第22話 目覚め

 長い夢を見ていた気がする。

 暁は病院の個室のベッドの上で目を覚ました。

 しばらく何も考えることもできず、目を開けたまま虚空を見つめていたが、部屋を訪れた看護婦が暁の様子に気がつき、慌てた様子で立ち去っていった。

 そして、すぐに彼女を連れてきた。

 

 「遅いお目覚めね。……自分の名前は言える?」

 

 「七緒、か……」

 

 「誰が私の名前を言えっていったのよ。……まあ、その調子なら大丈夫そうね」

 

 七緒は、肩をすくめてそう言った。

 

 「……俺は、何日寝てた?」

 

 「もうちょっとで五日ってとこね。ここはヒヒイロカネの息がかかった病院よ。

  ……倒れる前、何があったか覚えてる?」

 

 七緒の言葉を受けて、自分が何をしていたか暁は思い出そうとした。

 だが、それを拒否するかのように猛烈な頭痛が襲った。

 

 「大丈夫? 洗面器いる?」

 

 「……いらねえよ。ああ、段々思い出してきたぞ」

 

 「無理はするな、って言いたいけど、あんたからは事情を聞かないといけないわ。

  あのとき現場で何があったの」

 

 額に手を当てながら、絞り出すように暁は答えた。

 

 「俺がわかることはそんなに多くはない。

  空鬼と戦った後、触手が出てきたんで殴り合ってただけだ……神の触手とな」

 

 「神、か。触手を持つ神なんていくらでもいるけど、あの強力な精神波……。

  それに日本中で石造りの異常な建築物と、その奥で眠る神の姿が夢の中で幻視されたわ。

  おそらく、あれは……」

 

 七緒が言いよどんだ言葉を引き継いで、暁は続けた。

 

 「ああ。太平洋に眠る邪神。神々の司祭長クトゥルフ。

  魚人たちが崇める神である。地球上に存在する神々の中では大物どころだ。

  ……なんで日本に出てきてるんだよ」

 

 「それについては、後で話すわ。

  ひとまず、その触手がどんな攻撃をしてきて、こちらからの有効な攻撃があったか教えて。

  今から翡翠に急いで連絡するわ」

 

 「わかった。……そういえば、翡翠は無事なのか?」

 

 「なんとかね。ただこの場にはいないわ。

  あれが出てから日本中大騒ぎよ。政府はてんてこまいで、翡翠も事情聴取で忙しいわ。

  今は少しでも情報が必要なの」

 

 「そうか、わかった。あのとき俺は……」

 

 暁は苦痛にうなりながら、戦いの記憶を引き出し、七緒に語り聞かせた。

 

 「物理攻撃も電気も一応有効か……物理攻撃の有効性については資料と一致するわね。ありがと」

 

 七緒は暁の話の内容をさらさらと書き留めると、ナースコールで呼び出した看護婦に渡した。

 それを持って、看護婦は急いで去っていった。

 

 「それにしても、神の精神波を至近距離で食らったのなら廃人になってもおかしくはなかったわよ。

  ……まああんたなら多分大丈夫だと思ってたけど。図太そうだから」

 

 「それは関係あるのかよ!?」

 

 「さあね。それから、あんたの話が済んだところで、こっちからも伝えなきゃいけないことがある。

  あんたがクトゥルフの触手と戦っている間、私と翡翠も襲撃を受けたの。

  仮面を被った、ロングコートの女だった」

 

 「ロングコート……?」

 

 「人間離れした身体能力で、拳銃を使っていて、あんたのことを弟子と言ってた。

  ……翡翠が言うには、楓って人じゃないかって。

  あんたが知ってるその人は、正気を失って邪神の降臨のために動いていたのよね」

 

 「ああ……だが師匠は死んだ。俺が殺した……はずだ。

  俺は見ていないが、仲間が遺体を残さず焼き尽くしたはずだ」

 

