第11話 顕現

 別荘での三木との待ち合わせから数日後。

 

 結局あの後も三木は現れることはなく、連絡を取ることもできなかった。

 改めて対応を考えるべく、いつもの理事長室へと暁たち三人は集まっていた。

 

 「……三木さんですが、調査した結果、私たち以外に約束していた仕事先についても姿を現していません。

  完全に行方をくらましています」

 

 「犯人だったとして、誤魔化しきれないと思って逃げ出したとか?」

 

 「……どうかな。もっと悪いケースも考えられる。

  翡翠、三木が単純に家に引きこもっていることは考えられるか?」

 

 「調査によると、ここ数日間、三木さんの家の明かりは一度もついていません。

  ガスや電気のメーターもほとんど動いてないですね。

  家の中にいる可能性は低いかと」

 

 「なるほど。それから、警察はもう三木の行方を追っているのか?

  殺人容疑者が行方をくらましたわけだろ」

 

 「三木さんは独身です。

  警察に行方不明を届け出る人間もいないので、まだ動いてはいないようですね。

  もっとも時間の問題でしょうが」

 

 「よし。なら善は急げだ」

 

 暁は理事長室のソファから立ち上がると、動き始めた。

 

 *

 

 その日の夜。静まり返った住宅地。

 

 暁は、単身で三木の家までやってきていた。

 家の中を調査すれば事件の手がかりがあるかもしれないからだ。

 そしてそれは、警察が三木の行方不明に気づいていない今が最大のチャンスだった。

 

 七緒はついてきていない。

 直接戦闘になった場合、狭い家の中では足手まといになるからだ。

 近くに待たせてあるヒヒイロカネの車両の中で待機をしてもらっている。

 

 人目につかないように、暁は塀に囲まれた家の裏庭に入り込み、手に持ったトランクの取っ手を握り締める。

 いつもの音声認証ではなく、指紋認証で黎明の装着シークエンスが起動し、暁は鋼鉄の鎧に身を包んだ。

 

 (さて、俺はこういうのは得意じゃないから、速度だけでもうまくやるか)

 

 事前に用意していたガムテープを窓に張り、なるべく音がしないように窓を割るとそこから家の中へと暁は侵入した。

 家の中には明かり一つなかったが、黎明の暗視センサーの前には何の障害もなく、家中を見て回った。

 

 いくら事業家とはいえ、所詮は男の一人暮らし。そこまで広い家でもない。

 居間、台所、客室とまずは何か異常がないかだけを軽く見て回る。

 

 そして、一つの部屋の前で暁の足は止まった。

 三木の仕事場であろう書斎。そこには何者かが争ったかのように荒らされていたからだ。

 

 (ここで何かがあった。……争いといっても痕跡はそこまでじゃない。一方的なものか。

  だがどちらにしろ手がかりがあるならこの場所だ。どうせ俺に小細工などできはしない)

 

 書棚にあるそれらしき本を片っ端から抜き取っては次々と乱暴にめくり、黎明に内蔵されたカメラで撮影していく。

 そして机の引き出しをひっくり返し、何か隠されているものはないかを調べ、また中にある書類もカメラで撮影を行った。

 そのとき、机の下に金庫があることに暁は気づいた。

 

 (よし、そろそろ周りも騒ぎ出す。あとはこの金庫で……何!?)

 

 黎明の暗視センサーでも、それに気がつくのは一瞬遅れた。

 部屋の隅からぼんやりと影が立ち上がり、ゆっくりとその姿をこの世界に現そうとしていた。

 

 それは部屋の天井に窮屈そうに頭をつかえさせた巨大な姿で、猿のような昆虫のような、垂れ下がった皮膚と巨大な鉤爪を持つ黒い体の怪物だった。

 

 暁の見たことがないその怪物は、片手に持っていた『もの』をごみのように放り出した。

 全身を切り裂かれ、苦悶に歪んだ顔。それは、写真で見た三木のものだった。

 

 「大当たりかよ……やつらを使って、制御できなくなったってとこか?

