黒き鋼鉄の夜明け

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第一部 黎明編

第1話 装着

 走る。走る。

 息を切らせ、胸が苦しくなろうとも走り続ける。

 なぜなら、そうしなければ死に追いつかれる。

 

 来栖七緒は、まだ幼さを残したその顔を引きつらせながら

 夜の街を走り、逃亡していた。

 

 任務は成功したはずだった。

 闇と戦うためには無知ではいられない。

 世界の真実をより深く知るための魔道書の奪取。

 それは彼女や仲間たちの力を引き上げ、世界を守る力になるはずだった。

 

 魔導書の奪取には成功し、潜入先から彼女は拠点へと戻った。

 だがよもや、彼女が留守にしている間に、拠点に敵対勢力の襲撃があったなんて思いもしなかった。

 襲撃は、彼女が戻るほんの少し前にあったのだろう。

 切り裂かれ、変わり果てた姿をさらす仲間たちの体はまだ暖かく、

 そして、襲撃者たちもまだ拠点に残っていたのだから。

 

 恐怖を押し殺しながら、七緒は自分に言い聞かせる。

 大丈夫だ、逃げ切れる。

 『やつら』は陸上での活動が得意ではない。

 逃げ切って、そして魔道書を解読して力を得て、仲間の仇を取る。

 

 そんな言葉で自らを鼓舞しようとしながらも不安が離れなかった。

 今が夜とはいえ、街中にしては静かすぎないか。

 さっきから通行人の一人にも出会わない。

 家族の談笑が付近の家から漏れ聞こえてきてもおかしくないのに、

 まるで世界から切り離されたような……。

 

 そのとき、七緒の目の前に車が止まった。

 外から車内が見えないように目隠しがされた大きな車。

 その後部座席からのっそりと、顔をフードで隠した巨体が窮屈そうに、『人間の衣服』をぎこちなく着込んで出てきた。


 ああ、そうか、まだ変異が進んでいないものなら運転手もこなせる。

 いや、そんなことを考えている場合ではない、一体、運転手も含めて二体くらいならなんとかなる。

 七緒がそう判断し、呪文を唱えようとしたとき、

 自動車の後部座席、そして助手席から、さらに三体の『やつら』が出てきた。

 大きな体を狭い車内に無理やり詰め込んでいたのだ。合計で四体にもなる。

 

 いくらなんでも勝ち目がない。引き返して、逃げないと……。

 七緒が気おされ、立ちつくしていた時間はわずかだったが、『やつら』にとっては十分だった。

 飛び跳ねるように距離を詰められ、強い力で腕をつかまれる。

 細腕がまるで握りつぶされそうになる。

 

 「このっ……!」

 

 つかまれていない方の手で、懐に隠し持っていたナイフで相手の顔を切り裂く。

 いや切り裂こうとした。

 だが刃は弾かれ、切り裂いたのは被っていたフードだけ。

 それは、鱗に覆われた顔を露わにした。

 

 「深きもの……!」

 

 両目が左右に離れ、鱗に覆われた、人と魚の混ざりあった顔。

 七緒を捕まえたものは、磯臭い息を吹きかけ、鮫のような歯をむき出しにして嘲笑った。

 人間離れしたその力。少女一人が引き裂かれるにはわずかな時間も必要としないだろう。

 だがそのとき、二人を照らす激しい光があった。

 

 「そこまでだ、バケモノども……!」

 

 バイクのヘッドライト。逆光で搭乗者の姿は見えない。

 だが、彼はおぞましき怪物とその犠牲者を見て、確かに言い放った。

 

 「……装着!」

 

 バイクの後ろに取り付けられたトランクが開く。

 中から何かが飛び出してきて、男の体に覆いかぶさる……いや、男はそれを装着したのだ。

 

 一瞬の後、そこに立っていたのは鋼鉄の鎧。

 頭部は目も口も露わになっておらず、バイザー状の眼部からも光がうかがえない。

 それは各所に装甲を取り付けながらも丸みを帯びた、漆黒のパワードスーツだった。

 

 一瞬の沈黙。七緒も、深きものすらも思考が停止した。

 これは現実だ。断じて特撮なんかではない。

 

 だが、その思考停止こそが高らかな名乗りを上げた目的だったのだろう。

 鎧は隙をついて一瞬で動きをつめると、

 七緒の腕をつかんでいた深きものに前蹴りを入れた。

 

 まるでサッカーボールのように深きものの巨体が飛んで行き、民家の外壁に激突。

 胸を陥没させ、血反吐を撒き散らした。

 

 もちろん直接に攻撃を受けたわけではないにせよ、

 つかんでいた相手がそんな攻撃を受けて七緒もただですむわけではない。

 ごろごろと転がって地面に突っ伏すが、痛みをこらえながら慌てて顔を上げる。

 

 そして彼女は見た。

 蹴りの後の隙を突いて、残り三体の深きものが一斉に鉤爪で斬りかかっていた。

 

 だが弾かれたのは鉤爪の方だった。

 鎧には傷一つつかず、攻撃を受けた側だというのに深く腰を落とし、後退すらしていない。

 

 相手がひるんだところに鎧は跳躍し、回し蹴りを放つ。

 深きものどもは子どものように逆に吹き飛ばされた。


 敵が分散した隙に鎧は突撃し、一体ずつ確実に始末していく。

 拳で頭部が陥没した。

 手刀で喉笛が切り裂かれた。

 跳躍しての腹への踏みつけが内蔵を粉砕し、血反吐を吐き出させた。

 

 バケモノも何もあったものではない。

 もはや敵勢力は壊滅した。

 怪異に対して、科学の力が蹂躙をしていた。

 

 車のエンジン音。

 深きものどもを運んできた車が、もはやこれまでと撤退をしたのだろう。

 怪物は去った。

 だが、七緒には気を抜くことは許されなかった。もっと恐ろしい怪物が目の前にいるのだから。

 

 「……あなたは敵? それとも……」

 

 血の気を失いながら、七緒は震える声で口にした。

 回答次第ではこのぞっとする相手と戦わなければいけない。

 だが、鎧はゆっくりと首を横に振った。

 

 「俺は味方だ。……俺は、バケモノどもを決して許さない」

 

 その言葉に緊張の糸が切れた。

 意識を手放す七緒が最後に見たのは、自分に向かって駆け寄る鎧の姿だった。

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