第33話 無貌
翌日。
館の奥にある魔術儀式用の部屋に暁たち三人は集まっていた。
「さて、はじめましょうか……」
「え、綾子さんは待たなくていいんですか?」
「母さんなら儀式の準備で疲れてダウンしてるわ。いいご身分ね。
ま、準備はできてるから大丈夫。私一人で進められるわ」
顔色一つ変えずに説明する七緒。
普段ならそれでも暁たちは彼女の様子がおかしいのことに気がついたかもしれなかったが、
この後に待ち構えることに緊張する彼らは、七緒の言葉を疑うことはできなかった。
「さあ、暁。そこに座って」
部屋の床いっぱいに塗料で魔法陣が描かれ、その中心には鉄製の椅子が置かれていた。
「ああ。……うおっ!?」
黎明を着用した暁が椅子に座った瞬間、椅子から枷が飛び出し、手足が固定された
「慌てないで。儀式の最中に何かに拍子で体が動いて、魔法陣から出ないとも限らない。
黎明が本気で暴れたら気休めにもならないけど、反射的に少し動くくらいならそれで大丈夫」
そう言いながら、七緒は黎明と自身、そして翡翠の体に同じ塗料で紋様を描いていった。
「なんで翡翠にも描いてるんだ?」
「翡翠のは、私とあんたのとは別の魔術。
ないとは思うけど、私とあんたが精神を送り込んでるときに、
翡翠に何かあった場合の防御魔術よ」
「お世話になります」
「気にしないで。……よし、できたっと。
暁。魔術であんたの精神……いいえ、むしろ魂か。それに干渉して黎明の内部、無貌の神の領域に潜ってもらう。
今回は私も黎明の認証を誤魔化してあんたと精神を接続する。
世界改変術式の起動があるけど、少しくらいならアドバイスや魔術での干渉もできるはずよ」
「おい、それって大丈夫なのか?」
「しゃくだけど母さんの術式よ。質は保証済み」
「いや、黎明を通じて神の領域に接続するんだろ? お前も無事じゃすまないんじゃ……」
「廃人になるまでに片付ければいいのよ。無茶してるのはお互い様」
七緒に何か言い返そうとした暁だったが、あまりにも言葉通りだったので何も言い返せなかった。
そんな二人の手を取り、翡翠は言った。
「……大丈夫ですよ、私たちならなんとかなります」
「……ああ、そうだな!」
そして無貌の神の領域への突入が始まった。
*
『装着者の黎明内部領域……無貌の領域へのアクセスを確認。
同行者一名……アクセス権限がありませ……処理の割り込みを確認。
権限確認……処理を開始します……』
黎明からのメッセージが内部モニタに表示されるが、それを意識してのはわずかな間。
暁の意識が黎明の内部へと取り込まれていき、意識が途絶えるがそれも一瞬。
彼の視界に、いつか見たときのように全ての色が混ざり合った漆黒の世界が広がる。
だがすぐに領域に合わせて認識の調整が行われる。
彼の眼下には、高層ビルのそびえたつ廃墟が広がっていた。
そしてその風景がどんどんと近づいてくる。
『暁、動いて! 落下してる!』
耳に飛び込む七緒の叫び声で暁は状況を認識した。
慌てて手首からワイヤーを発射し、手近なビルに接続する。
振り子のように動きをつけ、落下エネルギーを横移動のエネルギーに変え、暁はアスファルトの地面に着地した。
両足から激しい衝撃が暁の体を突き抜けたが、不思議とすぐにそれも消えた。
「あ、危ないところだった……」
暁は自分の両手を見つめる。黎明の内部に精神だけで突入したというのに、
その体は何故か黎明をまとっていた。
『悩まないで。それがあんたにとっての戦うイメージってことよ。
ここでも現実での戦闘のイメージを持ち込める分有利なはず』
「七緒、お前はどこにいるんだ?」
どこからか響く七緒の声
『そっちに実体はないわね。あんたの体に間借りしてる感じ。感覚まではないけど……
それより気を付けて。あんたの侵入を感知して、無貌の神が排除に動き出……!』
反応は間に合わない。
ワイヤーを使い、高所から飛び降りてきたもう一つの黎明。
最後に見えたのは炎のような真っ赤な三つのカメラアイ。
邪神、無貌の神の化身としての姿。
