第15話 決意

 一フロアをぶち抜いて、コンクリートがむきだしの部屋。

 そこは楓たちが拠点としているビルの地下にある練習場であり、様々なトレーニング器具が置かれていた。

 

 その一角、コンクリートの上から畳が敷かれた組手場所、そこで、生身の暁と楓が訓練を行っていた。

 

 暁は攻めてもその攻撃は全て捌かれ、逆に楓の一撃は防御をかいくぐり、急所の直前で寸止めされる。あるいは暁の動きを利用して投げ飛ばされる。

 それはあまりにも一方的だった。

 

 「早く起き上がる。実戦じゃ敵は待ってくれない」

 

 「……すいません楓さん、もう限界で……」

 

 暁の言葉を待たず、楓は頭を狙って踏みつける。

 暁は必死に転がって避けた。

 

 「ほら、まだ動けるじゃないか」

 

 「スパルター!」

 

 そのまま楓は踏みつけを連打し、暁はタイヤのように転がり続ける。

 

 「それから、私のことは師匠と呼ぶようにって言ってるでしょ。ほら、復唱」

 

 「師匠ー! もうやめてー!」

  

 訓練が続くこと十数分、暁がぼろきれのようになるまで組み手は続いた。

 

 「ひとまずここまでにしておこうか」

 

 「……うす」

 

 暁はその言葉を返すだけの気力しかなかった。

 転がったままの暁に、楓から汗を拭くためのタオルが投げられる。

 

 暁が楓たちの仲間になってから数週間、彼は楓からずっと格闘訓練を受けていた。

 

 「手ひどくやられたようだね」

 

 教授の声。

 いつから訓練を見ていたのだろうか、訓練に必死で暁にはわからなかった。

 

 「くそっ、黎明があれば負けないのに……」

 

 「……黎明を着ていても私はすでに勝っているけど」

 

 「あ、あれから訓練したし!」

 

 「今まで格闘技の経験がない人間が付け焼刃で学んでも、そう急には強くならないよ」

 

 「じゃあこの訓練の意味は一体……」

 

 「ローマは一日にしてならず。何事も積み重ね」

 

 暁と楓の会話を聞いていた教授だったが、一段落したのを見てか口を挟んできた。

 

 「それで実際、訓練の方はどうなのかね」

 

 「防御や受身を重点的に教えてる。

  おそらく急所に当たらない限り、単純な攻撃なら黎明の装甲で弾けるはず。

  銃撃も弾いていたし」

 

 「ふむ。黎明を装備しての性能テストができればいいのだが、それができるほど広い場所で、人目につかず、かつ計測用の機材を用意するのは困難だからね。

  予算などで」

 

 「……お金、ないんですか?」

 

 「ないねえ。青山君が情報の売り買いで稼いできてくれてるが、正直ぎりぎりだよ。

  ……まあ、そこは君の心配するところじゃない」

 

 そこまで言って、教授はそうそう、と思い出したかのように言った。

 

 「そうだ。君と楓君が戦ったとき、黎明が機能停止した理由がわかったよ」

 

 「え、あれってダメージによるものじゃないんですか?」

 

 「違う違う。電気切れだ」

 

 「え」

 

 呆気に取られた顔をする暁。

 

 「君もマニュアル読んだからわかると思うんだが。

  黎明は電気で動き、コンセントで充電する。

  ……なんでコンセントで充電できるのかはさておき、

  数日間充電なしで使い続ければ機能停止するようだね」

 

 「山にいたせいで充電できなかったからなあ……」

 

 「まあ稼動限界の情報を得られたのは悪くないよ。今後はこまめに充電しておくべきだね」

 

 「はい」

 

 このことから学んだ暁が拠点で充電を行い、後日教授が電気代の請求書を見て青くなるのは別の話だ。

 

 「それから、すいません。あれから疑問に思ったことがあるんですが、いいですか?」

 

 「私に答えられることであれば」

 

