第14話 妖精の施し
色々な疑問は頭を巡るものの、思考はうまくまとまらない。
それでも、真っ先に言うべきことはわかっている。
「……郵便受けに入れて帰れ。ありがとな」
「うわぁ、声ガラガラ……大丈夫? かなりしんどそう」
「ああ。実際しんどい。早く帰ってくれ」
「ここまで来て、はいそうですか、とは帰れないよ。開けて」
「いや、でもな」
「いいから。開けてくれるまで、一生鳴らし続けるよ?」
普通なら脅しだろう。だが、相手は華宮綾芭だ。俺の理解の外にいる残念な人物。
加えて、今の俺は非常に頭の回転が鈍っている。
結果、ため息混じりに解錠ボタンを押してしまった。
「ありがとー」
「どういたしまして」
通話を切って、よろよろと玄関へ。壁に手をつかないとろくに進むことができないほど弱ってるなんて、我がことながら情けない。
ここは三階。エレベーターがあるから、あの女が現れるのはすぐ。
時間の余裕は欠片もないが、何とかして想定問答集を、頭の中で作っておく。
ピンポーン。
部屋の方の呼び鈴が鳴った。除き穴にそっと目を当てると、扉の向こうにいるは、真面目な顔をしたあの女。
ガチャリ。
「こんにちは」
「ああ」
一瞬のうちに、あいつの表情はにこやかなものに変わっていた。
器用な奴、今ならそう評する。
右腕を突き出すと、あいつは不思議そうな顔をした。
「なあに?」
「……プリント」
ゴホッゴホッ。咄嗟に部屋着の袖で口元を押さえる。
その時に、マスクという存在に思い至った、かといって、この家にそんなアイテムが常備されてるかは不明。探しているうちに、体力が底をつく可能性が高い。
歓迎されない来訪者は、鞄の紐をぎゅっと掴んだ。顔を強張らせて、少し身体を捻る。
「悪い、無遠慮だった」
「ブエンリョって?」
「咳。うつったらまずいだろ」
「なるなる~。でも、だいじょーぶっ、だよ!」
全く根拠のない自信。にもかかわらず、あいつは力強い表情で胸を張った。
自分で言うことではないが、こちとら重病人だ。応対し続ける気力もないし、なにより相手のことも心配だ。
「俺が大丈夫じゃないんだ。さっさと、プリント置いて帰んな」
「新しい種類のカツアゲだね、それ」
「うるせえよ」
「でもね、断固拒否! そんな姿、見せられて帰ってられるもんですか」
またしても、あの女はスクバを握り締めて、ちょっと身を引いた。
とりあえず、喚くのだけ止めていただきたい。その度に、頭がズキズキして仕方がない。
「ところでさ、おうちの人は?」
「いねえよ」
「えっ! 鹿久保くん、今、一人きりなのっ!?」
「そうなるな」
どうやら、それが奴の心に火を点けてしまったらしい。
「しょうがない、あたしがカンビョーしたげるよ!」
カンビョーなるワードが、看病だと気づいたのは、この女が上がりこもうとした時だった。
*
「ただいまー」
玄関から声が聞こえてきた。俺は半分だけ身体を起こした。
ほどなくして、華宮が姿を見せる。左手に、赤いロゴの入ったビニール袋を提げていた。
「あ、寝てていいのに。辛いでしょ?」
「平気だ」
「バレバレの強がりだなぁ」
いつも朗らかな笑い声を、奴は披露してくれた。ゆっくりと、近くに腰を下ろす。
そのまま楽しそうな手つきで、袋の中から物を取り出しては、畳みの上に並べていく。見せ物市か、ここは。
買い出しに行ってくる。この家の惨状を知った華宮は高らかに告げた。
そのまま締め出してやろうと思ったが、もはや不要なトラブルしか招かない。大人しく、その好意に甘えて鍵を渡した。割と死活問題だった。
奴が出かけている間、必死に意識を繋ぎ続けた。不用心に寝て居られるほど、この女に心を許したわけじゃない。
