第3話 ようこそ

 ある私立高校の廊下。

 その理事長室の前で、七緒は緊張し、立ちつくしていた。

 

 深きものとの戦いもつい先日。

 ほんの一休みしただけで、すぐに暁は彼女がかつて潜入し、魔道書を盗み出した学校へと七緒を連れ戻していた。

 

 暁も同じ学校の生徒であり、同級生であったことに七緒は驚かされた。

 七緒が魔道書を盗むべく潜入してたころには、

 暁は任務で不在だったため、顔を合わせることはなかったという。

 

 「入らないのか?」

 

 「……うるさいわね。入るわよ」

 

 暁の催促。

 それに促され、七緒は扉をノックする。

 

 どうぞ、という透き通った返答を聞き、七緒は唾を飲んで扉を開けた。

 

 理事長室の中の様子は、仕事机と応接用のソファにテーブル。

 そして観葉植物に書類棚と、華美な装飾もなく実用的なものだった。

 

 そして部屋の主は、ソファに腰かけており、七緒の顔を見ると、花のように顔をほころばせた。

 

 「よかった。七緒さん、無事だったのね」

 

 「ああ、うん……どうも」

 

 雨霧翡翠。

 中学生のように見えるあどけない容姿。

 この私立学校の生徒でありながら同時に理事長もつとめており、

 大規模な企業グループである、雨霧グループの令嬢だ。

 

 七緒は魔道書を求めて生徒として学校に潜入し、翡翠を騙して魔道書を奪取した。

 最も、その後すぐに学校の手の者である暁が追跡してきたところから、最初から手のひらの上だった可能性も否定できなかった。

 

 盗みの負い目と相手の底がつかめないことから、

 どうしても七緒の返答は煮え切らないものになってしまう。


 そんな七緒を見た翡翠は、次に暁の方に目をやった。

 

 「暁さんもありがとう。七緒さんを守ってくれて」

 

 「ああ。翡翠の頼みだしな」

 

 暁は翡翠のことを雇用者と言っていたが、今、名前で呼び捨てにした。

 二人はどういう関係なのかと七緒が思案していると、翡翠もそれを察したか、くすくすと笑う。

 

 「私と暁さんの関係なら、婚約者です」

 

 「あ、そーいう……」

 

 納得しかけた七緒に、暁が慌てて否定する。

 

 「いや、違うから! こいつの持ちネタってだけだから!

  誰にでも言うのやめろよ!」

 

 その様子を見てまたくすくすと笑う翡翠。

 かつての彼女の無邪気で悪戯好きだったところは素だったのだなと七緒は思った。

 

 「まあお二人とも、立ったままではなくて、座ってください」

 

 その言葉を受けて、七緒は翡翠の向かいに、暁は翡翠の隣に腰を下ろした。

 上司と部下というには距離が近いと七緒は感じた。

 

 「それで、実際どういう関係なの?」

 

 「私にとって、暁さんは命の恩人ですね。つまりは運命の人です」


 「翡翠がああいう事件に巻き込まれてたとき、俺が助けただけだよ。それから色々あって部下やってる」

 

 「へえ。暁が部下ってことは、翡翠はやつらへの対抗組織か何か作ってたの?

  私にはそんなこと一言も……」

 

 「だって、七緒さんだって私に本当のことを言ってくれなかったじゃない」

 

 「うっ……」

 

 思わず口ごもる七緒に、翡翠は胸の前で手を組んで迫った。

 

 「それに、その口調はどうしたの? いつもの七緒さんに戻って」

 

 「その話題はやめて! というか、わかってて言ってるでしょ!?」

 

 「何、どういう話?」

 

 面白そうな顔をして、暁が口を突っ込んできた。

 

 「……魔道書のために学校に潜入するとき、転校生として入ったんだけど、

  カモフラージュのため、使ってたのよ、ほら……関西弁を」

 

 「七緒さんったら、『私、来須七緒です、よろしゅう』とか、

  アクセントとか何から何まで色々間違ってたからよく覚えているわ」

 

 「…………」

 

 何とも言えない暁の視線に、七緒は思わず叫んだ。

 

 「馬鹿を見るような目で見ないで!

