「本当はちゃんと雇用してあげたいんだが、戸籍のない彼を雇うことは難しくてね。でも、扱いだけなら簡単だ。お給料も、きちんとそれに見合った額を出す。……どうだい? 悪くない話だと思うんだが」
「あ、ありがとうございます!」
私の隣で、北斗も頭を下げた。
本来だったらこんなことできるはずがない。でも、きっと……北斗がこの数か月、大貫さんのもとで働いてきたことが評価されたんだ。
この島で、北斗の存在が認められたようで、ここにいてもいいんだと言ってくれているようで、凄く嬉しい。
「それで、だ」
喜びに胸がいっぱいで、思わず涙を流しそうになっていた私に、大貫さんは言った。
「名札をね、作ろうと思うんだが……さすがに北斗だけではと思ってね。確認しようと思ったんだ。……苗字は、七瀬でいいのかな?」
「あ……」
大貫さんがさらりと言った言葉に、私たちは顔を見合わせる。
そして……北斗はしっかりと頷いた。
「はい。それで、大丈夫です。……よろしくお願いします」
「うん、わかった。こちらこそ、これからもよろしく」
大貫さんは優しく微笑みながら頷いた。
全てが順調に思えた。
でも、積み上げていくのは大変でも、壊れるのは一瞬だった。
その晩、島には嵐が吹き荒れた。
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