「色々買ってきたよー。お薬でしょ、冷えピタ、栄養ドリンク、ポカリ、バナナ、プリン、アイス――」
「なんか後半のラインナップ、おかしくないか?」
「え、そうかな? ――で、どれが一番欲しい?」
「薬飲んで早く寝かせくれ。そして、アンタはさっさと帰れ」
「また、帰れって……もうミミタコだよ、ホント」
やや不服そうな様子を見せながらも、華宮は封の切られていない風邪薬をくれた。薬局のおばさんのおススメ、と言葉を添えて。
パッケージをちらりと見るが、何もわからなかった。
「悪いけど、水もくれ」
「はーい。……そういえば、ご飯は? 空腹だとちょっとマズくない?」
「朝からなんも食ってねえな、そういえば。ずっと寝てたから」
金曜日の放課後ということで、時刻はとっくに五時を回っている。俺の記憶の中で、最後に時刻を見た時は七時。……腹の中は、空っぽになっていることに不思議はない。
それでも、空腹感は覚えていなかった。今はただ、病気特有の気怠さばかりに、意識が集中している。
「食欲は?」
「あまり」
「そっか。じゃあおかゆ作るね」
「待て」
今の状態でも、論理の飛躍には気が付いた。
まるでおかしなことをいったのはこちらのように、あいつはとても不思議そうな顔をした。
「え? ちょっとでも食べないとダメだよ」
「それはわかる。だが、そこまでしてくれなくてもいい」
「もしかして、おうちの人、そろそろ帰ってくる?」
「……いや、それは」
頼めば、兄貴は飛んでくるだろう。だが、それをするつもりはない。
例えこの後、向こうから連絡が来ても、無事に治ったと虚勢を張る気満々だった。これ以上、余計な心配をかけたくない。
言葉に窮していると、華宮はにっこりとほほ笑んだ。
「じゃあちょうどいいじゃん。すぐできるから、待ってて」
「…………インスタントの買ってきてくれりゃあよかったのに」
「へー、そんなのあるんだ」
驚いた様子を見せながら、華宮は素早く立ち上がった。
そして、リビング――ひいてはキッチンの方へ。ソファ越しに、あいつの肩から上が動いていくのが見える。
「やっぱり、勝手にお台所使ったらマズい?」
「気にすんな……じゃなくて。そもそも、そんなことする必要はない。バナナ食って、適当に薬、腹に流し込むから」
「遠慮しなくていいって。風邪の時はおかゆって昔から決まってるでしょ。おなか膨れるし、あったまるし、一石二鳥! ええと、お米、お米・……」
平時ならいざ知らず。今の状態じゃ、あいつを止めることなどできようもない。
観念して、あいつの調理が終わるのを待つことに。平時なら全力で止めにかかるが、もはやその元気はない。こうして上半身を起こしているのがやっと。
昨夜、洗い物を溜めなくてよかった、と変な安堵感を覚えた。同時に、なぜ俺はクラスメイトにこんなに色々と面倒を見てもらっているのかと、至極不思議な気分になる。ふわふわとして落ち着かない。
あの日、あいつに話しかけてから、全てがめちゃくちゃだ。
「ねえ、冷蔵庫開けてもいいかな」
「ああ。好き勝手してくれ」
「あたしのこと、何だと思ってるわけ?」
やがて鼻歌まで聞こえてくる。どうしてこの状況で、あの女は楽しそうなんだ。人の気も知らないで……
そしてその時はやってきた。
「はい、お待たせしました! アヤハちゃんお手製たまごがゆです」
戻ってきたあいつは、両手でお椀を抱えるように持っていた。セーラー服の袖をちょっと伸ばすようにして。
立ち昇る湯気と、美味しそうな香りに、少しだけ腹の虫が声を上げた。
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