第24話 偽りだらけの証明書
週末、北斗と二人のんびりとした時間を過ごしていた。
最初ははめていることに慣れなくて、何度もつけたりはずしたりを繰り返していた指輪も、気付けば指に馴染んできた。まだ家でいるときにしかつけてないけれど……それでも、これをつけていると北斗の存在を近くに感じられて安心する。
そして、少しずつ……本当に少しずつではあるけれど、北斗と二人の暮らしにも、慣れてきた。
朝、おじいちゃんの遺影に挨拶をしてから二人で仕事に行って、帰ってきたらまたおじいちゃんの遺影に声をかける。
写真の中のおじいちゃんは、隣に並べたお母さんやお父さんおばあちゃんと一緒に、いつも優しく私たちを見守ってくれていた。
「おじいちゃん、おばあちゃんと会えたかなぁ」
「会えたんじゃないか? きっと喜んでるよ」
「そうかな……。おばあちゃんにあんたもう来ちゃったの? って、怒られてそうだよ」
クスクスと笑う私を、北斗は優しく見つめてくれる。
――先日、四十九日の日におじいちゃんのお骨をお墓におさめてきた。
本当はその日が来るのがずっと怖かった。
おじいちゃんが本当に手の届かないところに行ってしまようで……一人きりになってしまうようで……。
でも……。
「ん?」
「なんでもない」
隣に北斗がいてくれたから……。
納骨の間、ずっと手を繋いでいてくれた。
その手のぬくもりが温かくて……一人じゃないんだと、実感することができた。
そして、もう一つ。
お墓の中にあった三つの骨壺。
お父さんとお母さんとおばあちゃんの入ったそれらの隣に、おじいちゃんの骨壺が置かれるのを見て、おじいちゃんも一人じゃないんだ、みんながそばにいるんだと、そう思えたから……だから、私はもう泣かなかった。
きっとずっと私が泣いているよりも、笑って過ごしている方が天国にいるみんなも安心できると思うから。
「ね、北斗。今日は何しようか」
「んー、そうだな……」
北斗は縁側にゴロンと転がると空を見上げた。
「天気もいいし、家でゆっくりするっていうのはどうだろ?」
「賛成!」
隣に寝転がると、随分と高くなった空が見える。
ようやく長かった梅雨も明け、あと数日もすれば夏本番。島にも観光客がたくさん訪れる季節になる。
そして――私のあの企画が動き出す。
出会ったころは春だったのに――。
「もうすぐ夏だな」
「っ……」
考えていたことを、北斗が口に出したから驚いて顔をそちらに向ける。
すると、北斗が笑っていた。
「なに?」
「う、ううん……同じこと考えてた」
「夏だなぁって?」
「うん」
「そっか」
そういえば北斗は、いつの間にか随分と自然に笑うようになった。
それに……口調も穏やかになったような気がする。
出会ったころはもっと無愛想で、人を寄せ付けないような雰囲気だったのに……。
「ふふ……」
「なんだよ」
「なんでもないよ」
「ふーん? そういや、あれ。どうなったんだ?」
「……星空ツアーのこと?」
北斗が頷くのを見て、私はVサインを見せた。
「課長曰く、好評みたいで問い合わせも増えてるって。私も確認したけど結構埋まってたよ」
「へー、よかったじゃん」
「うん! ただ、島じゃあ年中きれいな星空が見えるけど、冬は寒くて外で星を見るどころじゃないのがもったいないよね。せっかく空気が澄んで綺麗なのに」
夏限定、となってしまいそうなこの企画。それでも、再来週からの7月末の週末全て、8月にいたっては平日も休日も関係なしに予約が入っていた。まだ空いている日も問い合わせが入っていると言っていたから埋まるのも時間の問題だと思う。
「北斗のおかげだよ」
「俺はなんにもしてないよ。明莉が頑張ったからだ」
「ううん、あのとき北斗がヒントをくれなかったら思いつかなかったかもしれない」
「明莉ならきっと俺がいなくても思いついていたよ」
北斗は笑いながら私の頭を優しく撫でた。
でも、本当は少しだけ不安もある。こんなにトントン拍子にいっていいのだろうか。何か、大きなミスがあるのではないか。
ちゃんと課長にもチェックしてもらったし、最終的には大手の旅行代理店に依頼を出して、ホテルや民宿、それから船の手配なんかもセットでできるようにしてもらった。あとは当日、来てくれた人たちを案内して、星空を見てもらうだけ、なんだけど……。
「そんな不安そうな顔、するなよ」
「北斗……」
「きっとうまくいく。大丈夫。それに失敗したっていいじゃないか」
「え……?」
「無理にうまくやろうとするより、精一杯頑張ればいい。そうすれば自然とみんなも笑顔になるから」
「うん。ありがとう」
私は隣に座る北斗の肩にそっと自分の頭を乗せた。
こうやって北斗と何気ない時間を共有できるようになるなんて、思ってもみなかった。
こんな幸せがあるなんて、知らなかった。
ずっと、ずっとこうやって北斗のそばにいたい。何年も何十年も、ずっと、ずっと……。