 「……おじいちゃんと俺を襲ったあの魚人ですけど、危険だってことはわかりますし、許せません。

  だけど、具体的にどんなやつらで、どう危険かがわからないんです。

  教えてくれませんか」

 

 ふむ、と教授は顎を撫でた。

 

 「少し、長い話になるがいいかね」

 

 「構いません」

 

 では、と教授は話を始めた。

 

 「あの魚人は深きもの、ディープワンと呼ばれている。

  本来深海に生息する怪物だ。やつら自体は人間を害することをなんとも思ってない怪物というだけだが……」

 

 「すいません、十分問題なのでは?」

 

 「ただの怪物ならいくらでも対処の仕様はある。問題なのはやつらが崇める神だ」

 

 神? と暁は疑問の声を漏らした。

 

 「おや、怪物の存在を確認しても神の存在は信じられないのかね。

  ……私だってあんなものを神とは呼びたくない。

  だけど、そうとしか呼べない、あまりにもかけ離れた存在は確かに実在する。

  それを知ってしまったから我々は……」

 

 「教授」

 

 楓の声に、自分の世界から教授は引き戻された。

 

 「……すまない。取り乱したよ。

  神と言ったが、別に善良な存在ではない。

  そもそも人間のことなどなんとも思っていない。

  神々は今は眠っているが、深きものたちはその復活を目論んでいる。

  神々はあまりにも強大だ。目覚めたときには人間は塵のように吹き飛ぶだろう」

 

 「そんな……」

 

 「信じられないかね。だが、その方が幸せだよ」

 

 話を戻そう、と教授は言った。

 

 「深きものは神の復活のために人間社会に浸透し、信者を増やそうとする。

  どこからか持ってきた黄金や、最近だと効果が薄いが豊漁の加護などでね。

  そして人間と交わり、子を作る。

  子どもは若い頃は普通の人間としか思えないが、成長するにつれ、深きものとしての性質をあらわしていき、魂までもがそうなってしまう。

  人間社会で活動しているのは主にこいつらだ。まだ人間の振りができるからね」

 

 「……正直、まだ飲み込めませんけど、その深きものたちが黎明を狙ってきたのも、神の復活のためなんでしょうか」

 

 「私にもやつらの考えはわからんが……おそらく最終的には繋がってくるのだろう。

  もっとも、神の復活と関係なくても、あれだけの性能、欲しがるやつらはいくらでもいるだろうが」

 

 教授の発言に、横から楓が疑問の声を発した。

 

 「……深きものでも黎明を着られるの? 体型も体格も合わないんじゃないかな」

 

 「そうかな? 案外サイズを合わせて着られるかもしれないが。

  ……まあそれは置いておいても、暁君の祖父である御堂仁の天才性には魔術が絡んでいるのではないかという噂もあった。

  その秘密を知れるのであれば、狙うものもいるだろうね」

 

 「おじいちゃんはそんなインチキなんてしない」

 

 暁は教授の言葉を強い口調で否定した。


 「魔術がインチキか否かは議論の余地があるがね。

  まあ黎明に魔術の気配はしなかったが……私も魔術はかじっただけなので、あまり信用はしないでくれ。

  敵の目的については、やつらと戦う中で探っていこう。

  ……青山君が情報を探り当てた。これから攻撃に出る」

 

 教授の発言に、暁と楓は身を乗り出した。

 

 「順番に話していこう。

  まず、黎明は普段は御堂仁が所長を務める大学の研究所で厳重に管理されていた」

 

 「すいません、それって研究所で造ったってことですか?」

 

 暁が疑問を発する。

 

 「詳細は不明だが、黎明は御堂仁個人の所有物扱いで重要機密だった。

  私も技術畑として言わせてもらうが、とても現在の技術で作れるものとは思えないね。

  だが御堂仁は技術的なブレイクスルーをいくつも起こしている、稀に見る天才だ。

  研究所で開発したにしても、御堂仁個人の技術力に拠るところが大きいだろう。

  ……だが、その黎明を何故か襲撃の日に研究所から持ち出して、自宅に持ち帰っている」

 

