第2話 鋼鉄の鎧

 赤。赤黒い血で彩られた拠点。

 無惨に事切れている仲間たち。苦楽を共にし、親しい仲だった彼らも、もはや見る影もない姿となっていた。

 そしてやつらによって切り落され晒された、彼女の父の……。

 

 「お父さん!」

 

 自らの叫びとともに目を覚ました。

 そこは慣れ親しんだ自宅の寝室でもなく、仮の宿とした潜入先の部屋でもない。

 どこか見知らぬホテルのベッドの上だった。

 

 「……嫌な夢」

 

 七緒は呆然と言葉をこぼした。

 両親も仲間たちももういない。

 後に残されたのは彼女一人だった。

 

 「……あー、すまねえ。寝起きで悪いが、ちょっといいか」

 

 声に気づいて、七緒は部屋の隅に慌てて目をやった。

 そこで椅子に腰かけていたのは、どこかやさぐれた印象を受ける黒い服を着た男だった。

 年のころは、七緒と同年代か少し上くらいだろうか。

 

 「……誰?」

 

 とっさに七緒はベッドからはね起きると、呪文のための印を結んだ。

 その姿を見て、男は肩を落として言った。

 

 「誰って、お前を助けたやつですよー。装着前に姿も見せただろ」


 「……ごめん。バイクのライトでよく見えてなくって。

  それより、あんた何者なの? あの鎧は何……?」

 

 「質問はお互い一つずつだ。まず俺は御堂暁。あんたは来栖七緒で合ってるよな」

 

 「合ってるけど……偶然私を助けてくれたってわけじゃないみたいね」

 

 肩をすくめて男……暁は答えた。

 

 「そりゃあな。俺は、雇い主の依頼であんたを助けにきた。

  七緒さん、雇い主の学校から何か持ち出しただろ? 心当たりあるよな。

  ……というか気を失ってる間に荷物を改めさせてもらった」

 

 七緒は顔をしかめる。

 つい先日まで行っていた潜入任務。

 それはある富豪が運営する高校の書庫に眠る魔道書を奪い、密かに持ち帰ること。

 七緒は富豪の孫である理事長に接触し、彼女を利用して魔道書を奪取していた。

 学校側が魔道書に無関心のようだったから、気づくにしてももう少し先になると思っていたが、即座に追っ手を放ってくるとは思わなかった、

 

 「……そう。それなら雇い主っていうのは学校の理事長?

  盗んだことは悪いと思ってる。だけどあの本は、世界を救う為に必要だったのよ。そう、私たちが……」

 

 だけど、彼女が志を共にした仲間たちはもういない。

 

 「まー、その辺は理事長に直接話してくれ。

  俺が頼まれているのはあんたを無事連れ帰ることだ。

  あんたが危ないことになってるって聞いて、あいつ……理事長は随分心配してたぜ」

 

 思わず耳を疑う。

 七緒は盗人だ。保護する理由なんてない。

 まさか自分で裏切り者に手を下したいとでも?

 困惑する七緒に、暁は言葉を続けた。

 

 「そう悪いことにはならないと思うぞ。

  あんた、理事長と友達付き合いしてたんだろ?」

 

 「そうよ。

  そして私はそのことを利用して魔道書を盗んだ裏切りものよ。

  そこまで都合よく考えられないわ」

 

 理事長の無邪気な笑顔が思い出される。

 私は正しいことをした。後悔はない。だけど……。

 一瞬物思いにふけっていた七緒だったが、その思考は暁の言葉によって遮られた。

 

 「そのあたりは本人と直接話してくれ。

  俺がどうこう言える問題でもない。

  ……それに、俺個人の考えだが、使い手がいない魔道書に価値はない。

  正しく使ってくれる相手が持ってた方がいいと思うからな」

 

 「……呆れた。あなた、依頼人の味方をするつもりはないの?」

 

 「その方がバケモノを殺すのに効率がいいだろう。……やつらは俺のおじいちゃんを殺したんだ」

 

 表情は変わらない。だが明らかに空気は緊迫感を増した。

 バケモノ。やつら。神話生物。

 様々な名前で呼ばれるそれらは、どれも正しく、同時に正しくないのだろう。

 

 ただ人の世の裏には、いや人の世に混じって、やつらは存在している。

 そして積極的に、あるいは存在するだけで世界を滅ぼそうとしているのだ。

 

