第21話 終わりと始まり

 魚人たちへの襲撃の翌日。

 

 襲撃は成功したものの楓は失踪し、残された暁たち三人は、汚れた姿もそのままに拠点であるビルの会議室に戻ってきていた。

 

 「楓が暴走したか……。

  力の使いすぎには気をつけろと言っていたのに……」

 

 「すいません、俺が付いていながら……」

 

 その場にいながらもなす術のなかった罪悪感から頭を下げる暁に、そうではないと青山は答えた。

 

 「いや、お前も楓も全力を尽くした。

  その上で他に手段がなく、全力以上を出さなければいけなかっただけだ。

  お前のせいじゃない」

 

 「それに今の問題はそこではない。早急に楓君を補足して……」

 

 「ああ、そうだ。あいつを始末しなくては……」

 

 「ちょっと!?」

 

 青山と教授の言葉に思わず暁は声を上げた。

 

 「楓が使ってた力は、一度もっていかれたらもう戻ってこれない代物だ。

  それだけの力があるのは見てわかっただろう?

  狂乱したあいつが、人のいるところで力を振るえばどれだけの犠牲が出るか……」

 

 「ましてや楓君の力は、あの黒真珠を使って引き出した神の力だ。

  使い方次第では神を目覚めさせることすら可能かもしれない。

  ……それに、私たちは彼女が向こう側に行ってしまったのなら殺さないといけない。

  その義務があるんだ……」

 

 「……義務って、一体何なんですか」

 

 教授と青山は、わずかに沈黙した。

 

 「私たちの過去の活動についてはろくに話していなかったね。

  今がそのときだろう……長い話になる。コーヒーでも入れよう。

  まだそのくらいの猶予はあるはずだ」

 

 流しに立つと、人数分のコーヒーを入れて教授は戻ってきた。

 その黒い液体でわずかに口を湿らせると、続きを話しはじめた。

 

「あれはどれほど前だったか……確か五年かそこらだったかな。

 私たちがまだ表にいたころのことだ。

 楓君が格闘技経験こそあれ、ただの大学生で、私がその大学の教授。

 青山君は刑事で、世界の闇も何も知らなかった。

 そして彼女も……」

 

 暁は、楓が過去のことを話したわずかな記憶を掘り起こそうとした。

 

 「以前、師匠は仲間にもう一人いたって言ってました。

  彼女ってその人のことですか?」

 

「……ああ、そうだ。名前は美樹君と言った。

 楓君と仲が良くて、不愛想な楓君とは対照的に表情豊かでころころとよく笑う子だったよ。

 私たちが戦い抜けたのも、彼女の笑顔があったからだ」

 

 教授の言葉を青山が引き継ぎ、続けた。

 

 「話を戻そう。

  教授たちの大学であるとき変死事件が起きた。

  俺は刑事としてその事件の捜査に当たった。

  だけど、今のお前ならわかるだろう。

  その事件の裏にいたのは怪物で、俺も、他の三人も命の危険に陥った。

  ……だが俺たちはそれを切り抜けた。切り抜けてしまったんだ……」

 

 「……何があったんですか」


 「楓と実樹が、それぞれ神の力を引き出す道具を手に入れた。

  俺たちはその力で怪物と戦う力を得て、事件にのめりこんでいった。

  ……何の力もなければ、ひたすらに逃げ出していたかもしれないのにな」


 神の力を引き出す道具。暁は楓の持っていた黒い真珠を思い出した。

 そして青山は一息にコーヒーを飲み干すと、続きを語りだした。


 「俺たちが遭遇した事件については詳細は省こう。

  もう終わったことだし関係もない。黒幕が神を降臨させようとしていただけだ。

  そして黒幕は倒したが……俺たちは一瞬だけ向こう側を覗き込んでしまった。神のいる向こう側をな。

  その一瞬に耐えきれず、俺たちはそれぞれ色々なものを奪われた。

  俺は神を見た目を抉りだし……美樹は心を奪われた。

  人ではなくなった美樹は、道具の力で神を呼ぼうとした。

  ……だから俺たちが倒したんだ」

 

 「師匠は、そのとき……」

 

 「……楓が美樹を殺した。美樹に対抗できるのは楓だけだったからな」

 

 青山の言葉を、静かに教授が引き継いだ。

 

