第20話 師匠
楓たちが拠点とするビル。
その会議室で暁たち四人は、敵本拠地への殴り込みに向けて、最後の打ち合わせを行っていた。
「さて、会議を始めよう。
深きものどもは日本だけでもいくつもの集団を組織している。
今回私たちが襲撃するのはその内の一つ。今まで戦ってきた相手である、御堂仁の研究を狙っている連中だ。
やつらは横の連携はそれほど強くないようだからね、この集団を全滅させれば、後顧の憂いは立てるだろう」
会話を切り出したのは老齢の男性である教授。
その物騒な内容の発言にも関わらず、その穏やかな口調は、名前通り生徒相手に授業をしているかのようでもあった。
「そして、俺がこれまでに調べた情報と、楓が捕らえた敵構成員から得た情報によって、敵の本拠地がわかった」
会話を引き継いだのは情報収集担当の青山。
視力を失っていることから、室内でもそのサングラスは外さない。
「場所は海岸沿いにある洞窟だ。
とはいえ、隠ぺい工作がされていて、入り口は海から少し離れた陸側になっている。
そこから入ってしばらく行くと、洞窟の奥が海につながっているらしい。
……とはいえ、素直に攻め込むには問題がある」
青山は、そこで一度言葉を切った。
「隠ぺいされた入り口は、緊急脱出路も兼ねて複数ある。
完全に覚醒してない混血種がそこから逃げるおそれがある。
そして深きものどもは海からいくらでも脱出できるだろう。
全滅させるにはひと手間かける必要がある。
幸い、坊主や楓が雨霧鷹彦に実力を見せたことで、いくらか資金援助を受けることができた。
久しぶりに派手にやれる」
「派手って、具体的にはどうするんですか?」
暁の疑問に楓が答えた。
「爆弾だよ。私たちが侵入する陸からの出入り口一つを残して、
海からの出入り口も陸からの出入り口も爆破して塞いでしまうんだ。
雨霧鷹彦は隠ぺいのこともあり、あんまり派手にするなとは言っていたけど、
まあ背に腹は変えられないしね」
「いや、依頼人の注文には応えた方がいいんじゃ……」
「ここでやつらを逃せば足取りがつかめなくなる。
他の集団に情報を持って逃げ込まれたら元のもくあみだ。
依頼人のことを考えるなら、雨霧翡翠の安全のために確実に全滅させる必要がある」
「そう、ですね。
……ところで、敵は本拠地がばれてるってわかってるんでしょうか。
わかってるんだったら逃げ出したりしないんですか?」
生徒の質問に答えるかのように、暁の質問に対して教授が返答した。
「暁君の疑問は最もだね。
確信しているかはともかく、敵も本拠地が割れていると考えていてもおかしくないだろう。
だが、ここで逃げ出すことはできない。
なぜなら、敵の本拠地は、むしろ祭場という方が正しいのだからね。
彼らは星の巡りに応じて定期的にそこで儀式を行う。
ここで逃げて儀式を台無しにするわけには敵としてはできない話だ。
ただ、次の儀式までには年間隔の時間がある。
ここで襲撃をしくじれば、やつらは今の祭場を捨てて逃げ、別の祭場を築くだろうね」
「まあまとめると、敵は本拠地がばれてるとわかって備えはしているだろう。
それでもここで確実に仕留めなければ非常に面倒になる、ってことだね」
「……楓君、簡単にまとめないでくれるかね」
「教授は話が長い。だから授業のときも居眠りしている生徒が多かった。
私もあの子もこっそり寝ていた」
「悪かったね!」
教授と楓、かつての教師と教え子だという二人のじゃれあいに、暁は入り込めないものを感じていた。
昔ながらの付き合いというものだろうか。
騒いでいる二人をたしなめるかのように、青山が声を上げた。
「冗談はそこまでにしとけ。
状況の整理は終わったな。それじゃあ襲撃に向けて分担と手順を決めるぞ」
*
深夜。海岸沿いの小さな町。
そこから少し離れた人気のない廃棄された建物。
その地下室に、深きものどもの本拠地への入り口の一つがあった。
「埃の上に真新しい足跡があるね。ここが入り口で間違いないようだ」
「はい。黎明のセンサーにもくっきり映ってます。
……でも、人間の靴跡ですけど?」
楓の言葉に、暁が疑問を発した。
「深きものと人間の混血は徐々に深きものとして覚醒するって言わなかったっけ。
若い内なら人間として振る舞える。
完全に覚醒している方は、海の方の出入り口を使ってるだろうね」
「……坊主、見た目が人間でも躊躇はするなよ。
情報を持っている以上、絶対に逃すわけにはいかない。
それにこんな儀式の場にいる以上、あいつらは自分でその道を選んだんだ。
この先で行われているのは血塗られた生贄を邪神に捧げる儀式。
仲良くフォークダンスでも踊りに来てるわけじゃないんだ」
「……はい」
「改めて役割を確認するよ。
私と暁がここから侵入して地下洞窟の中に入り、敵と接触したら黎明の通信機で合図を送る。
他の地上の出入り口と、海からの出入り口を昼の内に仕掛けておいた爆弾で遠隔爆破しちゃって」
「うむ。黎明の通信機は地下でも使えるから便利でいいねえ」
「中の敵は倒しながら進むけど、
洞窟は結構枝分かれしてるらしいから、取りこぼしが出るかもしれない」
「まあその場合でも使える出入り口はここしかないから、俺と教授でここを張っておく。
待ち伏せすればいくらか相手はできるはずだ」
「……二人だけで、大丈夫なんですか?」
青山たちの安全を心配する暁だったが、教授がそれに答えた。
「私にも若干の魔術の心得があると言っただろう?