空中で宙返りしながらの踵落としで、暁の頭部は無残に破壊され、意識は途絶えた。
*
一瞬後、苦痛とともに意識が復活する。
確かに訪れた死の感覚に混乱するも、すぐに『理解』した。
この空間では物理的な破壊は死に直結しない。
苦痛と絶望で精神が折れることによって死が訪れる。
暁が回復するまでの間に三つ目の黎明はすでに地上で体勢を立て直している。
無言のまま、暁との間合いを滑るように詰め、拳と蹴りの乱打を叩き込む。
一方で暁は、未来予測で相手の行動を読んで防御しようとするも反応がついていかない。
同じ黎明でも、スペックは相手の方が上。
他を捨てて、致命傷になる攻撃だけを確実に防御しても、じりじりと追い込まれていく。
いちかばちか、暁は相手の蹴りに蹴りを合わせる。
そして反動で後方に飛び、体勢を立て直した。
だが体勢を立て直したのは三つ目の黎明も同じこと。
普段暁が指弾用のパチンコ玉を仕込んである収納ポケットから、
小さな筒のようなものを取り出し、構える。
握りしめられたその筒から、光の刃が飛び出した。
そして踏み込んでの振り下ろし。未来予測しても完全回避には至らない。
防御した右腕が、装甲などないかのようにもっていかれた。
「ぐぁっ……!?」
再生することはできても苦痛はある。
そして苦痛によって精神がダメージを追い、屈服することがこの領域での敗北に繋がる。
必死に回避するも、光の刃、レーザーソードは受けることができず、とても避けきれない。
いたぶるように暁の全身をじわじわと切り刻んでいく。
そして負傷から暁の動きが止まり、致命的な隙が出来た瞬間、
三つ目の黎明は、刃で暁の心臓を貫いた。
そして返す刃で全身を分割する。
死んだだけでは終わらぬ、死の先の苦痛を与えようと言わんばかりに。
だが、不意に暁の姿が消え失せた。
そしてその頃、暁は離れた廃ビルの影で息を整えていた。
「……助かったぜ、七緒」
『私の身代わりの術でなんとかやりすごせたみたい。
……でもごめん。この領域での術は消耗が大きくてそう何度も……』
「いや、いい。お前は世界改変術式の構築に集中しろ。コツはつかんだ……」
暁を感知したか、三つ目の黎明が凄まじい速度で走り、近寄ってくる。
だが暁は慌てず、収納ポケットから小さな筒を取り出すと、
相手と同じように光の刃を噴出させた。
無貌の神の領域では時空を超えて黎明の情報が記録されている。
未来世界で進化を遂げた量産型黎明たちの武器である、レーザーソードもその一つである。
そのことを『理解』した暁は、相手と同様にレーザーソードを実体化させ、
三つ目の黎明と刃を交える。
そして倒れる二体の黎明。
レーザーの剣で撃ち合うことなどできようもない。互いに刃がすり抜け、致命傷となったのだ。
無論そこからもすぐに蘇生し、二体とも起き上がる。
『ちょ、ちょっと暁!?』
「ダメージは与えられてる、問題ない! それよりお前は世界改変術式だ!」
暁は七緒の声を無視して刃を振るう。
いくら蘇生できる領域といえど、暁の戦い方は人間としては明らかに異常だ。
だが、先ほどの七緒の身代わりの術は、対象の愛用の品を身代わりにして攻撃をやり過ごす術である。
だが、物品を持ち込めない黎明内部空間で暁は何を身代わりにしたか。
それは、最後に残った暁の人間としての殻。
未来世界で言われたように、暁はもはや人間ではない。
楓に二度殺されて蘇り、黎明に適合するように変質している。
それが無貌の神の領域に突入したことで、暁は本来の黎明のマスターとして覚醒した。
「おおぉぉぉ……!」
再生されるとはいえ、三つ目の黎明に光の刃を撃ち込み、
邪神から世界改変術式に必要なこの領域の権限を奪取しはじめた。
*
刃を振るう。突く。払う。
光の刃が命中し、相手を行動不能にする。だがすぐに再生され、反撃を受ける。
刃に体を削ぎ落されながらも、攻撃の流れだけは途絶えさせずに繰り返す。
どれだけの時間が経っただろうか。
意識を失いかけながらも、未来予測に従い反射的に暁は攻防を繰り返していた。