  違うのよ、組織のみんなが捏造した身分が関西出身だったからつい!」

 

 「いや、普通に標準語でいいじゃねーか」

 

 「だって、身元の偽装がばれたらいけないと思って……ばれないように練習もしたのに」

 

 「…………」

 

 「だから馬鹿を見るような目で見ないでよ!」

 

 「まあ、それはともかく、その口調が七緒さんの素ということで。話を戻しましょうか」

 

 そう言って翡翠は紅茶を口に運んだ。

 七緒も気持ちを落ち着けるために口に運ぶ。高級な茶葉なのだろう。香りがよく、穏やかな気持ちにさせられる。

 七緒は現実逃避をしつつ気分を落ち着けた。

 

 「七緒さんの偽装は、すぐにわかりました」

 

 「……ですよねー」

 

 「まあ七緒さんの所属していた組織は、強い社会基盤のない団体だったので、

  一度疑ってしまえば調査で見抜くのは簡単だったというのもあります」

 

 「……ごめん。私の関西弁って、調査されるほど不自然だった?」

 

 「いえいえ。単にああいったやつらと戦っていると、用心深くなるというだけですよ。」

 

 「まあ、そうよね」

 

 「でもあの関西弁、可愛かったです」

 

 「それはもういいから!」

 

 じゃれあう二人の様子を見て、暁は思わず噴き出した。

 

 「仲がいいなー」

 

 「茶化すな!」

 

 「でも実際、七緒さんが思惑があって近づいてきたのはわかっていても、

  あなたとともに過ごすのは楽しかったですよ。

  ……七緒さんもそうだったら嬉しいんだけど」

 

 「…………」

 

 七緒は黙るしかできなかった。自分にはそれに答える資格はないと思ったからだ。

 

 「七緒さんはいじると可愛かったし」

 

 「いや、そうやって揺さぶるのやめてってば……」

 

 「あらあら」

 

 本心でしたのに。そうつぶやくと翡翠はまなざしを真剣なものにした。

 

 「七緒さんの目的が、書庫に納められた魔道書だというのは、私への探りからわかりました。

  先祖が古書として収集していたものですが、正直私たちとしてはもてあましていたのです。

  魔道書を使いこなすことができ、かつ信頼できる素質と知識の持ち主がいなかったので」

 

 「俺も魔道書使えないしな。呪文使おうとすると頭痛くなって駄目なんだ」

 

 魔道書。正確にはそれに記録された呪文を使えるかには生まれつきの適正があり、

 使いこなせる人間は数が限られる。

 七緒の所属していた組織には適正者が多くいたが、

 逆に言えば個人の力だけで戦っていた組織でもあった。

 

 「調査の結果、七緒さんの組織が善意で動いている組織であり、魔道書を扱う力を持っていることもわかりました。

  ……でしたら、お友達ですし、渡しちゃってもいいかなー、って」

 

 その言葉に、七緒は思わず憤慨して立ち上がった。

 

 「軽すぎるわよ! 魔道書をなんだと思ってるの。

  やつらに対抗するための、貴重な人類の遺産なのよ」!

 

 「だからこそです。

  貴重な力だからこそ、正しく使える人に持っていて欲しかった」

 

 翡翠も立ち上がり、七緒の瞳を真っ直ぐに見つめる。

 

 「私たちが何かを答えましょう。

  この世界には密かに、そして裏では堂々と、人類を脅かす存在がいる。

  異星からの侵略者。過去からの怪物。邪神とそれに仕える異形。

  私たちは、人類の安息を守るため、闇を打ち倒す組織です。

  七緒さんの組織もそうでしたよね」

 

 強い力のこもった瞳。

 無邪気な姿も本物なのだろうが、この姿もまた彼女の本当の姿なのだろう。

 そして、翡翠は言葉を続けた。

 

 「なお戦闘要員は暁さん一名」

 

 「え」

 

 七緒は一瞬沈黙した後、じろりと視線を暁に向ける。

 

 「いや、バックアップはいるんだけど、あいつらと直接殴りあいして生き残れるのが俺くらいしかいなくって……。

  そういう意味でも、今までいなかった魔術要員としてお前が入ってくれると嬉しいって……」

 