 「楓君と実樹君は同年代の友人として、特に仲がよかった。

  ……だけど、美樹君が暴走したとき、真っ先に動いたのは彼女だったよ。

  それから私たちは、もう表に戻る気にもなれず、裏でやつらと戦い続けてきたわけだ。

  ……話を戻そう。改めて言うが楓君が暴走した以上、彼女を殺すしかない。

  そうしない選択肢は、もう私たちにはない」

 

 「何か、何か暴走を抑える手段はないんですか……」

 

 「……残念だが、私なりに魔術の研究をしたが、そんな手段は見つからなかったよ。

  十年近く前に最高の魔女が国外に離脱したことで、この国の魔術研究が国外より遅れを取っていることもある。

  国外につてがあればまた別だったのかもしれないが……」

 

 黙り込んだ暁と教授にいら立つように、青山は頭をかきむしった。

 

 「話を戻すぞ。どうやって楓を殺すかだが、まずあいつを補足する必要がある。

  例えば、楓の心がまだ残っているのなら、あいつにとって思い出のある場所に来るかもしれない。

  あるいは、もう心をなくして邪神復活のことだけを考えているのなら、

  道具を使って事件を起こすか、あるいは器として暁を狙ってくるか……」

 

 青山はそこでコーヒーカップを口に運んだが、中身が空なことに気づきテーブルに戻した。

 

 「まだ楓が動きを見せていない以上、暁、楓に対抗できるお前を連れて検討のつく場所を巡ることになる。

  教授が案内する。一緒に行動してくれ」

 

 「……わかりました。青山さんは?」

 

 「俺は俺で楓の目撃情報を探る。

  俺一人でいるときに襲撃されたら対抗できないから、事務所からは離れさせてもらう。

  お前たちもここからは早く離れた方がいい。

  この事務所の場所を楓も知っている以上、あいつがその気なら、遠距離から一方的に攻撃されることになる。行くぞ」

 

 そう言って青山は席を立った。続けて教授も。少し遅れて暁も。

 

 

 *

 

 事務所の車庫。

 教授は、普段楓が使っていた車に暁とともに乗り込んだ。

 

 「思い出の場所って、具体的にはどこにいくんですか?」

 

 「そうだね……。

  彼女にとって思い出の場所といえば、まだ美樹君がいたころ、私たちがまだ日常の側にいたころだろう。

  そこに行くとするか。長距離運転になるし、車を降りて人の目がある中で行動することにもなる。

  不安はあるが黎明は脱いでおいてくれ……ああ、シートベルトも忘れずにね。

  普段運転は楓君に任せていて、私が運転するのは久しぶりなんだ」

 

 暁は、教授の冗談に笑い返す気にもなれず、助手席の足元に黎明の入ったトランクを置き、シートベルトを締めた。

 それを確認すると、教授はエンジンをかけ、車を動き出させた。

 

 「まずは、私たちが通っていた大学に行くとしようか。

  暁君、いざとなれば君が頼りになる。

  運転中は少しでも眠って体力を回復させなさい」

 

 「それじゃあ、お言葉に甘えて……」

 

 暁は眠れる気がしなかったが、それでも体は疲れていたのだろう。

 助手席のシートを倒し、目をつぶるとゆっくりと意識が遠のいていった。


 そして暁が眠っている間、教授が車を走らせること数時間が過ぎた。

 途中のサービスエリアで教授も仮眠を取ったこともあり、暁たちは昼頃に市街地にある大学へと到着した。

 そこは建物も新しい大学で、学生たちでキャンバスが賑わっていた。

 

 「……あの頃の面影はないね。あの事件も何もかも、忘れられてしまったのか」

 

 「教授……?」

 

 「ああ、すまないね。昔の事件のせいで大学の建物も建て替わっていてね。

  公にはガス爆発ということになっているが……」

 

 車を駐車場に停めて降りると、教授は迷いのない足取りで人をかきわけ、キャンバスの一角へと向かっていった。

 そこには、他の建物よりいくらか古い建物があり、学生たちが出入りしていた。

 

 「こっちは変わっていないな。……ここに入っている研究室が私の職場だった。

  楓君や美樹君はその生徒で、研究結果を出すためによく深夜まで残っていた」

 

 暁は教授の言葉を聞きながら、辺りをきょろきょろと見回した。

 

 「それはそうと、ぱっと見た感じ師匠はいませんけど、どうしましょうか?