  馬鹿野郎!」

 

 罵声を発しながら、暁は相手に向かって突撃した。

 今までに見たことのない相手だったが、暁にとって多種多彩なやつらの中で見分けがつくものの方が圧倒的に少ない。

 部屋の中で巨体を持て余している相手に右拳での突きを放つ。

 腹部に命中。

 だが、手ごたえがおかしい。

 

 「浅い……? 何っ!?」

 

 暁の突きを放った右腕の肘から先が消失した。

 正確には、肘から先がもやのようになり薄れていた。

 

 「何だこれは……くっ!」

 

 困惑している暁に向かって怪物が鉤爪を振り回してきた。

 鈍重な動きだが、隙を突かれ回避は困難。

 胸部を爪がかすめるが、本来ならその程度、黎明の装甲の前には問題にならないはずだった。

 だがその装甲が異変を起こし、右腕のようにおぼろげになってしまった。

 

 「……こいつ、触ったところを非実体化させるのか!?」

 

 かすめただけだったせいか、胸部装甲は表面がかすんでいるだけだったが、このまま受け続けるとまずいと暁は判断。

 触るとまずいのであれば、攻めることも受けることもできない。

 脚がやられれば動くこともできなくなり、一方的にやられるだけだ。

 

 怪物は、表情のない顔ですらそれとわかる苛虐心をあらわに暁に迫る。

 だがその顔に不意に穴が開いた。

 直径1センチほどの穴が次から次に。

 

 悲鳴を上げ、顔をかばう腕にも穴は開き続ける。

 

 「なるほど。攻撃を全部無効化してるわけじゃない。

  当たりは浅いが、効くことは効くわけだな」

 

 暁は残された左手で、スーツに内蔵しておいたパチンコ玉を弾き、指弾として撃ち続けながらつぶやいた。

 

 黎明の力ならば、指弾は下手な拳銃などよりはるかに強力な武器となる。

 だが、パチンコ玉も当たった瞬間非実体化しているのか、

 当たりが浅く、決定打にはなっていない。

 

 一瞬ひるまされた怪物だったが、体勢を立て直し、再度暁に向かって襲いかかる。

 だが、その一瞬で暁には十分だった。

 

 「勝負は預けたぞ! じゃあな!」

 

 部屋にあった金庫を残された左腕で軽々と持ち上げ、暁は外へと脱出した。

 途中にあった、家の壁や塀を体当たりでぶち抜きながら、最短距離で。

 

 そしてそのまま近くに待たせておいたヒヒイロカネの車両に乗り込み、一目散に逃走した。

 

 

 *

 

 「……無茶苦茶やったわね。その腕、大丈夫?」

 

 数時間後。場所は数日前に三木と待ち合わせをした翡翠の別荘。

 いつもの理事長室ではなく、若干とはいえ防御設備のあるこの場所で暁たち三人は合流していた。

 

 そして、暁はまだ黎明を装着したままであり、右腕と胸部装甲はまだもやのような状態から治っていなかった。

 

 「……正直、俺もよくわからない。

  ふむ……」

 

 もやのように薄れた右手を握ろうとしてみると、感覚はあり、ぼんやりと動かすことはできる。

 だが物を触ることはできない。

 

 「怪物から離れても治る気配がない。

  少なくともしばらくは役に立たないようだ。

  ……今黎明を脱ぐと右腕がどうなるか怖いな」

 

 「その怪物を倒せば治ることに期待しましょう。

  あるいは、そこの金庫の中に手がかりがあるか……」

 

 七緒の言葉を聞いて、暁はスーツの中で渋い顔をした。

 

 「金庫かー……。

  壊すだけなら黎明の力で簡単なんだが、中身も一緒に壊れるおそれがある。

  力づくは難しいぞ」

 

 「専門家を雇えば解錠も不可能ではありませんが、どうしても時間がかかりますね。

  いつ敵が襲ってくるかわからない状態で、そんな余裕があるか……」

 

 深刻な顔をする翡翠たち。だが、そんな二人を前に七緒は軽く言った。

 

 「あ、私、『解錠』の魔術使えるわよ」

 

 「……お前、こういうとき本当に便利だな」

 

