第28話 時計

 人の手が入っていない森の中を、黒い影が走っていた。

 

 その影、黎明は、木々の枝をへし折り、茂みを踏みつぶして駆け抜け、森を傷つけることも音を立てることも気にしてないようであった。

 

 黎明は森の中にある開けた場所、小さな広場のようなところで足を止めた。

 そこが女から指定された場所だった。

 

 「目的の場所にきたら、迎えを出すって話だったが……」

 

 暁が鎧の中でつぶやくと、それを待っていたかのように小さなつぶやきが聞こえた。

 こっちだよ、と。

 

 暁が声の聞こえた方向に目をやると、そこには猫ほどの大きなネズミが茂みの中に消え去るところだった。

 ただ、見えたのは一瞬だけだったが、そのネズミの頭部はいやらしい笑みを浮かべた人間の中年男性のものに見えた。

 

 「……行くしかないか」

 

 警戒しながら、ゆっくりと茂みの中に足を踏み入れる。

 

 茂みをかき分けながら進むことしばらくして、暁の周囲に霧が出てきた。

 それも黎明のセンサーでも見通せないものが。

 

 一瞬躊躇したが、そのまま足を進め、歩き続けた。

 霧の中、それからどれだけたったのか。

 黎明の計時機能もエラーを起こした状態で、それでも進み続けると、不意に視界が開けた。

 

 荒れた空の下、そこは断崖絶壁の切り立った崖の上だった。

 振り返れば崖の下は一面の海。ここまでやってきた道など見えはしない。

 

 「遠距離を繋ぐ門か……高位の魔術師であることは間違いないようだな」

 

 崖の上には、一軒の洋館が立っていた。

 狭い敷地の中、大きなものとは言えないが、そのたたずまいには歴史を感じさせるものがあり、

 よく手入れが行き届いているようだった。

 

 暁は無言で玄関の前まで進むと、乱暴に扉を蹴り開けた。


 館の中、暗い廊下を悲鳴を上げて逃げていく人面のネズミを追って、ずかずかと森の泥がついた足で暁は中へと踏み込んでいった。

 

 やがて廊下の先、扉の前で七緒や翡翠と同年代に見える少女が、品のいい洋服を着て暁を待っていた。

 

 「ようこそ、御堂暁さん。私は来栖綾子、七緒の母です。

  娘がお世話になっているようですね」

 

 「へえ、母親と言うには随分と若いじゃないか」

 

 「不老なもので。まあこの世界ではよくあることです」

 

 「そうかい。だがくだらない挨拶はいい。二人は無事なんだろうな……?」

 

 暁を見て、綾子はくすりと笑った。

 

 「ええ、二人ともこちらにいます。ですから、その拳を下ろしてはくれませんか……?

  私なんてそんなもので叩かれたら死んでしまいます」

 

 「……二人の様子次第では、わかってるだろうな」

 

 「はいはい。こちらにどうぞ」

 

 綾子は背後の扉を開け、暁を中へと招き入れた。

 

 中はリビングのようで、二人の女性がテーブルに向かって椅子に腰かけていた。

 

 「翡翠! 七緒! 無事だったか!」

 

 「はいはい。無事ですよ、無事無事」

 

 「……なんか七緒、やさぐれてないか?」

 

 暁の疑問の声に、翡翠が困惑気味に答えた。

 

 「七緒さん、ここに連れてこられてからずっとこんな調子で……」

 

 「ああ、ごめん。ちょっと家族と折り合いがね……。

  ……悪いけど、翡翠、説明を任せてもいい?」

 

 「……そうだな。俺もここまでろくに説明もせずに連れてこられた。

  敵か味方かもわからなかった」

 

 暁が街を怪物から解放した後、綾子から受けた連絡の内容はわずかなものだった。

 黎明を目当てに米軍が翡翠と七緒を襲ったが助けておいた。

 二人は安全な場所に連れて行って無事だが、この連絡で話させることはできない。

 二人に会いたかったら指定の場所まで来てくれ、と。

 

 「暁さん、確かに綾子さんは私たちを米軍から助けてくれましたが、最初は米軍とともに私たちを襲ってきました」

 