  それに、今師匠が攻撃しかけてきたらまずくないですか……」

 

 「大丈夫だ。私にも科学と魔術の心得があると言っただろう。

  特殊なセンサーを稼働させていて、楓君の反応を探っている。接近してくればわかる」

 

 教授は白衣のポケットの膨らみを軽く叩いて暁に示した。

 

 「さて、ここは外れだったようだね、そうすると……」

 

 教授が話している途中で、呼びかける声が聞こえてきた。

 

 「新見教授……? 新見教授じゃないですか?」

 

 暁がそちらを見ると、眼鏡をかけて髪をそっけなくまとめた、三十過ぎの白衣の女性がいた。

 だが、同時に暁は違和感を覚えた。彼女の言う新見教授が暁の隣にいる『教授』だとしても、

 いや、そうじゃなかったとしても、『教授』はその声がまるで聞こえてないかのように反応を示さなかった。

 

 「あの、教授、どうかしたんですか? 呼んでますけど……」

 

 「ん、暁君、なんだって……?」

 

 「ああ、やっぱり新見教授だ」

 

 さっきまで声をかけてきていた女性がこちらに歩いてくる。

 それを見て、初めて教授は反応を示した。

 

 「……ああ、松本君か。元気にしていたかね」

 

 「それはこっちが言いたいですよ。

  新見教授ったら急に大学辞めちゃって……元気にしていましたか」

 

 「まあ、ね。暁君、こちらは松本君、かつての私の助手だよ。

 松本君、こっちは暁君といって……知り合いの息子さんだよ。

 入試に備えて大学を見せに来たんだ」

 

 教授は話しかけてきた女性と暁を紹介しあった。

 暁は松本が教授の元助手だということから、こちら側の事情を知っているのかと一瞬考えたが、

 教授のぼかした説明から、そうではなさそうだと判断した。

 

 「私が辞めてからのことは聞いていないが、松本君、君は今どうしているんだい?」

 

 「他の研究室でまた助手やってますよ。

  研究や雑務で毎日忙しいです。新見教授は他の大学に……?」

 

 「いや、もう歳だし、引退して気楽にやっているよ。

  ところで、もし知っていたらでいいんだが、楓君を見なかったかな。

  一緒に暁君の案内をする予定だったのが、はぐれてしまったんだ。

  連絡しようにも携帯がつながらなくってね。彼女のことを覚えているかな?」

 

 「楓君って、うちの研究室の元学生で、実験の待ち時間にジャブの練習してて、勢い余って機材壊した子ですよね。そりゃ覚えてますよ」

 

 苦笑する松本。師匠にもそんなころがあったのかと暁は思った。

 

 「でも残念ですけど見てないですね。ご期待に沿えなくて申し訳ありません」

 

 「そうかい。じゃあ地道に探してみるよ」

 

 それじゃあ、と手を振って松本と教授は別れた。それを見て、暁は教授に話しかけた。

 

 「教授の名前、新見って言うんですね。初めて知りました」

 

 「…………」

 

 「……教授?」

 

 反応がない。いぶかしがる暁の反応を見て、初めて教授は自分が話しかけられていることに気が付いたようだった。

 

 「……ああ、すまないね。私の名前を呼んだのかな? 認識できなかったようだ」

 

 「認識って……」

 

 「神を見た代償、だよ。青山君は視力を、美樹君は正気を……私は自分の名前を奪われた。

  名前で呼ばれても理解できないんだ。

  だから、私を呼ぶときは今まで通り教授で頼むよ」

 

 絶句する暁の肩を軽く叩くと、教授は言った。

 

 「ここにいないのならしょうがない。後はあそこだ。……戦闘になる可能性が高い。覚悟していてくれ」

 

 

 *

 

 市街地から離れること数十分。

 そこは開発に失敗し、半ばゴーストタウンと化したビル街だった。

 人の気配はなく、それどころか暁にはどこか忌まわしい気配すら感じとれた。

 

 「教授、ここは……」

 

 「五年前、我々が神を目撃し……美樹君を殺した場所だ。

  まだ瘴気が残っているようだね。開発失敗もそのせいか」

 

 そう言いながら、教授は足を進める。

 しばらく歩いたその先は、辺りが焼け落ち、平地となった一角だった。

 ここが戦いの現場だったのだろうと、暁は思った。

 

