第三部 蛮勇編

第26話 覚悟

 ここは何処なのか。今はいつなのか。自分は誰なのか。

 彼は自問した。

 ベルトコンベアの上をゆっくりと彼は流れていく。

 それに機械のアームでとりつけられるネジ。ゼンマイ。ボルト。

 その姿が人型に整えられていく。

 そしてベルトコンベアの終端。

 工程の最後で作り上げられたのは、よく知った彼自身の姿。御堂暁だった。

 


 *


 「ああぁーーーーっ!」


 悲鳴とともに暁は飛び起きた。

 

 今の光景は、夢だったのか。

 冷や汗を拭い、鼓動を押さえようとしながらも、状況を把握するために暁は周囲を見回した。

 暁が寝ていたベッドに、机や椅子。最低限の家具が用意された狭い部屋だった。

 

 師匠との戦いの後で回収されたのか。だが俺は死んだのでは……?

 暁は自問しながら、彼が着ていた宿泊施設にあるような寝間着をまくり上げ、自分の体を点検した。

 古傷の類こそあれ、目立ったような傷も痛みもない。

 

 これはどうしたことかと混乱していると、部屋の外へ通じる扉が開いた。

 そこに立っているのは見慣れた少女。七緒だった。

 

 「七緒。よかった、無事だったのか!

  翡翠はどうした? 状況を説明してくれ」

 

 だが、暁の言葉を受けても七緒の表情は固く、冷たい瞳をしたままだった。

 

 「自分の名前を言ってみて」

 

 「は? なんだよ、それ」

 

 「いいから」

 

 「……御堂暁」

 

 「生年月日は? 目覚める前、最後に記憶があるのは何月何日?」

 

 有無を言わさぬ口調で質問を続ける七緒に、ただごとではないと暁は素直に返答していった。

 

 「……そう、それじゃあ最後に聞くけど」

 

 七緒は目を細めて言った。

 

 「翡翠へのプロポーズの言葉は?」

 

 「言ってねえよ!」

 

 「……なるほど。その反応なら、本人で間違いないみたいね」

 

 表情を緩めずそう呟く七緒に、暁は思わず当惑した。

 

 「ったく、何が何やら……状況を説明してくれ。正直わけがわからない」

 

 「こっちこそ聞きたいんだけど、あんたがクトゥルフをどうにかしに行って、何があったの。

  まずはそれを話して」

 

 「あ、ああ……」

 

 

 *

 

 「……と、言うわけなんだ」

 

 「……なるほど。それで致命傷を受けたはず、と」

 

 「ああ。でもなんともない。七緒が魔術でなんとかしたのか?」

 

 「そんな強力な回復の魔術使えないわよ。……わかってることから順番に言うわね。

  まず、あんたの意識が途絶えてから戻るまで、二日経ってる。

  その間にクトゥルフは消滅してるわ。あれがいた灯台も衛星での観測も可能になって、嘘みたいに静かになっている。

  おそらくは、召喚術者である楓さんの死亡と、それから……」

 

 そこで七緒は口ごもり、続きを言いづらそうにしていたが、意を決したかのように言った。

 

 「おそらくは召喚の目的を達成したから。

  私たちがあんたを発見した状況を言うわ。

  こっちでも襲撃があって、それを切り抜けて別荘に戻ったら、

  トランクの横であんたが倒れてたの。全裸で」

  

 「おい、嘘だろ……?」

 

 その言葉に含まれるものを信じたくなくて、暁は否定しようとした。

 だが七緒はそれを許さなかった。

 

 「事実よ。……言いにくいけど、死んだのを黎明が蘇生したんじゃないかしら。

  本体が鎧じゃなくてトランクの方とは思っていなかったけど」

 

 「……それは、本当に蘇生なのか?

