第20話 好きなもの

 徒歩圏内に大型のホームセンターがあることは知っていた。だが、こうして訪れるのは初めてだった。

 上を見ながら店内を進んでいく。目的のコーナーを見つけるのに少し手間取る。よく行くスーパーもそうだが、広すぎるとそれはそれで面倒なわけで。


「――っと、ここか」

                        

 それっぽい場所について、身体の向きを変える。

 直ぐに違和感に気が付いた。


「……あいつ、どこ行った?」


 華宮がいない。一緒に店まではきた。入り口でカゴとカートについて揉めて以降、口をきいていない。

 それでも、後ろをついてきているとばかり。


 そもそもにして、別にあの女をここに置き去りにしても問題はない。むしろ、その方が俺の精神衛生上助かる。

 だが、仮にも手伝ってもらっている以上、その仕打ちはさすがに最低すぎる。


 ひとまず、フィルターを手に取ってから、足早に売り場を後にした。


 面倒ななことしやがって。だから、他人と行動を共にするのは嫌なんだ。しかも、あの女に至っては常日頃から、振り回してくるわけで。


 円籐高校の制服を着た女子は、大きなショーケースの前で見つかった。ガラスの向こうでは、もふもふとした生き物が自由気ままに過ごしている。


 そいつは熱い眼差しを、動物たちに送っていた。表情は緩み、仕切りと顔の距離はかなり近い。


「かわいい……」

「なにしてんだ、アンタは」

「ひゃいっ! し、鹿久保君かぁ。もう、キミってばあたしのこと驚かすの、ホント好きだね」

「そっちは俺に散々迷惑をかけるのがお好きなようで」

「季節外れの風邪にかかって看病してもらったのは、どこのどなたでしたっけ?」


 立ち上がり、挑むような表情を浮かべる華宮。先ほどのうっとりとした姿はどこにもない。

 感情を切り替えるのがうますぎるだろ、といつもながらの感想が頭を過る。


 お前が勝手にやったことだろ、とは言えなかった。俺自身、そのことについてかなり引け目があった。未だに、まだその時の礼ができていない。

 だからこそ、今回も押し切られることを選んでしまったわけだが。


 己の軸が非常にぶれている。その認識が、微かな自己嫌悪を産み落とす。

 華宮綾芭は俺の中で、すっかり天敵になっていた。


「犬、好きなのか?」

「うん。でも。ネコも好き。というか、動物はなんだって好き!」

「ライオンもか?」

「どうしてライオンが出てきたのかわかんないけど、好きだよ」


 自分でも発想力の乏しさに絶望した。凶悪で不人気そうなものを挙げようと思ったのだが……

 ばつの悪さから、やや顔を逸らす。


「キミはどう? 動物、好き?」

「俺は別に……」

「えー、こんなにかわいいのに! ……やっぱりキミには、血が通ってないんだね」

「哀れむように言うな。――まあ、可愛いとは思う」

「照れてる。照れてるぅ」


 ここぞとばかりに、的確な煽りをしてきやがって……顔を歪ませながら、舌打ちをかます。


 しかし華宮は全く気にも留めない。くすぐったそうに笑ってから、再び犬猫たちの方に目をやった。


「でも、ホントかわいいよねぇ、この子たち。はあ、いますぐこのガラスの仕切りがなくなればいいのに」

「この店はたちまちにパニックに陥るだろうな」

「もうっ、どうしてそうキミは現実的なことばっかり! もうちょっと会話を楽しむとか、そういうのないのかな?」

「ない。そんなにこいつらが好きなら、ここにいればいい。解散だ」

「ああ、待ってよ~。おいてかないでってば」


 呆れて先に帰ろうとするところ、あの女は駆け足気味に追ってきた。

 追いついてきてもなお、まだ後ろを気にしている。


「そんなに好きなのか。だったら、ペットとかは」

「…………ううん。飼ってないよ」


 微妙な間があった。それを引きずってか、そのまま沈黙が生まれる。