それに青山君の耳はやつらについて敏感だ。取りこぼしくらいならなんとかなるさ。
……まああまりこっちまで漏れてくる敵が多いようなら逃げるしかないのだがね。
なるべく君たちが止めてもらえると助かる」
「……努力はします」
「それから、矛盾するようだが、我々が把握してない他の出入り口や、あるいは空間を繋ぐ門がないとも限らない。
逃げ出されないように迅速な制圧をお願いするよ」
「わかった、教授。今日は出し惜しみなしでいく」
「……ああ、お願いするよ」
無表情ながら、決意のこもった楓の声と、それを案ずるような教授の言葉。
暁は何かあるのかと疑問に思ったが、その疑問は長くは続かなかった。
「暁、それじゃあ突入するよ。準備はいいね」
「俺はいいですけど……師匠は明かりどうするんですか? 中は暗いですよ」
「言ったろ。出し惜しみはなしだってね」
*
洞窟の中を二人は進む。
明かりはなく、脇道も多い中を、先にこの洞窟を進んだ連中の足跡を頼りに進んでいく。
暁が暗闇の中でも不自由していなかったのは黎明のセンサーを使っていたからだ。
だが、楓は何の道具も使わずに、暗闇の中を暁以上に見通すかのようだった。
それがどんな手段によるものか、暁にはわからなかった。
だが、疑問に思っている暇はなかった。
黎明の聴覚センサーに反応があった。
前方にいる何者かが立てた音。
見張りがいる。身振りで楓に止まるように合図をする。
洞窟の曲がり角に身を隠し、こっそりと前方を伺う。
銃を持った人影が二ついる。装備からしてまだ人間に近いやつらだろう。
ここで時間をかけるわけにもいかないし、小細工の準備もない。
暁と楓は頷き合うと、見張りに向かって突撃した。
「……!?」
暁と楓は当然見張りに気づかれるが、黎明の脚力がもたらす爆発的な速度と、それにも劣らぬ楓の速度で不意を突いて間合いを詰める。
二人の拳と蹴りが即座に見張りを仕留めた。
だが、不幸にも殴り飛ばされた見張りが銃を取り落し、暴発させた。
銃声が洞窟の中に響き渡る。
「暁、こうなったら仕方ない。青山たちに爆破の連絡」
「はい!」
暁が二人に連絡を入れると、楓は爆破に備えて耳と目を塞いで口を開けた。
すぐに爆音が幾度も響き渡り、暁と楓の体を打ちのめす。
「……落ち着いたかな」
「そうだね。こういうときは、その黎明がうらやましくなるよ」
爆破の衝撃で降り注いだ埃を体から楓は払い落としながら言った。
「ここからは時間との勝負だ。行くよ」
*
そこからは、暁たちの襲撃を感知した敵が迎撃に出てきた。
今更ただのディープワンや銃を持ったなりかけで二人を倒すことなどできないはしない。
だが、敵も当然、暁たちを警戒して準備はしていたようだ。
「くっ」
暁の放った蹴りが、目の前の巨大な深きものに跳ね返される。
洞窟の大きさ一杯もある巨大さ。肥大した筋肉。そして力を誇示するかのようなドラミング。
それは紛れもなく深きものとゴリラの混血種だった。
「魚類か哺乳類かはっきりしやがれ! 水中行動捨ててるじゃねーか!」
「深きものの陸への侵攻用の個体ってことだね」
ゴリラディープワンの拳をかわしながら言い合う二人。
その間にもゴリラディープワンの空ぶった拳は壁を抉り、洞窟を振動させていた。
「調子に、乗るな!」
暁が両手からワイヤーを放ち、ゴリラディープワンに巻き付ける。
そして放たれる高圧電流。
敵の悲鳴が洞窟に響き渡る。
そして動きを封じたところでの楓の頭部への銃撃。
一発、二発、三発。
だがゴリラディープワンはそれすら耐えた。
悲鳴を上げながらもワイヤーを頼りに逆に暁を振り回し、洞窟の壁に叩きつける。
たまらずに暁はワイヤーを切り離し、離脱する。
「単純に強い……! 時間をかけてる暇はないのに……」
