第4話 地下鉄の襲撃

 「それじゃ、今日はこれでかいさーん。また明日学校でね」

 

 ある休日の日、七緒は学校の友人たちと遊びに来ていた。

 そしてその時間も終わり、新しい住居として用意されたマンションへと帰るところだった。

 

 七緒が学校を留守にしていたのはほんの数日間。

 理事長である翡翠が味方になっていることもあり、不在だった期間は体調不良ということで落ち着き、七緒は学校生活を取り戻していた。

 

 昼間は普通の女子高生として勉学に励み、夜はもらった魔道書の解読を進める日々。

 二足のわらじにつらさを感じるときもある。それに七緒は自分にはもう日常などいらないと思ってもいた。


 だが翡翠に言われたのだ。表の顔も大事にしなきゃ駄目です。社会的な肩書きがなくなると困りますよ、と。

 反論もしたが、それが雇い主の方針なら、結局は従うしかなかった。

 

 友達と遊ぶことにも抵抗があったが、翡翠のお誘いなら受けるしかなかった。

 だが、思えば翡翠も七緒のことを気づかっているのだろう。

 文句を言ってはみたものの友人と日常を過ごすことは、常に頭の隅にある怪異のことを忘れ、ずいぶんとリフレッシュをすることができた。

 

 そう思えば感謝の言葉も伝えたいものだが、翡翠は用事があると一足早くお迎えの車で帰ってしまっていた。

 表の理事長職か、裏のヒヒイロカネかはわからないが、彼女は彼女で大変なのだろう。

 

 「七緒ちゃん。帰り道は同じ地下鉄だよね。一緒に帰ろっか」

 

 「そやね。行こっか」

 

 七緒が今の生活に大きな不満があるとするなら、以前被っていた仮面を被り続けること……つまり、偽関西弁女子高生を続けなければいけないことだろうか。

 潜入期間中だけのつもりが、少なくとも卒業までやり続けなければならない。

 

 学校で友人と喋っていたところを暁に偶然見られたときには、指差して笑われたものだ。

 おのれ、と七緒は暁を呪った。

 

 「どうしたの七緒ちゃん? 考え事?」

 

 「ううん。なんでもない。気にせんといて」

 

 危ない危ない。呪いが表に出ていた、と七緒は自省し、意識を横の友人に戻した。

 宮内空。

 七緒の潜入時代からの付き合いで、翡翠を中心とした友人グループの一員だ。

 控えめで大人しい性格の彼女は、潜入時代の七緒からすれば比較的気を緩めやすく、グループの他の友人よりすごしやすい相手だった。

 

 「そういえば七緒ちゃん、兄弟っている?」

 

 「いないけど、空ちゃんはいるの?」

 

 「うん、年の離れた弟がね。

  十歳離れてて、もうすぐ誕生日なんだ」

 

 そのくらい年が離れていると内心複雑ではないかと思ったが、

 七緒は空の笑顔を見て、自分は心が汚れていると、邪推をやめた。

 

 「誕生日プレゼント考えてるんだけど、何がいいかなあ。

  七緒ちゃん、何かアイデアない?」

 

 「そうやね……手作りのお菓子とかどう?

  空ちゃん料理得意やろ」

 

 兄弟がいなかったので勝手がわからなかったが、同じ男の子ということで、ヒヒイロカネの打ち合わせのたびに茶菓子をむしゃむしゃと食べている暁を思い出してそう伝えた。

 いや、これは空の弟に失礼かと七緒は反省したが、空は気に入ったようだった。

 

 「そっかー、頑張ってケーキ作ってみるかなあ。

  お母さんに手伝ってもらわないといけないかもしれないけど」

 

 それからも様々な話題、誰と誰が好きだとか、来週のテストの話などの他愛のない話をしながら歩き続け、地下鉄へと乗り込んだ。

 

 休日の夕方ということもあり、それなりに混んだ電車の中、

 幸いにも二人は席を確保し座ることができた。

 電車が発車しても二人は雑談を続けていたが、不意に電車が急停車をした。

 何事かと乗客たちが騒ぐ中、車内放送があった。

 

 『列車の前方に不審物を発見したので停車します。

  ご迷惑をおかけしますがしばらくお待ちください』


 予定を狂わされ、迷惑そうな顔を隠さない乗客たちの中で、七緒は嫌な予感がしていた。

 心配のしすぎかもしれないとも思ったが、不安を捨てきれない。

 

 「大丈夫、七緒ちゃん?