 真実を明らかにすることは、人類に身内への疑心暗鬼を引き起こし、自滅への道へと繋がる。

 だから真実を知ってしまったものたちが戦わなければいけないのだ。たとえどれだけの犠牲を出しても。

 それが七緒の学んできた教えだった。

 

 「そう……それじゃあ、これから私を学校まで送り返すってわけ?」

 

 「いや、その前にやることがある」

 

 暁は、ポケットから携帯電話を取り出して画面を七緒に見せた。

 この街の地図の画像で、ある場所をマーキングしていた。

 

 「やつらの車に逃げる隙をついてGPSをつけておいた。

  画面の位置でさっきから車が止まってる。

  おそらくは本拠地だ。

  悪臭は根から断たなきゃいけない。やつらの本拠地に殴りこむ」

 

 そして暁は七緒に向かって手を差し出してきた。それ以上、言葉はなかった。

 

 「なるほどね。……やられっぱなしじゃいられないわ」

 

 迷うことなく、七緒は暁の手を取った。

 

 

 *

 

 暁に連れられて行った場所は、街中のビジネスビルだった。

 時刻は深夜だというのに、煌々と明かりがついている。

 ……やつらがいるのだろう。

 

 「事前に情報を聞いておきたい。やつらについて何か知っていることはあるか?

  軽く調べただけだが、元々あんたたちと抗争してたって話は聞いてないんだが」

 

 「そうね、抗争ってレベルじゃない。

  ただ、街に見慣れない、怪しい集団が現れた。

  夜中にフードを被った連中が出歩いてるって話を聞いて、警戒はしていたの」

 

 だから、七緒たちも対抗して魔道書を求めたのだ。

 残念なことに、間に合わなかったが。

 

 「でも、深きものよね。

  正直こっちの方が知りたいくらいよ。

  見たのはさっきが初めてだけど、要は魚人間よね?

  この街、近くに海があるわけでも、大きな河川があるわけでもないんだけど……」

 

 「そうだな。深きもの。ディープワン。深海の邪神を崇める魚人たち。

  現世利益を約束することから人間への浸透力は高いんだが……

  確かに沿岸からじゃなく、内陸部にいきなり現れるのは気にかかる……」

 

 顎をつまんで暁はうなっていたが、すぐに気持ちを切り替えたようだった。

 

 「やめだ。今は行動が先だ。

  看板を見る限り、このビルに入っている企業は一社だけ。

  深きもののダミー企業だろう。このビルの中は残らず敵だ。逃さずに殲滅する。

  先手は任せる。いけるな?」

 

 「……ええ。任せて。私にだって、戦う力はある」

 

 七緒はここまでの道中で説明した自分の切り札を行使するべく、印を結ぶと精神を集中し、呪文を唱え始めた。

 

 

 *

 

 ビルの中は地獄絵図だった。

 魚人たちや、魚人への変異の兆候を見せた人間たちが、顔を覆ってでたらめに手足を振り回している。

 

 ネズミだ。無数のネズミ。

 皮肉にも海のようなネズミの群れが、彼らの全身に群がり、食らいついているのだ。

 強靭な鱗を持つ深きものでも、目やエラに食らいつかれればたまったものではない。

 

 混乱する中、パワードスーツをまとった暁が確実に一体ずつ始末していく。

 それは一方的な虐殺だった。

 

 「……いい手際ね」

 

 淡々と七緒が呟くと、作業……そう、戦いではなく作業を終わらせた暁が応えた。

 

 「こういうのは一方的に迅速に終わらせるべきなんだよ。

  それに、お前の術も凄いじゃないか。群れの召喚と使役か。

  どうして最初逃げてるときに使わなかったんだ?

  お前の仲間たちだってこの術を使えたんじゃないか?」

 

 「……術の行使から実際に群れが集まるまでタイムラグがあるのよ。

  奇襲をかけられたらそれまで。……これで終わり?」

 

 「そうだな。あとは処理業者を呼んで……臭うな」

 

 頭を上げる暁。だが漂う血臭ですでに七緒の鼻は麻痺していた。

 

 「どうしたの? そもそも、よくわかるわね」

 

 「嗅覚センサーもスーツについてるんだよ。……潮の臭いだ」

 

 「深きもののものじゃないの?」

 

 「いや、それにしては強すぎる、これはひょっとすると……こっちだ」

 

 臭いを頼りに二人が進んでいったのは、一階の隅の部屋。

 物置のようなところだったが、暁が鉄の拳で突き当たりの壁を打ち破ると、中から濃厚な潮の臭いが押し寄せてきた。

 