 「邪神の力を受けていたのなら塵一つから再生してもおかしくはないわね。

  本人の意思がどこまで残ってるかはわからないけど。

  ……まあ、話を戻すわ。その楓さんと思しき女性は、クトゥルフの部分的降臨を実験だと言ってた。

  実際クトゥルフの触手が消えたらすぐに引き上げていったわ」

 

 「実験ってことは……」

 

 「ええ、また動き始めるでしょうね。今度はより本格的な降臨に向けて」

 

 「くそっ……こうしちゃいられない」

 

 暁は慌ててベッドから降りようとするが、地面に足をついたところでふらついて倒れそうになった。

 七緒に抱き留められ、なんとか転倒することは免れた。

 

 「無理しないで」

 

 「無理して動かないといけないだろ」

 

 「万全に能力発揮できるかって聞いてるのよ。弱った状態で太刀打ちできる相手じゃないでしょ」

 

 七緒の言葉に、暁は目をつむって集中し、腕を回して体の様子を把握した。

 

 「……悔しいけど、休息が必要だな」

 

 「そうね。どっちみち、今は相手がどこで何を狙っているかわからない。

  翡翠が帰ってきたら何か情報を持ってくるかもしれない。

  それまで食事でも取って体調を整えておいて」

 

 「……わかった」

 

 「それから、食事の後でいいからあんたの過去の活動について改めて私に話してくれる?

 翡翠からも聞いたけど、当人から直接聞きたい」

 

 「ああ」

 

 それから暁は、病院食ではあるものの温かい食事を取り、一休みした後で七緒に向かって話し出した。

 

 

 *

 

 暁の話を一通り聞き終わると、七緒は額をつまみ、長い長い溜息をついた。

 

 「あんたも苦労したんだなって思うけど、ちょっと言わせて」

 

 七緒は息を大きく吸うと、言葉とともに吐き出した。

 

 「ゴリラディープワンにメカ教授って何よ!?」

 

 「あ、翡翠そこまで話してなかったか」

 

 「暁さんから直接聞いてくださいって目をそらしていたけど!

  ゴリラはまだしも、メカ教授はあんたの黎明よりやばくない……?」

 

 「いや、予算の都合があって教授も全力出せなかったからそこまでは。

  当時は壊れてもなかなか修理できなくて困ってた。

  頭だけでいるときもよくあって……」

 

 七緒は顔を手で覆うと長い長い溜息をついた。

 

 「人間やめてるわね……本当に亡くなったの……?」

 

 「教授は、頭一つで青山さんと拠点にいるときに敵の襲撃を受けたんだ……。

  俺は留守をしていたから見届けたわけじゃないが、拠点も爆発して今まで連絡もない。

  雨霧グループの力で捜索もして、それでも情報がないんだから多分死んでるとは思うが……」

 

 「楓さんが出てきたってことは、生きている、あるいは復活した可能性もあるわね」

 

 そこまで話すと、七緒はぼそりと呟いた。

 

 「それにしても、盲目に名前の喪失、さらには仮面を被っての復活か……」

 

 「何か心当たりがあるのか?」

 

 「……根拠が薄いから控えさせて。この業界、こじつけようと思えばなんだってこじつけられるもの」

 

 それでも少しでも心当たりがあるのなら、と暁が食い下がろうとしたとき、病室の内線電話が鳴った。

 暁が受話器を取ると、看護婦の声がした。

 

 「翡翠様がお戻りになりました」

 

 

 *

 

 「暁さんの無事を喜びたいところですが、そうしている時間もありませんね……」

 

 暁と対面した翡翠の最初の言葉はそれだった。

 実際に、暁から見ても翡翠は一目でわかるほどに憔悴していた。

 

 「そうだな。そっちはそっちで大変だったみたいだけど、情報教えてくれるか?」

 

 「はい。現在敵……楓さんと思われる女性がどこにいるかですが、

  政府が聞き取りや衛星写真、目撃証言や地脈の異常などで調べた結果、国内で連絡が取れなくなった地域が見つかりました。

  大規模な陽動でなければほぼ黒です」

 

 「たとえ陽動だとしても、そこまでされたら攻めざるを得ないな。俺の出番はあるか?」

 

