第二部 無貌編

第13話 全ての始まり

 前回の事件から数日後、日本国内は混乱の渦の中にあった。

 

 重度のパニックでの入院者の大量発生。

 撮影された、虚空から浮かび出る巨大な触手の映像や写真。

 

 これらは表面上は報道規制やネット情報の検閲で押さえつけられていたが、事件の起きた日に日本全域で感受性の高い者たちが見た奇怪な夢とともに噂話となって国内に広まった。

 

 何より国家そのものが、部分的とはいえど、国内での異例の邪神召喚に狼狽していた。

 そのため、直接目撃したわけではないものの、事件の渦中にいた翡翠は調査のために呼び出されることとなった。

 

 一方で。暁は事件終了後にヒヒイロカネの一般職員に回収されたが、負傷と過剰な薬物投与による消耗から意識を失い続け、未だ目を覚ますことなく、夢を見続けていた。

 

 

 *

 

 一年前。地方都市にある和風の一軒屋。

 木造の自宅の中、暁は二人分の夕食の準備を済ませると声を上げた。

 

 「おーい、おじいちゃん。夕飯できたぞ。

  部屋から出てきなよ」

 

 暁の声に応えて自室のドアを開け、一人のゆったりした服を着た白髪の老人が姿を現した。

 暁の祖父、御堂仁である。

 

 「おお、暁。今日は何かな」

 

 「あじの干物に肉じゃが。それに味噌汁な」

 

 「おお、ごちそうだねえ」

 

 二人は和食派であった。

 共に食卓につき、いただきますと手を合わせ、二人は食事を始めた。

 暁の学校の様子や、仁の研究の様子を話しながら。

 

 御堂仁は、医学会の研究者であり、特に人工臓器については生きる伝説と言われていた。

 年齢は七十を前にして未だに現役であり、医学会に進歩をもたらし続けていた。

 

 「そういえば暁、進路は決めたのかい」

 

 「理系にいこうと思うんだけど、数学はともかく物理がちょっと苦手でさ。

  この間の模試で思うようにいかなかったよ」

 

 「ふむ……お前には甘えてきたが、やはり学業をしながら家事もするのはきついかな。

  暁も忙しい時期に入るし、家政婦さんに入ってもらう日を増やしてみようか」

 

 「いや、いいよ。まだなんとかやっていけるし。やるにしてももう少し先で」

 

 暁は祖父のことが好きだった。

 早くに両親を失った暁を引き取ってくれた祖父。

 祖母は早くに亡くなっていたため、男手一つで不器用なところはあったが、常に穏やかで笑みを絶やさず暁に接してくれた。

 

 そして仕事はでニュースにも出るほどの活躍をしながらも、私生活は質素なもので、自分は世界のため、人の幸せのために研究をしていると暁によく行っていた。

 

 祖父の後を追って、医学系研究者の道を歩むのが暁の夢だった。

 もっとも、その道を歩むには成績の方が少しだけ足らなかったが。

 

 「そうかね……そうだ。暁に見せたいものがあったんだ。

  家事が終わってからでいいから、部屋に来てくれないか」

 

 「お、新しい発明でもしたの?」

 

 「新しいってわけではないが……そんなところだね」

 

 「ふーん? わかった。食事の片付けと、洗濯物にアイロンかけたら行くわ」

 

 食後のお茶を飲み、自室に戻る祖父と、洗い物をしに流しに向かう孫。

 彼らにとっての平穏はこれが最後だった。

 

 この日の夜、彼らの家は炎上し、御堂仁は命を失うことになる。

 

 焼け跡からは、御堂仁の遺体の他に複数人の遺体が発見された。

 そして、御堂暁は消息を絶った。

 

 *

 

 数日後。人気のない道路沿い。

 

 そこにレザースーツにロングコートを羽織った黒髪の女がいた。

 年ごろは二十代の前半ほど。路肩に車を止め、携帯電話を使っていた。

 

 「……調査の方はどう?」

 

 「御堂仁の遺体についての警察の見解だが、検視の結果、焼死の前に強い力で殴られている。

  こっちが死因だ。素手による撲殺だな。

  それも人間がやったことにするのなら、身長2メートルはあるような大男が力任せに殴りつけないと、これだけの損傷は与えられない」

 