 気まずい空気を気にしないようにして、ひたすらにレジを目指すことに。何かあるのかもしれないが、興味はなかった。


「あ、そうだ。他に買いたい物あるんだけど、いい?」


 こくりと頷いて、先導する華宮についていく。

 そこは衛生用品のコーナーだった。あいつが手に取ったのはマスク。


「悪かったな、気が利かなくて」

「別にね、埃っぽかったとかそういうんじゃなくて……雰囲気づくり?」

「ものすごいふわふわしてるな……」

「うーん、ついでに色々買ってこうかなぁ。どうせキミ、ろくな清掃用品持ってないでしょ」


 図星だったので押し黙る。奴の勝ち誇ったような笑顔がより輝きを増す。


「そうと決まれば、カゴ取ってくるね。ついでにカートも」

「アンタ、どこまでやる気だよ」

「無論、あたしが満足するまで! なんたって、掃除のクラスメイト、だかんね!」


 だからそれはいったいなんだんだ。遠ざかって行く、意気揚々とした背中に言いようの知れない不安を覚えるのだった。



          *



 窓の外に広がる景色が、夜闇に染まり始める頃。ようやく、作業はその終わりを迎えた。


 こじんまりとした部屋の真ん中には、大きなゴミ袋が二つほど。この部屋の分と、リビングとキッチンの分。わきには、一回り小さな色の付いたゴミ袋もいくつか。


 床はスッキリとした。足の踏み場がなかったはずなのに、今やカーペットがその姿をはっきりと現した。

 ごちゃごちゃしていた勉強机は機能を取り戻し、荒れ果てた本棚は秩序を与えら、クローゼットでは衣服があるべき場所に眠っている。

 俺の部屋は、しばらくぶりに本来の形を取り戻していた。

 後は、今俺が腰かけるベッドがちゃんとメイキングされれば完璧。リビングとあの和室を根城にする必要はなくなる。


 華宮はこの部屋唯一の椅子に、達成感溢れる表情で座っていた。


「よくもまあ、これだけ汚くできたもんだ。男の子って、みんなそうなの?」

「知らねーよ」

「そっかぁ、馬崎君以外に友達いないもんね」

「ほっとけ。別にあいつだって、友達ってわけじゃあ……」

「でも、あたしもいるか。男子じゃないけど。よかったね、二人もいれば十分だ!」

「話を聞け。意図的に無視すんな」


 陽気な笑い声を上げながら、奴は回転いすをくるくると。心底楽しそうなご様子。

 俺としては、どっかに足の指でもぶつけてくれないか、と思ってしまう。


「でも、結局見つからなかったなー」

「何が? ここは宝島じゃないぞ」

「エッチな本とかDVD。普通、持ってるもんなんでしょ?」


 臆することない物言いに、俺は言葉を失った。


「で、どこに隠したわけ?」

「端から持ってねーよ、そんなもん」

「なによ~、誤魔化さなくてもいいじゃない。あたしとキミの仲なんだし」

「いつアンタとそんな関係を結んだ?」

「普通、クラスメイトに看病も部屋の掃除もしてもらえないよ?」

「またそれか……」


 呆れる俺をよそに、あの女はおもむろに引き出しに目を留めた。その目は、好奇の色に染まっている。


 だが、残念ながら、本当にそういう類のものは所持していない。どこぞの兄貴とは違って。

 あの男が引っ越す際、彼女夕さんが手伝いに来た訳だが、その時に大揉めしていた。

 結局、秘蔵のコレクション(奴曰く)はどこへいったのだろう?


 そんなことを思っていると――


「なぁんだ、やっぱり持って…………」


 引き出しの中の物を取り上げた華宮は、ぴたりとその動きを止めた。その横顔はかなり引き攣っている。


「……人妻? そういう趣味だったんだ……」

「待て、俺のじゃない。それは兄貴の――」

「ええと、人それぞれだと思うから。ごめんね、余計な詮索をして」

「そんな目で俺を見るんじゃねえっ!」


 あの女は、慈愛に満ちた眼差しを俺に向けながら、丁寧な手つきでDVDを元あった場所へと戻した。

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