「そうだね。時間をかけてる暇はない。……ならしょうがない」
「師匠……?」
楓は、ゆらりとゴリラディープワンの前に立った。
当然のように振り下ろされる敵の拳。
しかし楓はその拳を無造作にかわすと、腕をゴリラディープワンの胸板に突き刺した。
そして一拍の間を置いて抜き取る。その拳には、脈打つ心臓が握られていた。
ゴリラディープワンは、悲鳴を上げることすらできずに倒れ伏した。
「え、一体何を……その手は……!?」
深きものの体液に染まった楓の手は、鱗に包まれ、かぎ爪を生やしていた。
まるでこれまで戦っていた深きものたちのように。
「これが私の奥の手。やつらの神の力を借りる魔道具さ」
ふところから大粒の黒い真珠を取り出しながら、楓は言った。
「……大丈夫なんですか?」
「ああ。……そんな顔をしないでくれ。私は正気だし、やつらは敵だ。
……私はまだここで終わるわけにはいかない」
「……わかりました。でも途中で倒れたりなんかしないでくださいよ」
「当たり前だ。私は君の師匠だぞ」
青く染まった、それでも決意を秘めた瞳を見返して、暁は頷いた。
*
洞窟を進むと、広大な地下空間に出た。
横幅と奥行きがそれぞれ百メートルはあり、空間のほとんどが海水に浸かっていた。
水に浸かっていないのは半月状になった外周部分だけだった。
この空間は本来は水中で海と繋がっていたのだろうが、教授たちの爆破で海と分断されたのだろう。
海水は土砂で暗く濁っていた。
「……追い詰めたぞ。降参しろとは言わない。大人しく倒されろ」
力のあるものたちは暁たちの迎撃に返り討ちにされ、もはや戦う力に乏しいものが残っていたのだろう。
ここに残っていたのはほとんどが人の姿を残したものばかりで、
銃器も装備しておらず、武器は簡易な刃物程度しか持っていなかった。
だが暁は人の姿をしていても、容赦をするつもりはなかった。
なぜなら、この地下空間には、張り付けにされた人間の遺体がいくつもあった。
儀式の生贄だったのだろう。誰もが喉を切り裂かれ、一目で息がないとわかった。
そして残っていた敵たちは、生まれたままの姿で、
その素肌に生贄の血液を塗りたくっていたのだから。
「オノレ、オノレ黎明……」
怨嗟の唸りを上げるのは、この場にいる唯一の完全な魚人、サンゴの冠をつけたディープワンだった。
「御堂暁、祖父同様ニ葬リサッテヤルベキダッタワ……」
「……お前が親玉か。何故おじいちゃんを殺した!」
「ソノ黎明ハ本来アリ得ナイ器デアル。
我々ハソノ黎明ヲ使ッテ神ノ召喚ヲ行ウツモリダッタ。ダガお前タチニ邪魔サレ……」
「そのザマってことか。残念だったな。」
だが、冠をつけたディープワンは魚面を歪ませて笑った。
「イヤ、ヤッテ来テクレテ助カッタ。ココデオ前ヲ倒シテ神ヲ呼バセテモラウ」
「強がりはよせ。もう戦力はいないことはわかっている」
陸上に見える戦力はもはや恐れるに足らず、水中にもこれ以上ディープワンは潜んでいない。
隠れた戦力がいないことは黎明のセンサーで暁にはわかっていた。
「ソレハドウカナ。神ノ加護ハ我ラニアリ! 命ヲ捧ゲヨ!」
「いけない!」
冠のディープワンに向けて楓が銃を撃ち放つ。だが命中したものの、仕留めきることはできなかった。
その間にも、人の姿を残したものたちが、自らの喉を手に持った刃で突き、命を儀式へと捧げた。
傷を負いながらも、冠のディープワンは儀式の詠唱を行った。
「いあ! くとぅるふ! ふたぐん! 古キ同胞タチヨ、今ココニ力ヲ!」
洞窟の奥の水が激しく泡立ち、陸上部分へとあふれ出す。
そして渦の中から、水面に出ているだけで数メートルはある巨大なディープワンが数体、
天井に頭をつかえさせながら現れた。
「な、なんだよこいつら……!」
「ディープワンは長生きすることで際限なく大きくなる!
