第10話 失踪

 とある家の一室。

 

 憔悴した様子の男と、仮面を被った人物……体型からして女性だろう、その二人が話をしていた。

 

 「ほ、本当にこれでいいんだな……。俺の窮地を救ってくれるんだな……?」

 

 「ああ。あなたが約束を守り、国外から手に入れたあの美術品……像を譲ってくれるのならば、引き換えにあなたを助ける『知恵』を授けよう」

 

 暗闇の中で光を見つけ、表情を明るくする男。

 それが偽りの光だともわからないで……。

 

 

 *

 

 放課後の理事長室。

 いつものヒヒイロカネのミーティング。

 それにいつもと違うことがあるとすれば、翡翠の姿がないことだった。

 

 「あいつ、どうかしたのか? 七緒は同じクラスだし何か知らないか?」

 

 理事長室の茶菓子を主人に無断でほおばりながら、暁は七緒に問いかけた。

 

 「ああ、理事長業とか、実家の雨霧グループでの仕事とか、あと表ざたには出来ないけどヒヒイロカネの仕事とか色々で、出席単位足りないみたい。補習でちょっと遅れるって。

  ……理事長が補習ってどうなの?」

 

 何と言ったらいいかわからないと言う顔をする七緒。

 

 「別に真面目すぎるってわけじゃないぞ。

  翡翠は学校生活楽しんでるところあるからな。

  昔は病弱であんまり学校行けなかったそうだし」

 

 「そうなの? そういえば今も体育とか見学してるけど」

 

 「まあ今は大きな運動しなければ問題はないらしいから、気を使う必要はないぞ。

  本人も望まないだろうし」

 

 ならいいんだけどと、やはり勝手に理事長室の茶器で紅茶を飲む七緒。

 もはや理事長室は勝手知ったる場所であった。

 

 しばらく二人は無言でお茶と茶菓子を楽しんでいたが、

 ふと思い出したかのように、七緒が暁に話しかけた。

 

 「そういえば、友達にあんたと一緒にいるところ見られて、『あんな不良とつきあってるの?』って言われたんだけど、あんた何かやらかしたの?」

 

 「いや、別に? 単に授業さぼってるだけだ。

  学校の時間があったらトレーニングしてるから、最低限の出席だけ取ってさぼってるな」

 

 「学校であんまり見かけないと思ったら……。

  指導とか補習とかは……翡翠の理事長権限か。

  そりゃ私たちに学生生活なんて必要ないけど、あの子、私には真面目に学生として過ごすように言っておいて……」

 

 不満そうな顔の七緒を、暁はまあまあとなだめた。

 

 「翡翠にも考えがあるんだろ。

  俺にはわからないけど、魔道書の研究とか魔術の行使で、

  魔術師って精神の均衡を崩しやすいんだろ?

  実際お前も一回倒れたこともあるし。

  学生生活っていう落ち着ける居場所があった方がいいと思ったんじゃないか?」

 

 「……まあ、否定はしないけど」

 

 それに翡翠は、七緒に学校での自分の友達でいて欲しいと考えたのではないかと暁は思ったが、そこまでは口に出さなかった。

 その代わりに、話題を変えることにした。

 

 「あと俺の場合、実質一年留年した編入生だからな。

  学生生活やるのもつらいんだよ」

 

 「何、あんたも病気でもしてたの?」

 

 そうは見えないけどという七緒に、暁は首を横に振った。

 

 「いや、やつらと戦うのに専念して一年くらい学校に行ってなかった。

  そのころ入学してたのは別の学校だったんだが、翡翠の権限でこの学校に編入したわけだ。

  一応表の顔はあった方がいいからな」

 

 「なるほど。つまり、今までの話を総合すると……」

 

 七緒は、暁の顔を指差した。

 

 「あんた、私生活でも任務でも、私と翡翠以外に話す人間いないんじゃない……?」

 

 「ぐふっ……」

 

 テーブルに突っ伏す暁。大きなダメージを受けたようだった。

 

 「図星か。確かに学校生活しておいた方がよかったかもね。

  ……あ、でもこの間、あんた翡翠とデートしてなかった?」

 

 「してねえよ!」

 

 爆弾発言に顔を上げる暁。だが七緒は動じることなく、話を続けた。

 

 「えー、でも翡翠がこの間、私たち友達と遊ぶの断って、あんたとデートだって言ってたんだけど」

 

 「服買うのに付き合わされただけだよ! 無理に連れ出されたんだ!」

 

 「……デートじゃない」

 

 思わず半目で見てしまう七緒。その視線を受けて暁は慌てて答えた。

 

 「いや、俺はいざというときの護衛代わりだって! 本物の護衛も周囲に複数いるから二人っきりとかじゃないし!」

 