 「体調も万全でないのに無茶を言わないでください。

  政府からも動くなと釘を刺されてます。

  今回は大規模な事件であることから、政府が特殊部隊の派遣を決めました。

  気休めでも魔術で精神防御を固めた上で、重火器を装備した隊員を派遣するそうです」

 

 「過去にクトゥルフが眠りから覚めたときは強い物理衝撃で退散させられたから、勝算はあるわね。

  満足な勝率かは不安だけど……」

 

 「……こうしているしかないのが歯がゆいな。何か今できることはないのか?」

 

 「暁さんは休んで体力を回復させてください。何だったら添い寝しましょうか?」

 

 暁がやめろってと苦笑いをして、翡翠も笑って引いたが、彼らは自分たちが動けない焦りと、強い不安を感じていた。

 

 

 *

 

 暁が目覚めた翌日の朝早く、複数台の戦車と兵員輸送車が道路を進んでいた。

 目的地は邪神の召喚が試みられていると思しき場所。例によって海沿いの港町だった。


 特殊部隊の隊長が部隊に号令をかける。もうすぐ現地だ、準備はいいか、と。

 彼らは国の擁する邪神事件への切り札であり、こんな日のために毎日訓練をしてきていた。

 銃火器が規制された日本において、化け物相手の部隊で最も装備が充実しているのはこの部隊だ。

 現代兵器だけでなく、魔術に長けた隊員も複数いる。大規模な怪異に対しては国内最強だとの自負がある。

 組織の大きさから手の回らない部分もある。強さ故に絡め手で動きを封じられたこともある。

 だが、だからこそ日本が危機である今このときに動かなければいけないのだ。


 漁村の建物が見える距離まで近づいたところで、兵員輸送車から武装した兵士が降り立ち、

 周囲を警戒して陣形を敷く。

 周囲は霧が立ち込め、視界がよくない。

 

 「周辺の偵察を行え。魔術班は遠見の魔術で遠距離偵察を」

 

 隊長の命令に従い、部隊は周囲の偵察を行う。人の気配はない、住居の中にも誰もいない、死体もない。

 ただ、急に人がいなくなったかのように食卓に残ったままの食べ物が残されていた。

 また、何が行われたのかは不明だが、駐車された車や、建物内の電化製品が分解され、持ち去られた痕跡もあった。

 そして、魔術班からも報告が行われる。

 

 「遠見の魔術で確認を行いましたが、人影は見つかりません。ただ町の奥、灯台付近だけが見通せません。

  結界でも張られているかのようです」

 

 灯台付近。そこは衛星写真でも空白となっていた部分だ。

 魔術が無理ならドローンでも偵察に突っ込ませようかと隊長は一瞬考えたが、今は時間が惜しい。

 

 「先に進むぞ。相手は海の邪神だ。海側を警戒しろ」

 

 灯台へ続く海沿いの道を部隊は進む。

 道の左側は海岸に繋がり、右側にはぽつぽつと建物がある。

 どこから敵が出てきてもおかしくはない。

 そして、予想通り敵は現れた。

 

 「アアァァァァ……」

 

 海から出現した無数の魚人。ただそれは、人間の服、それも日常の普段着を着たままだった。

 

 「隊長、これは……」

 

 漁村の住人のディープワンへの汚染、変貌。

 予想されてはいたことだ。だがそれでも隊員たちは動揺を隠せなかった。

 それを振り切るかのように、隊長は命令を下した。

 

 「敵だ。撃て!」

 

 無数の銃撃がディープワンを襲う。

 銃弾は鱗を軽々と貫き、ディープワンたちは近づくこともできずに次々と倒れていった。

 部隊に損害はなかったが、隊員たちの胸に重い淀みが残った。

 

 だが、感傷に浸っていられるほど敵も甘くはない。

 海から地響きを上げ、浮上するものがあった。

 十数メートルはあろうかという巨大な魚人。老いたディープワンだ。

 

 隊員たちが必死に銃弾を撃ち込む。血飛沫が上がるが、それでも巨大な魚人の歩みを止めることはできない。

 一歩ずつ、だが歩幅の大きさ故に確実に隊員たちへと近づいてくる。

 

