第22話 長い一日の終わり

「いただきまーす」


 食卓はすっかり様変わりしていた。

 しっかりアイロンがけされたテーブルクロスが敷かれ、その上に湯気が立ち昇る美味しそうな品々。

 そして真ん前には、曇り一つない満面の笑みを携えた華宮。


「……いただきます」

「はい、召し上がれ。――よしよし、ちゃんとご飯はできてるね」

「あのなぁ、俺だってたまには飯作るぞ」

「お惣菜でしょ? 空の容器、見つけた」

「それの何が悪い。最近のは出来がいいんだ」

「キミ、同い年だよね……」


 この女に的確なツッコミをされると、いよいよ終わりだと思う。


 若干の悔しさを感じつつ、大皿料理である季節野菜の卵とじ(華宮曰く)に手を付ける。

 だしの効いた甘じょっぱい汁が染みてとても美味い。玉ねぎを筆頭に、シャキシャキ感が良く残っている。白飯との組み合わせは絶品だ。

 非常に忸怩たるものはあるけども、こいつの料理の腕前は認めよう。


「そういえば、鹿久保君、誕生日いつ?」

「いつもよりからは脈絡があるな」

「誤魔化そうとしない。ちなみにあたしは四月!」

「そうか。よかったな」

「むぅ、頑なに言おうとしないね。まあなんにせよ、あたしの方がお姉さんってことで」

「何言ってんだ。高々数カ月しか変わらないってのに」

「えー、いーじゃん! そういうのに、憧れがあるんだよぉ」


 つまりは、こいつに兄や姉はいない、ということなのだろうか。大穴で、こんな感じだから下がいても、ぞんざいな扱いを受けているだけかもしれない。

 もっとも、この自由気ままな感じはなんとなく一人っ子っぽいが。


「鹿久保君はお兄さんがいるんだよね。……エッチな」

「その形容詞は余計だ。まあ一応な」

「一応って……。いくつ離れてるの?」

「あいつ今年で二十七だから、ちょうど十だな」

「ふーん。そうなんだぁ。けっこー、離れてるね。ちなみに、あたしに兄弟姉妹はいません!」

「……なぜに付け加えた」

「どうせ訊いてくれないだろうって。あっ、もしかして興味あった?」

「いいや、全く」

「ざんねん~」


 相変わらず、言葉と態度が一致していない。楽しそうに、奴は焼き魚をほぐしていく。その上から醤油をかけた。

 華宮が使っているのは、夕さん用に置いてある食器だった。箸や茶碗は桜柄。目ざとくそれに気づいたこいつは「誰の?」とか訊いたが、黙殺した。


 味噌汁も絶妙。濃くもなく薄くもなく、蛤の風味がよく味に出ている。やはり、インスタントとは違うと感じた。


 鮭の焼き具合も悪くない。調理中の手際もかなり良かった。

 前回の粥の件も含めて、相当手慣れていることをうかがわせる。普段は落ち着きなく、そういう繊細な作業は得意ではなさそうなのに。


「ふっふっふ、どうやらかなりお気に召したようですなぁ。そんなに、がっついちゃって」

「別に。ただ早く食べて、アンタを追い出したいだけだ」

「そういうことにしといてあげるよ~」


 どこまでも勝手なことを言う女だ。

 確かな敗北感を覚えながらも、卵とじに舌鼓を打ってしまうのだった。



          *



 駅前まで来ると、ぐっと辺りは賑わい始めた。


「別によかったのに、送ってもらわないでも」

「アンタがよくても俺が嫌なんだ」

「変なところで善人ぶるよね、キミ」

「……軽い自覚はある」


 痛いところを突かれてしまった。なるべく人と関わらないようにしているはずなのに、それが徹底できていない要因の一つ。自分の中で最も忌み嫌う欠点でもある。


 時間も時間ということで、いつかみたいに華宮を最寄りの駅まで送ることにした。このようにあいつは初め固辞したものの、俺が無理矢理に押し通した。

 この夜道を一人で歩かせるのはやはり心配。この近辺はかなり人通りがあるとはいえど、その道中は必ずしもそうはいかない。


「だいたいね、部活やってた時はこれくらいの時間になるのは普通だから。慣れてますので、あたし」

「へいへい、余計なお世話でした。アンタの得意技だったな」

「一言多いよ!」


 日頃のあいつの態度を皮肉ったら、強く睨まれた。きっと、向こうもまたわかってはいるのだろう。


「でも、ありがとね。楽しかった」

「なにが?」

「一人で歩くのはさみしーからね」