 「……美樹君。あの子はいい子だった。

  私たちが戦いの中でも自分を見失わずにいられたのはあの子がいたからだった。

  よく言っていたよ。こんなことは間違っている。終わらせて、日常に帰ろう、とね」

 

 「いい人だったんですね……。

  ……すいません、そういえば気になったんですが、師匠の黒真珠みたいな美樹さんの道具はどうなったんですか?」

 

 「楓君が破壊した。彼女の道具は特別な水晶だったが、粉々になって吹き飛んだよ」

 

 教授はそう言うと足元の焼け跡を踏みしめ、暁に向かって話しかけた。

 

 「暁君、君は理系の大学生じゃないからわからないかな。

  理系の大学で研究室に入るのは四回生からなんだ。

  そして五年前の時点で楓君はそうだった。今の彼女の見た目はどうだい?」

 

 暁は思った。せいぜい二十かそこらだ。確かに、若く見える。

 

 「楓君は神の力を引き出すあの黒真珠を使ったせいか、

  あるいは神に見られたせいか老化が止まってしまった。日常に帰ることなんてできるはずもない。

  ……それに、もっとおぞましいことも起こっていた」

 

 「まだ、あるんですか」

 

 「彼女が何故、常にコートを着ているか知っているかね。……肌を見せたくないんだ。

  彼女の体には鱗が生えてきていた。水の力を使った副作用か、あの魚人たちのようにね。

  彼女は、常に飲み込まれる危険を冒しながら戦っていた」

 

 暁は、教授の言葉を聞いて、拳を握りしめた。

 

 「……それでも、誰かの日常を守りたかったんですね」

 

 「……ああ」

 

 「師匠は言っていました。自分たちのようなことを繰り返さないために戦っている、と。

  師匠が飲み込まれてしまったのなら、今度は俺が……」

 

 暁のその言葉を遮り、慌てた様子で教授は叫んだ。

 

 「暁君、黎明を着ろ。彼女が接近してくる!」

 

 次の瞬間、二人の立つ地面から水柱が爆発音を上げて吹きあがり、二人を吹き飛ばした。

 

 「くっ……」

 

 暁は水柱の一撃をとっさに黎明を装着することで耐えた。

 地面に打ち付けられるところを、受け身を取り地面を転がって衝撃を殺す。

 同時に黎明のセンサーがもたらす情報を把握する。

 近くの廃ビルの屋上、そこに彼女はいた。

 

 「師匠!」

 

 暁の叫び。それに応えて、楓は跳躍し、地面に降り立った。

 高さによるダメージなどまるで感じさせない様子で。

 

 「喋りすぎだよ、二人とも」

 

 「師匠……」

 

 楓の姿は一見いつもと変わらなかった。

 だが、目が違う。

 まばたき一つせず、青い瞳でただ暁をじっと見つめていた。

 あの距離で会話を聞き取っていたのか。そして教授はどうしたのか。

 暁は楓から目をそらさないまま、黎明のセンサーで探知を行っていたが、教授の反応はなかった。

 これ以上気を取られている余裕はないと、暁は教授の無事を祈った。

 

 「師匠、正気に戻ってください。何をするつもりなんですか」

 

 暁の最後の説得の言葉、だがそれが楓の心に響くことはなかった。

 

 「正気だって? 私は狂ってなんかいない。私がやろうとしていることは今も昔も変わらないよ」

 

 「何をしようって言うんですか」

 

 「決まっている。邪神を皆殺しにするんだ」

 

 知る人からすればそれこそできっこない、何人もが陥った狂気の言葉。

 

 「君に詳しくは説明していなかったけど、

  この世界には複数の邪神が眠っており、それぞれ崇拝者たちが呼び起こそうとしている。

  その有様は吐き気がするくらいだ。

  いちいち全部に対処するのはきりがない……ならお互いにぶつけ合わせればどうかな。

  伝承によれば邪神たちは相互に敵対するのも珍しくはないという。

  最初に何かを召喚してけしかければ、後は芋づる式だ。

  眠りなど覚めて邪神同士での戦いだ。全てを終わらせることができる」

 

 「そんなことになれば世界がどうなると思ってるんですか!」

 

 「邪神が滅んだ後に、一人。いや、二人人間が残っていればいい。

  そこから新しい世界で人類は再生できる」

 

 「……狂っている」

 