 翡翠の言葉を聞いて警戒を強める暁に、綾子はなだめるように言った。

 

 「あれは偽装です。

  黎明を目当てに米軍があなたたちへの襲撃をもくろんでることを耳にしたので、魔術の専門家として自分を売り込んで、裏切ったのです。

  あなたたちを守るために」

 

 「なるほど。……だけど、保護したんだったらなんですぐに対話させてくれなかったんだ?」

 

 「それは……七緒さんがへそを曲げていたので」

 

 「当然の対応よ。……その女は人ではなく魔術師。

  人間を積極的に害する気がないだけで、世界がどうなろうと知ったことじゃない女よ」

 

 険しい視線を隠そうともせずに吐き捨てた七緒に、綾子は肩をすくめた。

 

 「七緒さんったら、ひどい子ね。母親に向かって」


 「私があんたを母親だと思ってたのは六歳までよ……!

  自分勝手な理由で邪神や怪物との戦いから逃げ出しておいて……!」


 「だって……人間を守っても私を愛してくれるわけじゃないですもの。

  不老で魔術師である私を怪物と呼んで迫害することはあってもね……」

 

 「父さんたち、私たちの組織の仲間は違ったじゃない!

  そもそも、戦いから逃げたって怪物が仲間扱いしてくれるわけじゃないでしょ!」

 

 「まあまあ、七緒さん!」

 

 母の言葉にテーブルを叩き立ち上がる七緒を、翡翠は必死になだめた。

 

 「……ごめん。熱くなりすぎた。黙ることにする」

 

 そう言うと七緒は椅子の上に座り直し、顔をそむけてしまった。

 

 「ごめんなさいね。暁さん、翡翠さん。身内の見苦しいところを見せてしまって」

 

 「いや……それより、あんたが翡翠と七緒をどうして助けたかを教えてもらってもいいか?

  単なる善行じゃなさそうだが」

 

 頭を下げる綾子に暁は問いかけた。

 

 「そうですね。……七緒さんは私が世界がどうなろうとしったことではないと言いましたが、

  それは間違っています。世界が滅びれば私も死んでしまうのですから。

  そして、このままでは黎明によって世界が滅ぶことになる……」

 

 「……またそれか、って気分なんだがな。あんたは素直に話してくれる気があるんだろうな?」


 うんざりとした顔の暁に、綾子はゆっくりと首を横に振った。

 

 「話すのではありません。実際に見てきてもらいます」

 

 「何?」

 

 綾子はそう言うと、背後をゆっくりと仰ぎ見た。

 そこには、象形文字の刻まれた人の背丈ほどの巨大な柱時計があった。


 「暁さん。あなたには、私と認識を共有し、真実を知るために時空を超えてもらいます」

 

 

 *


 「時空を超える、だと……?」

 

 途方もない綾子の言葉に、思わず暁は絶句した。

 

 「そう、時間跳躍。過去への移動は大きな危険を伴いますが、

  未来への移動は人間の手でも不可能ではありません。

  もちろん大魔術ではありますが、それを行うくらいには私は本気です」

 

 動揺する暁をよそに、何でもないことかのように言う綾子は言った。

 

 「……単にあんたが口で言うだけじゃまずいのか?」

 

 「口で言うだけでは納得できないでしょう。

  ……私も、あれを説明しきれないというのはありますが。

  どちらにせよ、暁さん。

  御堂仁がどうやって黎明を開発したか、それがもたらすものは何なのか。

  あなたは知る必要があります」

 

 「だから未来でそれを知れ、と」

 

 「ええ。正確には未来の可能性の一つですが、

  現状のままだとそうなる可能性が極めて高いです」

 

 「綾子さん、一ついいですか?」

 

 横から口を挟んだのは翡翠だった。

 

 「単純に、黎明、あるいは本体であるトランクを破壊するのでは駄目なのですか?」

 

 「それは駄目です!」

 

 綾子は慌てた様子で返答した。

 

 「壊せないか、壊せてもはるかにまずいことが起こるでしょう。

  クトゥルフとの戦いですでに黎明は活性化しているのです」

 

 「単純な解決は無理ですか……まあ駄目元でしたけど」

 