「……部活帰りの時は友達と一緒だったのか?」

「友達……うん、まあそうかな」

「なんでその言葉に疑問を覚えるんだよ」

「キミにえいきょーされたのかも」

「人のせいにするんじゃねえ」


 部活でも、この女は人気者に違いない。それはクラスの中の様子を見ているだけでわかる。

 だから友達がいないってことはないだろうに。

 ……なんていうのは、決して俺が想うべきことじゃないが。人同士の付き合いは目に見えるものが全てではないのだから。


 俺と華宮だってそうだ。

 傍から見れば、仲がいい……よくツルんでいるように見えるだろう。実際には、俺は心底嫌がってるし、きっとあいつもただの暇潰しにしか過ぎない。


 そう、暇潰し。最近、ようやくしっくりくる言葉が見つかった。こいつが、俺に執拗に構ってくる動機について。

 だからいずれ飽きるはず。そう思っているのだが、その気配はない。今日に至っては、掃除を手伝われ、夕飯まで作られてしまった。

 そろそろ、何か考えるべきかもしれない。それはそれで面倒なんだが。


「……また見つめられてる」

「は?」

「鹿久保君さー、たまにいきなり黙って、あたしのこと見つめてくるよね」

「そんなことしてねーよ」

「うわっ、自覚ナシ! たちわる~い」


 目を見開いたかと思うと、次の瞬間にはジト目に変わっていた。不愉快そうに、頬を膨らませる。

 マジで子供っぽいな、この女は……。


 だいたい、時折考え込む癖があるだけだ。その時は、遠くを見ている……つもりなのだが、相手からすればじっと見られていると感じるのかもしれない。

 なかなかに気味が悪い、と冗談交じりに馬淵からも笑い飛ばされた。


「そうだ、訊いてなかったことが一つあるんだけど」

「手短に頼む」

「これからキミ、夜のランニングだもんねぇ」

「馬鹿にしてんのか?」

「いやいや、その逆。すごいな~、って思ってる」


 家を出る時のこと。俺は制服からジャージに着替えた。華宮を送るついでに日課をすまそうと企んで。

 当然、訝しがった奴はその意図を尋ねてきた。誤魔化す言葉も思いつかず、正直に全てを打ち明けたのである。

 奴はとても不思議そうな顔をしていた。口をあんぐりと開けたその姿は、どこまでも無防備で悪意はなさそうだった。


 おちょくるようにひとしきり笑った後、華宮はぐっと姿勢を正した。


「っとと、本題に戻って。あたしの料理は口に合いましたでしょうか?」

「……それなりだった」

「はあ。ほんっと、素直じゃない! 言いなさいよ、おいしかった~って。綾芭ちゃんは料理の天才だって!」

「そこまでではねえだろうよ」

「ってことは、少しは認めてくれてるんだ。デレ、いただき」

「やめろ」


 気色悪いことを呟き、ガッツポーズを決める華宮に苛立ちが募る。

 それがこいつの狙いだとしたら、見事に俺は思う壺なわけだ。

 

 華宮は全く余裕そうな感じを崩さない。


「じゃあ、これで。また明日、学校でね、鹿久保君」

「ああ。――自惚れてるみたいで気持ち悪いが、明日は起こしに来るなよ?」

「じゃあちゃんと、朝、間に合うように来なさい」

「担任みたいなこと言いやがって」

「まあなんたってあたし、クラス――」

「委員な。もうそれはわかったから。そんなにアピールするな」


 聞き飽きていたので、右手をひらひらと振ってみせた。

 少しだけ、華宮はムッとした。


「まああれだよ、シッコーユーヨ、って奴。明日ダメだったら、また行くかんね」

「……アンタにしては、正しい日本語使いやがって」

「あのね、一緒の高校通ってるわけだし、そこまでレベル変わらないはずだから」


 捨て台詞を吐いて、あいつは地下鉄の入り口に吸い込まれて行った。


 奴の姿が消えてから、踵を返す。人ごみの多いところを抜けてから、段々と足を速めていく。


 なんだか一日が長く感じられた。バイトがある日とは比べ物にならないほどに。そんな感慨も、やがて荒々しい呼吸となって吐き出されていく。



 帰って来た時の疲労感は、いつものそれとは大きく違っていた。

 他人の残滓がかすかに残るリビング、そのソファに俺はぐっと倒れ込んだ――

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