第8話 夜に潜む影

 「こんな夜中に何のいたずらよ! 帰って!」

 

 時間は20時を回ったころ。

 住宅街の一角にある一軒家に、今回の事件の犠牲者の遺族である雪白鈴、父である裕と妹である晶子を殺された女性を尋ねた七緒を待っていたのは、そんな拒絶の言葉だった。

 

 「夜分遅く訪問したことは申し訳ありません。

  ですが、一刻も猶予もないと判断し、急いだ結果です。

  ……ご家族のお気持ちは痛いほどわかります。

  ですが、私たちはこんな事件の専門家なのです。

  話を聞かせてもらえませんか……見たのでしょう? 何かを」

 

 警戒心もあらわに、玄関のドアをチェーンをかけた上で細く開け、隙間から顔を覗かせる鈴に対して、七緒は静かに話を続けた。

 

 七緒の外見はいつもの学生姿とは違った。

 化粧をし、服装を変えることで二十代前半の雰囲気を作り出していた。

 いつもの姿では専門家という主張に説得力があまりにもないためだ。

 

 「……何を知っているの」

 

 「それを話すには玄関先では無用心すぎると思います。

  ……家の中に入れていただけませんか。

  あなたの身にも危険が迫っているのです」

 

 雪白鈴。

 今年大学を卒業し、事務職に就職したばかりの女性だったが、

 父と妹の事件があってから、仕事をやめて家に閉じこもっている。

 今も服装にはしわが目立ち、髪も整えられていない。

 

 生活必需品の購入のために時折外出することはあるが、

 近所の人間にもろくにあいさつもせず、常に警戒した目を周囲に向けていた。

 

 そして退職前には、会社の同僚に家族の死は自殺なんかじゃない。私は見たんだと喋っていた。

 そこまでヒヒイロカネの調査員は調べをつけていた。

 

 そこで七緒は単身鈴と交渉する手段に出た。

 一対一。それも女性の方が心理的ハードルは軽くなるだろうと考えたからだ。

 

 「……わかったわ。入って」

 

 ゆっくりとチェーンが解錠され、玄関のドアが人一人入れるほど開かれた。

 七緒がその隙間をくぐると、不意に鈴が七緒の腕を取り、強引に中にひきずりこんだ。

 

 「何を……!? ゲホッ、ガホッ!?」

 

 返答の代わりに、鈴は後ろ手に隠し持っていた痴漢避けスプレーを七緒の顔に噴射した。

 七緒が顔を覆い、咳き込んでいる隙に玄関のドアに鍵をしめた。

 

 そしてそのまま、七緒の腕をつかんでひきずるように廊下を進んでいく。

 カーテンが閉ざされている家の中は薄暗く、中身の詰まったゴミ袋がいくつも転がって、すえた臭いを放っていた。

 

 居間まで進むと、まだ咳き込んで暴れている七緒を鈴は蹴り倒し、懐から取り出した手錠を食卓のテーブルの脚と七緒の片腕につないだ。

 

 「抵抗は無駄よ! ……全部吐きなさい。

  晶子を殺したのも、父さんを殺したのもあんたたちね!」

 

 返答はない。七緒はただひたすらに咳き込んでいた。

 その七緒をさらに足蹴にして、鈴は叫んだ。

 

 「警察に手を回したのも、あの怪物の背後にいるのも全部あんたたちね!

  私は殺されたりなんかしない! 二人の仇を討ってやる!

  咳き込んでるんじゃない! 今すぐ何もかも全部吐きなさい!」

 

 「ええ、ですから、落ち着いて話し合いましょう」

 

 鈴の背後からの声。

 慌てて鈴が振り向くと、そこには先ほどまで足蹴にしていたはずの七緒が、涼しい顔をして立っていた。

 

 目を疑い、七緒を手錠で繋いだテーブルを確認すると、そこにはヘアピンだけが落ちていた。

 鈴が知る由はなかったが、それは七緒の愛用の品で、魔術が込められていた。

 そして鈴が混乱から立ち直れないでいる内に、七緒は言葉を続けた。

 

 「まあ、まずは大人しくなってもらいましょう」

 

 七緒の言葉とともに、肩にかけたバッグの中から大きめのハンカチが三つ、一人でに浮かび上がり、二つが鈴の両腕と両足に巻きついて動きを拘束し、もう一つが猿轡となり言葉を封じた。