 翡翠と綾子の会話を聞き終えて、暁は慎重に口を開いた。

 

 「……即決はできない話だ。いったん仲間内で話をまとめたい」

 

 「ええ、どうぞ。私は席を外しますね」

 

 暁の言葉に綾子は頷くと、言葉通りにリビングから出ていってしまった。

 翡翠と七緒がついたテーブルの椅子に暁も座ると、顔を見合わせた。

 

 「七緒、お前の判断を聞きたいんだが、お前の母さんは信用できるのか。

  ……人間としてではなく、交渉相手として」

 

 苦虫を噛み潰したような顔をしていた七緒だったが、不承不承口を開いた。

 

 「……母さんは流儀として、露骨な嘘は言わないわ。

  もちろん、言ってないことはあるかもしれないけど」

 

 「つまり手放しに話に乗ることはできないけど、検討の価値はあるってことか」

 

 「……そうね」

 

 次に口を開いたのは翡翠だった。

 

 「綾子さんの話に乗らなかった場合に私たちがやるべきことですが……残念なことに存在しないんですよね。

  黎明の把握は急務ですが、他に魔術師とのコネがあるわけではないです。

  日本の治安回復には自衛隊が動けるように手は打ちましたし、米軍とのトラブルを考えると私たちは表に出ない方がいいでしょう」

 

 「なるほど……」

 

 舌打ちをして、黎明のヘルメットの上から頭をかいた暁だったが、ため息をつくと気持ちを切り替えた。

 

 「反対はあるかもしれないが、俺としては話に乗りたい。

  危険を冒さずして道は開けないし、現状手詰まりだ」

 

 「……賛成したくないけど手詰まりって点には同意」

 

 未だに不機嫌そうだったが、七緒は暁の意見に同意した。

 

 「情報を得ないと流されるまま動くしかなくなります。

  私も賛成です」

 

 翡翠の同意を得て、三人の意見はまとまった。

 

 そしてそれからすぐに綾子が戻ってきた。

 

 「話は決まったようですね」

 

 「ああ。行かせてもらう」

 

 「それはよかった。……ところで、未来へ向かう前にお願いがあるのですが。

  ……こちらに目障りな虫が近づいてきています」

 

 米軍のパワードスーツ部隊が暁がこの館への中継点にした森へと侵入してきている、と。

 

 「米軍にパワードスーツ部隊……?

  いや、それより近づかれても門を閉ざしていれば森からここまでは来れないんじゃないか?」

 

 「それが駄目なのです。米軍のパワードスーツは、科学では足りない部分を魔術で補っており、その力で下手をすれば強引に門を抜けてきかねません。

  ……実際に森に人払いの結界を張って一般兵士の侵入は防いでいますが、パワードスーツ兵たちはこちらに向かってきています」

 

 「やっぱりあのパワードスーツ、魔術使ってたのね。おかしいと思った」

 

 七緒の言葉に綾子は頷くと、続きを話した。

 

 「とはいえ、所詮は試験開発兵器です。

  科学と魔術の融合は良好とはいえず、整備性、生産性ともに劣悪。

  スペックは暁さんの黎明に明確に劣ります。

  開発後、すでに廃棄されたものも多く、数も部隊というほどいないでしょうね」

  

 そこで技術的なブレイクスルーを狙って黎明を確保しようとしていたようですが、と綾子は続けた。

 

 「何はともあれ、倒してくればいいわけだな。

  単純に殴ればいい相手なら気が楽だ。まかせとけ」

 

 

 *

 

 再び霧を抜け、暁は森へと戻ってきた。

 空間移動にエラーを起こしたセンサーを再起動し、敵の位置を探る。

 

 待つこと数秒。黎明のヘルメット内のモニタに敵の座標が表示される。

 数は三体。そして距離が近い。この距離では相手も暁を感知していてもおかしくない。

 敵に対応の暇を与えないように、木々で遮蔽を取りながら、暁は突撃をしかけた。

 

 生い茂る木々で視界は悪く、遮蔽になるだけではなく障害物ともなったが、それでも黎明は機械の脚力で敵との距離を数十秒で詰めようとしていた。

 

 だが敵も一方的に襲われるだけではない。暁に気づいたものから銃撃が放たれた。

 しかし黎明の装甲の前には通常の銃器など通用せず、勢いはわずかに落としたものの黎明への損傷はない。

 暁は構わず前進し、敵を発見した。

 目に入ったのは、銀色をしたパワードスーツを装着し、ライフルを手に持った三人の兵士たちだった。

 

 (まずは一人……!)

