第16話 この世ならぬ絵
楓たちの拠点であるビルの休憩部屋。そこは彼女たちの会議室でもあった。
小林への襲撃から数日後。
暁はそこで楓と教授、そして初めて会う男と対面していた。
「暁は会うのは初めてだよね。うちの情報収集担当の青山だ」
「よろしく、坊主」
楓の紹介を受けて、青山と呼ばれた男が暁に挨拶をした。
青山は四十台後半の男性であり、室内にも関わらず、サングラスをして杖をついていた。
「初めまして、暁です。……失礼ですけど、ひょっとして目が……?」
「ああ。昔ちょっとな。
心配するな。見える以上に聞こえるものがある。
足手まといにはならんさ」
実際に青山の言葉通り、彼の動作はきびきびした無駄のないものであった。
「坊主、これまでお前と顔を合わせてなかった理由だが、俺は普段は外で情報屋として動いている。
情報収集はもちろんだが、楓も教授も金を使うばかりで稼がないから、俺が働かなきゃいかんのだ……」
苦々し気な青山の言葉を聞いて、そっぽを向く楓と、苦笑いをする教授。
現状、彼らに養われている暁としても、どういう顔をしていいか反応に困るものがあった。
「ああ、気にするな。要は役割分担だ。
お前は荒事でその分働いてくれればいい。
……さて、本題に入るぞ。小林から聞き出した情報についてだ。
お前も聞き出すときにその場にいたが、確認のためにもう一度言っておく」
青山はそこまで言って、一度言葉を切った。
「小林が深きものたちにリークした情報だが、
御堂仁の開発した医療技術の中で小林があまりにも危険だと判断したものだ。
リークした医療技術は二つ。内一つは人工心臓。
ただ、こちらは被験者が現在海外にいて俺たちでは手が出せない。
深きものたちも国をまたいで活動するのは難しいだろうから、
一時保留とする。もちろん調査は続けるがな」
そしてもう一つの技術、と青山は言った。
「もう一つは義眼。
それも完全な機械式で、視力を完全に……いや、視力が大きく上がるそうだから、完全以上に治すと言っていいな。
御堂仁が亡くなる数か月前に施術が行われ、被験者は既に退院して日常生活に戻っている。
問題は……」
何が問題かは、暁も小林から聞いたからわかっている。
彼にとって、この話題は非常に気分が重かった。
「問題は、この義眼に御堂仁の独断で、極秘の隠し機能として被験者にも知らせずに
赤外線などの各種感知機能がついてることだな。
一般向け義眼としては無駄に高性能すぎる」
「おじいちゃんは、なんで義眼にそんな機能をつけたんでしょうか……」
「知らん。……予算使って軍事技術の研究でもしてたのかな?」
推測はしていても、改めて言葉で聞かされて落ち込んだ暁だったが、その肩を楓に叩かれた。
「そんなに落ち込まない。まだ何もわかっていないんだから」
「……はい」
「そうだとも。科学者として、ただ面白そうだからつけたのかもしれないし」
「いや、おじいちゃんはそんなことしないから」
教授の冗談に思わず突っ込みを入れる暁。
彼らの様子を見て、青山は咳払いし、注意を戻した。
「話を戻すぞ。この義眼については、俺は危険性は少ないと考えている。
軍事技術としての危険性はともかく、魔術を使っている可能性は低い。
小林から深きものどもに情報が流れてから一月近く経つが、
動きを見せていないことからやつらもそう判断したんだろうな」
「じゃあ放っておくんですか?」
暁の問いに、青山は首を横に振った。
「いや、可能性が低いと言ってもゼロではない。確認のために動く。
それから、被験者には本来手術後に御堂仁が何度も検査を行う予定だったが、彼が亡くなったことでそれが途絶えてしまっている。
もちろん残された人員でチェックは行っているようだが、なんらかの不都合が起きてるかもしれない。
そこも併せて調べておきたい。
……それで、だ」
青山は今後の行動について説明を始めた。
*
暁たちが向かったのは、義眼の被験者の仕事場であるアトリエだった。
被験者は年若い画家の女性であり、事故で視力を失ったところを新型の機械式義眼の被験者に選ばれた。
すでに退院しており、画家としての活動に戻っている彼女に、記者のインタビューを装って調査に向かうことになった。
青山と楓が記者、暁はバイトの機材持ち。
何人もぞろぞろ連れていくわけにはいかないということで、教授は留守番になった。
「今日はよろしくお願いします。記者の赤川です」