 「……こいつは住人が変化したものではないな。ならば遠慮はいらない。戦車砲撃て!」

 

 戦車の砲が次々に唸りを上げる。

 一撃ごとに巨大魚人の肉が吹き飛び、足がよろめく。

 そして頭部への命中がとどめとなった。音を立てて、巨大魚人が倒れ伏した。

 

 「……妨害が入るということはこの道で間違いないな。

  陣形を組みなおせ。先へ進み……ん?」

 

 道の先から何者かが歩いてくる。

 ゆっくりと霧の中からその老人は姿を現した。

 よれよれの白衣をまとった彼は、ゆっくりと口を開く。

 

 「あー、すまない。ここまで来てもらって悪いが、まだ準備が終わってないんだ。

  もう少し後で出直して……グフッ!?」

 

 一斉射撃。老人の体からネジとゼンマイが飛び散り、くるくると回った後、ぼろきれのように倒れ伏した。

 

 「雨霧グループからの連絡にあった新見教授だな。確保する余裕はない。行くぞ」

 

 「やれやれ、話くらい聞いてくれてもいいんじゃないかな」

 

 変わらぬ教授の声。それと同時に複数の対戦車砲の弾が飛来し、最も戦闘にいた戦車に着弾、爆発する。

 車両の中から乗組員が慌てて飛び出してきた。

 周囲から、無数の老人の声が響く。

 

 「言っただろう。まだ準備ができていない、と。少し私と遊んで行ってもらえるかな」

 

 建物の陰から、霧の中から、どこからともなく無数の教授が現れた。

 どれもよれよれの白衣を着ており、同じ顔形をしている。

 だがその中の何体かは、左腕がなく、そこから煙を上げていた。

 

 「右腕のマシンガンに加えて、左腕を対戦車砲にしてみたよ。

  さあ、授業開始だ。どちらが生き延びるか試してみようか」

 

 「陣形を組め、射撃開始!」

 

 銃弾が何体かの教授を撃ち倒すも、多くの教授はばね仕掛けの足で空高く跳躍し回避した。

 空中から無数の銃弾や対戦車砲弾を撃ち下ろしてくる。

 

 三次元の機動を前にして、火器を無力化された戦車も兵員輸送車も、次々に無力化されていった。

 だが、教授の相手も怪物との大規模戦闘を想定した部隊。ただやられるままのはずがない。

 

 「むぅっ!?」

 

 右腕のマシンガンから放った銃弾が、逆転して教授を貫く。

 隊員たちは密集して陣形を組み、魔術師の隊員が矢返しの結界の術を使っていた。

 矢除けの術の応用で近代兵器相手には防御力に不安があるが、

 複数の術者が連携して構築することで、弾丸どころか対戦車砲もその爆風も防いでいた。

 

 魔術師の力が尽きるのが先か、教授たちの力が尽きるのが先か。

 それは根競べだったが、特殊部隊の方に今回は軍配が上がった。

 矢返しによる反射だけではない。

 防御結界の中から隊員たちは射撃を行い、教授が着地した瞬間を狙って撃ち倒していた。

 

 「データ通り、戦闘のプロではないな。どれだけスペックに優れていても、動きに隙がある……」

 

 荒い息を吐きながら、隊長は部隊の状況を確認する。

 隊員の損害はあるが、敵の増援がいつ来てもおかしくない。早く灯台へ進まなくては。

 あと一キロもない。目と鼻の先なのだ。

 

 「残念、準備はできた。時間切れだ」

 

 地べたに転がる教授の首がつぶやくと同時に、灯台の方角から巨大な触手が出現し、部隊を薙ぎ払った。

 隊長も含めて、多くの隊員の命が潰れて散った。


 そして、二撃目が振るわれる。もはや戦闘も統率もあったものではない。

 隊員たちはただひたすらに振り返ることもなく、走り続け、わずかな数だけが生き残ることができた。

 

 片手で数えられるほどの数が。

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