第6話 ごめん
地下への突入と救出から一週間後。
学校の終わった後、暁と七緒は、翡翠から事件についての事後報告を理事長室で受けていた。
「特殊部隊の上の方から連絡がありました。
被害者の方たちは全員肉体的には健康の問題はなし。
精神的には、担当部署が催眠暗示で記憶操作を行ったそうです。
事件は終わりました。暁さん。あらためてお疲れ様でした」
「いや、そうじゃない……助けられなかった人だっていた」
握り締められた暁の拳の上に、隣に座る七緒がそっと手を置いた。
「でもはなしよ。あんたはベストを尽くした……そうでしょ?」
七緒だけではなく、翡翠も続けて言葉を紡ぐ。
「そうです。特殊部隊の人たちだって、暁さんの戦闘の痕跡をたどっていったので、生存者の方たちのところまで迅速に到達できました。
意識して痕跡を残していったんでしょう?」
「そうだな……だけど、特殊部隊と情報共有できればもっとうまくいったと思うんだが、やっぱり政府としては俺たちみたいな民間組織にはいい顔しないか」
「残念ですが、そうですね。
我々は、政府が制御できない武力集団ですから。
しかも法では裁けない魔術の力を持っている。
政府だけではやつらに対して手が回らないから黙認されているだけです」
翡翠の言葉について、七緒はふと疑問を漏らした。
「黙認と言えば、私が前いた組織はもっとこっそりと立ち回っていたけど……
ヒヒイロカネってかなり堂々とやってない?」
「まあ、コネとお金がありますので」
優雅に紅茶を口に運ぶ翡翠。だが、そんな彼女を見て暁は言った。
「俺には交渉とかわからないけど、翡翠は裏でそういうの頑張ってるんだろ。もっと威張ってもいいんだぞ」
「あら、私はいつも通りやっているだけですよ」
「へいへい」
悪戯気に微笑む翡翠と、肩をすくめる暁。
その後、しばらく三人が無言で紅茶を口に運ぶ音だけがしていたが、
七緒がぽつりとつぶやいた。
「この街の屍食鬼は、あれで壊滅させられたと思っていいのかしら」
「そうですね……。
暁さんが大きな被害を与えましたし、特殊部隊が追撃もかけました。
この街が狙われることは、しばらくはないでしょう」
「……でもあそこにいた屍食鬼を根絶できたってわけじゃない」
暁の漏らした言葉に、七緒は陰鬱そうに続けた。
「そうね。魔道書によれば、屍食鬼は実際世界のいたるところにいる。
……夢の国からやってくるという話もあるわ。駆逐なんか本当にできるのかしら」
「……それでもやるしかないんだ。俺たちが生きていくために。世界を守る為に」
ため息をつく暁。そんな彼に、翡翠はにっこりと笑って口を開いた。
「それに悪いニュースはまだあります。屍食鬼が銃火器で武装していた点について。
こちらは極秘の情報になりますが、どうも自衛隊の幹部が屍食鬼の魔術師に精神操作を受けていたようでして」
「笑って言うなよ!
