第23話 当たり前

 レジで会計を済ませ、席を求めて彷徨う。

 すぐに空いているところは見つかった。二人掛けのテーブルで、一方だけが埋まっている。


 近づいていくと、その男はにこやかに手を上げた。


「おお、正宗。連日だねぇ」

「まあな」

「綾芭ちゃんかい?」

「さあな」

「噂になってるからねぇ、色々と」

 

 意味深な一言を残して、馬崎はニヤリと笑う。そして、鳥の照り焼きに齧りついた。今日の日替わりだ。


 トレイを置いて、奴の前の椅子に腰を下ろす。毎日のように麺類を食べていたが、流石に飽きた。今日は中華丼とサラダをチョイスした。


「おや、無反応。弄り甲斐がないねぇ」

「周りからどう思われてるなんて、至極どうでもいい」

「相変わらず、お強いこって」


 呆れたように、馬崎は口をへの字に曲げた。

 お前だって似たようなもんだろうに、そう思いながらサラダを口に運んでいく。


「今度はスーパーデートだってね。ずいぶんと距離が近づいたみたいだな」

「……何言ってんだ、お前? スーパーって、何がスーパーなんだ。どこぞのサイヤ人じゃあるまいし」

「いや、そっちのスーパーじゃなくて。食料品店のスーパー」

「ああ、なるほ……もう噂になってるのか。昨日の今日なのに」

「それくらい、妖精殿は人気ってわけさ」


 わざとらしい言い方をした後、奴は俺の背後へ視線を向けた。すぐに目元が細まり、口元が緩む。

 そこに何がいるか。容易に想像がついた。


「お、いたいた」

「ちょっと、いきなりどっか行かないでよ」


 声は、予想に反して二つ。一方の甲高く喧しいのは、あの女のものだ。

 だが、もう一つは……?