 

 跳躍し、木々を利用して勢いをつけた回し蹴りで吹き飛ばす。

 相手の装甲を陥没させた確かな手ごたえがあった。

 黎明よりスペックで劣るという綾子の話は確かなようだ。それともこれも黎明の性能が向上した結果か。

 

 頭の隅でそんな思考をしながら、暁は残った二人への対処を行う。

 二人はライフルを手放し、腰に装着していた手斧を装備して斬りかかってきた。

 

 奇妙に湾曲した手斧は昏い光を放っており、込められた魔力とパワードスーツの腕力が合わされば、黎明の装甲といえど両断するだろう。

 そして、鍛え抜かれた兵士たちの戦闘技術は暁よりより上である。

 パワードスーツの性能差は明白だが、当たれば殺せる武器があり、数の優位がある以上、番狂わせもありえた。


 少し前の暁と黎明が相手なら。

 

 黎明が暁の脳内に表示する未来予測に従い、暁は手斧の攻撃をことごとく紙一重で回避する。

 それどころか敵の攻撃を誘導し、同士討ちすら起こさせようとする。


 「よし、終わりっと」


 同士討ちを防ぐために敵の動きが止まったところを、手加減した頭部への打撃で昏倒させる。

 死んだ振りなどではないことは、黎明の未来予測に彼らが起き上がってくる内容が全く出てこないことからも明らかだった。

 

 そして暁は最初に蹴り飛ばした兵士に向かって近づいた。

 胸部が陥没しており、重傷を負って戦闘不能にされていたが、まだ息はあった。

 

 「……センサーにこれ以上反応はないな。三人だけか。

  いや、性能差があるとはいえ、三対一で一方的に勝てるのがおかしい。

  新しく追加された未来予測機能、強力すぎるな……」

 

 この機能が発展して何をもたらすかを想像して、暁は冷や汗をかいたが、

 幸いにも彼には今他にやるべきことがあった。

 

 「さて、魔術的な力を完全無力化するためにはパワードスーツ完全破壊しかないが、

  外から脱がすにはどうすれば……これも黎明が教えてくれるよ。

  なんでもありだな、本当に」

 

 元々パワードスーツには緊急時用に外部から脱がすことができる機能がついていた。

 それを分析した黎明の指示に従って、脱がせたパワードスーツを黎明の力で粉々に打ち砕いた。

 

 「……さすがに手間取ったな。

  結界を突破する手段がないなら人払いの結界もその内解除されるだろうし、

  早く見つけてもらえるように祈ってるよ」

 

 祈る相手は幸運くらいしかないがと暁は言い捨て、その場を後にした。

 

 *

 

 「……殺さなかったんですね。ずいぶんとお優しいようで」

 

 暁が館に戻り、他の面々と再び顔を合わせた。

 翡翠は暁の無事を喜んでいたが、綾子の出迎えは呆れた声だった。

 

 「狂信者でもない相手は殺したくない。

  兵士なら命令に従ってるだけで恨みもないからな」

  ……それで、パワードスーツ兵はあれだけで終わりか?」

 

 「ええ。黎明相手に戦力の出し惜しみはないでしょうから。

  隠し玉がいたとしても精々一体。それなら私だけでも対処が可能です」

 

 「そいつは結構。……さて、これで問題は片付いたな」

 

 「ええ。暁さんが旅立つときが来ました」

 

 暁の言葉に綾子は頷いた

 

 「ああ。俺が未来に行く。その代わり、その間は二人の安全を……」

 

 「待って、私も行くわ」

 

 「七緒!?」

 

 この館に来てから、いや母と顔を合わせてからずっと思いつめた顔をしていた七緒だったが、

 今のその顔には決意が込められていた。

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