 「その理由は?」

 

 楓の問いに、教授は首を横に振った。

 

 「残念だがそこまではわからない。

  問題は、自宅に持ち帰ったという情報を誰がリークしたか、だ。

  御堂仁の研究の存在の情報が裏で出回り、私たちもそれに基づいて行動したが、それは暁君の家への襲撃後だ。

  つまり、襲撃そのものについて、黎明の存在と、それを警備の整った研究所から外部に持ち出したことをリークした人間がいる。

  これについては、金銭の動きでで怪しい者がいて、目星をつけている」

 

 「……誰、なんですか?」

 

 震える暁の声。

 

 「それは、だね……」

 

 

 *

 

 深夜。小林は仕事が終わり、ようやく自宅のマンションへと帰ることができた。

 職場の研究所では、所長である御堂仁が亡くなり、その混乱を副所長である小林が所長代理としておさめていた。

 当然の務めとはいえ、六十を過ぎた老いた体にはつらいものがあった。

 

 仕事一筋に生きた小林に、帰りを待つ家族はいない。

 食事も外食で済ませてきた。

 シャワーだけ浴びてすぐにでも寝てしまおう。

 

 そう思い、靴を脱いで居間へのドアを開けたとき、不意に小林はその体を引き倒され、上から押さえ込まれて口を塞がれた。

 

 居間に何者かが潜んでいた。

 驚きとある種の納得とともにそれを受け止めた小林に、彼を押さえ込んだ者が女の声で問いかけた。

 

 「声を出すな。

  ……小林副所長だね。下手な真似をするな。

  私たちにはいつでもあなたを殺す用意がある。」

 

 背後の女……楓のその言葉とともに、小林は床に倒されたまま、顔を上げさせられる。

 そこには、彼にとって忘れられない鋼鉄の鎧の姿があった。

 

 「……黎明、か」

 

 小林の背中に、冷たく硬いものが当たる感触があった。

 

 「喋るなと言った」

 

 「……撃ちたければ撃てばいい」

 

 その言葉に、背後の楓が小林の腕を捻り上げる。

 だが、苦痛に顔を歪めながら小林は言葉を続けた。

 

 「君たちのような人間が来ることは予想していた。

  ……騒ぐつもりはない。話をしに来たんだろう」

 

 彼の言葉を聞いて、黎明を装着し正面に立った暁は言った。

 

 「……どうかな。腕づくで聞いた方があんたは素直に話してくれるかもしれないぜ」

 

 「どちらでもお好きに。そのくらいの覚悟はしている」

 

 わずかな沈黙の後、楓は捻り上げていた小林の腕を放した。

 

 「師匠!?」

 

 「静かに。……彼には覚悟がある。

  おそらく騒ぐ心配はない。

  ただ、完全に信用したわけではない。伏せたまま話してもらうよ」

 

 「……当然だな」

 

 「小林副所長。御堂仁所長を研究で長年フォローしてきた、彼にとって公私ともに友人。

  ……そして御堂仁を深きものに売った。違いはない?」

 

 「……ああ、そうだ」

 

 その言葉を受けて、暁は激高しかけたが、なんとか己を抑え込み、低くくぐもった声で問いかけた。

 

 「……どうして、おじいちゃんを殺したんだ」

 

 「おじいちゃん……そうか、君は孫の暁君か。

  ……逆に問おう。どうしてだと思う?」

 

 「誤魔化すな」

 

 「誤魔化してなんていない。私は仁を間接的に殺した。だが理由あってのことだ」

 

 「何が理由だ。あんたは深きものから金を受け取ったって聞いた。

  どうせ金目当てだろう」

 

 「金、ね。そんなものどうでもいい。

  食うに困らない蓄えはすでにある。取引の形としてもらっただけだ」

 