「やっぱり馬崎君も一緒か。二人、本当に仲いいねぇ」

「いやぁ照れるよ。なぁ、正宗クン?」

「やめろ、気色悪い」

「……綾芭、本当に容赦なく話しかけるね」


 顔を向けると、華宮がすぐ後ろに立っていた。


 そしてもう一人。ちょっと目つきの悪い女もいる。一度食って掛かられたから、その顔に見覚えがある。カスミン――苗字は森川だったか。

 森川の目つきは険しい。そして口はぎゅっと一文字に結ばれている。どうやら、俺たちのことを警戒しているらしい。視線に不躾なものを感じた。

 左手に食堂のトレイを持ちながら、制するように華宮のブレザー背中部分を右手で軽く摘まんでいる。


 なぜ華宮はここにいるのか。しかも湯気が立ち籠る謎のどんぶりを持って。

 こいつは毎日弁当のはず。だからこそ、購買の使用を控え、こうして食堂に通うようにしたのに。下手に教室や中庭にいると、こいつはすぐによってくる。

 そのせいで、この間久しぶりに購買を使ったら、真紀さんにすこぶる嫌な顔をされた。顔を見なくてせいせいしていたのに、と付け加えられて。


「ほら、行くよ。座るところないじゃない、ここ」

「えー残念。せっかく、久しぶりに一緒できると思ったのに」

「そのつもりだったら、アタシを連れてくるんじゃないよ」

「来たがったのは、カスミ――」

「カスミン、言うなって。もうっ!」


 憤った表情を見せて、森川は友人を引っ張って行った。俺たちの方を一瞥することもなく。

 その間、華宮はずっと名残惜しそうな顔をこちらに向けていた。 


 途端、平穏が戻ってくる。俺は正面に顔を向けなおした。


「なんだったんだ、あいつら」

「昼飯、一緒に食べたかったんでしょ」

「はあ。本当煩わしい」

「だったらこの際はっきり言ってみたら? 二度と俺に付きまとうな、って。……ま、臆病者の鹿には無理かな」

「挑発してるつもりか? 見え見えだぜ」

「見せつけてるのさ」


 おどけた風に、馬崎は肩を竦めた。その軽薄そうな表情の奥に、どんな感情が隠れているのか。微塵も想像がつかない。


 どこまでもおちゃらけた道化師。飄々として、態度はどこまでも軽い。

 そんな周囲の評判ほど、こいつは単純な奴じゃない。ふざけたところはあるが、物事の本質が案外見えてたりする。

 現に、見事に俺の痛いところを二つもついて見せた。なるべく淡泊に接しているつもりでも、言葉や振る舞いの端々に、本音が漏れ出てるのかもしれない。


 本格的な付き合いは半年ほどなのに、この男の全貌を未だ掴めた気はしない。


「またボーっとしてるぜ、正宗」

「ああ、悪い」

「でもさ、森川も案外イケてるよな。妖精の陰には隠れてるけど。あのクールな感じがまた。冷たい目で蔑むような言葉をぶつけられた日には……」

「妄想が駄々洩れだぞ、変態」


 前言撤回。ただの女好きのアホだ、こいつは。

 気にせずに、中華丼を掻きこんでいく。さっさと食事を済ませて、中庭でぼんやりとしていよう。陽射しはもうすっかり温かい。


「綾芭ちゃんは本当に、正宗にお熱だねぇ。もう少し周りの目を気にした方が……いや、あれでいいかもな、案外」


 わかったようなことを嘯く馬崎の言葉に、俺はもう反応するつもりはなかった。



          *



 すっかり寂しくなった店の中を見渡しながら、エプロンと帽子を取る。レジカウンターの上で丁寧に折りたたんで、奥へと戻った。


 工房では、奈穂さんが俺を待っていてくれた。両手でパンの入った袋を提げて。

 おっさんの姿はない。早々に、家の方に引っ込んでいったらしい。今日は珍しく、閉店セールに間に合うように帰って来た。


「はい、お疲れ様」

「いつもすみません」

「いいのよ、売れ残りだから」


 袋を受け取って頭を下げる。最近はめっきりその数が減った。この間テレビで特集されたとかで、客足は右肩上がり気味。

 夜食ではなく、明日の朝食に回そう。不幸なことに、土曜日にもかかわらず早起きする必要がある。本当に、忌々しい。


「綾芭ちゃん、今日は来なかったわね」

「ですね」

「喧嘩でもした?」

「まさか。そんな関係じゃないですから」

「関係って……別に喧嘩は誰とだってするでしょう?」


 中途半端に否定したせいで、奈穂さんはすっかり勘違いしたらしい。浮かべる表情は、穏やかで心優しげ。


 文化祭実行委員の会議がある――昨日と同じように、放課後真っ先に奴はやってきた。違うのは、今回はちゃんとした用事があること。

 わざわざ奈穂さんの勘違いを訂正する必要もないので、黙っていることにした。その事実を伝えたところで、何か得するわけでもなし。


「で、実際の所、どうなの? 綾芭ちゃんとうまく行ってる?」

「なんですか、うまくって」

「いいわねぇ、高校生。甘酸っぱくって。羨ましい」


 勝手なことを言って、副店長はうっとりしている。意外と乙女思考なのかもしれない、この人。一年以上の付き合いで初めて知った。

 その割には、お相手はあの熊みたいに大柄で、大雑把な性格の武骨な男。客の間では、専ら美女と野獣として有名だ。

 まあ男女の仲なんてものは、俺には全くわからないことだが。


「じゃあ俺、帰ります」

「はーい、お疲れ様。明日明後日はお休みだったわね」

「ええ、兄貴が来るんで」

「夕ちゃんもでしょ。よろしく言っといて。あるいは、ここに連れてきてもいいけど」

「考えておきますよ」


 最後にもう一度礼をしてから、俺は店を出た。辺りの薄暗さに、どっと疲労感を覚える。

 ……しかもこの土日は特に身体が休まらないことは確定しているわけで。


 うんざりとした気持ちで歩き出した。空腹を感じるが、今日は道中齧ることのできるパンは持っていない。いつもくれる華宮が店に現れなかったから。

 当たり前と思っているのは、周りだけではないらしい。自虐的に顔を歪めて、大きなため息をついた。

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