 「当たりだ。地下への階段だ」

 

 「地下から海へ繋がってるの? そんなの聞いたことも……」

 

 「『どう繋がってる』かが問題だな。……行くぞ」

 

 階段を降り、地下を進む。

 魚人どもの姿はない。どこまでも一本道だった。

 そして進む内に七緒たちの意識は遠くなっていく。

 周囲はビルの廊下からだんだんぼんやりと形をなくしていき、そして……。

 

 「あ……」

 

 潮の鳴る音を聞いて意識を取り戻す。

 辺りはいつのまにかビルから広大な洞窟のようになっていた。

 七緒たちのいるあたりでも横幅は百メートル以上、高さも十メートル以上はあるだろう。

 奥に進むほど広くなっており、七緒たちが立っているところは岩肌だが、奥は海へと繋がっている。

 どこまで先があるかはまるで見えない。

 

 「……これは、『門』!? ビルからどこか別の空間と繋がっていた?」

 

 「なるほど、これを使って海から街中に戦力を送り込んでいたわけか。

  『門』を閉じなきゃいくらでもやつらが押し寄せてくるぞ。

  ……こんなことなら爆薬を持ってくるべきだった……!」

 

 「慌てないで。術の基点がどこにあるかわかれば、私が……」

 

 「対処できるのか?」

 

 「多分……」

 

 そのとき、海の水が激しく波打った。何かが海中をこちらに進んできている。巨大な何かが。

 

 「多分か……時間は俺が稼ぐ。急げ!」

 

 一瞬反論しようとした七緒だったが、頷き、元きたビルにつながる方へと走り出す。

 暁は七緒には目もくれず、水面から目をそらさなかった。

 

 海面が泡立ち、海中に潜んでいたものが姿を現した。

 見上げるような巨大な魚人。

 腰まで海につかっており、水面にあらわになっている部分だけでも体長は建物の三階よりも大きいだろう。

 

 「老成した深きものか……」

 

 深きものは、成長するほど際限なく巨大化していく。

 だが同時に海中環境に特化していき、陸での動きは鈍いはずだった。

 

 そして暁のスーツには強力な遠距離武器もなく、飛行もできない。

 水中でも短時間なら活動可能だが、陸上より大きく動きは鈍る。

 普通に考えれば、陸までおびき寄せるしかない。

 

 だがそれはできない。

 陸までおびき寄せれば、七緒を追っていくかもしれない。

 サイズに差がありすぎ、突破に専念されれば暁でも止め切れないだろう。

 

 ビルの中にはあの巨体はおさまらないだろうが、

 そうなればビルくらい壊して地上に怪獣のように現れることになる。

 

 ぎりぎりを見極め、戦うしかない。暁は、まるで自分がネズミになったかのようだと苦笑した。

 

 「へっ、ムシケラの戦いってやつを見せてやるぜ」

 

 暁は海と陸の境界に立ち、巨大な魚人を待ち構える。

 魚人はゆっくりと歩みを進め、暁が間合いに入ると、無造作に上から腕を振り下ろした。

  

 その腕を、暁は垂直に数メートルを跳躍し、回避した。

 だが即座にもう片方の腕が迫る。

 空中では動きが取れない、そのはずだった。

 

 しかし暁はその腕を空中で回避し、高速で魚人との間合いを詰めていた。

 スーツの左手首からワイヤーを射出し、

 魚人の首に巻きつけ、素早く巻き上げることで空中移動を可能としたのだ。

 

 首に取り付いたところでワイヤーから高圧電流を放出。

 魚人の咆哮が洞窟を震わせる。苦痛に悶えながらも、敵を叩き潰さんと魚人の腕が迫る。

 

 だが元々これで倒せると暁は思っていない。

 ワイヤーを切り離して跳躍し、離脱。魚

 人はそのまま首を自分の腕で強く打ち据える。

 

 敵が自爆してよろめいた隙に今度は右手首からワイヤーを射出。

 頭部へ巻きつけ、取り付く。

 そして眼部への貫手。魚人がまぶたのない瞳から血を噴き出してもだえる。

 

 「よし、もう片目もだ!」

 

 だが敵は魚人。

 両の瞳が左右に離れている上に、根本的にサイズが巨大すぎる。

 

 残った眼を潰す前に、両の腕が暁の取り付いた頭部に迫る。

 そこで暁は命中前にワイヤーを切り離し、頭部を蹴って陸上まで離脱。

 敵は痛みから、でたらめに暴れまわっているが、暁のワイヤーも残っていない。

 