 「騙された……もっと大きな組織だと思っていたのに……」

 

 「大丈夫です。私の実家にはお金とコネがあります。

  そして私は実家で顔が効きます。

  金とコネこそ人類の力。組織の行動力自体は大きいです」

 

 肩を落とす七緒に対して、再びソファに腰を下ろし、お茶を飲みながら得意げな顔をする翡翠。

 

 翡翠の実家である雨霧グループは、

 日本人ならほとんどの人が名前を知っている大グループだ。

 翡翠が使えるのは実家の力の一部だろうが、

 七緒の偽装を見破ったことから、実際に彼女が動かせる組織の力……少なくともその諜報力は大きいのだろう。

 

 「それならもうちょっと聞かせてもらうけど、あのパワードスーツってなんなの?

  軍用でパワードスーツが開発されてるとかされてないとかって話は聞くけど、

  少なくともあんな漫画みたいなものじゃないはずよ。色んな意味で」

 

 あの圧倒的な力と、トランク一つに納まる格納力、一瞬での装着速度。

 それは常識的に考えてありえないものだった。

 

 「あのスーツは、俺のおじいちゃんが開発したんだ。

  ……おじいちゃんの名前は御堂仁。聞いたことないか」

 

 頭をひねる七緒。どこかで聞いたような……しばらく考えて思い至った。

 

 「ひょっとして、人工心臓とか開発した医療系の博士?

  一人で医療技術を半世紀は進めたっていう。

  技術も広く開示して、世界に開発した技術を安価に広めたって……」

 

 「ああ、その博士だ。俺の自慢のおじいちゃんだ。

  おじいちゃんの開発した技術の中に、医療用パワードスーツがある。

  障害のある人やお年寄りが自由に動けるようになる。そんな技術だ」

 

 「待って。医療用パワードスーツからあのスーツには、凄く技術的な飛躍があるんじゃ……」

 

 「そうだろうな。でももうわからない……。

  おじいちゃんは黎明……あのスーツを狙ってきた連中にに殺されてしまったから」

 

 七緒は息を飲む。

 暁の表情は変わらない。だが、その声には抑えきれない暗い感情があった。

 

 「俺はおじいちゃんからあのスーツを託されただけだ。

  黎明が何かは俺だってわからない。でもおじいちゃんに言われたんだ、黎明を人のために使ってくれって……。

  それに、俺はおじいちゃんを殺したやつらが憎い。だから戦っている」

 

 暁は息をつくと、話が脱線してしまったなと言った。

 彼に代わって、翡翠が話の後を引き継いだ。

 

 「黎明についてはこちらでも調べましたが、正直高度すぎて全くわかりません。

  ……軍事の専門家にでも依頼すればわかるのかもしれませんが、

  下手に技術を利用されて、あのスーツが量産されることを考えると、それもできなくて」

 

 「そうね。トランク一つ持って歩くだけでどこでも装着してテロができるようになっちゃうものね」

 

 「おじいちゃんの技術をそんなことに使わせるわけにはいかない」

 

 こっちの話はそういうところだ。そう暁はしめくくった。

 

 「で、お前はどうするんだ?

  昨日言ったように、俺たちの仲間になる意思はまだあるか?」

 

 「……確認しておきたいんだけど、私に選択肢はあるの?

  私には色々とあなたたちに負い目や借りがあるんだけど」

 

 「ええ。あります

  やつらとの戦いは心をすり減らす。納得していなければ戦い続けることはできません」

 

 それなら、と七緒が口にする前に翡翠はにっこりと笑った。

 

 「それに、私は七緒さんと友人として一緒に戦いたい。

  それでは不足ですか?」

 

 「……ずるい。そんなの断りようがないじゃない。

  一番大きな負い目責めないでよ」

 

 口をとがらせる七緒に、あらあらと笑う翡翠。

 そんな二人を見て、暁も笑っていた。

 

 そういえば、私たちの組織の名前を言ってませんでしたねと翡翠は言った。

 

 「ようこそ、ヒヒイロカネへ。あなたを歓迎します」

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