 

 「むー! むー!」

 

 「あ、叫んでも無駄よ。さっき鈴さんが叫んでたときから、

  風を操作して防音の結界貼ってますし。

  ご近所に聞こえたらどうするつもりだったのかしら」

 

 そう言うと、倒れて身悶えしている鈴を尻目に、七緒は携帯電話を取り出して相棒と連絡を取った。

 

 「暁? 今から玄関の鍵開けるから入ってきて。目立たないようにね」

 

 

 *

 

 「……女同士、一対一で話をつけるってことじゃなかったっけ?」

 

 「ええ。女一人と見て仕掛けてきたから、話が早かったわ」

 

 悪びれもせずに言う七緒に、暁は天を仰いだ。

 だがいつまでも現実逃避しているわけにはいかないと気を取り直し、いまだにむー! むー! と暴れている鈴に目を向ける。

 また目をそらしたくなったがそうもいかない。

 

 「とりあえず、鈴さん解放しないか? 猿轡だけでも外さないと話進まないだろ」

 

 「そうね。えい」

 

 七緒の気の抜けた声とともに、鈴の猿轡となっていたハンカチがするりと抜け落ちる。

 すると鈴は、即座に二人に向けてわめき散らしてきた。

 

 「わけのわからないことをして! やっぱりあんたたちが犯人ね!」

 

 「あー、いえ、犯人じゃないです。

  事件解決したいですし、鈴さんの身も守りたいんですが……」

 

 「だったら私に今やってることは何よ!」

 

 「だって、暴れるし……まだ何隠し持ってるかわからないし……」

 

 倒れたまま身をよじりながら叫ぶ鈴を見て、そっと目を逸らす七緒。

 暁が慌てて会話を取り繕おうとする。

 

 「いや、ほんと犯人じゃないですって! 信じてください。

  殺すつもりだったら今すぐにでもできるでしょう」

 

 「何を信じろって言うのよ!

  私が見たことを警察に言っても信じてくれなくて!

  ネットに書き込んでもすぐ消されて!

  黒服の人がやってきて全部忘れろって!」

 

 怒りのままに叫び、肩で息をする鈴を見て、暁は渋い顔をした。

 政府め。半端な仕事をして、と。

 

 一般の警察ではやつらに関する事件には手が出せないので政府が手を引かせたのだろう。

 ネットの書き込みもやつらについてのものはこの事件に限らず検閲されている。

 黒服も政府の口止め要員だろう。

 

 これでごたごたが起こらずに政府が事件を捜査し、解決していたらよかったのだが、屍食鬼の一件のせいで、手が打たれず放置された結果、非常にややこしいことになってしまっている。

 どう話を進めればいいか、暁は内心で検討した。

 

 「……鈴さん、あんたが見たっていうのは、何なんだ」

 

 「何よ……そうよ、見たのよ。

  真っ黒で翼の生えたのっぺらぼう……

  晶子や父さんがいなくなった夜に窓から……身間違いかと思った、でも……」

 

 鈴はそのままぶつぶつと呟き続けた。

 内側に閉じこもってしまった彼女からこれ以上情報を聞き出すのは無理だと暁は判断した。

 

 「七緒、鈴さんが言ってた怪物、わかるか?」

 

 「わかるわ。真っ黒でのっぺらぼうで翼があった……夜鬼ね。

  知性は低く、人をさらって高所から落とす習性がある怪物よ。でも……」

 

 「でも?」

 

 「夜鬼が住んでるのはこことは別の世界のはずなんだけど……

  こちらの世界で遭遇することはあんまりないはず……」

 

 七緒が頭を捻ったそのとき、居間の窓ガラスが音を立てて割れた。

 外からの強い風が吹き込み、黒い影が滑るように家の中へと侵入してくる。

 

 ゴムのような漆黒の体から、蝙蝠のような翼を生やし、

 のっぺりとした何もない顔を持つそいつに、二人は一斉に反応した。

 

 「夜鬼!」

 

 「装着……!」

 

 暁が音声認識で黎明を装着し、七緒は風の刃で夜鬼の尻尾を切り飛ばす、

 だがその一瞬の間に、夜鬼は傷を負いながらも雪白鈴の体を前足で掴み、窓の外へと撤退していた。

 

 「ぎゃあぁぁぁぁぁ!」

 

 遠くなっていく、鈴の叫び声。

 