攻撃の手を休めるな。どれだけ自らが削られようが、それより奴からこの領域の権限を奪い取れ。
残ったその意思の通りに、暁は戦いの中で自らの存在を消失させようとしていた。
そのとき、不意に翡翠の叫びが聞こえた気がした。
目の前に光の刃が迫っていた。横なぎの刃を体を反らせて回避し、そのままの勢いで後転し、三つ目の黎明から大きく距離を取る。
無論、それを見逃す三つ目の黎明ではない。
すぐさま追撃に移ろうとしたところで、両の腕が自由を奪われ、拘束される。
暁が放ったワイヤーに絡め取られたのだ。
「……危ねえ、危ねえ、ハイになってた。
さて、こういう手はどうだ、邪神の化身さんよ?」
権限奪取は不可欠だが、邪神の化身相手に真正面から戦えば、勝利の前に暁の自我が消滅していただろう。
身をよじり拘束から逃れようとする三つ目の黎明。レーザーソードも拘束されたこどで自由に振るえない。
出力では暁の黎明より相手の方が上だが、未来予測で拘束を解こうとする力の向きを察知し、巧みにワイヤーの力加減を操作することで僅かな均衡状態が生まれていた。
こうして時間を稼いでいる間に、先ほどの攻防で稼いだ権限を使って、七緒に世界改変術式を実行させる。それが暁の狙いだった。
だがその均衡状態も長くは続かない。
三つ目の黎明が拘束された両腕を暁の方に向けた。
そして一瞬後にはその両腕が爆発的な速度で突っ込んでくる。
相手は絡め取られた両腕をミサイルのように射出したのだ。
その速度には未来演算も間に合わない。
ワイヤーをたどるように突っ込んでくる両腕に殴られ、暁は吹き飛ばされた。
転がりながら姿勢を立て直し、慌てて視線を三つ目の黎明に向ける。
相手は射出した両腕の断面から、二本のレーザーソードを噴き出させ、
暁に向かって突撃してきていた。
暁は即座に迎撃を諦め、相手の両腕に絡めていたワイヤーを破棄。
回避運動を取りながら、新たに生成したワイヤーを手近なビルの屋上まで射出し、高速で巻き取ることで自らの体を引き上げる。
「さ、さすがにあれを真似するのは無理だ……いや、本当に無理かな?」
一瞬検討したが、人間としてありえないことを実行するのは、あまりに消耗が激しいので却下した。
そして暁がわずかに息をついているところで、相手にも動きがあった。
「あれは……?」
三つ目の黎明の関節部から、どす黒い液体、血液が流れ出していた。
それは染み出る程度でしかなかったが、地面に触れた瞬間、一気に広がり、
三つ目の黎明を中心に広範囲を赤黒く染め上げた。
そして次の瞬間、周囲の建造物が血の中へと沈みこんだ。
「なんだと!?」
暁のいたビルも例外ではない。
咄嗟にワイヤーを利用して他のビルへと跳躍し、安全地帯へと避難する。
三つ目の黎明を中心に、見る間に底なし沼のような血の海が広がりだす。
当然ながら建造物を飲み込む範囲も広がっていく。
両腕を回収した三つ目の黎明は、武器をレーザーソードから、血の海から取り出した日本刀へと持ち替えた。
血の海の上に浮かぶように立ち、暁に向かってゆっくりと一歩一歩前身しはじめた。
「引くしかない……!」
これまで奪取した領域権限を使って、血の海の拡大速度は抑えたものの、ゆっくりとそれが広がっていくことは止められない。
そして暁がいくら再生できるとはいえ、血の海に沈められて脱出不可能になれば意味はない。
廃ビルから廃ビルへと飛び移り、後退する暁。
この領域の果ては見えず、おそらく無限の広さがある。逃げる先には不自由しない。
今の移動速度の低い三つ目の黎明に追いつかれることはないが、このままでは反撃することもできない。
何か手はないかと焦る暁をよそに、三つ目の黎明はさらなる動きを見せた。
暁に向かって日本刀の先を向けると、足元の血の海がぞぷりと波うった。
次の瞬間には、血の海から複数の血の触手が飛び出し、暁へと襲い掛かった。
触手の動きは速く、暁に瞬く間に迫ってくる。
その太さは暁の胴体ほどもあり、絡め取られれば抜け出すことは困難だろう。