  灯台で死んだ俺のデータを黎明がトランクに送って、そこで生成したってことは、今いる俺はコピーなんじゃあ……」

 

 呆然としている暁に、七緒は一瞬同情するかのような目を向けたが、それでも暁がそれ以上事故憐憫にふけることを許さなかった。

 

 「さあ? 蘇生だかコピーだかは曖昧だけど、その手の悩みに付き合う気はないの。

  問題はあんたが何をやりたくて、そのためにどうするかでしょ」

 

 「……そうだな。今はそれどころじゃない」

 

 「それから、今まで魔術の気配がなかった黎明だけど、今はとんでもなく強力な魔術の気配がトランクからしてるわ。

  擬態をやめたのか、何かの条件がそろったのか……」

 

 「まともな発明じゃないことはわかってたことだ。

  ……翡翠はどうしてる? 襲撃があったっていうけど無事なのか?」

 

 「ええ。護衛には犠牲が出て、残っているのは私だけだけど、翡翠本人は大丈夫よ。

  あんたの看病したがってたけど、あんたが正気か怪しかったからやめさせたわ。

  今はあちこちと連絡して情報を集めてる」

  

 「そうか。じゃあ続きは翡翠と一緒に話そう」

 

 そうね、と七緒は言い、二人は部屋を後にした。

 

 

 *

 

 部屋を出て通路を進むと、リビングのテーブルで翡翠が落ち着かない様子で座っていた。

 暁の姿を見て即座に立ち上がり、駆け寄ろうとしたが、思い出したかのように七緒の方に視線をやった。

 七緒はそんな翡翠を見て、しっかりと頷いた。

 

 「ああ……暁さん、無事でよかった」

 

 「……ああ」

 

 そういうことにしておこうと暁は思った。

 翡翠もわかっているはずだ。だが、今この場では、と。

 

 「立っているのもなんですから、お二人とも座ってください。散らかっていますが……」


 翡翠の言葉通り、リビングやその椅子の上には、パソコンや複数の通信機器が散らばっていた。

 暁と七緒は空いている場所を探して腰を下ろした。

 

 「それでは、今わかっていることをお話しますが……」

 

 「あ、その前にここがどこか聞いていいか?」

 

 翡翠の言葉を遮って暁は言った。

 

 「七緒さん、説明してなかったんですか?」

 

 「ちょっとタイミングがなくて……。

  ここは私と翡翠が最初にこもっていた防衛用別荘とは別の潜伏用別荘よ」


 閉ざされていた窓のカーテンを七緒が開けると、外には深い森が広がっており、

 人里離れた地であることを明らかにしていた。

 七緒は暁が外を確認したのを見ると、すぐにカーテンを元に戻した。


 「わかった? ……それにしても、別荘いくつあるのよ」

 

 「世の中お金なんですよ。

  ……冗談は別にすると、ヒヒイロカネを立ち上げる時に、セーフハウスとして複数別荘を用意しておきました」

 

 それが今は役に立っているわけですね、と翡翠はコーヒーカップを口に運んだ。

 

 「それでは、話を戻してもよいですか?」

 

 「ああ、頼む」

 

 「まず現在一番の問題は、爆弾に刺激されたクトゥルフによって壊滅した都市ですね。

  傷ついたクトゥルフの体液で変異した元人間が活動していて、

  街から外に出ようとするのを自衛隊がなんとか押さえ込んでる状態です」

 

 「自衛隊でもまともに相手できないのか?

  銃が効かないとか、魔術じゃないと無理とか?」

 

 「銃弾の効き目が薄いという情報は入っていますが、問題点は別にあります。

  一つは、取り残された市民の保護と救出も行わなければならないこと。

  このため、大規模な火器は使えません」

 

 そしてもう一つは、と翡翠は言った。

 

 「対邪神や怪物を想定した特殊部隊は、先日教授によって壊滅しました。

  今現地で防衛している自衛隊は、そういったことに予備知識がなく、

  常識外の出来事に士気の低下が極めて大きいようです」

 

 「精神的に免疫をつけてないと、やつらを相手にしたときのショックはとんでもないわ。

  混乱から同士討ちになっていても全くおかしくないわね」

 