 「先に行く、後から来い!」

 

 七緒の返事を待たず、暁は飛び出した。

 

 漆黒の体を夜闇に溶かした夜鬼だったが、黎明の暗視機能はその姿を逃さずにとらえていた。

 

 飛ばれるのはまずい。

 手が出せないのもまずいが、高所から落とされるだけで鈴は絶命する。

 

 住宅街の屋根の上を走りながら、暁は手首からワイヤーを射出し、夜鬼を絡めとろうとする。

 

 夜鬼も回避運動を続けるが、鈴を抱えていることと、七緒が切断した尾の負傷からかその動きは鈍かった。

 ワイヤーが夜鬼のすぐ傍をかすめる。

 諦めたか、夜鬼は鈴を空中で放り出した。

 

 鈴の悲鳴。

 だがこの高さならば間に合う。

 暁は屋根を踏んで高く跳躍。

 空中で鈴の体を抱きとめると、転がるようにして地面に着地した。

 

 暁は鈴の状態を手早く確認した。

 打ち身や擦り傷があるが、命に関わる傷はないようだ。

 だが、安心した隙をつかれ、空から迫る影に気づけなかった。

 先ほど撃退したはずの夜鬼だ。

 

 夜鬼は今度は暁を掴み、空へと舞い上がる。

 暁は空にさらわれる前にとっさに鈴の体を離し、手足を振り回して抵抗する。

 

 だが、背後からつかまれて持ち上げられ、踏ん張る地面もない状態ではまともな抵抗にもならず、夜鬼と暁の高度はどんどんと上がっていく。

 

 「くそっ、このままだと……」

 

 だがそのとき、偶然にも暁の振り回した拳が夜鬼の腰に命中した。

 

 鋼鉄の拳に、たまらずに暁から夜鬼は手を離した。

 だが、すでに暁の高さは黎明でも危険な高度に達していた。

 

 そしてそのまま、地面に叩きつけられる。


 とっさに受身は取ったが、黎明を着ていても高所からの落下の衝撃は吸収しきれない。

 

 「……くっ、舐めるなよ!」

 

 痛む体を転がるように起こし、再度接近する夜鬼を指弾でけん制する。

 隙を探り、夜鬼をワイヤーで絡めとろうとした暁だったが、背後から迫る別の影には気づけなかった。

 

 「……二体目だと!?」

 

 二体目の夜鬼。

 尾を負傷した一体目より、こちらの方が動きが素早い。

 二体目の夜鬼はまたもや暁を捕まえて抱え上げ、急上昇する。

 

 暁の抵抗も虚しく、高度は急上昇した。街の明かりが眼下に小さく見える。

 これ以上高くなるとまずい。そう暁が戦慄したそのとき、不意に夜鬼の上昇が止まった。

 

 「……何?」

 

 夜鬼はそのままを暁を掴んだ前足を離した。

 この高度なら黎明ならばぎりぎり耐えられる。

 暁はごろごろと転がって受身を取り、地面へと着地。

 

 打ち身の傷はあったが、なんとか戦闘は続行可能だった。

 夜鬼を探して空を見上げるが、もはやその姿は見えない。

 

 「……撤退した? それにしても、なんであのタイミングで……」

 

 疑問を発したが、答えは出ない。

 とりあえず、黎明を装着したままだと目立ちすぎる。

 脱ごうにも運搬用のトランクは鈴の家で脱いだきりだ。

 

 ひとまず人目につかぬ所に移動しなければと、暁はワイヤーで手近なビルの屋上に避難した。

 鈴の家から随分と離れてしまっている。どうしたものか。

 

 頭を悩ませていると、七緒から黎明に内蔵された通信機に連絡があった。

 鈴を確保した、黎明のトランクを持っていくから場所を教えろ、と。

 

 「頼りになる相棒がいると助かるぜ」

 

 場所を伝えると、暁は夜の空を見上げた。

 夜鬼がぢこに消えたのか、暁にはわからなかった。

 

 

 *

 

 夜の闇の中。二体の夜鬼を従え、男は独り言をつぶやいていた。

 

 「あの黒いパワードスーツ……ということは、あの御堂暁が絡んでいるということですか」

 

 厄介なことです、と男は言い捨てると、それでも自らに言い聞かせるようにつぶやいた。

 

 「ですが、雪白家の者は全て殺します。たとえ、何があろうとも」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る