遠い海底の棲息地から、魔術で呼び寄せたか。暁、下がれ!」
楓の言葉に合わせてとっさに暁は後ろに跳躍した。
一瞬の後に、巨大なディープワンの腕が暁のいた場所に叩きつけられる。
激しい地響きが洞窟を震わせた。
「まともに受けたらただじゃすまないぞ……!」
こんなときにけん制するためのワイヤーは、ゴリラディープワンとの戦いで使ってしまっている。
将来の成長した暁ならそれでもまだ戦い様はあったのだろうが、今の暁にはただ逃げ惑うことしかできない。
そしてそれは楓も同じだ。巨大なディープワンの圧倒的質量の前には、少々人の枠を外れてもどうしようもない。
「師匠、このままじゃあ……!」
暁が後退しようと楓に呼びかける。
ここに来るまでの狭い通路に戻ってしまえば追撃は避けられる。だが、そこまで敵は甘くなかった。
陸地に上陸した巨大なディープワンの腕が洞窟の天井や壁に向かって振り回される。
落盤が起き、ここまで来た通路は岩で塞がれてしまった。
完全に塞がったわけではない。時間をかけて隙間に体をねじこんでいけば脱出は可能だろう。
だが戦闘中にそれができるわけがない。
「無駄ダ。大人シクココデ死ネ」
銃撃による負傷で口から血を吐きながら、冠のディープワンが嘲笑する。
その姿は暁たちから見て、巨大なディープワンたちの向こうにあった。
「……師匠、あいつを倒したらでかぶつたち消えると思います?」
「可能性はあるけど、突破できないと思う。
……しょうがないね」
「師匠……?」
「限界近くまで力を引き出す……私がもたなかったら、後は頼む」
暁が止める間もなく、楓は黒い真珠を握りしめ、その瞳を青く染める。
危険を察知したか、巨大なディープワンたちが地響きを立てて突撃してきたが、一手遅かった。
洞窟の海水が渦を巻き、渦を巻いたまま空中へと舞い上がり、水の竜巻となる。
その水の量と勢いは、この場にある海水だけでは足りず、まるでどこか深海から呼び出しているかのようであった。
「マサカ、コレハ、コレハ……!?」
「行け!」
冠のディープワンが狼狽する中、楓が術を行使する。
水の竜巻が洞窟の中を荒れ狂い、巻き込んだ巨大なディープワンをミキサーのように肉片へと変えていく。
暁は、巻き込まれないように洞窟の隅で伏せているので精一杯だった。
時間的には竜巻が発生していたのはわずかな間だったのだろう。
だがその間に竜巻は洞窟の地形を変え、巨大なディープワンを残さず粉砕していた。
「……師匠!?」
暁が楓の姿を探すと、あれだけの惨状の後にも関わらず、同じ位置に変わらず立っていた。
だが、片手で顔を覆い、もう片方の手で黒真珠を砕けんばかりに握りしめ、うわごとを呟いていた。
「いあ、いあ……」
「師匠、しっかりしてください!」
暁が楓の肩をつかんで必死に揺さぶる。
「……あ、ああ……あ……」
「師匠!」
必死に楓に呼びかける暁。だがそのとき、視界の隅で動く影があった。
「何トイウ、コトダ……」
それは冠のディープワン。
竜巻によるものだろう、片腕を失い、もはや長くないように見えた。
「失ワレタ、神ノ黒真珠……ソノ女コソ我々ガ狙ウベキダッタカ……イヤ、今デモ遅クハナイ……」
「黙れよ、死にぞこない! もうお前にできることは何もない!」
「イヤ、モハヤ私ガ何ヲスルマデモナイ……」
その言葉を最後に、冠のディープワンは倒れ伏し、動かなくなった。
そして暁の腕の中で震えていた楓が、その腕を弾き飛ばすように振りほどく。
「師匠!」
「あ、暁……殺せ……私を殺せ……!」
その言葉を最後に、楓は海水の中へと飛び込んだ。
この洞窟の海水は爆破で海から切り離され、たとえ飛び込んだとしてもどこにも行けないはずだった。
だが、暁が黎明のセンサーでいくら探っても、楓の姿を確認することはもはやできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます