第17話 迷い

 「……ごめん。弟子の教育が足りなかった」

 

 暁が池谷を連れて逃げ去った後、いつものように乏しい表情で、それでも親しい人間が見ればわかる苦い顔で、楓は青山に詫びていた。

 

 「しょうがないさ。俺たちだって、最初から割り切れたわけじゃねえ。

  ……それより、いくらパワードスーツを着てるとはいえ、人一人抱えてるんだ。

  楓なら追いつけたんじゃないか」

 

 「青山を一人残していくわけにもいかない。敵が再出現する可能性もあった」

 

 「足手まといになったのは俺の方か……」

 

 「お互い様だよ。それより人がくるといけない。この場所から離れよう。

  その後は、私が一人で暁を追う」

 

 「ああ、急ごう。

  おそらく今の騒ぎで池谷はやつらを明確に『認識』した。

  取り返しがつかなくなるぞ……」

 

 

 *

 

 そしてそのころ、暁はビルの屋上で立ち尽くしていた。

 

 とっさに飛び出してきてしまったため、黎明を格納するトランクはアトリエに置きっぱなしだった。

 黎明を着たままではまともに表に出ることなどできない。

 人目につかない方法としては、高いところに登ることしか思いつかず、ワイヤーを使って高所に上り、ビルからビルへ移動することでアトリエから離れてきたのだ。

 

 「う、ううん……」

 

 腕の中の池谷の声。暁は慌てて彼女をコンクリートの床へと横たえた。

 さきほどまでのワイヤーアクションは、生身の一般人である彼女に随分と無理をさせてしまったようだ。

 

 「すいません。大丈夫ですか……?」

 

 「あ、頭がくらくらします……でも、なんとか……」

 

 本人の申告が正しければ、大丈夫らしい。

 暁はひとまず安心して息を吐いた。

 だけど、これからどうすればいいのか、彼にはわからなかった。

 

 「……暁さん?」

 

 「な、なんでもないですよ。

  それより、もう少し横になった方がいいです」

 

 「はい……でも、私の絵のせいであんな怪物が出てきたって、本当なんでしょうか……」

 

 「そんなの、わからないですよ。

  ちゃんと調べたわけじゃないですし。

  時間を置けば、師匠だって、もっと冷静になってくれるはずです……」

 

 そんなことは誤魔化しにすぎない。

 暁よりよほど経験を積んだ楓が判断したことだし、状況証拠もある。

 だが、性急に人一人から光を奪おうとする行為は、暁には過激すぎるとしか思えなかった。

 

 暁が頭を悩ませていると、横になっていた池谷が体を床から起こしていた。

 風に当たりたくて、と彼女は言うと、屋上の端の手すりにまで歩みを進め、

 そこから眼下の景色を眺めた。

 

 「綺麗……私、もっと世界を見ていたい。そして、それを絵に描いていたいんです」

 

 「……はい」

 

 そのために自分は何ができるだろう。暁がそう自問していると、池谷は言った。

 

 「ほら、あそこの虹色に光ってるところなんて、本当に綺麗……」

 

 「え……」

 

 暁は、慌てて池谷の指さすところを見た。

 

 「……見えませんよ」

 

 「そんなことないですよ。ほら、あそこだって……」

 

 別の場所を指さす池谷。

 だが、暁にはやはりそんな光は見えなかった。

 だが、そのかわりに見えたものがあった。

 

 「……あれは!?」

 

 池谷が指さしたところがぼやけたかと思うと、そこからアトリエで見た怪物どもがにじみ出ていた。

 

 人通りのある街中だ。通行人が怪物の触手に絡み取られ、悲鳴を上げる。

 だが、そのまま体をひどくねじられると、すぐに動かなくなった。

 

 周囲の人間がひと際大きな悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

 だが、その行く手を遮るかのように別の怪物が現れる。

 悲鳴と、血飛沫が上がった。

 

 道路を走る車が怪物から逃げようと急なハンドルを切り、歩行者を巻き込んで事故を起こした。

 

 「ああっ、あああっ……」

 

 「……くそっ、池谷さん、あなたはここにいてください!」

 

 震える池谷を置いて、暁は屋上から眼下の街へと飛び降りた。

 それが逃避であることから目を背けながら。

 

 

 *

 

 「くそっ、きりがない……!」

 

 怪物を殴り、蹴り、触手をつかみ取っては振り回し、他の怪物にぶつけてもろともに打ち倒す。

 だが、怪物の数は減らない。

 

 そもそもが暁に襲い掛かってくる怪物は割合的には少数。

 他の怪物はただおぞましい体をうねらせているか、あるいは手に持った楽器を鳴らしているかである。

 

 だが、その動きや音に合わせるかのように、虚空から次々と新手が現れるのだ。

 その増加速度は、暁の対応できる数を上回る。

 

 「だからって、引けるわけないだろ……!」

 

 少しでも怪物の注意を引きつけ、数を減らさなければ……一般人をこれ以上襲わせるわけにはいかない。

 だが、暁の奮闘も虚しく、怪物の数は見る間に増えていく。

 

 そして、怪物の奏でる音楽が響きわたる。

 暁が倒した怪物や、犠牲になった人間の血肉が宙に浮かび上がり、渦を巻く。

 何かがここに、現れようとしていた。

 

 「ここまでかよ、畜生……!」

 

 暁が諦めかけたそのとき、黎明に内蔵されている通信機から声が聞こえた。

 

 「全力でその場所から離れる。急いで!」

 

 それは、暁の師匠の声。

 そしてその瞬間、怪物たちの動きが揺らいだ。

 増加速度が目に見えて遅くなり、渦巻く血肉も勢いを失った。

 もはや暁に迷っている余裕などない。怪物に背を向けて全力で走り出す。


 背後で爆音が響いた。暁は走りながらも顔を後ろに向けて確認した。

 そこでは、アスファルトが割れ、あちこちから地下水が猛烈な勢いで吹き出して、刃のように怪物たちを切り裂いていた。


 そしてそれだけには終わらない。地下水が噴き出した後、ひび割れていたアスファルトが音を立てて崩落する。

 周囲の建物ごと怪物たちを飲み込み、地の底へと封じ込めていた。

 

 暁の走る速度がもう少しでも遅ければ、黎明を装着していなければ、彼も巻き込まれていただろう。

 走り続け、崩落の範囲から逃げ切ったと判断できたとき、暁は思わずへたり込んでいた。


 そして、そんな彼の前に現れる人影があった。

 

 「師匠……」

 

 「……無事だったみたいだね。よかった」

 

 そこに立っていたのは楓。

 だが、額から汗を流し、その顔を苦し気に歪めていた。

 

 「ちょっと、大丈夫なんですか……? それに、今のは一体……」

 

 「奥の手を使っただけ。……私の体調なら直に落ち着くよ」

 

 そして暁は気づいた。楓の衣服に、怪物のものではない、人間の赤い血がついていることに。

 

 「……師匠、そんな……」

 

 「……あの怪物は怪物を呼ぶ。

  だけど、最初の怪物を呼び出したのは池谷さん。

  彼女は世界に潜む怪物を『認識』し、具現化させることができてしまった。

  それだけでなく、『認識』することで怪物に力を与えてしまっていた」

 

 「だからって……」

 

 「そうしなければ、怪物から力を奪えず、奥の手を使っても倒しきれなかった。

  ……人が集まってくる。ここから離れよう。

  ……救急車は呼んである」

 

 その言葉を最後に、楓は背を向けて歩き去った。

 暁はしばらく立ち尽くしていたが、その後を追うことしかできなかった。

 

 

 *

 

 暁の自室。

 暁は拠点であるビルに戻ってからそこにこもりっきりで、ベッドの上で膝を抱えて顔を埋めていた

 

 その部屋の扉を柔らかくノックする音がした。

 暁は返事をしなかったが、ノックの主は構わずに部屋の中へと入ってきた。

 

 「教授……」

 

 そこに立っていたのは、食事ののったトレイを持った教授の姿だった。

 

 「少しは食べた方がいいね。健康に悪いよ」

 

 「そんな気分になれないんです……どれだけ被害が出たんですか」

 

 「……聞かない方がいい。潰れてしまうよ」

 

 「それだけの被害が出たってことですか……」

 

 「君のせいではない、君はもっと被害が出るのを食い止めたんだ」

 

 その言葉を聞いて、暁の自分の膝をつかむ手をいっそう握りしめた。

 

 「……俺が、最初から師匠の言うことに従っていたら、もっと犠牲は少なかったんでしょう?

  だけど、師匠のやったことが正しいとも思えないんです……」

 

 教授はトレイを置くと、その老いた細い体……経験を積んだ体で暁の横に座った。

 

 「楓君も、私たちも昔は君のように悩んでいた。何もかもを救えると思っていたんだ。

  それが間違っていたとは今でも思えない」

 

 ぽつり、ぽつりと教授は続けた。

 

 「だけどその結果、私たちはかけがえのない人を失ってしまった。

  周りにも大きな犠牲を出した。

  ……その犠牲を無駄にすることはできなかった。

  だから、私たちは悩むのをやめることにしたんだ。

  ……たとえ犠牲をゼロにできないとしても、少しでも犠牲を少なくする。

  そのために動くことにしたんだ」

 

 「……だけど、それって諦めているだけじゃないですか!」

 

 教授は、そっと暁を見た。暁はその視線に耐えられず、目をそらした。

 

 「すいません。でも……」

 

 「いいんだ。これは所詮、私たちの考えだ。

  ……暁君、君には君の戦いがある。私たちと同じ道を歩む必要はない。

  ……だけど、君も自らが歩む道を見つけてくれ。それが戦うものの義務だ」

 

 そう言うと、教授は腰を上げ、ドアの方へと向かった。

 

 「ああ、最後に一つ。

  ……楓君だって気にしてないわけじゃないんだ。

  だから君をフォローしきれないときもある。

  それをわかってやってくれ」

 

 ドアを閉める音が暁の耳に届いた。暁は、ベッドに座っていることしかできなかった。

 まだできなかった。

 

 

 *

 

 教授は暁の部屋を出ると、自室に向かって足を進めていた。

 そんな彼に、話しかける声があった。

 

 「よお、教授」

 

 「……青山君か。楓君はどうしたのかい?」

 

 「食事をやけ食いした後、練習場でサンドバッグ殴ってるよ。坊主と違って自分のメンタルの整え方を知っている」

 

 「彼は年若い。悩む権利というものがあるさ。……それで、何の話なんだね」

 

 「池谷のつけていた義眼についてだ……。実体化してない怪物、いや、あるいは世界の綻びか?

  そんなものを見る義眼だ。オンオフ機能がちゃんとあったら、凄いものになってたんじゃないのか」

 

 「そうだね。それに件の義眼は御堂仁が亡くなったことで十分なメンテナンスを受けていない。

  オンオフ機能は備わっていたけど、調整が働いていなかった可能性もあるね。

  ……深きものどもが手を出してなくてほっとしたよ」

 

 「そうだな。世界には、見ちゃいけないものもある。

  ……まあ俺はその分、聞かなくて聞かなくていいものが聞こえるようになっちまったんだが」

 

 目の傷をサングラスで隠し、光を失った青山は笑ってそう言った。

 

 「……だが、これでわかったことがある。

  もう一つの御堂仁の残した研究、人工心臓も間違いなくただごとじゃない。

  被験者はじきに海外から戻ってくる。

  楓は自力で立ち直るだろうが、坊主の方のケアを頼む」

 

 「ああ、わかっているよ。……それで、被験者の名前はなんと言ったかな」

 

 「雨霧翡翠。あの雨霧グループの令嬢だ」

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