「なあ、明莉」
「どうし――」
私の声を遮るように、玄関のチャイムが鳴った。
「……いいよ、出なくて」
「そういうわけには……」
「どうせ司あたりだよ」
「当たりだよ」
「わっ……!」
北斗の言葉に返事をするように、塀の向こうから司の顔が見えた。
「いるんだったら居留守使うなよな」
「バカだな、居留守っていうのは家にいるからできることだぞ」
「うるさい。さっさと鍵開けろよな」
言い合いをする北斗と司にため息をつきながら、私は玄関の鍵を開けた。
この二人はそれぞれ一人ずつだと大人っぽいし落ち着いているのに、どうして揃うとこうも子どもっぽくなってしまうのか。
「似た者同士なのかな……」
「「誰が!」」
私の独り言に声を揃えて返事をすると、二人は顔を見合わせてそっぽを向いた。
「で、どうしたの?」
「ああ、そうだ。二人に聞きたいことがあったんだ」
「聞きたいこと?」
「そう。……それって結婚指輪、だよな?」
視線を感じて、思わず指輪を隠す。
「隠すなよ。……この前、それを付けてるところを見かけてさ。もしかしてって思ったんだ」
いつの間に、見られていたんだろう……。
悪いことをしているわけじゃない。
けど、まるで……隠し事が見つかった子どものような気分だった。
戸籍のない北斗との結婚なんて、現実的ではないのは分かっている。でも、それでも否定されたくなかった。
これは、北斗がくれた、私たちを繋ぐ唯一のものだったから――。
「……明莉」
北斗が、私の肩を優しく抱いて――そして、私の代わりに司へと声をかけた。
「だとしたら、どうなんだ?」
「ん?」
「くだらないって笑いに来たのか? ままごとのようだって――」
「そんなわけないだろ」
北斗の言葉を遮ると、司は一枚の紙を差し出した。
これは……。
「婚姻届……?」
「そう。書いてないだろ?」
「……俺は、戸籍が――」
「わかってるよ。だから、正式な書類にはならないこともな」
「じゃあ、なんで……」
怪訝そうな表情を浮かべた私たちに、司は優しく微笑んだ。
「俺が二人の結婚の証人になってやるよ」
「司……」
「お前……」
「だからさ、誰にも内緒でこっそりと、なんてやめろよな。俺は明莉には幸せになってもらいたいんだ」
司は私の頭を撫でながら、今まで聞いたことがないような、優しい口調でそう言った。
司の気持ちに、涙が溢れる。
心のどこかで諦めていた。
みんなに祝福されて、北斗と結婚することを。
でも、それでも北斗と一緒なら幸せだと思っていた。
けど……。
「ありがとな」
「別に。お前のためじゃない」
「それでも、ありがとう」
北斗も同じ気持ちなのだろう。
司に頭を下げると、ぽたりと雫が床を濡らしていた。
「ほら、書くぞ」
「うん……」
私と北斗は婚姻届に必要なことを記入していく。
分からないことが多くて北斗の欄は白いところが多い。
それでも、嬉しかった。
紙切れ一枚で何が変わるんだ、そう言う人もいるかもしれない。
でも、私にとっては、大切な大切な一枚だった。
「それじゃあ、ここは俺が書くな」
司は証人の欄の片側に必要事項を記入した。
でも、証人はもう一人必要だ……。
「ここにさ、じいちゃんの名前書けよ」
「おじいちゃん……?」
「そう。生きてたら絶対じいちゃんが書いただろ?」
「そう、だね……」
私はペンを取ると、おじいちゃんの名前を書く。
戸籍のない北斗に、もうこの世にはいないおじいちゃん。
効力なんて全くない婚姻届だけど――。
「よし、これを俺が受理するからな」
「え……?」
司はコホンと咳払いをすると――まるで仕事中のような口ぶりで私たちに言った。
「……はい、確かに受け付けました。ご結婚おめでとうございます。今からお二人は夫婦となります」
「司……」
「……なんてな。幸せになれよ」
「ありがとう……」
涙が溢れて、視界が滲む。でも、司が笑っているのがはっきりと見えた。
そして――。
「北斗」
「……おう」
「泣かせたら、許さないからな」
「わかってる」
「一人にしないでやってくれ」
「当たり前だ」
「それから……」
司は北斗の頭に手を置くと、髪をくしゃっとして、笑った。
「お前も、幸せになれよ」
「っ……ああ」
なんて幸せなんだろう。
こんなふうに、私たちの幸せを願ってくれている人がいるというのは――。
「こいつはさ、俺にとって――大事な妹みたいなやつなんだ。だから……今日からお前も、俺の弟みたいなもんだ」
「司……」
「何かあったら、必ず頼れ。一人で抱え込むな」
「ありがとう……」
司は、私と北斗に腕を回すと
「幸せにならないと、許さないからな」
そう言って……私たちを、ぎゅっと抱きしめた。
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