複数の触手の同時攻撃を未来予測を駆使してなんとか回避するが、空ぶった触手が足場としていたビルに命中し、打ち砕き、破片をまき散らす。
暁は懸命に粘ったが、いくら未来演算で先読みができるとはいえ、縦横無尽に迫りくる複数の触手を前に、足場もままならない状態で回避ができるわけがない。
ついにその動きが捕らえられる。
「くそっ!」
苦し紛れにレーザーソードを振るう。
だが抵抗も虚しく、刃は触手を素通りした。
粘体である触手をいくら切ろうが意味はない。
暁は触手に絡み取られた。
なんとか暁は触手から抜け出そうとするも、
黎明の装甲が悲鳴を上げるほど締め上げられ、身動きが取れない。
そして触手は自らを生み出した血の海へと戻っていき、暁もろともその体を沈めた。
そして、音は絶え、三つ目の黎明も動きを止めた。
全ては終わったかのようだった。
だが、爆発音を上げて血の海が弾け、暁が空に舞い上がった。
三つ目の黎明が刃を空に向けなおすがそれも遅く、凄まじい勢いで暁は空中で方向転換し、空から三つ目の黎明へ襲いかかった。
光の刃が走る。
胴体を両断され、三つ目の黎明は倒れた。
そして勢いそのままに血の海へと飛び込んだ暁だったが、
三つ目の黎明が倒れるのと同時に血の海は消えうせ、地上へと浮かび上がった。
『……手間かけさせないでよ、こっちも手いっぱいなんだから』
「悪い、七緒」
暁を助けたのは七緒の風の魔術。
風の大砲で暁を水中から空へと吹き飛ばし、すぐさま地上へと叩き落したのだ。
負傷を即座に再生できるこの領域でなければ、あまりにも手荒な扱いだった。
「それで、世界改変術式の進捗はどうだ?」
『あんたが領域権限奪ってくれたから、だいぶ進んでる。今七割ってとこ。
もうひと踏ん張り、時間を稼いで!』
「わかった、術式の方に戻ってくれ」
暁と七緒が状況確認をしている間に、三つ目の黎明にも動きがあった。
三つ目の黎明の体が宙に浮かび上がる。ただし、両断された上半身と下半身が別々に。
何だと暁が思った瞬間、頭部の三つ目が燃え上がった。
三つ目の黎明は、手、足、胸、胴、腰、腕、腿、頭部と全身を別れさせて宙を飛び、
四方八方から暁目がけて襲い掛かった。
その内の多くはレーザーソードで両断し、迎撃したものの、全てを回避とはいかず、いくつかの部位に、暁の黎明の上から二重装着のような形で食らいつかれた。
そして次の瞬間、二重装着した部位が接合部から、猛烈な勢いで炎を吹き上げた。
「……!?」
黎明の装甲の上から内部を熱せられ、蒸し焼きにされながらも、なんとか暁はレーザーソードを振るい、食らいついた部位を切断した。
暁が苦痛をこらえながら身体を再生させる一方で、三つ目の黎明は、先に迎撃されたものも合わせ、切断された部位がどろどろと溶け、闇の塊へと変わっていく。
どこからか哄笑が聞こえる。
闇の塊はぐねぐねと姿を変え、膨れ上がり、異形の姿を取っていく。
無貌の神の化身は、黎明の姿を捨てた。
獣の胴体に鳥の翼、そして冠を被った人の頭部を持つスフィンクス。
ただしその顔はのっぺらぼう。
全長10メートルはあろうかという巨体を暁の前に見せた。
変化が終わった瞬間、即座にスフィンクスは暁めがけて駆け出してきた。
姿勢を低くしての巨体での突撃。
受け止めることなど当然できないし、横に避けられる速度でもない。
接敵までの一瞬の間、暁はとっさに迫りくるスフィンクスに対して、回避ではなく突撃を行っていた。
そして接敵の瞬間、スライディングで腹の下に潜り込み、すり抜けた。
命拾いしたが、この手は二度使えないと暁は判断。
まともに戦えばサイズ差から一方的になぶられる。
消耗戦ではなく、一撃で勝負を決めなければならないと、暁は両手からワイヤーを射出した。
付近のビルからスフィンクスの翼へと連続で接続し、背中へと飛び乗った。
振り落とそうと暴れるスフィンクスに対して、四つん這いになり、背中の毛をつかむことでなんとかそれをしのぐ。
そのまま背中から首まで進むと、片腕を毛から離し、レーザーソードを取り出す。
そして首の後ろ側に突き立てた。