 「……あんたの私服って趣味がよくて生地もいいけど、翡翠の見立てだったりする?」

 

 「ああ、うん」

 

 「はいはい。ごちそうさま。婚約者さん」

 

 違うのに……そう情けなさそうに主張する暁を見て、七緒はおおいに笑った。

 そのとき、小さくドアをノックする音がした。

 二人がどうぞと声をかけると、理事長室の主人である翡翠が部屋に入ってきた。

 

 「お二人とも、遅れてすいませんでした」

 

 「気にしないで。補習だったんでしょ。それで、今日の議題はあるの?」

 

 「ええ、少し面倒な案件が入りまして……」

 

 ヒヒイロカネに実家の方から依頼が入りました。そう翡翠は話した。

 

 *

 

 「ヒヒイロカネの資金や権限などは、私の実家の雨霧グループに由来するものです。

  私個人の権限で動かせる部分もありますが、そうではない部分もある……。

  雨霧グループとして必要だからヒヒイロカネが存在を許されている部分もあるのです」

 

 それはそうだろう、と七緒は思った。

 翡翠は雨霧グループの中で顔が効くと言っていたが、子ども一人の好き勝手でこれだけの権限を動かせるわけがない。

 

 「雨霧グループとその関係者や関係グループについて起こった、人間の仕業ではありえない事件を内密に解決すること。

  それが雨霧グループとしてのヒヒイロカネの存在理由です。

  そんな事件は表ざたになってはいけない。特に地位や名誉があるものにとっては。

  法の介入は可能な限り防ぐ必要があります」

 

 「つまり、いつもみたいにやつら関係の事件を解決しろってことでしょ。

  どこが面倒なの?」

 

 「先ほど言ったように、事件の関係者に地位や名誉、それに財産があるので、

  証拠がない限り強引な手段は取れません。

  それに事件の露見を防ぐことを考えると、いつものように警察から情報を持ってくることも難しいですね」

 

 「私も暁も、捜査能力に自信ないんだけど……」

 

 「いえいえ、ヒヒイロカネの調査部門もありますし、

  いつもより不自由になるだけで、お二人にその辺りを全てやらせるつもりはありません。

  すでに調べられる部分については調査済みです」

 

 そこに、これまで黙って七緒と翡翠の話を聞いていた暁が口を挟んできた。

 

 「まずは、どんな事件か聞かせてくれ。対応はそれからだ」

 

 

 *

 

 その事件は、最初は不可解な誘拐事件として扱われていた。

 雨霧グループと関係する小山という資産家の男性が、ホテルの部屋にいるときに不意に姿を消したのだ。

 

 その時、ちょうど部屋の近くの廊下で仕事をしていた清掃業者は、部屋の中からの小山の叫び声に気づいた。

 何事かと部屋のドアを激しくノックしたが、中から何も応答はなかった。

 

 事件か、あるいは中で転んで頭でも打ったのか、どちらにせよ部屋の鍵がかかっている以上、自分では対処しきれないと判断した清掃業者は、その場でホテルの従業員に携帯電話で連絡をし、マスターキーでドアを開けてもらった。

 

 だが部屋の中には小山の姿はなく、ただ争った痕跡と、片方だけ脱ぎ捨てられた靴が残されていただけだった。

 

 「清掃業者の話を信用するなら、犯人が被害者を連れ出す余裕はないわね……」

 

 「ええ、そうなりますね。普通の手段では」

 

 清掃業者が思い違い、あるいは偽りの証言をしていたとしても、小山がホテルを出る姿を目撃したものは誰もいなかった。

 

 被害者の叫び声を録音機器か何かで偽装した可能性も考慮されたが、そのようなものは現場から発見されなかった。

 

 そして手がかりがない中で警察は捜査を続けたが、被害者の消失から数日後、小山は消失したはずのホテルの部屋から遺体で発見された。

 

 「それも変わり果てた姿……全身を獣の爪のようなもので斬りつけられ、生きたまま拷問を受けた姿でです」

 

 一しきり話し終えた翡翠は、紅茶で喉を潤した。

 

 「なるほど、俺たち向けの事件だ。七緒、何の仕業か思い当たる対象はないか」

 

 「それだけの情報じゃ候補が多すぎて絞り込みきれないわ。もっと手がかりはないの?」

 

 「そうですね。お二人の期待している情報とは違うかもしれませんが……小山さんは、金銭トラブルを抱えていたそうです」

 

 金銭トラブルとは言っても、小山は借りる側ではなく貸す側。

 大学以来の友人であり、こちらも事業をやっている三木という男との間で関係がこじれていたらしい。

 