 吐き捨てる暁。楓が正気だとは思えなかった。

 黒真珠の、神の力に飲み込まれて何もかも都合のいいように考えている。

 いや、楓自らの邪神を殺したいという思いとの融合なのだろうか。

 暁にはわからなかった。

 

 「狂っているなら、邪神なんている今の世界が狂っているんだよ。

  日常に帰りたいと美樹は言っていた。

  そんな彼女に、世界を、日常を壊させるわけにはいかなかった。だから私が殺した。

  ……そして、世界が狂っているなら私が壊して日常を作り出す」

 

 暁はそれ以上、変わり果てた師の言葉を聞けなかった。そして無言のまま、楓に向かって構えを取った。

 その姿を見て、楓はため息をつきながら言った。

 

 「……あの魚人が言っていただろう。やつらは黎明を神の器にしようとしていたって。

  今の私にはそのやり方がわかる。

  黎明に神を召喚し、それを呼び水にして邪神同士の滅ぼし合いを始めることができる。

  さあ黎明をよこせ。そうすれば君は見逃してやる」

 

 「世界を滅ぼそうって相手に、そんなことできるわけないだろ!」

 

 拳を握りしめ、暁は楓に向かって突撃する。

 だが、拳を突き出した瞬間、楓にその腕を取られ、空高く投げ飛ばされた。

 楓の技術は変わらない。

 だが、技術を生かす身体能力が桁違いになっている。

 

 「くっ……!」

 

 空中体勢を立て直そうとした暁の背に冷や汗が伝う。

 暁に向かって振りかぶった楓の右手の中に、大量の水が槍のように集められていた。

 身動きが取れない空中で追撃を受ければ、その威力は黎明の許容量を超え、内部の暁はただではすまないだろう。

 とっさにワイヤーを射出して周囲のビルに取りつこうとするが、わずかに間に合わない。

 暁が衝撃を覚悟したその時、銃弾が楓の体を貫いた。

 

 「えっ……!?」

 

 楓の体がのけぞった隙に着地を済ませた暁は、周囲を見回す。

 すると、近くビルの屋上にありえない姿があった。

 

 義手義足だったのだろうか、教授の両足がありえない長さに延び、

 右腕の先は抜け落ち、マシンガンが姿を現して煙を上げていた。

 

 「きょ、教授、それは一体!?

 

 「なに、ちょっとした魔術と科学の融合だよ」

 

 「……なるほど。私も初めて見るよ」

 

 傷口から煙を上げながら体を再生させ、楓が体勢を立て直す。

 

 「だけど無駄だよ。銃弾なんかじゃ私は殺せない」

 

 「科学とは試してみなくてはわからないことさ。そして死ぬまで試せば死ぬ!

  暁君、いくぞ!」

 

 「はい!」

 

 教授は暁もろとも楓めがけて銃弾を乱射した。どうせ銃弾では黎明の装甲を貫けない。

 教授が銃撃で援護する中、暁は水による攻撃を警戒し、ジグザグに走りながら楓に迫る。

 

 「面倒だな。一人ずつ始末させてもらおうか」

 

 楓の蹴りが、迫る暁にカウンターで決まる。

 楓は暁の格闘の師匠であり、技量でははるかに凌駕している。さらに今では神の力で変異した身体能力が加わっていた。

 暁の体が再び吹き飛ばされる。

 致命傷とならなかったのは、教授の銃撃が楓に命中し、勢いを削いでいたからでしかない。

 

 「……まず一人!」

 

 楓は暁を蹴り飛ばして距離を取ると、ビルの上から銃撃を繰り返す教授に向けて、水の槍を投擲した。

 高圧水流の槍は、命中すれば人間の肉体などミンチに変えることができる。

 

 「!?」

 

 だが教授は跳んだ。両足をばねのように収縮させ、空に跳んだのだ。

 これが彼の研究した科学と魔術の融合である。

 だが楓は即座に動揺から立ち直った。

 空中では軌道の変更ができないし、黎明のように教授が義手にワイヤーを内蔵していたとしても

 跳躍の軌道上にそれを使えそうな建物はない。

 

 「詰みだよ、教授」

 

 再び投擲された槍が教授の胴体を貫き、粉砕する。

 だが、それで巻き散らされたのは血肉ではない。ネジやゼンマイ。

 教授は自らの肉体を機械へと置き換えていたのだ。

 

 「なるほど……後で頭部を破壊する必要があるな」

 

