第5章 二人だけの結婚式

第21話 流した涙と幼馴染

 その後の記憶は、私には、ない。

 ただ気が付けば村に唯一の診療所におじいちゃんと北斗と一緒にいた。

 北斗はせわしなく大貫さんや診療所の先生と話をしていた。

 そんな様子を私は――まるでテレビの映像を見ているかのように、ボーっと見つめていた。


「おじい、ちゃん……」


 目の前のベッドには、おじいちゃんが横たわっている。

 さっき家にいた時と同じように、微動だにせずまるで眠っている様に――死んでいる。

 どうして、今朝、おじいちゃんの部屋を覗かなかったんだろう。

 襖が閉まったままになっていることに、気付いていたのに。

 どうして昨日の夜、眠る前におじいちゃんの様子を見に行かなかったんだろう。

 どうして、どうして、どうして……。

 けれど、どれだけ後悔しても、おじいちゃんはもう戻ってこない。


「っ……」


 また、一人になってしまった。

 お父さんとお母さんが死んで、一人きりになった私を、おじいちゃんが抱きしめてくれた。


『俺がいる』


 そう言って、ずっとそばにいてくれた。

 そういえばあのときも――悲しくて仕方がないはずなのに、涙一滴流さず、こんなふうにボーっとお父さんとお母さんのことを見てたっけ。

 まるで悪い夢でも見ているようで、現実が受け入れられなくて……。

 今も同じ……。こんなにそばに、まるで眠っている様におじいちゃんがいるのに……死んでいるだなんて……。


「明莉?」

「ほく……と……」

「大丈夫か?」


 無言で立ち尽くす私に気付いた北斗が、先生の話を中断して駆け寄ってくる。

 大丈夫、そう伝えたいのに、口が上手く開かない。

 必死で口角を上げると、少しホッとした表情をして北斗は書類を差し出した。


「まだ辛いなら休んでていいから。やれることは俺がやるし。……ただ、あとでいいから、これ書いてもらえるか?」

「これって……?」

「……死亡届」


 言いにくそうに、北斗は言う。

 震える手で用紙を受け取る。

 死亡届と一緒に死亡診断書もあった。


「わかった……」

「そしたら俺は――」


「明莉!」


 北斗の声を遮るように、病室のドアが開いた。

 そこには、息を切らせた司の姿があった。


「つ、かさ……?」

「じいちゃんが、死んだって聞いて……」

「っ……」

「大丈夫か?」


 司は不安そうな表情で、私に手を伸ばす。

 その手が、頬に触れた瞬間、私の目から、涙が溢れた。


「つ、かさ……! 司!!」

「明莉! 大丈夫だから!」

「おじいちゃんが! おじいちゃんがあああ!!!!」


 溢れ出した涙はとどまることなく、次から次へと頬を伝い床に小さな水たまりをいくつもいくつも作っていく。

 そんな私を引き寄せると……司は私の身体をぎゅっと抱きしめた。

 そうだ、あのときもこうやって――。


「泣け。辛い時は泣いていいんだ。泣かない方がどんどん悲しみがうちに溜まっていくんだから」

「っ……」

「悲しい時は、悲しいって言っていいんだ」

「あっあああああぁぁっ!!」

「大丈夫、俺がそばにいる。そばにいるから」


 しがみついていないと、足元から崩れていってしまいそうで、必死に司の背中を掴んだ。

 泣いて泣いて泣いて……司の着ていたシャツがぐっしょりとなった頃……ようやく私は顔を上げることができた。


「大丈夫か?」

「あ……ご、ごめん……。でも、どうして司がここに……?」

「お前は本当に辛いときには泣かないから。また無理してるんじゃないかと思って」


 そっぽを向いて司は言うと……でも、と続けた。


「お前にはもう、北斗がいたんだったな……」

「あ……」


 慌てて北斗を探す。けれど、さっきまでいたはずの北斗の姿は、もうそこにはなかった。

 どこに行ってしまったんだろう……。

 そんな私を見て、司は小さな声で言った。


「……悪い」

「ううん……」


 申し訳なさそうな司に、私は首を振ることしか出来なかった。

 すると……。


「――バカ。余計な気、回すなよ」

「え……北斗……?」

「ほらよ、先生からだ」


 北斗の声が聞こえたかと思うと、私の目の前に缶コーヒーが差し出された。

 思わずそれを手に取ると、北斗が私の手に優しく触れた。


「……明莉、もう大丈夫か?」

「うん……ごめんね」

「……気にするな。子どもじゃないんだ。俺なんかより、司の方が明莉と過ごしてきた時間が長いこと、ちゃんとわかっているから。それよりも、明莉が無理してるんじゃないかって心配だったから……司が来てちゃんと泣けたいみたいでよかった」

「え……」

「お前、じいちゃんの遺体を家で見つけた時に泣いたっきり……一滴の涙も流さず、ただ無言でじいちゃんを見つめていただろ。ずっと心配だった。明莉の心が壊れてしまうんじゃないかって」

「北斗……」

「だから、司が来て明莉が泣けたのならよかった」


 北斗は、優しく微笑んだ。


「ありがとな」

「別に……お前のために来たわけじゃないから」

「それでも、来てくれて助かった」

「ふんっ」


 北斗の差し出した缶コーヒーを受け取ると、司は一気に飲み干した。


「村の人に連絡とかは俺の親がやってくれてる。明日には通夜ができるように準備してくれると思う」

「お通夜……」

「そう……」


 口ごもる司の言葉を引き取るように、北斗が続ける。


「悲しいとは思うけど……この暑さだから、早めにやらないとじいちゃんの身体が傷んじゃうからな」

「っ……」

「お前……っ!」


 北斗の言葉に、おじいちゃんの身体がもう機能していないのだと嫌でも思い知らされる。

 でも、確かにそうだ。今は梅雨で湿度が高い。そんな中におじいちゃんを置いておけばどうなるか、なんてことは私にでも想像がつく。


「わかった……」

「明莉……」

「悪い」

「ううん、仕方がないもん。……そうしたら、これ早めに書いて出さなきゃだね」


 私は手元の用紙に視線を落とす。

 そこには日付や時間、おじいちゃんの名前なんかが書き記されていた――。

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