 「私が元居た組織は戦闘に直接使える魔術は控えめで、小細工系の魔術でやり合ってたからね。ほら、開けるわよ」

 

 七緒が呪文を唱えると、三木宅から運び込まれた金庫は何事もないかのように、カチリと音を立てて解錠された。

 中にはクリップで留められた紙の束が入っていた。

 

 「これは……魔道書から必要な部分だけ抜粋して素人向けに注釈つけた感じね。

  これならすぐ読めるわ。ちょっと待ってて」

 

 七緒は紙束をぺらぺらとめくりながら言った。

 

 「……うん。大体把握した。

  中身はあんたを襲った怪物の生態と召喚方法、

  使役方法について。怪物の名前は空鬼って言うらしいわね。

  私も聞いたことないけど、この世界と別の世界を行き来することが出来るらしいわ。

  ……そのくらいしか書いてないわね、これ」

 

 「本当に簡単な抜粋なんだな。

  だが、異次元移動ができるなら、完全犯罪にはうってつけってわけか。

  でも素人が魔術書の抜粋なんかもらって、いきなり使いこなせるものか?」

 

 「だから失敗して逆に怪物に殺されたんでしょ。

  術を使えたことから一般人にしては適正があったんだろうけど、

  訓練してない人間がいつまでもやつらを制御し続けられるはずがない」

 

 「なるほど……」

 

 「ですがこれで、三木さんの殺人事件については、小山さんを魔術を用いて殺害したということで決まりですね」

 

 「そうね。誰が三木に魔術書の抜粋を渡したかがあるけど」

 

 だが暁は、今はそれはいいと言った。

 

 「今は空鬼をどうするかだ。

  現状召喚者を殺して制御なしで野放しになっている。

  手当たり次第に人間を殺して回る恐れがあるぞ。

  七緒、お前が魔道書の抜粋に載ってる使役呪文を使ってなんとかならないか」

 

 「……まず私にやつらの使役呪文の適正はあんまりない。

  普通の動物とかなら十分なんだけど。

  やってみないとわからないけど、やつらが相手なら簡単な命令を出すことができるかどうか……。

  それも自殺しろとかは無理よ?」

 

 「……場所を誘導することはできるか?

  この別荘の近くに荒事に向いた場所もある。

  そこまで誘導さえしてくれればなんとかする」

 

 「そうは言うけど、一回負けて逃げ出してるのに大丈夫なの?」

 

 「相手の種はもう割れてる。

  それに、さっきも言ったように、この別荘周辺は荒事対策で準備もしている。必ず仕留めてみせるさ」

 

 「オッケー。援護はいる?」

 

 「いや、今回は巻き込みそうだからいい。

  翡翠と一緒に避難してろ」

 

 「残念だけど、誘導の関係上、あんたというか、誘導する場所からそう遠く離れることはできないわ」

 

 「そうか……じゃあ翡翠だけでも」

 

 暁の言葉に、翡翠は首を横に振った。

 

 「私もここに残ります。下手に逃げるより、お二人の傍の方が安全でしょう」

 

 「そうかもしれないが、だが……」

 

 「それに、周辺被害を考えるなら、一刻も早く空鬼の誘導を開始しないと。

  私の避難など待っている余裕はないはずです」

 

 「……周辺被害を気にしすぎて、身内に被害出しちゃしょうがないんだぞ」

 

 「今回の事件は私への依頼です。犠牲を可能な限り抑える義務があります。

  ……お二人にばかり、危険な目にあわせるわけにはいきません」

 

 「暁、そこまでよ。話してる時間も惜しいわ。今は翡翠の言い分を呑みましょう」

 

 翡翠と七緒、二人の言葉に、暁も渋々頷いた。

 

 「……わかった。じゃあ今から段取りを確認するぞ」

 

 

 *

 

 別荘から数キロメートル先にある森の中。

 その一角に、まるでキャンプ場のように切り開かれた場所があった。

 

 キャンプ場と違う点といえば、一般人にはわからないように黎明用の装備が配置されていることだった。

 暁は急いでそこまで移動すると、配置された装備を身につけ、あるいは戦闘時に装備しやすいように配置しなおす。

 それが終わると、七緒へと連絡を取った。

 