 だが教授は深刻な損傷を負った。もはや戦闘では敵ではない。まずは暁にとどめを刺す。

 そう楓が判断したときだった、

 教授が破壊されると同時に、上空から投げ落とした爆薬が炸裂したのは。

 

 「……がっ!?」

 

 激しい爆発に楓は吹き飛ばされ、吹きあがった煙と衝撃で視力と聴覚を奪われた。

 いけない、早く立ち直らなくてはと、楓が立ち上がろうとしたとき、すでに眼前に迫る影があった。

 装甲で爆発を無効化し、センサーで楓の姿を捉え、飛び込んできた暁が。

 暁の右拳が防御を許さず、楓の胸を貫く。

 

 「……がはっ」

 

 口から鮮血を吐き出す。楓と暁、二人ともが。

 楓は回避が不可能と見るや、相打ち狙いでのカウンターに賭けたのだ。

 彼女の水をまとった抜き手は、黎明の装甲もろとも暁の胸を貫いていた。

 

 「惜しかったね、暁……私はまだ再生できる。だけど君は人間だ。

  さようなら」

 

 だが暁は、まだ絶命していなかった。残された左腕で楓の体を引き寄せて抱き留める。

 

 「何を……!?」

 

 「……師匠、あんたは俺が止めるって決めたんだ。

  黎明、音声認識! 締め潰せ! 俺が死んでも腕を止めるな!」

 

 その言葉を最後に暁は意識を失い、そして黎明は主の命令に従った。

 胸を貫いた右腕と背後に回された左腕が交差するように楓の体を締め付ける。

 

 「……こんな、ところでっ……!」

 

 楓も抜け出そうと必死に抵抗するが、胸を貫かれた体では満足に力が出ない。

 そして機械である黎明には損傷など関係なかった。

 戦場に、ただ楓の悲鳴だけがこだました。

 

 

 *

 

 それからどれだけ時間が経っただろうか。

 瓦礫の中に転がっていた人間の頭部が、やってきた何者かに拾い上げられた。

 

 「ひどい有様じゃねえか、教授……」

 

 「青山君か。……ああ、そうだね。私は見ていることしかできなかったよ」

 

 「坊主と楓は……?」

 

 「楓君は、あっちで転がっているよ。大分苦しんでいた。私にとどめを刺せる力が残っていればね……」

 

 「そうか……見えない俺じゃ正確な位置がわからん。指示を頼む。跡形も残さず燃やすぞ。

  それから坊主は……?」

 

 「暁君は……どうやら、黎明には私たちの知らない力がまだあるようだよ」

 

 教授の視線の先では、疲労困憊した暁が黎明をつけたまま眠っていた。

 胸部装甲は楓に貫かれたまま破り取られ、しかしその下の素肌には傷もない様子で。

 

 「……事情はわからねえが、ま、生きてるだけ儲けものだ。

  帰ろう、教授。まだ俺たちの戦いは続くんだ……」

 

 

 *

 

 楓がいなくなっても、暁たち三人は戦い続けた。

 だが、その様子は今までとは違ってしまっていた。

 

 楓はいつか暁を日常に帰すつもりだった。

 だが、楓をその手で殺めたことで、彼らの中で歯止めがなくなってしまったのだ。

 敵対するこの世ならぬもの全てを殺し尽くすような有様だった。


 彼らは短い間に裏の世界にその名を轟かせたが、そんな戦いは長くは続かない。

 戦いの中、教授が、青山が倒れ、そして、暁も今……。

 

 「……ここまで、か」

 

 術で人払いがされた暗い路地裏。

 周囲に魚人の死体が散らばる中で、暁はうずくまっていた。

 

 拠点を失った中での戦いに次ぐ戦いで、黎明の動力は途絶えようとしていた。

 何故襲ってきた敵なのかもわかりはしない。暁たちは因縁を作り過ぎた。

 

 「ここで倒れるってことは、俺たちは、間違っていたのかな……。

  ……いや、それでも止まるわけにはいかなかったんだ」

 

 「本当にそうかな」

 

 暁はその声に反応して顔を上げた。

 路地裏に広がる血だまりに足を踏み入れる音。

 そこには祖父の研究所で副所長を務めていた小林の姿があった。

 

 「あんた……やっぱりこっち側の人間だったのか」

 

