通学路で泣き崩れていた学園のアイドルに話しかけた結果、悪戯に振り回されることになった

かきつばた

第1話 不審者のバーゲンセール

「…………あんた、大丈夫か」

「ぐすっ、ぐすっ」


 返ってきたのは、嗚咽だけだった。

 

 やっぱりやめておくべきだった。こうなると、すぐにその場を離れるのは気が引ける。


 キーンコーンカーンコーン。


 遠くからチャイムの音が聞こえてきた。三時間目の終わりを告げるもの。よく晴れた青空に、太陽が高い位置で輝いている。


 ――魔が差した。


 ただそれだけのこと。この行為に何の意図もない。俺は善人でもないし、打算的な人間でもない。


 ここが通学路で、この女がうちの高校の制服を着て、立ち尽くしていた。その異様さが、俺の心に刺さってしまった。


「すん、すん、ひっく、ひっく……」


 女がなく音が虚しく閑静な住宅街の中に響く。この真直ぐ続く道の先をいけば、俺たちの属する高校がある。


 泣いている――というのは、語弊があるかもしれない。女はこちらに背を向け、さらに、顔を伏せているから、実際の表情はわからなかった。


 しかし、その肩は小刻みに震え、鼻を啜る音と言葉にならない声がだだもれ。現象を羅列すれば、泣いてると認定するのは当然だと思う。


「おい、あんた、大丈夫か?」


 いつまで待っても返事はないので、渋々もう一度声をかける。これで何も反応がなければ、学校に向かおうと思った。


 というか、このまま無視して欲しいくらい。自分からこんなことをやっておきながら、俺は一刻も早く立ち去りたい気分になっていた。そうした自己矛盾に、やや頭を抱えたくなる。 


 だが、そんな俺の意に反して――


「ひっく、ひっく。だ、だいじょぶです……」


 鳴き声に交って、返答があった。


 女はゆっくりと振り返った。そのやや青みがかった長い髪が宙にぱさぱさと揺れる。


「……ぁ」


 初めてその顔が明らかになった。小さな呟きがその唇から漏れた。どこか驚いた様子だ。


 目と鼻は真っ赤。目尻から頬にかけて、一本の不自然なライン。それは左右両方に。


 案の定、この女は泣いていた。それを隠すように、懸命に今顔を擦っている。こんなところを見られたら、誰だって動揺するだろう。


「よかったら、使ってくれ」


 そんな相手が気の毒になって、俺はポケットティッシュを差し出した。街で配られるようなもの――この場合、俺が貰った場所は校門前だが。


 女は鼻をぴくぴくさせながら、俺の顔とポケットティッシュを少し見比べていた。だが、やがてちょっと遠慮がちに手を伸ばしてきた。


「あ、ありがと」


 彼女はティッシュを何枚か手に取ると、ポンポンと顔を拭いていく。最後にこちらに背中を向けると、小さめに鼻をかむ音が聞こえてきた。


 俺はいったい何をしているんだか。こうしているうちに、時間はどんどん過ぎていく。授業中の教室に入るという行為が、迷惑だというのは、さすがの俺もよくわかってる。


 やがてそいつは、もう一度俺の方に身体を向けた。その顔は先ほどより、かなりマシになっていた。それでも頰なんかは上気したままだが。

 バツが悪いのか、ポケットティッシュに入ったチラシに目を落としている。


「円幌ゼミナール……もしかして塾の勧誘?」

「そう見えるか? この格好で」

「卒業生とか」

「そうだとしたらヤバい奴だ」

「ヤバい奴でしょ、キミ」


 女はにっこりと笑うと、びしっと指を突きつけてきた。

 なかなか立派な礼儀を持ったな奴だ。先ほどまで人目も憚らず泣いていたとは思えない。


「こんな時間に登校、しかも泣いてる女子にぶっきらぼうに話しかけてくる、さらにハンカチじゃなくてティッシュ。スリーアウトってやつだね」

「そうか、悪かったな」


 突然饒舌になった女に、ちょっと面食らいながら、俺は再び歩き始めた。なにはともあれ、この様子ならもう心配はいらないだろう。


 だが、横を通り過ぎようとしたら腕を掴まれた。


「待って、待って! こんなとこに一人で置いてくつもり?」

「学校は目と鼻の先じゃないか」

「何言ってるの、登校するまでがとうこ…………ともかく、置いてかないでってば!」


 その間の空白が非常に気になった。おそらくは「帰るまでが遠足」をアレンジしたかったのだろう。

 かなり残念な気分になった。


「放してくれないか。遅刻する」

「もうしてるじゃん」

「アンタに言われたくない」

「あはは、たしかにそうだ!」


 何がおかしいのか、いきなり女は笑い出した。やはり、関わってはいけない存在だったようだ。


 掴んでくる力は、そんなに強くない。というか、全体的にこいつは華奢。身長も、女子の平均よりちょっと低いくらいで、手足はすらりと伸びている。


 振り払うことは容易だ。だが、話は通じ無さそうでも穏便には済ませたい。


「置いていかれたくないなら、勝手について来ればいい」

「そういうことでもないんだな~」

「なんなんだ、いったい……」

「そう、それ! あたしが言いたかったこと!」

 

 女は胸の前で手を叩いた。それでようやく、俺の腕は自由になった。


「いきなり話しかけてきて、そしていきなり去ってく。意味わかんないを通り越して、怖いんだけど?」

「こんな路上で泣いていたような奴に言われたくないな」

「女の子にはいろいろあるの」


 ぷいっと、めんどくさそうな女はそっぽを向いた。


 ため息が出てしまう。こいつは一筋縄では通してくれそうにないだろう。タイムリミットはそろそろ近い。

 

「逆に訊くが、もし道で人が泣いてたらどうする?」

「うーん、遠巻きに観察して、ダメそうなら声をかける」

「そういうことだ」

「えー、でもさ、キミのキャラには合わなく…………そんな怒ったワンちゃんみたいに眉間に皺寄せて、とてもそんなことをするような人には見えないんだけど」

「余計なお世話だ。悪かったな」

「悪い、ってことはないけどさ。ただちょっと意外だな、って。あれだね、人は見かけによらない」


 またしても快活に笑い飛ばす。


 とんでもなく失礼なことを言っている自覚は、どうやらないらしい。あるいは、それを表に出さないようにしているのか。


 どちらにせよ、腹は立たない。自分の風貌がには程遠い自覚はある。人相の悪さ、それに身体のごつさも相まって、怖そうと評されるのは慣れていた。それはむしろ都合がいいとさえ思ってる。


「あ、鐘鳴った!」

「……マジか」

「四時間目も遅刻だねー」


 その言い方は他人事だった。自分だってそうなのに。


 無情にも、通学路に予鈴の音が響く。次第に、先ほどから心の隅にあった、投げやりな気分が存在感を増していく。


「へ? あの、学校、こっちだよ」

「帰るんだ。面倒になった」

「………………やっぱ、面白いなぁ」


 女の呟きを無視して、来た道を折り返していく。俺でも、こんなあほらしいことをするのは初めてだった。


「またね~」

「二度と会うことはない」

「ふっふっふ、それはどうかな? このお礼はかならず~」

「礼をされるようなことはしていない」


 虚しさを感じながら、ゆっくりと歩いていく。


 思った通り、面倒なことになった。でも後悔は無かった。見過ごした時の後味の悪さに比べれば遥かにましで――


 というのは、この時ばかりの感想だった。

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