第21話 腹の音が告げるは

 ぐぅ。


 一通りの弁明が済み、すっかり落ち着きが戻った部屋の中。見事な腹の音がよく響き渡った。

 その主に恥ずかしそうなところはまるでない。むしろ、なぜか嬉しそうだ。


「あ、お腹鳴った!」

「そりゃもういい時間だからな。――帰れよ」

「ねえ、晩御飯どうするの? またお弁当? それとも、カップ麺とか」

「関係ないだろ、アンタに」

「まね~」


 華宮はくるくると毛先を弄る。

 なにかよからぬ企みをその胸に秘めていると感じてしまうのは、さすがに行き過ぎた見方かもしれない。

 けれど、この女には散々煮え湯を飲まされてきた。常に警戒しておいて、損することはないだろう。


ひとまずその意図を考えてみることに。


「もしかして、たかろうとしてるのか?」

「……へ?」

「今回といい、この間といい、アンタには散々世話になったからな。確かに、何か礼をとは思っていたが」

「いやいや、勝手に話し進めないで。あたし、そんなこと一言も言ってないじゃん」

「違うのか?」

「違うよ! 同級生に、おごってもらおうとするほど、いやしんぼじゃないもん、あたし!」


 膨らんだ頬、つり上がった眉、よく見開いた目と、かなり憤ったご様子の華宮。いつも以上に芝居がかっている感じはするが。


「悪かったな、勘違いして」

「いいよ!」

「言葉と感情を合わせろよ」

「ねえ。せっかくだし、晩御飯作ってあげようか?」

「……なにがせっかくなんだか」


 俺は呆れてかぶりを振った。そうきたか……

 常々思うことだが、こいつの思考を理解するのは不可能かもしれない。一々突拍子がなさすぎる。


「いいって」

「それ、お願いするって意味だよね? よーし、がんばるぞ~」

「なわけねーだろ。……うちの人が夕飯作って待っててくれてんじゃねえのか?」


 自らを棚上げしつつ、苦々しい想いでその言葉を口にする。

 すると奴はぎこちない表情で首を振った。一貫して、猪突猛進なのうてんきかつ無邪気だったらどんなによかったことか。周りからはそう見えてそうだが、時折そうじゃない姿を見せる。

 それがまたなんとも、状況を複雑にさせる。


「ううん、心配してくれなくてもだいじょーぶ!」

「心配ってわけじゃあ」

「結局ね、あたしもどっかで晩御飯食べなきゃだから……。だから、むしろ好都合なんだ」

「俺にとっては全く都合がよくないが」


 今のところ、全部向こうの勝手で進んでいる。

 ここは俺の家のはずなのに、少しも主導権はやってこない。いついかなる時、どこにいても、華宮はあまりにもマイペースだ。


「そういうことなら、どっか食べにでいいだろ。さっき言ってたように、奢ってやるから」

「それは魅力的な提案だけど、けっこーです!」

「今のは、いい意味での結構、だな?」

「……む、またイジワル言ってる。ともかく、あたしが作るって言ってるんだから、キミは黙ってお願いすればいいの! そのために、気合入れてキッチンおそうじしたわけだし」


 とうとう、トンデモ理論が飛び出してきた。押し売りならぬ、押し料理。


 なるほど、あそこが伏線になっていたわけか。ホームセンターにて、ゴム手袋や台所用洗剤なんて買ったりしておかしいと思った。

 戻ってきたら、俺の部屋じゃなくまずキッチンから始めるし。


「あっ、もしかして、あたしのこと料理下手とか思ってません?」


 こうなるともう止まらないだろう。

 あるいは、本気で拒絶すれば結果はどうだかわからない。だが、それはとても面倒だ。誰かと強い気持ちを持って口論するなんて、もう二度と御免だ。


 耐えればいい話。これは嵐のようなもの。……一向に、晴れる気配はないが。

 それに、そこまでこいつに害があるわけではない、あくまで、これまでのところは。俺の中の越えて欲しくないラインに、足がかかってすらいない。


「さあ、善は急げだよ。鹿久保君!」

「俺にとっては悪でしかないがな」

「さっきも似たようなこと言ってたね、キミ」


 朗らかな笑い声をあげて、あの女は立ち上がる。

 それを追って、俺もとても緩慢に腰を上げた。


 こういうことになるなら、ホームセンターに出かけた時に言って欲しかった。



          *



 スーパーの一番混む時間帯な気がする。ともかく、店内は人で溢れている。

 この時点で、俺はもう帰りたくなって仕方がない。


「何かリクエストはあるかな」

「ねえよ」

「じゃあ、よくお母さんに作ってもらってた料理とかは?」

「……忘れたよ、そんなもん」

「捻くれてるねぇ」


 それは本当の話だったが、幸い華宮はいつもの冗談と受け取ったようだ。普段から、ろくでもないことばかり言っている甲斐があった。

 不用意なことは控えなければ、と気持ちを引き締める。


「そしたらテキトーにおさかな焼いて、お味噌汁を作ろうか」

「ご自慢の料理の腕が発揮されなさそうだが?」

「……じゃあ卵焼きもつけよう! キミも好きでしょ?」

「そろそろ食傷気味だぞ……」


 あの日以降、度々昼休みに持ってくる。俺が頻繁に食堂に通うようにしたにも関わらず、だ。

 毎日ではなくとも、かなりの頻度となると……


「ショクショー……うん、いい言葉じゃなさそう。では、卵でとじる何かを作りましょー」

「何か、ってなんだよ」

「心配しないで、悪いようにはしないから」


 言い回しがかなりの不安を誘うんだが。飯屋のメニューに、『なにか』なんて文字があったら、速攻でその店を出てく。


「さっさと済ませて、さっさと帰らないとね。お米、ちゃんと炊けてるか不安だし」

「俺のこと、なんだと思ってるんだ」

「ズボラ人間、めんどくさがり、皮肉屋」


 あながち間違いじゃないのが、腹立たしい。というか、三つも並べるのはやめて頂きたい。


 店の中を練り歩いていく。

 俺がカートを押して、華宮が食材を選び取る。かなり手慣れた様子だった。


「食べられない野菜とか、ある? ピーマンとか」

「いや、ない。子どもじゃあるまいし。――アンタはピーマン、苦手なのか?」

「ううん、別に。それに好き嫌いがあるからって子供って言うのは、ええと、ラクテンテキじゃないかな」

「短絡的、な。それ、意味まるっきり変わるから」

「いいじゃん、音が似てるし」

「そんなわけあるか」


 忌々しく吐き捨てて、やや先を行き気味のクラスメイトを追う。


「うん、これなんかいいかも。安いし」

「別に俺が出すんだし、そこまで気を回さなくても」

「なに言ってるの、あたしも食べるんだから、ワリカンだよ、とーぜん」

「いや、作ってもらうわけだしな」

「変なところで余計な気を回すよね、キミ。あたしが、いいって言うんだから、いいんだよ」


 得意げな様子で、奴はカゴの中にどんどんと商品を入れていく。

 このスーパーで、弁当や即席麺、冷凍食品以外の食べ物を買うのはずいぶん久しぶりだ。違和感が凄い。


「そうだ。おやつ、買います、鹿久保君?」

「俺を子どもだと勘違いしてないか、アンタ……」


 奴がくるりと振り返ったのは、菓子売り場入り口。その顔に張り付いた、揶揄うような笑みに、深い憤りを覚えるのだった。

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