「こちらこそよろしくお願いしますね。画家の池谷です」
赤川と名乗ったのは青山。もちろん偽名だ。
画家の池谷は、二十代中盤のたおやかな雰囲気の女性であり、その挙動からは目の障害の気配はうかがえず、一度は視力を失ったとは思えないものがあった。
「せっかく取材に来ていただいたのに、散らかっていてすいません」
街中からやや離れたところにある作業場。
壁には完成した絵が飾られており、部屋の中央にあるイーゼルには描きかけの絵が置かれていた。
現代美術というものだろうか、絵の内容は暁にはよくわからなかった。
「いえ、こちらこそお忙しいところをお時間を取っていただき、ありがとうございます。
池谷さんは、事故で視力に障害を負ってもそこから立ち直り、画家としての活動を再開していらっしゃるとのこと。
その体験をお聞かせいただき、同じ境遇にある方の助けにできればと思いまして。
……私も見ての通り視力に障害がある身なので、池谷さんのお話には大変興味があります」
「はい。私なんかの話でよろしければ……。
私は生まれつきではなく、事故で視力を失いました。
治る見込みがないと言われ……もう絵を描くことはできない、画家でいられないなら生きている意味がないと絶望していました。
ですが、そんなとき言われたんです。新型の義眼がある。
その被験者になってみないか、と」
「なるほど。ですが、新しい技術の被験者になることに不安はありませんでしたか?」
「不安なんて……少しでも見えるようになる可能性があるのなら、また絵が描けるようになるのなら、断る理由なんてありませんでした。
義眼を入れる手術は無事成功して、今ではすっかり元通り。
絵だってこれまで通り描けるし、ぱっと見ても義眼なんてわからないでしょう?」
「……と、言われましても残念ながら私には見えませんからね。
おい坊主、どんな風に見えるんだ?」
青山に促され、暁は池谷の瞳を正面から見つめる。
女性と見つめあうことに若干照れるものはあったが、今はそんなことは抜きだ。
「……そうですね、素人目には全然わかりません。
あ、でもじっくり観察すると、瞳の光彩が少し色が違うかな……?
でも注意してみないとわかりませんし、カラーコンタクト入れてるのと区別つきませんよ」
「ふふっ、そうですね。手術後はちょっと戸惑いましたけど、今はこの色も気に入っています」
「ふむふむ。素晴らしい義眼のようですが、
今後の普及についてお医者様から何かお話を伺っていますか?」
青山の問いに、これまで朗らかに話していた池谷の表情が沈み込んだ。
「それが……開発者の方が亡くなっているので、同じものを作るのは難しいと」
「……それは、残念ですね」
「ええ。私としても、手術を受ける際やその前後の診察で、とても親身になってくれた方だったので、残念でした。
……身勝手な理由ですけど、この義眼が壊れたら修理できないかもと不安なのもありますし」
そこに、これまで口を出さなかった楓が口を挟んだ。
「ところで、義眼を入れて視力が元通りになったと伺いましたが、事前にこちらが調べたところでは、正確には元通りではなく、視力の向上が見られたと聞いています。
そのようなことで生活に影響はありますか?」
「ええ。影響はありました。それもいいものが。
そこに並んでいる手術前の絵と、イーゼルにある手術後に描いている描きかけの絵を見てみてください」
暁は、両方の絵を確認する。絵画のことなど暁にはわからない。
だが、注意してよく見てみれば、それでもわかるものがあった。
「素人判断で申し訳ないですけど……絵の色使いが違う、のかな」
その言葉を聞くと、池谷は表情をぱっと輝かせた。
「ええ、そうです。義眼を入れてから見える世界が変わってきたんです。
視力は上がってるし。見える色彩も少し違うんです」
「色彩が違うって、大丈夫なんですか?」
「最初は直そうかとも思ったのですが、さっきも言ったように開発者の方が亡くなってしまっているので、義眼の調整が難しいそうなんです。
……でも、今見える世界も悪くないんですよ。
世界ってこんなに鮮やかだったのかって。
これなら、今まで描いたことのない絵が描けそうなんです」
その言葉を聞いて、楓はじっくりと手術後の絵を確認した。
「そうですか。是非、完成したら拝見したいところですね。
仕事外になってしまうので、個人的なお願いになってしまいますが」
「はい! よろしければどうぞ」