まともな生物であることは期待できないが、それでも首を貫ければ相手に痛手を負わせられるはず。
「……何っ!?」
これまで敵の装甲をバターのように切り裂いてきたレーザーソードが、首を貫けていない。
光の刃が虚しく皮膚表面で弾かれている。
「……こいつ、今まで遊んでやがったな!」
レーザーを無効化できるのならば、今までそれをやっていなかったのは、単に暁で遊んでいただけに過ぎない。
激高する暁を乗せたまま、スフィンクスは突進を続け、そのまま前方にあった廃ビルに衝突する。
スフィンクスはビルを貫通し、そのまま駆け抜けていったが、巨体に貫かれたビルは崩壊し、その勢いで暁は地面へと転落した。
地響きがする中、覆いかぶさった瓦礫を押しのけ、その中から暁はふらふらと起き上がった。
「……わかるぞ、俺が俺でなくなっていく……」
これまでの戦いで領域の権限を奪い取ったのと引き換えに、
暁は多大なる傷を受けていた。
表面的な傷は再生できても、蓄積される自我の損傷はそうもいかない。
立ち尽くす暁に対して、スフィンクスは方向転換を終え、改めて突撃を開始した。
十分に勢いをつけてから、スフィンクスは空中へと跳んだ。
跳躍しての押しつぶし。
着地の際の轟音が、足元への破壊力を端的に表していた。
だが、暁はそこにはいない。
スフィンクスの無貌の顔が空を見上げる。
そこに日本刀の刃が突き立った。
無貌の神の化身は初めて声にならぬ悲鳴を上げていた。
「どうだ……俺が俺じゃなくなるってことは、それと引き換えにお前の力も使えるようになるってわけだよな!」
暁はスフィンクスが跳躍した瞬間、ワイヤーを使ってさらに空高く跳躍、空中で三つ目の黎明が使っていた日本刀をコピーして生成し、落下の勢いを込めてこの世ならぬ刃を突き立てたのだ。
無貌の顔にひびを入れられ、スフィンクスがよろめく。
そしてその姿が再びぐねぐねと形をなくし、縮んでいく。
「……なに?」
新たな姿を取った無貌の神の化身、それは暁にとってあまりに意外な姿であった。
「アッハハハハ、ごめんごめん。変化先を間違えた」
怪物ではなく、人間の外見。
それも白衣を着た老いた男性であり、暁も知っている姿。
それは、祖父の研究所で副所長を務めていた小林のものだった。
「あんた、無貌の神の化身だったのか……!?」
「ん? それはYesでありNoである。
小林は『私』の化身などではなく一人のちっぽけな人間だが、
この姿を借りて、かつて力尽きそうな君を叱咤したこともある。
物語の途中で主役が力尽きてはつまらないからね!」
「馬鹿にしているのか……!」
「もちろんだとも! 君の人生は常に『私』に馬鹿にされているのだから……!」
怒りを抑え、日本刀を構える暁。人間の姿をしているとはいえ、それは外見だけだ。
侮ることなどできない。
だが、小林の姿を取った無貌の神はまだお喋りを続けたがっていた。
「暁君、誤解しないで欲しいのだが、『私』は小林の姿を借り、研究仲間として君の祖父をそそのかしたわけじゃないさ。
人類の未来のため、科学の発展のために君を『私』に捧げたのは、全ては君の祖父の選択だよ」
何故だろう。もはやその言葉を聞いても暁は怒りも嘆きも感じなかった。
「うん。これまでの戦いでだいぶ人格が摩耗してきたようだね。
君の人格が全てすり切れたとき、御堂暁と言う存在は『私』に吸収され、生まれ変わる。
新たな『私』となるのさ。
どう転ぼうが、この戦いには『私』の勝利しかない」
「……構わない。俺たちの狙い通りになれば、世界は改変され、新たな歴史に新たな俺が配置される。
今の俺が消えたところで、最終的に勝利できれば……」
「……ああ、世界改変術式かい?
うーん。七緒嬢、聞こえているんだろう。君もお喋りに参加してくれないかな。
世界改変術式のための時間稼ぎなら望むところだろう?」
わずかな間を置いて、七緒の声がした。
『……そうね。あんたには一つ聞きたいことがあったの。
人間みたいな目的意識があるかは知らないけど、何が目的でこんなことをしたの?