 「移動完了した。誘導を開始してくれ」

 

 作戦は簡単。

 暁が迎撃用の場所まで移動した時点で、七緒が暁を目標とした攻撃指示を空鬼に出す。

 後は翡翠と七緒は別荘で待機し、空鬼の到着を待って暁が迎撃する。

 

 七緒の了解の返事を聞いて、暁は迎撃体制を取る。

 相手は空間を渡る怪物だ。今この瞬間にでも現れてもおかしくない。

 逆に言えばいつまで待てばいいのかもわからない。

 

 いつ来るか、緊張から暁の心拍数が高まり、呼吸が乱れる。 

 数分、数十分。まだ相手は現れない。

 精神的疲労から緊張の糸が途切れそうになったところで、

 黎明が装着者の体調を万全にすべく薬物を注入する。

 その結果、緊張を保ったまま、精神の平衡が保たれた。

 

 その状態でいつまで待っただろうか。その時は来た。

 

 おそらくは、上空に実体化してからの奇襲だったのだろう。

 空鬼の空中から暁目がけて高速で落下しながらの鉤爪の振り下ろし。

 

 だが暁はそれに完全に反応できており、カウンターが空鬼に命中した。

 残された左腕に抱えられた迎撃用の装備……角材が。

 

 「種が割れた奇襲が通用すると思ってるのか。黎明のパワーを舐めるな!」

 

 角材。それは森林の近くならどこに置いてあってもおかしくなく、隠蔽力があり、そしてパワードスーツの腕力で振るわれたときの威力は絶大だ。

 

 吹き飛ばされ、悲鳴を上げて地面へ落ちる空鬼。

 角材は空鬼に痛撃を与えていたが、それと引き換えに空鬼の力でもやのように非実体化して消えてしまっていた。

 

 「かまうものか。消えなくても、どうせ黎明の力で振るえば折れちまうしな……!」

 

 それにと、暁は黎明の仮面の下で笑みを浮かべた。

 

 「予備はいくらでもあるんだよ!」

 

 そう、角材なら事前にいくらでも地面に置いて準備しておける。

 空鬼が体勢を整える前に、予備の角材を拾い上げ、殴る。

 拾い上げ、殴る。拾い上げ、殴る。拾い上げ、殴る。

 

 一撃一撃は命中の瞬間に非実体化されて浅い打撃ではあったが、

 パワーもスピードもリーチも暁の方が上だ。

 一方的に殴りつけられ、空鬼は体をもやのように変え、逃げ出そうとする。

 

 「遅いんだよ!」

 

 だが、暁の一撃の方が速い。

 渾身の力を込めた角材の一撃が、何度も殴打を加えられた頭部に直撃し、そのまま吹き飛ばした。

 

 二つに分かれた胴体と頭部がごろごろと転がり、動かなくなった。

 そして、どちらももやのように消え失せた。

 

 「……さすがに終わった、よな」

 

 決着はついたかに思えたが、万一を考えて暁は警戒を続けた。

 だが再度空鬼が現れることはなかった。

 

 そして、暁の空鬼にやられた右腕が、ゆっくりと時間をかけて、もやのような状態から実体化をした。

 試しに適当な角材を殴って右腕が無事か確認をする。

 確かな手ごたえとともに角材がへし折れた。

 

 「問題はない、と。二人に終わったって連絡しないとな」

 

 暁が安堵し、翡翠と七緒に連絡を取ろうとしたその時。

 

 空気が変わった。

 

 瘴気とでも言うべき濃密な異界の空気。

 無造作に異質な精神波が垂れ流され、周辺の生物の中をこじ開け、強大すぎるそれを侵入させていく。

 

 暁は黎明の中で悲鳴を上げて絶叫した。

 絶叫することしかできなかった。

 周辺数十キロメートルの生物と同様に、精神を蹂躙されることしかできなかった。

 

 そして、空に影が落ちる。

 

 全長数十メートルはあるあまりにも巨大な触手。

 虚空から現れたそれが、森ごと暁を薙ぎ払い、空へと吹き飛ばした。

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