 「私のことなんてどうでもいい。

  暁君、君は私に祖父の、仁の研究が正しかったと教えてくれるんじゃなかったかね。

  それがなんだ、その有様は」

 

 祖父の研究。かつては憧れだったそれを、暁はもはや思い描くことができなくなっていた。

 

 「……そうか、あんたの言う通り、おじいちゃんの研究は世界を壊すもので……」

 

 「違う……! 暁君。君には言った以上義務がある。自らの手で、仁の研究が正しかったと証明する義務が!」

 

 「小林さん。あんたは、一体……」

 

 「戦いたまえ。暁君。君の戦いはまだ続くんだ」

 

 暁が小林に手を伸ばそうとしたところで黎明の動力が限界を迎え、脱げ落ちる。

 暁はその勢いで無様に血だまりの中に倒れこんだ。

 顔を上げると小林の姿はもうない。

 いや、初めからそこにいたのだろうか。

 

 「……死ぬ前の幻覚、か」

 

 小林が消え去り、新たな臭気が近寄ってくる。魚人たちの増援だろう。

 黎明がない今、暁にもはや打つ手はない。

 

 「いや、まだだ。終わることなんてできない……」

 

 黎明をトランクに収め、少しでもこの場から離れようとする。

 だが疲れ切った体は重く、思うように動いてくれなかった。

 無慈悲に臭気が迫る中、それでも暁は一歩でも動こうとした。

 そして、そんな彼の前に駆け込んできたものがあった。

 

 「……リムジン?」

 

 「乗ってください、暁さん! 早く!」

 

 後部座席のドアを開けて叫んだのは、かつて助けた雨霧翡翠だった。

 

 

 *

 

 リムジンに乗ってその場を離れることしばらく。

 暁は翡翠から渡されたタオルで汚れを拭き取り、柔らかなシートに疲労した体をうずめていた。

 

 「……暁さん、あれからずっと戦っていたんですね」

 

 「ああ……」

 

 「大変だったんですね……だから、私がまた襲われたときも助けにきてくれなかった……」

 

 「また狙われたのか!」

 

 がばっと音を立てて起き上がる暁。

 そんな暁を見て、翡翠はくすくすと笑った。

 

 「嘘です。暁さんのおかげであれから大丈夫です。

  ……慌ててくれたから、今まで忘れていたことは許してあげます」

 

 「嘘じゃすまないこと言うなよ、おい」

 

 暁は疲れがどっと出て、頭を抱えた。

 

 「お疲れのようですね。……じゃあ、もう休んでもいいんじゃないですか。

  お世話になった身です。あなた一人なら雨霧グループで面倒を見ることも可能です。

  ……今のあなたを見ているのはつらいんです」

 

 「ああ、そうだな……それは本当にありがたいよ。

  ……でも、できないんだ。まだ俺は、何も成し遂げちゃいない」

 

 「暁さんは、私を助けてくれました。それだけで私には十分です」

 

 暁は、不意にきょとんとした顔をした。

 

 「あ、なんですかその顔」

 

 「いや、そうだな。俺も人を助けることができてたんだな、って。

  ……うん、だったらまだ止まれないよ。

  この力だって、もっと人を助けることができるはずなんだから……」

 

 「……本当に、困った人ですね」

 

 翡翠はため息をつくと、しょうがないものを見る目で暁を見た。

 

 「……でも、そういうことも予想できなくはありませんでした。

  暁さん、私には亡くなった両親から受け継いだものと、祖父から生前贈与されたもので、雨霧グループの株をかなり保有しています。

  私には、グループを動かして、あなたを支援することができる」

 

 「翡翠にそうする理由なんてないだろ! 悪いことは言わないから、俺なんて忘れて日常に戻るんだ!」

 

 「行き倒れてた人が何を言っているんですか……。

  それに、私だってこの世界の裏側をのぞき込んでしまったんです。

  忘れることなんてできないし……危なくなったら、誰が助けてくれるんでしたっけ?」

 

 「うっ……」

 

 「覚悟を決めてくださいね、婚約者さん」

 

 「な、なんだよ、急に!」

 

 「いえ、あれから胸のときめきがないものでして。

  ……この人工心臓のせいでしょうか? 責任、取ってくれるんですよね?」

 

 「ぐうっ……」

 

 うなる暁とくすくすと笑う翡翠。

 それが、暁の過去の物語の終わりであり、ヒヒイロカネの始まりであった。

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