……それで銃火器の横流しか。自衛隊の監査体制どうなってるんだよ」
「定期的に行っている、関係部署全員の精神診断の頻度を今後は上げるようです。
……ただ、魔術による精神操作は発見が難しいそうですから」
「そうね。下手すれば、様子がおかしい、操られてるんだろう、と魔女狩りの始まりよ。だから大きな組織は動くのが難しい。
私たちみたいな小さな組織にも存在意義があるってものよ。
……もっとも、私たちだって翡翠が操られたら終わりだけど」
「ああ、大丈夫だ。翡翠は催眠に対して耐性があるから」
「……え? なんで? 初耳なんだけど」
目を丸くする七緒に、何事もないような顔をする翡翠。
「言ってませんでしたから。
あ、理由についてはお知らせできませんよ。
七緒さんに秘密は作りたくないのですが……企業秘密ですから」
「企業秘密って……でもそうね。この世界、言えないことだっていくらでもあるし」
「ご理解いただけて助かります。
そもそもかよわい身なので、催眠に関係なく私自身が狙われたら危険なので……
お二人には守っていただけるようお願いしますね?」
「言われるまでもねえよ」
「私もそうよ」
二人の言葉に微笑む翡翠。それで事後報告の場は終わった。
*
数日後の放課後。
七緒は学生鞄に荷物を仕舞い、帰り支度をしていた。
翡翠から譲られた魔道書の解読は大分進んできたが、まだまだ山が残っている。
今日は夜遅くまで気合を入れなければと思っていた七緒だったが、そんな彼女に声をかけるものがいた。
「七緒ちゃん、一緒に帰らない?」
「あ、空ちゃん。そうしよっか」
校舎を出て、並んで通学路を歩く。夕焼けに染まる河川敷。
七緒は通学用の自転車を押して、空はそのまま徒歩で。
他の下校する者や通行者は偶然にかいなかった。
「翡翠ちゃんはまた学校に残ってお仕事かなあ。
いつも大変そう……たまには一緒に下校できればいいのに」
「せやかて、仕事がないときでもお迎えの自動車で通学やし。
あの子にも色々都合があるしなあ。
……空ちゃん、体は平気?」
「うん。ちょっとだけ入院しちゃったけど、大丈夫だよ」
宮内空。
数日の入院の後、彼女は退院し、学校に戻ってきていた。
彼女の記憶は政府によって改竄された。
地下鉄で事故があり、空は気絶したがその後救出された。
そう改竄されたはずだ。
これでいいのかとも心の中から声がする。
だが七緒は深く考えることをやめた。
彼女の心を守るためにはこれしかなかったからだ。
偽りの仮面を被りながら七緒は会話を続けた。
「そういえば、弟くんの誕生日ってもう来たの?」
「来たよー。退院が間に合ってよかった。
ハンバーグ作ったら喜んで食べてた」
「あれっ、作るのケーキじゃなかったん?」
「だって、私がハンバーグ食べたい気分だったから」
「なんやそれ」
思わず噴き出す七緒。そんな彼女に、口を膨らませて空は繰り返した。
「食べたかったんだもん……お肉。あの事故から、妙に食べたくなって……」
そう言われると、七緒は不意に空の瞳をじっと見つめた。
不意の七緒の行動に動揺した空だったが、
不思議と七緒のまなざしに見つめ返してしまう。
胸の奥から湧き上がった衝動を否定しようと、
空は慌てて声を上げた。
「ど、どうしたの七緒ちゃん?」
「……はいはい。子どもやなあ、空ちゃんは」
何事かとおろおろする空に対して、七緒は出し抜けに抱きついた。
「もー、七緒ちゃん、何なの、いきなりこんなところで……」
空の言葉はそれ以上続かなかった。
夕陽に照らされる中、二人の影は重なり続け……
片方の腕が、だらりと垂れ下がる。
どうして……
口をぱくぱくと動かし、言葉にならない声を口にした後、
空は七緒の腕の中で静かに絶命していた。
後ろに回された七緒の腕が、隠し持ったナイフを空の背中に突き立て、
あばら骨の隙間から心臓を刺し貫いていたのだから。
七緒はそれを見届けた後、携帯電話を取り出し、使用した。
「翡翠。一体やつらに汚染された人間を処理したわ。
対応をお願い。……ごめん」
屍食鬼は自衛隊幹部に精神操作をしたという話だったが、
そもそも屍食鬼だけでは接触するのが難しい。
人間の協力者がいない限りは。
魔術師である母親から聞いたことがある。
屍食鬼は人間を同族へと変えることができると。
そして、未だ人類にはその治療法は見つかっていない、と。
七緒と空が見つめ合ったとき、空の瞳の中にあったのは、
抑えきれない七緒への食欲だった。
まだ人間である内に殺す。
友人の尊厳を守るため、それしか七緒にはできなかった。
「……やつらを世界から駆逐しなければいけないのよ。
世界を守るために」
自分に言い聞かせるように、七緒は一人そうつぶやいた。
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