第25話 覚醒
七緒と翡翠が危機に陥った頃、暁もまた戦っていた。
海神の触手が巻き付いた灯台。
そこにたどりついた暁は、かつての師匠と拳を交えていた。
巨大な触手を足場にして駆け上り、身に着けた仮面ごと楓の頭を打ち砕かんと拳を放つ。
密着距離から拳で応酬すること数度。暁の鋼鉄の拳も、神の力を宿した楓の拳も互いに交差して軌道がそれ、あるいはバックステップで間合いを外され、命中しない。
キリがないと感じたか、楓は足場である触手を激しく上下に震わせて、暁を地面へと払い落とした。
「一年間、鍛えてきたようだね。昔とは技の練りがまるで違う」
自らは跳躍して半壊した灯台の上に着地した楓は、かつてのように暁にそう言った。
「……師匠こそ、なんだよその仮面は。学芸会にでもでるつもりか?」
一方の暁は、平静を装いながら地面から楓を見上げていた。
「ああ、これは……復活の代償と言ったところかな。
元から奪われていた教授と私は違うから、こういったものが必要になった。
青山は……ん?」
表情は仮面で見えなかったが、予想外のことがあったか楓は言葉を止めた。
「今、青山が滅んだよ。
雨霧翡翠の抹殺に行かせてたんだが、頼りになる仲間がいるようだね。
青山は支払える代償がないからまともに復活できてなかったが、それでも退けるとは……」
「翡翠を!? 一体何がしたいんだ!」
「君の祖父、御堂仁の残した禁断の技術の破壊。
だが雨霧翡翠の殺害はあくまで保険。ここで君と黎明を完全に粉砕することで勝利とさせてもらおう」
その言葉を聞いて、暁は声を震わせた。
「またそれか! だが、なぜ黎明を破壊しようとする。
以前は利用して神を降臨させようとしてたじゃないか!」
「あのときの私は黒真珠のせいで狂っていたからね。
一度死んで正気に戻り……蘇ることで再び狂ったのさ」
楓の言葉と同時に、暁めがけて触手が振り下ろされた。
暁はそれを跳躍して回避したが、空中では足場がない。
そこを楓が生成した水槍によって狙われた。
これを回避する手段は暁にはない、そう楓は予想していた。だが……
「何っ……!」
暁は左手から射出したワイヤーを灯台の壁面に打ち込み、巻き上げることで高速移動。水槍を回避した。
そのまま壁面に着地し、つま先を壁にめりこませながら楓に向かって駆け上っていく。
「昔とはワイヤーの使い方がまるで違う……!?」
驚愕しながらも構えを取り、暁を迎え撃とうした楓だったが、その右手が弾かれる。
暁が駆けながら放った指弾によるものだ。
構えを取るのも間に合わず、暁の拳が楓の仮面に直撃する。
その衝撃で楓は灯台から吹き飛ばされたが、触手が楓の足場となり、地面への落下を阻止した。
もっとも、決して優しく受け止めたわけではないようで、
ひび割れた仮面を手で覆う楓の声からは抑えきれない苦痛がにじんでいた。
「……やるね。私が知らない一年間の間に格段に進歩している」
「ああ。戦って戦って戦い抜いた。
それが黎明を、お祖父ちゃんのことを証明する手段だと思ったからだ」
先ほどとは逆に、灯台の上から暁は楓を見下ろしていた。
「それで、今でも君は祖父のことを信じているのかい?」
楓の問いかけに、暁は思わず口ごもった。
かつてのように手放しで祖父を尊敬することはできない。
だが、それでも言えることがあった。黎明の装甲越しに、暁は楓を真っすぐに見つめた。
「……正直わからない。研究者としてたがが外れていたとは思っている。
だけど、最後に残したこの黎明だけは人類の、世界のためのものだと、俺が証明してみせる!」
その言葉を聞いて、しばらく楓は沈黙した。
「……立派な答えだと、そう言ってあげたいよ。
だけど、その黎明が世界を滅ぼすんだ。私を蘇らせたものがそう教えてくれた」
「何を言っている! 誰があんたを蘇らせたんだ!」
それを口にすることには、傷ついた身体とは違う苦痛があるようだった。
楓は絞り出すように暁への答えを口にした。
「神さ。それもクトゥルフとは違う。より高位の……ああ、今の私にはこう表現することしか許可されていない」
そのまま言葉を続ける。一度口をつぐめばもはや話せなくなるとでもいわんばかりに。
「……私たちには因縁がある神がいた。
大学時代に教授や青山、そして彼女と共に戦い、その戦いで教授は名前を剥ぎ取られることで『無貌』となった。
一度は退散させたはずが、まだ私たちを狙っていたらしい
そいつが私たちに指示したこと。それが黎明による世界の軍事バランス崩壊の阻止だ」
「なんだって……?」
軍事バランス崩壊の阻止。
暁の知識にある神とはあまりにイメージの違うその言葉に、思わず戸惑いの言葉が口をついて出た。
そして戸惑う暁に構わず、楓は言葉を続けた。
「神々やその下僕である怪物との戦いの中で、黎明は雨霧グループの力を持っても隠し切れなくなる。
その結果が国家に奪われての解析と量産化だ。
そしてそれは、諸外国のパワードスーツ開発も刺激することになる。
黎明をテロに使えばどれだけ危険かは君もよく知っているだろう?