 まるで人間以外が犯人であるかの電話相手の発言を、女は無表情なまま、黙って聞いていた。

 

 「それから、御堂家の焼け跡から発見された御堂仁以外の遺体についてだ。

  報道管制が敷かれているが……人間の姿をしていなかったらしい。海の連中だ」

 

 「やつらか」

 

 吐き捨てるような言葉。電話相手はそれに構わず、話を続けた。

 

 「そういうことだ。

  御堂仁は研究をやつらに狙われて殺されたことになる。

  ……それから、やつらの死体についてだ。

  やはり撲殺なんだが、こちらは犯人が違う。力が違いすぎる。

  例えば、ある死体は頭を胴体から吹き飛ばされてる。

  あるいは胴体に大穴が開いてたりな。

  こっちはどうあがいても人間じゃ無理だ。お前なら話は別かもしれないが」

 

 「青山」

 

 感情のない声。だが、電話相手を動揺させるには十分だったようだ。

 

 「おっとすまねえ。

  ……それから、現場から行方をくらませた御堂暁だが、近くの山で目撃証言があった。

  汚れた格好で、学生には見合わない、トランク片手にな」

 

 ぴくりと女の眉が動く。

 

 「なるほどね。そのトランクが御堂仁の残した研究……。

  目撃証言が出たからには、他の連中も動き出すね。

  続けて情報収集を頼む」

 

 「おお、目撃証言について、具体的な内容はすぐにメールで送る」

 

 電話を切るとすぐにメールの着信音が鳴った。

 女はメールの内容を確認すると、車のエンジンをかけ、移動を開始した。

 

 

 *

 

 御堂家からそう遠くはない……とはいっても車両を使わないと移動は難しい距離にある山。

 

 ろくに登山道もないその山を、女は山道をかき分けて登っていた。

 目的地への目印ならある。臭いがするのだ。風に乗り漂う、やつらの魚臭い血の臭いが。

 

 「先を越されたか……」

 

 そう口にすると、コートの内側から拳銃を取り出し、慎重に足音を殺しながら進んでいった。

 

 そして、すぐに臭いの元へとたどり着いた。

 

 開けた場所に、いくつも転がる死体。

 どれも人間のものではない。

 

 人間の服を着ているが、首にはえらがあり、鱗が生え、目は左右に大きく離れている。

 深きものと呼ばれる魚人たちだ。

 

 女はかがみこみ、死体の状況を観察していった。

 どの死体も頭を砕かれるなど、大きく損傷している。

 人間より強靭な魚人にこれだけの損傷を与えるのは、明らかに人間にできる行いではない。

 

 そして、手がかりはまだあった。

 この現場に残された血のついた足跡。それはここから離れ、山の奥へと続いていっていた。

 

 

 *

 

 足跡の先の木陰。

 そこにはトランクを片手に、荒い息を吐く少年、御堂暁がいた。

 

 「……みんな、殺してやる。おじいちゃんの仇は、みんな……」

 

 満足に食事や睡眠も取れていないのであろう。

 疲労を顔に露わにしながらも、それでも暁はトランクを離すことなく強く握り締めていた。

 

 だが、疲労から注意力は散漫になっていた。

 そしてそもそもが素人。忍び寄る女の足音に気づくことはできなかった。

 

 「……!?」

 

 気づいてももはや遅い。女は暁からトランクを蹴り飛ばし、うつぶせに押さえ込むと、

 後頭部に銃口を突きつけた。

 

 「抵抗は無駄だよ」

 

 「くそっ、離せっ!?」

 

 暁は身をよじって逃れようとするが、女の拘束から逃れることはできなかった。

 

 「手荒な真似はなるべくしたくないんだ。

  御堂仁の遺産はそのトランクだね」

 

 「……お前も、おじいちゃんの研究を狙ってきたのか」

 

 「そういうことになるね。

  稀代の科学者である御堂仁の研究が、

  やつらも狙うほどのものだという情報は裏で出回っている。

  どんなものかは知らないが、やつらに渡すわけにはいかない。

  こちらで確保させてもらう。

  ……君はもう見つかっている。私がこなかったとしても遺産を狙う敵はいくらでもやってくるだろう。

  大人しく渡すんだ。

  それが君にとって一番の安全だ」

 

 押さえ込まれたままの暁は答えない。いや、笑い声が聞こえる。くくくっと、暁は確かに笑い声を上げていた。

 

 「安全? 俺が見つかった?