このままだと世界が行き着く先は人間は衰退したけど、邪神もこの星から駆逐された未来。
そんなものがあんたの目的だったっていうの?』
「いや、世界を滅ぼすことそのものにはもう飽き飽きしてるからね。
ちょっと見たかっただけだよ。
身に余る力を与えられた人間が、どこまで世界に害をまき散らせるかというのをね」
無貌の神の顔が、燃える三つ目を宿した暗黒へと変わる。
「その点、暁君の祖父は期待通り動いてくれたよ。
技術を使って人を幸せにしたいという願いの果てに、人間は黎明に支配種族の座を奪われることになる。
……まあ、未来で別種族が繁栄するのもよくあるパターンではあるから、少し物足りなくはあるかな。
だが、それが人類の限界ってやつなのかもね。ハハハ」
『あんたの楽しみのために人間は生きているわけじゃない』
「そこは見解の相違だね。
さて、君からの質問は以上かい? なら今度はこちらから言わせていただこう。
世界改変術式を用いた歴史改ざん。
『君たちのその方法論は間違っていたのではないか』とね!」
無貌の神は大げさに両手を広げ、二人を嘲った。
「歴史を変えれば新しい歴史に新しい暁君が配置される。
それは正しい。
……だが、神は時間を超えて存在する。
今の『暁君』が『私』になるなら、新たに配置される『暁君』もまた『私』なのさ!」
『そんな、インチキ……!』
動揺した七緒の声が響く。
「いやいや、君たちが相手にしているのは神だぜ。
人間の尺度で測っちゃいけないよ。
そして受肉した『私』は、もはや行動に星々が満ちるのを待つ必要もない。
本来は数百年に一度の機会を待って、私は『暁君』の祖父である『御堂仁』に接触したが、
再配置された『私』はもはや星々に関係なく、
『私の祖父』にインスピレーションを与え、黎明は完成する」
嘲笑う無貌の神の言葉に、反論できずに七緒は歯噛みした。
「七緒……」
『気にしないで! あんなの、ハッタリに決まって……』
「違うんだ。俺、わかるんだ。あいつの言ってることが本当だって……
だって、俺とあいつは、もうだいぶ混ざって……」
『……!』
「さあ、七緒嬢、どうするのかな?
現在の世界改変術式の進捗は八割少しと言ったところか。
完成まではあと少しかかるね。それだけあれば暁君を完全に壊し、『私』へと作り替えてみせよう」
『くっ……やむを得ない。たとえ不完全でも……!』
世界を改変する呪文が響き渡る。暁が奪取した黎明の領域権限を用いて世界改変術式が行使され、
暁の祖父が無貌の神と契約を交わした瞬間まで時間を遡り、世界の改変を開始する。
だが……。
「そんな不完全な術式で発動すると思ったのかい?
……いや、大規模世界改変に紛れて小規模世界改変を仕込んでいたのか。
なるほど、小規模な術式なら小さな領域権限で実行可能だ。
だが、『私』の目を欺けると思ったのか」
『くっ……』
七緒は思わず焦り声を漏らす。元より隠し玉こそ本命。
だが、それがこうもたやすく見透かされるとは。
その一方で、神の目で七緒の術を見抜いた無貌の神には、異変が起こっていた。
「さて、不発に終わった大規模世界改変は、黎明誕生抹消だったが、
小規模の方はどのような改変内容だったのかな。
もっとも、どんな内容であろうと容易く打ち消してみせるが。
……ん? ……ブッ、アハハハハハ! アハハハハハハハ!」
無貌の神の爆発的な笑い声が響き渡る。
腰を折り曲げ、腹の底から神は笑っていた。
「なんだその手は!?
……ああ、いいよいいよ、私の負けで。
君たちの決意に敬意を表そうじゃないか。プッ、クハハハ……」
「ど、どういうことだ……」
『…………』
無貌の神の言葉にわけがわからず動揺する暁だったが、七緒はそんな彼を前にしても無言であった。
いや、何も言うことはできなかった。
「暁君、『私』が知らないということは君も詳細を知らされていなかったな。
教えてあげよう、そこの魔女が何をしたか」
その言葉とともに空中に映像が浮かび上がる。
そこは暁の祖父である御堂仁とその研究所の一室だった。
「『私』と契約する前の時間、まだ黎明を授ける前の御堂仁だな。
だが、大事なことはそこではない」
その部屋には、御堂仁とともに翡翠の祖父である雨霧鷹彦。
そして暁のよく知る少女、翡翠がいた。
「どうして翡翠が……」
「彼女が御堂仁から人工心臓を造ってもらったのは知ってるだろう?