 下手に冷静に動き回られるより、巨体にまかせて単純に暴れられた方が危険は大きい。

 だが、だからこそ暁としてはこいつを地上に出すわけにはいかない。

 

 「こうなったら、徹底的にやってやる……!」

 

 

 *

 

 七緒は洞窟の通路を駆け戻った。

 『門』をくぐろうとすると、また頭がぼんやりとして、気がつくとビルの地下通路に立っていた。

 

 ビルと洞窟を結ぶ『門』の基点。

 それはこの近くにあるはず。壁や床に印でも刻まれていないか注意して探す。

 だがそんなものは目に入らない。こんなところにあれば最初から七緒たちも気づいているはずだ。

 

 時間がない。相手が相手だ。暁も長くはもたないだろう。七緒は自らを急かすが、気ばかりが急ぎ、頭が働かない。

 そんなとき、父がかつて言った言葉が七緒の脳裏によみがえった。

 

 『七緒、真実というのは常に隠されているんだよ』

 

 顔を上げ、ビルの中を走って戻る。

 場所は一階、地下への入り口がある物置部屋。

 

 地下に降りるときはここに何があるかなど七緒たちは気にしていなかった。

 室内のロッカーやダンボールを開け、中身を放り出し、焦りながら乱雑に荷物を改める。

 

 「急げ、時間がない、時間が……あった……!」

 

 それは珊瑚で作られた、蛸のようなイカのような像。

 両手で抱えられるほどの大きさで、注視すれば、陽炎のように周囲の空間が揺らいでいるのがわかる。

 これさえ壊せば……だが、まだ駄目だ。ここで壊せば、暁が戻れない。七緒はそう思うと、息を切らせて再び走り出した。

 

 

 *

 

 時間にすればそう長くはなかったのだろう。

 だが、無秩序に暴れ続ける巨体の相手をするのはひたすらに体力と神経をすり減らす。

 

 幾度目かの腕の振り下ろしを回避すべく暁は横に跳躍。

 だがわずかに目測を誤り、かぎ爪の先端がスーツを切り裂く。

 暁は大きく吹き飛ばされた。

 岩場に叩きつけられるも、かぎ爪の追撃を転がるようにしてかろうじて回避。

 

 スーツの中で暁は荒い息をついた。

 もう長くはもたない。

 そのときだった。

 

 「暁! 準備ができた、戻って!」

 

 その言葉に振り向き、暁はわき目も振らずに走り出した。

 

 魚人はうなり声を上げ、追撃してきたが、どれだけ大きくても陸上で単純な速度なら暁の方が速い。

 洞窟の入り口で待っていた七緒と合流し、『門』をくぐりビルの中へと駆け戻る。

 

 「あいつもすぐ追ってくるぞ!」

 

 「わかってる、これを壊して!」

 

 七緒が差し出した像を即座に叩き割る。

 途端、周辺の空気が変わった。

 

 弾けるような音と魚人の怨嗟の声。

 

 一瞬二人の意識が飛ぶ。

 

 気がつくと、ビルから洞窟へとつながっていた通路はなく、突き当りには無機質なビルの壁だけがあった。

 

 「……終わったのよね」

 

 「いいや」

 

 まだ何かいるというのかと、七緒は顔をはね上げた。

 

 「あいつらはどこにだっている。俺たちの戦いに終わりなんてないんだ」

 

 「驚かさないでよ。……そうね。その通りだわ」

 

 やつらによって殺された父や仲間たち。

 だが、七緒はまだ生きている。

 そして人類を脅かす敵も。

 私が戦い続ける限り、みんなの志は無駄にはならない。彼女はそう思った。

 

 「……暁、あなた仲間がいるんでしょ。

  私も一人で戦い続けられるとは思えない。仲間に入れてくれないかな」

 

 「おう、歓迎するぜ。個人的にはな。

  ……まあ、まずは理事長と話し合ってくれ」

 

 そうね。それがあったわ……。魔道書を盗んだことをどう言い訳しようか……」

 

 だが、七緒にはひとまずそれを考えるよりも優先したいことがあった。

 

 「今はまず、シャワーを浴びて一眠りしたいわね」

 

 「俺は何か食べたいよ……腹ぺこだ」

 

 「何よそれ、あんな戦いの後でよく食べられるわね」

 

 「お前とは場数が違うんだよ」

 

 くだらない言い争い。これから数えられないほど繰り返されるそれをしながら、七緒は一筋だけ涙をこぼした。

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