  ……違うね、誘い込んでいたのさ! お前たちみたいな、黎明を狙うやつらをな!

  装着!」

 

 その言葉に応えるかのようにトランクの口が勝手に開き、中から黒い何かが暁に向かって飛び出してきた。

 女はとっさに飛びのいて避けるが、その一瞬で暁にとっては十分だった。

 トランクから飛び出した何かは暁を包み込み、姿を変えていた。

 それは漆黒の鎧。鋼鉄のパワードスーツ。御堂仁の遺産。黎明。

 

 「皆殺しにしてやる! おじいちゃんの仇!」

 

 その言葉は、もはや狂気の域。だが、それを耳にして、女は無表情なまま言った。

 

 「少しは面白くなってきたかな」

 

 

 *

 

 木々がなぎ倒される。拳の一撃で岩が砕かれる。

 

 それが黎明の力。でたらめに振るわれるその力を前にして、女はただ回避するばかりであった。

 放った銃弾は全て装甲に弾かれた。

 暁の拳の一撃を女は後ろに飛びのいて避けると、そのまま距離を取った。

 

 「どうだ、これが黎明だ! おじいちゃんの力だ!」

 

 暁の雄たけび。だが、女はそれを鼻で笑った。

 

 「何がおかしい!」

 

 「つまらないね。動きがまるで素人。鎧の力に頼っているだけだ。

  確かにその鎧はたいしたものだけど、使い手が君じゃあ台無し。

  宝の持ち腐れだよ」

 

 そして、肩をすくめ、嘲笑った。

 

 「御堂仁もあの世で嘆いているだろうね」

 

 明らかな挑発。

 だが精神的に余裕がない暁はそれに気づくこともなく激昂し、女に向かって突撃した。

 

 素人の攻めといえど、威力がある以上、脅威であることに変わりはない。

 非効率だがセオリーに沿っていない分、回避は困難。

 そしてその一撃は岩をも砕く威力がある。かすめるだけでも人体などミンチになるだろう。

 だからこそ挑発し、誘導した。

 

 頭に血の上った暁は、大振りの拳を女に向かって放つ。

 女はそれを紙一重でかわすと、腕を取り、投げ飛ばした。

 空中で暁の体を回転させ、頭から叩き落す。

 

 自らの勢いを乗せた頭部への衝撃、いくら黎明の防御があるとはいえ、ただではすまない。

 

 「……まだだ、まだだ……!」

 

 暁はそれでも起き上がる。

 だが、足元がおぼつかない。もはや気力だけで立っている状態だった。

 そして、彼の運はそこで尽きた。

 

 「……どうした、黎明!?」

 

 暁の着こんだ鎧が、自重を支えきれなくなったかのようにだらりと垂れ下がる。

 そして勝手に装着を解除し、暁の体から脱げ落ちると、地面へと落ちた。

 

 「どうする?」

 

 もはや戦う術もなくなった暁に問いかける女。

 だが、暁はその言葉に屈さず、女をにらみ返した。

 

 「……おじいちゃんは言っていたんだ。

  黎明をお前たちみたいなやつらに渡しちゃいけない、正しいことに使えって……

  だから!」

 

 生身となった暁は、それでも女に殴りかかった。

 だが女はそれを軽々とかわし、足を払う。

 暁は派手に地面につっぷし、そのまま動かなくなった。

 

 女はしゃがみこみ、暁の様子を確認する。疲労と負傷で気絶しているだけのようだ。

 

 それから黎明と、黎明が入っていたトランクを確認する。

 

 「……なるほど。彼が装着者として認証済みというわけか。

  ……見込みはある。連れて帰るか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る