第19話 唐突な共同作業
「ごめんね、あたし、用事あるから。先帰っていいよ」
ずいぶんとおかしなことを言うもんだ。それじゃあまるで、俺が
釈然としないながらも、久方ぶりに単独で学校を出た。だが、心に謎の引っかかりを感じながら。
あの女があっさりしている時ほど、怪しい。こんなことを考えている時点で、俺は奴にすっかりペースを乱されているわけだが。
だから、その光景を前にしても、さしたる驚きはなかった。
「あー、鹿久保君! 奇遇だねぇ」
「それ好きだな、あんた。わかりやすい嘘はいい。先回りしたんだろ」
マンションの前に、華宮がぽつんと立っていた。鞄を両手で身体の前でぶら提げて。やや足を交差させて。
俺の指摘に、奴はとぼけるような表情をするだけ。
きょとんとした感じはなんともまあ腹立たしい。
「アハハ、そんなわけないデショー」
「じゃあこんなところで何してんだ? 駅は遠いし、アンタの大好きなパン屋もこの辺にはないぜ」
「……うーん、散歩?」
「なんで疑問形なんだか」
顔を曇らせる。こいつと話していると、頭が痛くなってしょうがない。
「で、そういうのはもういいから。何の用だ?」
「掃除のおばさん、お姉さん……友達はいかがかな?」
「初めて聞く単語をぶちこんでくるんじゃねえ。だいたい、何が友達、だ」
「じゃあ掃除のクラスメイト」
「もはや意味不明だな」
「とにかく! あんな部屋を見せつけられて、放っておくなんてあたしにはできないよ!」
「知るか! 第一、アンタが勝手に覗いてきやがったんだろ!」
「だって、男子の部屋ってちょっと興味が……って、なに言わせるのよ、このヘンタイッ!」
「自爆しただけだろーが!」
本当に何なんだ、こいつは……。なぜここまで執拗に、絡まれないといけないのか。華宮綾芭という女の考えは全くもって掴めない。
こんなに突っかかってくる奴は、それこそ馬崎ぐらいだ。周りの大人を除けば。
「さあ、いこ~。日が暮れちゃう」
「待て。誰が手伝ってくれなんて言った?」
「あんなに汚いんじゃ、一人だったら大変でしょ。それともまさか、お掃除しないつもり?」
……言葉に詰まった。あいつが軽蔑する様な眼差しを向けてくるからじゃない。
迷っていた。土曜日まではあと二日。明日はしかもバイトがある。
つまり掃除を終えられる自信がない。それがなければ、華宮の言葉を肯定して無理矢理にでも追い返す。
だが、そこまでさせていいものだろうか。見られて困るものがあるわけじゃない。単純に、向こうに無駄な時間を使わせることに後ろめたさを覚える。
……こいつ自身がかなり乗り気なのはおいといて。
「はぁ。勝手にしてくれ」
「キミ、その言葉、ホントに好きだね」
「うるせーよ」
その横を通り抜けてエントランスへ。当然のように、あの女もついてくる。
もはや呆れではなく、感心すら覚えていた。
*
またしてもテーブルの上に一円玉が積み上げられる。そろそろぱっと見ただけでは、何枚あるかわからなくなってきた。
それを見ていたら、華宮はジト目を向けてきた。
「……あのさ、鹿久保君。どうしてこんなに小銭、落ちてるわけ?」
「はっきり言って、わからん」
「チリツモだよ、チリツモ。大事にしなきゃ」
「そんな諺を知ってるなんて、賢いな」
「でしょう?」
奴は一瞬ムッとしたものの、すぐに自慢する様な顔をした。皮肉にいちいち反応することはやめたらしい。
なんとなく調子が狂う。
現在攻略中はリビング。協議の結果、俺の部屋はラスボスとして残すことになった。
それでも、今日中には手を付ける羽目になりそうだが。
ここは意外と順調に片付きつつある。華宮がかなり手際がよかった。普段の、どこか抜けた雰囲気からは想像できないほどに。
「しかしさぁ、コンビニ弁当ばっか食べてちゃダメだよ?」
「残念だったな。それ、スーパーのだ」
「また細かいところをチクチクと……陰湿だねぇ、キミ」
「かもな」
俺の返答があまりにもあっさりしていたからか、奴はちょっと拍子抜けしたようだ。かなり微妙な顔をしている。
「まあいいや。自分で料理とかはしないの?」
「めんどくさいだろ、あと片付け」
「そんなこと言って。本当はできないだけなんじゃ」
「レシピ見て適当に作業すればいいだけだろ、あんなもん」
「ふふ、ザ・鹿久保君って感じの発言」
「どういう意味だ、それは」
それには答えず、あいつは呆れたような顔でかぶりを振った。そして、こちらに背を向ける。
俺もまた黙々と手を動かす。残り少なくなったゴミを纏めて、あとは掃除機をかけるだけ。
立ち上がって納戸へ。果たして、このマシーンを最後に使ったのはいつだろう。疑問を胸に、リビングへと戻る。
華宮はテーブルを拭いていた。。膝をつきちょっと身を乗り出すようにして。
こちらに向いた足の裏を、掃除機の先で小突いた。
「ひゃっ!」
「回り込めばいいだろ」
「びっくりしたぁ。変なことしないでよ~」
慌てて姿勢を戻すと、奴はこちらを振り返った。頬には赤みが差し、目元には非難するように力が入っている。
自分でもどうしてそんなことをしたのか、わからなかった。ただ、あまりにもその後ろ姿が無防備すぎて、魔が差したのだ。
「悪かった」
「いいよ、綾芭ちゃんは優しいから許したげる」
「へいへい」
そのままあいつは、やや早足に向こう側へと移動していった。
コンセントを差して、その空いた場所から掃除機をかけていく。旧式のそれは、稼働音がひどく煩い。
すぐに変な音がして赤のランプが灯った。
たちまち顔を上げた華宮と目が合った。とても残念そうな顔をしている。
「いっぱいになったね」
「だな。……フィルター、どこにあったかな」
「ここ、キミの家だよね?」
聞き流しながら、記憶を探る。ただどうしても、その在処には思い至らない。
当たり前だ。おそらく、そんなものはうちにない。兄貴と一緒に暮らしてた時ですら、こいつを頻繁には使わなかったからだ。
「買いに行かないと駄目かもな。どこに売ってるんだろ」
「……えぇ。そんなことも知らないの? キミ、ホントにダメ人間じゃん」
「その批判は甘んじて受け入れるさ」
「はあ。いちいち一言多いなぁ」
首を横に振ると、華宮がこちらに近づいてきた。甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「ちょっと見せてみて。まず型番、調べないと」
「あ、ああ。ありがとう」
「素直でよろしい」
正直な話、この時ばかりは、こいつのことがとても頼もしく思えた。
それは奇しくも、看病の時と同じ。この自宅という空間にも関わらず。
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