彼女の人工心臓は時間をかけて作られた。
今この時期に、ちょうど人工心臓開発の依頼を行っていたのさ」
過去の時間だからだろう。翡翠の姿は暁が知る者より幼く、
未だ心臓に病を抱えるその姿は、元から細い体がさらに細く、青白い顔色を浮かべていた。
「孫の、翡翠の治療のためには心臓移植のドナーが必要なのですが、体質の合う者が見つからないのです。
雨霧グループの力を持ってしても……。
御堂さん、もはや人工臓器の権威であるあなたを頼るしかないのです!
困難な依頼であることはわかっています。お金ですむのならいくらでも出します。
どうか、どうか……!」
頭を下げる雨霧鷹彦に対して、御堂仁は慌てて顔を上げさせた。
「……残念ですが、人工心臓は未だ研究途中です。
完成まで時間がどれだけかかるかわかりません。
プロトタイプには着手しているのですが……」
御堂仁が横に置いたケースを開けると、中から機械仕掛けの人体パーツ
人工心臓のプロトタイプを取り出した。
「完成品には程遠い……申し訳ございません……」
その言葉には、自らの未熟、そして苦しむ患者を救えない苦しみに溢れていた。
「この後、御堂仁は私と契約する。そしてそこの人工心臓のプロトタイプが黎明の核となる、はずだった……」
そのとき、映像の中の翡翠が、不意に動いた。
大人たちが急な動きに反応できないでいる間に、部屋の隅にあった消火器を手に取ると
それを高く掲げ、人工心臓のプロトタイプに振り下ろした。
「何を……!?」
大人たちが混乱し、なんとか取り押さえようとする中、
翡翠は執拗にプロトタイプへの殴打を繰り返し、原型をとどめなくなるまで破壊した。
「翡翠は、何をしているんだ!?」
『……世界改変術式で、今の翡翠の意識を過去に送り込んだの。
これで、黎明の核となるものがなくなり、
無貌の神が降臨しても黎明を造ることはできなくなる。
そして無貌の神が降臨できるタイミングは数百年に一度。
黎明の核を再開発することは間に合わない』
混乱する暁に、七緒は淡々と告げた。
「おめでとう、君たちの勝利だ。
だがその代償は高くつくことになる」
破壊を終えた翡翠が、ふらりと倒れこんだ。
とっさに大人たちがその体を抱き留めるが、その顔色は雪のように白い。
「この時代の翡翠嬢はまだ心臓病が治っていない。
そんな体で無茶をすれば当然こうなる」
映像の中、大人たちが必死で翡翠の応急処置を行っているのが見える。
だが、翡翠の手は、むなしくぱたりと床に落ちた。
映像が消えた。
「どうだね、勝利と引き換えに大事な友を、愛する女を失った気分は。
クハ、クハハハハハハ!」
「てめえ……! いや、七緒、なんとかならないのか!?
また世界改変術式で……」
『……ごめん。暁……』
「それは無理だ。もはや歴史改変術式に必要なリソースは使い切った。
過去への介入手段はもうない。
この空間もじきに書き換えられ、君たちは記憶を失って新たな時間軸に再配置される。
歴史が変わった結果、翡翠嬢と出会うことはもはやなく、記憶も残らない。
それまで犠牲の上での勝利の美酒を味わうといい」
叫びを上げながら、暁は無貌の神の顔を殴り飛ばした。
そして神は、哄笑とともに消えた。
「……翡翠は、最初から知っていたのか」
『……ええ。承知の上よ』
「どうして!? 命を捨てるなら俺でよかったのに!」
『私だって、できるなら自分でやりたかった!
……でも、あのタイミングで計画を壊しに、あんたの祖父と接触できるのは翡翠だけだった。
それだけよ……』
黙り込む二人。
そして彼らのいる領域も、歴史改ざんによる黎明の消滅で消失しようとしていた。
暁がまとっていた黎明ももうない。
ほんのわずかな時間の後、この領域は消失し、暁たちは新たな歴史に再配置されることになるだろう。
「なあ、七緒」
『何……?』
「俺は信じるぞ……だって、あそこにはいるんだから……。
世界で一番迷惑で、傲慢で、優秀な、世界を壊してしまう、俺の……」
その言葉を最後に、全ては闇に包まれた。
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