そこで、取材という名の調査はひとまず終了し、形式的に写真を何枚か撮影して終わりになるはずだった。
暁がカメラを取り出したところで、青山がそれを腕で遮った。
「あお……赤川さん、どうしたんですか?」
「黙れ。……音がする。
ピューピュー、ピューピュー、と……」
暁はそれを聞いて耳を澄ます。だが、彼の耳には何も聞こえなかった。
「何も聞こえませんけど……」
「聞こえるんだよ! うるさくて、うるさくてたまらねえ!」
青山は突如激高すると、懐から隠し持っていた拳銃を取り出した。
暁が静止する間もなく、消音器がついたそれを何もない空間に向けて撃ち放った。
ぷすんと気の抜けた発砲音、
池谷の悲鳴。
……そして、低く濁った苦悶の声。
そこには何もいないはずだった。
だがその空間から、おぞましいものが具現化していた。
不定形の体。そこから何本も伸びた触手に握られたフルート。
穴の開いた体から濁った体液を吹き出しながら、そいつは悲鳴を上げていた。
なんだこいつは、だが暁はそんなことを考えている場合ではないとすぐに戦闘態勢に入った。
「装着!」
暁は黎明の入ったトランクを機材のケースに偽装して持ち込んでいた。
それを音声認識で起動。瞬時に装着を完了する。
だが、その一瞬の間に事態は動いていた。
空間からにじみ出るように、複数体の怪物がさらに出現していた。
どれも歪んだ姿形をしており、一体として似通ったものはなかった。
「こいつら、最初から潜んでやがった!」
青山の叫び。だが判断は後だ。まずは一体でも数を減らそうと、暁は青山の拳銃で傷を負った怪物に向けて踏み込んだ。
黎明の拳で殴りつけ、壁に叩きつける。
壁に飾ってあった絵が砕け、怪物も動かなくなる。
そして青山だけではなく、楓も拳銃を取り出し、怪物たちに向かって発砲していた。
悲鳴を上げる怪物たち。
だが傷を負いながらも、怪物たちは手にもった楽器を鳴らし、あるいは踊り狂った。
その狂乱の様子に合わせるかのように空間からさらなる怪物たちが現れる。
このままでは、遠からずアトリエを埋めつくしそうだった。
「師匠、青山さん、どうするんですか!?」
「静かにしろ! ……楓、あの絵だ。破壊しろ!」
青山の言葉に応え、楓が絵……義眼の手術後に執筆した絵を拳銃で連射し、原型なく破壊した。
「私の絵が!?」
池谷が悲鳴を上げる。だが、怪物たちの動きは目に見えて鈍り、新たに出現する怪物の増加速度も衰えていた。
「今だ! 一匹も残さず皆殺しにしろ!」
暁、楓、青山の三人はその場に残った怪物たちに拳で打ちかかり、あるいは拳銃を撃ち放った。
*
しばらくの戦闘の後。怪物たちは残さず倒された。
死体は何もなかったかのように消えうせたが、
その体から流れ出た体液は残り、アトリエを奇怪な色に染め上げていた。
「……何なんですかあれは。あなたたちも何なんです!」
池谷が震える声で暁たちに問いかけたが、それに楓は抑揚のない声で答えた。
「残念だけど、教えるわけにはいかない。
世の中には知らない方がいいこともある。
そしてそれより大事なことがある。あなたは二度と絵を描くな」
「ど、どうして……!?」
「あなたは義眼の力で見てはいけないものを見て、それを絵に描いてしまっているおそれがある」
「おそれって……そんなのわからないじゃないですか! 何を言ってるんですか!?」
「だが実際に、あなたの描いた絵からやつらは召喚されていた。
同じことを繰り返して確かめるわけにもいかない」
楓の言葉に、池谷は震えながらも反論した。
「……それはできません。絵を描けないなら生きている意味がない」
「ならしょうがない」
そう言うと、楓は池谷の方に一歩近づいた。
「腕を折っても無駄ですよ。何をどうやっても描いてみせる」
「じゃあその目を潰す。それなら二度と危険な絵を描かれる心配はない」
逃げようとする池谷に踏み込む楓。
だが、二人の間に割り込む者がいた。黎明を装着したままの暁だった。
「暁、邪魔はしないで」
「師匠こそ、落ち着いてください。
そんな非常手段に出なくても、まだ他に方法はあるかもしれないじゃないですか」
「認識の違いだね。私はもう十分に緊急事態だと思うよ」
「そんな……」
「暁さん、助けてください!」
暁にすがりつく池谷。
暁は、彼女と楓を一瞬見比べた後、池谷を抱えてアトリエから飛び出していた。
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