 行方不明時にホテルに滞在していたのも、三木との金銭のやり取りのためだったという。

 警察も三木を疑い、事情聴取を行ったが、証拠不十分で釈放になっていた。

 

 「なお、こちらが三木さんの最近の写真になります」

 

 写真の中には、一人の中年男性の姿があった。

 高級そうなスーツを着ているが、くたびれた印象があり、表情からも憔悴した様子がうかがえた。

 

 「うーん……」

 

 「……暁さん、不満そうですね」

 

 腕を組んで唸り声を漏らす暁を見て、翡翠は言った。

 

 「いや、普通の殺人事件なら金銭トラブルが動機でいいんだが……。

  その線で行くと、この三木ってやつが魔術か何か使って被害者の小山を殺したってことか?

  金銭トラブルでの殺人一つに魔術っていうのも……」

 

 「魔術は習得が困難でハイリスクなものよ。

  魔道書とか、習得のための手段を準備することも難しい。

  その三木って人は、魔術関係の家系だったりしたの?」

 

 「三木さんは、魔術関係の家系というわけではありません。

  ただ、貿易商をやっており、魔道書を海外から入手できるチャンスはあります。

  それから殺人の手段に魔術を使うことには、合理的な理由があります。

  科学では立証することができない完全犯罪を可能にします。

  ……実際にはあまりに目立ったことをすれば国の特殊機関の出番になりますが、

  そこまで事情を把握していない可能性はあります」

 

 「……なるほど。それで、今回は俺たちがうかつに仕掛けるわけにはいかないんだろ。

  翡翠としては何か腹案はあるのか?」

 

 「はい。

  被害者である小山さんとの間での借金は一時棚上げになったとはいえ、

  三木さんは他にも金銭トラブルを抱えています。

  雨霧グループの名前で事業援助の餌を出し、会談の場を作って見定めようかと」

 

 「会談ってことは、翡翠が表に出るのか? 危険すぎる」

 

 「お二人には護衛としてついていてもらいます。

  三木さんが犯人だったとしても、守ってくれるでしょう?」

 

 「……軽く言ってくれるわね。

  翡翠、何か愛用の品を渡して。事前に仕込みをしておくから」

 

 何事でもないように微笑む翡翠に対して、額に手を当てて七緒はため息をついた。

 

 「七緒。俺も黎明を着たまま会談に出ることはできないから、何かあったら一瞬でいいから時間を作ってくれ。

  一瞬あれば黎明を装着してなんとかしてみせる」

 

 「オッケー。責任重大ね……。

  ところで翡翠、相手を見定めるって言ったけど、そんなことできるの?」

 

 「これでも企業グループの令嬢ですので。人を見る目は鍛えられています。

  ……七緒さんの潜入も見抜いたのを忘れてます?」

 

 「そのことはもう追求しないで……」

 

 やぶへびだったと七緒は顔をしかめた。そこに暁が声をかけた。

 

 「ところで七緒。魅了とか暗示の魔術は使えないのか? それなら話が早いんだが」

 

 「あいにくとそういった精神系の魔術は、軽い目くらましくらいしか使えないわね。

  交渉については翡翠のお金持ちパワーに頼るしかないわ」

 

 「もう、なんですか、その言い方は。いいですよ、実家のお金の力で相手を存分に揺さぶってみせますから」

 

 頬を膨らませる翡翠。暁と七緒はそれを見て愉快そうに笑い出した。

 

 

 *

 

 数日後、翡翠が所持する別荘の一つ。

 人里離れた別荘の応接室で、翡翠たち三人は三木を待っていた。

 

 暁は、事前に行った打ち合わせの内容を頭の中で確認する。

 この別荘は荒事用に作られており、拠点として立てこもれる部屋もある。

 三木が犯人で、この場で仕掛けてきた場合は、翡翠は七緒と一緒にそこに逃げ込み、暁が対処する。

 

 暁としては、正直、即座に仕掛けてきてくれた方が腹の探りあいをしなくていいだけ楽だった。

 もっとも翡翠は確実に守り抜かなければいけないが。

 

 「……それにしても、三木って人、遅いわね」

 

 七緒の声に応接室のかけ時計に目をやる暁。すでに時刻は予定から二十分ほど過ぎていた。

 

 「ビジネスの場で、連絡なしで遅れるのは考えにくいですね。

 ……もう一度連絡を取ってみます」

 

 しかし、翡翠が何度三木の携帯電話に連絡をとろうとしても、圏外との応答が返ってくるだけだった。


 結局この日、三木は交渉の場に現れることなく、連絡にも出ず、ヒヒイロカネの調査でも足取りはつかめず、行方をくらませてしまっていた。

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