 「じゃあ地位だ。

  あんたはおじいちゃんの死後副所長から所長代理になった。

  その地位が欲しかったんだろう」

 

 「代理と言っても所詮後任が来るまでだよ。

  それに、私が勤める研究所は仁がいてこそだった。

  仁が死んだ今、研究所が存続するかも怪しい。

  そんなものどうでもいいね」

 

 「……じゃあ、なんで殺したって言うんだ」

 

 「……世界のため、だ」

 

 その言葉に今度こそ暁は激高した。

 岩をも砕く鉄の拳を振り上げようとしたとき、楓の声が彼を止めた。

 

 「暁。駄目だ」

 

 「っ……。

  ……なんで、おじいちゃんを殺すのが世界のためになるんだ」

 

 「なんで、か。暁君、君は研究者としての君の祖父のことをどれだけ知っている?」

 

 「おじいちゃんは、凄い研究をいくつもして、人の役に立てていた人だ」

 

 「そう、仁は医療技術の天才だった。

  あいつは人のためだけを思って研究を続けてきた男だ。

  ……魔術に手を染めている噂もあったが、それが真実だとしても私は驚かんよ。

  あいつにとっては自分のプライドより、どれだけ多くの人を救えるかの方が重要だからな。

  人のためになるならなんでもやるさ」

 

 そこまで話すと、小林は押さえ込まれたままため息をついた。

 

 「だが、そんな男が軍事技術に手を染めた……黎明、恐るべき兵器だ。

  どんな心境の変化があったやら。

  あいつに問いただしても、これも人のための技術だというばかりだった。

  ……だが、他人思いの人間こそ最も恐るべき殺戮者になる。

  だから接触してきた深きものに情報をリークした。仁を止めるためにね」

 

 「勝手なことを言うな……。おじいちゃんはきっとそんなやつらと戦うために黎明を開発したんだ」


 「そしてその末に量産開発かね。人間の戦争に導入され、戦争の形が変わってテロが激化する未来しか見えんよ」

 

 小林の背後に回ったままの楓が、二人の話に割り込んだ。

 

 「深きものの手に渡ったらどうなるか考えなかったの?」

 

 「そっちは詳しくないので知らんよ。

  だがあんなアナクロな連中に科学の結晶をどうにかできるとは思えんね。

  少なくとも軍事量産はない」

 

 「それは認識が甘いと言わざるを得ない。

  素人に言っても無駄だろうけど、あなたは最も危険な手に頼った」

 

 「さっきも言ったように否定できるほど詳しくないね。

  ……だがそれでどうする? 私を殺すかね。もう賽は投げられたのだ」

 

 ふてぶてしく言い放った小林の言葉に、聞くべきことは聞いたと、楓は暁に問いかけた。

 

 「暁、どうする?」

 

 暁は拳を震えさせながら、それでも言った。

 

 「……俺はこいつを殺さない。殺してもどうにもならない。

  生かして、おじいちゃんが正しかったことを見せつけてやる」

 

 「……うん。それがいいよ」

 

 いつものように抑揚のない楓の声。だが、それが今は優しく暁の耳に聞こえた。

 そこに、未だ押さえこまれたままの小林が言った。

 

 「話がまとまったようで結構。

  ところで私が深きものにリークした、仁が開発した技術はあと二つあるんだが」

 

 「おい」

 

 「……やっぱり殺しておくべきでは?」

 

 殺気立つ暁と楓の言葉に、笑って小林は言った。

 

 「仁が死の少し前まで開発していて、実現した研究がある。

  どちらも画期的な医療技術だが、極めて危険な側面があり、闇に葬る必要があると判断した。

  ……別に殺されても構わんが、情報は聞きたくないのかね」

 

 結果、暁と楓は、小林を殺さず、情報を聞き出すことにした。

 

 帰りに、楓が荒れる暁にラーメンをおごってくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る