 「そういうわけで、現地の状況は泥沼になっているようです」

 

 「どうしようもないな……俺が突っ込んで撃破してくるしかないか……」

 

 「その前に他の場所の状況を説明します」

 

 暁の言葉を遮って、翡翠は言った。

 

 「クトゥルフの撤退でピークは過ぎたものの、全国的に怪異や邪神の信者が活発になっています。

  これには全国の警察や、民間の対邪神集団が犠牲を抗争中です。

  ……少なくない犠牲が出ていて、全国的に治安が悪化しています……」


 「全国規模だと俺でもどうしようもないぞ……」

 

 「そして現在諸外国では、日本で大規模な暴動が発生中と、怪異関係は隠した報道規制が敷かれています。

  さらに事態鎮圧のために、在日米軍とそこに所属する対怪異の特殊部隊が動こうとしています。

  クトゥルフの眷属を相手にした戦いではアメリカは本場で、今だけを見るなら力強い助けになるでしょうが……」

 

 「でしょうが……?」

 

 「事態を鎮圧した後で、米軍が日本に展開したことで国際情勢がひどく悪くなるでしょうね……」


 「どうしようもねえ……」

 

 暁は頭を抱えてうめいた。


 「まあ今の私たちにできることは一つよ。

  現在一番の問題である、クトゥルフによって壊滅した都市を変異した元人間……いいえ、クトゥルフの眷属から解放することね。

  ここが解決すれば、自衛隊を全国に動かせて治安が回復するわ」

 

 「そうだな。やるしかないか」

 

 「実際に、政府からその旨の要請はずっと来ています。

  暁さんが起きられなかったので、なんとか断っていたんですが……」

 

 そこで翡翠は一度言葉を切って、言った。

 

 「まだ黎明を着て、戦う意味が暁さんにはあるんですか……?」

 

 その言葉は暁の胸の奥に突き刺さった。

 

 「立ち止まっても、いいんですよ。

  暁さんとおじいさんは別の人間で、そのために戦う必要なんてないんです」

  

 祖父の研究が間違ってないと証明するために戦ってきた。

 だが、再構成された暁の体。黎明が人知を超えた危険物であることはもはや明らかだ。

 だが、それでも暁は心に決めたことがあった。

 

 「……ああ。俺は戦う。たとえどんな力だろうと、使い方次第だって証明してみせる」

 

 「そう、ですか……」

 

 不安そうに、翡翠は七緒の方に目をやった。その視線を受けて、七緒は答えた。

 

 「怪物と戦うことと怪物に成り果てることは常に表裏一体よ。

  私が使ってる魔術だって、道を誤れば行きつく先は地獄。

  力があるっていうのはそういうことで、今は使わなければいけないとき。

  ……暁、安心なさい。あんたがどうにかなったら、私が引導を渡してあげる」

 

 「ああ、そのときは頼む」


 「いや、そうならないようにしましょうよ!」

 

 慌てて声を上げる翡翠に、ばつが悪そうに暁と七緒は揃って頭をかいた。

 

 「ああ、そうだな。なんとかしてみせる」

 

 「そうね。改めてちゃんと知識のある人の元で、黎明を調べる機会があれば……思考停止はよくないわよね」

 

 「そうです。二人とも、反省してくださいね!」

 

 はい、翡翠先生、と二人は揃って頭を下げた。

 そして雰囲気を一変させ、七緒は暁に言った。

 

 「暁、私は翡翠の護衛で動けないけど……」

 

 「ああ、いつも通り翡翠は任せたぞ……黎明のトランクは?」

 

 ここです、と翡翠はダイニングの隅からトランクを持ってきた。

 

 「約束してください。絶対に帰ってくるって」

 

 「そうだな、帰ってくる。……装着!」

 

 暁の言葉とともにトランクから影が飛び出し、暁の体を包み込んだ。

 一瞬後にそこにいたのは漆黒の姿。鋼鉄の鎧、黎明。

 それをまとった暁は、戦いに向かって飛び出していった。

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