BC兵器や核のテロが横行し、人類は邪神ではなく、自らの技術で滅びることになる」
「ば、馬鹿なことを言うな! そもそも、なんだって神が、邪神がそんなことを気にするんだ!」
これまで予想もしていなかった言葉に、暁は否定の言葉を返すことしかできなかった。
「さあね。私を蘇らせた神は変わり者だが、自分の手で滅ぼしたいのかもしれないし、簡単に滅ばずにもっと人類に苦しんでもらいたいのかもしれない。
……だけど、このままいけば黎明がそんな未来を招くのは君にもわかるんじゃないかな」
暁はそれを聞いて沈黙した。だが、しばしの後、拳を震わせて叫び返した。
「勝手なことを……そもそもあんたのせいで神が世界の表に出た。
日常を覆っていたベールがはげ落ちようとしている。
世界を滅ぼすというならあんたたちじゃないか!」
そして暁は灯台を蹴り、触手の上にいる楓に向かって飛び掛かった。
だが当然のごとく、空中の暁めがけて楓が生み出した水流が襲い掛かる。
先ほどのようにワイヤーで回避されようと構わない。仕切り直しになるだけだ。
だが暁は、回転した。
「うおおおおおおっ!」
水流を突き破るきりもみキック。それは水流を突き破り、そのまま楓の体に着弾。
暁に確かな致命傷の手ごたえを与えた。
だが楓は、震える手でそれでも暁の足を掴んだ。
「何を……!?」
「いつかと逆だね。捕まえた……さあ、私もろとも!」
次の瞬間、足場となっていたクトゥルフの触手が暁と楓を包み込み、激しく締め上げる。
近代兵器では並ぶ物もないはずの黎明の装甲が音を立てて軋んでいく。
「ぐっ……こんな手で……!」
暁は射出したワイヤーを触手に突き立て、電撃でひるませようとするが、
締め上げるために硬質化した触手に弾かれ、通用しなかった。
そんな暁を見て、楓は咳き込みながら笑った。
「ああ、そうだ。世界を壊すのは私だ……。
だが、仮面を与えられ、『無貌』となった私には君と戦うことしかできなかった……。
すまない……。だが、黎明を破壊すれば、少なくとも世界の脅威は一つ減る。
そして私が死ねばクトゥルフも消える……一緒に行こうじゃないか……」
「まだだ、俺は、俺は……黎明で世界を守るんだ……!」
必死に締め付けに抗おうとする暁だったが、その装甲にひびが入る。
単純な力比べで神に勝てるはずがないのだ。
二人を締め付ける触手は外から見てどんどんと縮んでいき、そして……。
*
しばらくの後、海神クトゥルフは役目を果たしたかのように日本から消滅した。
*
雨霧グループの別荘。
そこに残され、翡翠と七緒が逃げ出すときに持ち出せなかった黎明のトランク。
誰も聞くものがいないそこで、時計の針が進むカチリという音が確かにした。
トランクの蓋がゆっくりと開き、そして……。
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