  怖い顔してるけど、調子悪いの……?」

 

 「ううん、なんでもない」

 

 空の心配そうな顔に作り笑いを返しながら、七緒は所持品を確認した。

 そしてしばらくたった後、再度車内放送のアナウンスがあった。

 

 『ご迷惑をおかけしましぃた。問題が解決したので運行を再開しますぅ』

 

 その放送を聞くと、即座に七緒は立ち上がっていた。

 アナウンスの口調がおかしい。

 

 同時に車内の明かりが突然消え、列車のドアが全て開いた。

 不意の出来事に呆気に取られ、暗闇の中で混乱する乗客たちにドアから侵入してきた影が襲い掛かった。

 まともに抵抗もできず、悲鳴を上げることしかできない乗客たちが、

 列車の外、地下の闇へと引きずり出されていく。

 

 『みなさぁん、地下の旅をごゆっくり楽しまれてください。はは、ははははははぁ!』

 

 狂ったようなアナウンスが響く中、七緒は即座に印を結び呪文を唱え、暗視の魔術を発動させた。

 乗客を襲う影が、彼女の目にははっきりと見えた。

 一見人間のように見えたが、よく見れば顔は犬のようで、

 姿勢は前かがみであり、脚には蹄があった。

 その存在を七緒は知識として知っていた。

 

 「屍食鬼……!」

 

 屍を食らい、屍がなければ生きた人間を殺して屍を作る地下の怪物。

 土葬が主な国では墓場の死体を漁って食らうが、火葬が主な日本では人をさらって殺す怪物。

 

 その怪物に乗客たちが次々と運び出される中で、

 七緒は慎重に怪物の一体に狙いをつけ、呪文とともに上げた腕を振り下ろした。

 腕の振り下ろされた先にいた屍食鬼が血飛沫と悲鳴をあげて倒れる。

 風の刃、七緒が使える数少ない攻撃術の一つだった。人間が相手なら手足を飛ばすほどの威力がある。


 乗客を巻き込まないようにしながら、七緒は術を行使し続けた。

 

 魔術行使の際に口にする呪文には、大きく分けて二つの種類がある。


 一つは、強大な存在である邪神やその眷属に直接呼びかけ、力を貸し与えてもらう呪文。

 この方式の呪文は強大だが、代償も大きく、呼びかける対象の機嫌次第で何をもっていかれるかわからない。

 

 もう一つは、魔術師の意識を変性させ、別世界の法則にアクセスするための呪文。

 この方式で用いる呪文や印は、魔術師の認識を切り替えるためのスイッチにすぎず、直接の意味はない。

 変性した意識がこの世界と重なり合っている、本来認識不可能の別次元の法則を認識することで、

 詠唱者に認識された「それ」は詠唱者をバックドアとしてこの次元に干渉を行い、呪文効果として発現する。


 七緒が用いるのは、リスクの少ない後者の呪文であった。

 この形式の魔術行使にもリスクはあるとはいえ、堕ちることなく長期間戦い続けるためには

 そちらの方が向いていると判断したからだ。

 

 戦いの中、横から悲鳴が聞こえ、思わず七緒はそちらに気を取られた。空がさらわれようとしている。

 

 「七緒ちゃん! 七緒ちゃん! 助けて!」

 

 空を捕まえた怪物に腕を振り下ろそうとした七緒だったが、できない。

 この位置では、術が空を巻き込んでしまう。

 

 迷っていたわずかな隙をついて、七緒にも食屍鬼が迫っていた。

 突進からの体当たりが命中し、屍食鬼は七緒に馬乗りになって押し倒した。

 

 犬のような顔にいやらしい笑みを浮かべた屍食鬼だったが、一瞬後にはその顔がひきつっていた。

 押し倒したはずの七緒の姿がない。

 

 落ち着いて観察をすれば、七緒の体があった位置に、彼女のヘアピンだけが落ちていたことに気づいただろうが、

 そいつにはその時間はなかった。

 先ほどの位置からわずかに横に移動していた七緒によって、首を風の刃で断たれていたのだから。

 

 「……間に合わない!?」

 

 窮地を脱したが、屍食鬼たちはすでにほとんどの乗客をさらい、撤収を始めていた。

 わずかな迷いの後、七緒は開かれたままの列車のドアから車外へと飛び出した。

 地下はやつらの領域。だが、せめて空だけでも助けなければ。

 

 魔術で強化された視覚に、捕まえられながらも手足をばたつかせてもがく空の姿がまだ見える。

 追いかければ届く距離だ。

 しかし、七緒が駆け出したところを地下の闇の奥から現れた新たな屍食鬼たちが遮った。

 普通の屍食鬼なら七緒には対処可能だ。

 だが、そいつらが手に持っていたものは、七緒の予想外の物だった。

 

 「……!?」

 

 無数の発砲音。

 七緒はとっさに風の障壁を張り巡らせ、屍食鬼の持った自動小銃の弾を逸らしていた。

 

 屍食鬼は身体構造上、人間の道具を使えるが、好んで使うことは聞いたことがない。それも自動小銃なんてものは。

 

 混乱と、銃器への脅威が七緒の足を止めていた。

 術の欠点として、風の障壁は張ったまま移動することはできないし、

 銃火器相手にどこまで通用するかは試したことがなかった。

 

 動きを止めた七緒に満足したか、増援の屍食鬼たちは、空を捕まえた同族とともに撤退をした。

 七緒もこれ以上追うことはできない。

 悔しさに歯をかみ締めたが、一瞬後には屍食鬼が立ち去ったのとは逆方向へと走り出していた。

 

 地上へ脱出し、ヒヒイロカネの応援を呼んでくるために。

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