第26話 追放された鹿と妖精
初めの雰囲気などどこへやら。
ダイニングはすっかり和やかな雰囲気に包まれていた。兄貴も夕さんも、華宮もみんなにこやか。
ただ俺だけが仏頂面。心底、決まりが悪い。
「なるほどねぇ。おかしいと思ったのよ。部屋の奇麗さといい、キッチンの調味料といい。ろくに料理しないくせに、みりんや料理酒はおかしいもの。しかも、封開けたばかりみたいだし」
「おおっ、夕ちゃん先生なんか探偵みたい!」
華宮の感想は置いておいて。ぐうの音も出なかった。完璧な推論だと思う。
夕さんが挙げ連ねた疑問点は、ならではの着眼点。まあ別に何もしなくとも大丈夫だろうというのは、浅はかすぎる楽観さだったと思い知らされた。
こうなると、華宮の登場如何に関わらず、全てが露呈していたおそれは十分にある。
そこまでして隠しておきたかったわけじゃない。ただ、恥ずべき出来事だったのは事実。
もう少し、事前に何か考えておくべきだった。
「正宗、ただのクラスメイトがここまでしてくれないと思うけど?」
「そうだぞ、正宗君!」
「アンタまで、畳みかけてくるんじゃない」
本当に分が悪い。二対一の構造。いっそのこと逃げ出そうと思うが、一応華宮は客人だ。決して、歓迎すべきではないが。
言葉もそうだが、何より視線が鬱陶しい。特に、
「でもさ、華宮ちゃん。ただの友達にもここまでしないと思うけど?」
見事な推理を披露してからずっと黙り込んでいた
意趣返し、のつもりなのだろうが。その相手には特にダメージを与えられなかったようだ。口元に笑みが浮かんだまま、ただまばたきの回数は多い。
「そりゃあ、正宗君はあたしの恩人ですから」
「……あなた、何したの?」
「いや、心当たりは全くないんですが」
疑っている夕さんの視線を受け流すようにして、俺ははっきりと真横に顔を向けた。
しらーっとしているのが、なんとも腹が立つ。
振り返ってみても、そこまで言われる心当たりは少しもない。一つを除いては。
ただあの時のことだとしても、殊勝なことは何もやってない。ただ声をかけて、くしゃくしゃ気味のポケットティッシュを押し付けただけ。
そうだとしても、それは致死量のポケットティッシュと、美味な卵焼きという形で返ってきた。
だからこれは、ただの親切の押し付けだ……と、俺の方は結論付けていたのだが。
「うーん、本気で言ってるっぽい。はるく……晴純さんはどう思う?」
「僕はなんとも。夕ちゃん、今さら言いなおしても手遅れだよ」
「……そんなことない。私の学校でのクールな立ち振る舞いは健在だわ」
「くーる?」
クラス委員は首を傾げた。本気で腑に落ちていないらしい。
まあ華宮の反応も理解できる。濱川先生はクールでは決してない。無愛想で、大雑把、ものぐさ。他がどう思うかは知らないが、少なくとも俺の中のイメージはそんな感じ。
「やめてやれ、この人、自己評価と他者評価の乖離が激しいんだ。そして、そのことを自覚してない」
「二人とも、担任に残念そうな目を向けるのはやめなさい。宿題、増やすわよ」
「職権乱用っすよ、濱川先生」
どこまでも素の姿を見せる、我らが担任なのであった。
その彼氏も流石に苦笑しっぱなしである。
そもそも、この二人がセットな時点で威厳を保つのは不可能なわけで。いっそのこと諦めてしまえばいいのに。全ては手遅れだ。悔やむべきは、家人を差し置いて、インターホンに出たことだろう。
しばらく何か言いたそうにしていたが、夕さんはついに観念したようにため息をついた。
「本当に調子が狂うわね……どこか二人で遊びにでも行ったら?」
「そうだねぇ、華宮さんも色々と気を遣うだろうし」
「別にそんなこともないですけど……どうしよっか、正宗君」
今度はあの女がこっちを見る番だった。判断をこちらに委ねるつもりのようだ。
そうなれば、俺が言うべきことはただ一つ。
「帰れば?」
「サイテーね、はるくんの弟」
「ああ。兄として恥ずかしいよ、ほんと」
「だってさ」
何なんだ、こいつら。俺の自由意思はどこへ行った?
「はっきり言うと、掃除する必要もないんだったら、あなたお邪魔虫なわけよ」
「とんでもない主張だな……そっちから押しかけといて。行っとくが、来てくれなんて頼んでないぜ」
「正宗、兄としてはね、たまに弟が恋しくなるわけだ」
「真顔で言ってて、気持ち悪くないのか?」
「わー、絶好調だ、正宗君」
「アンタも、茶々を入れてくるんじゃない」
四面楚歌とは、このことを言うのだろうか。厳密にいうと、一面は空いているが。
ともかく、ここは俺の自宅なはず。家主は名目上、兄貴になっているが、それでもこの状況はおかしい。
助けてほしいと思おうが、頼るべき人間は一人も思いつかない。自分がどこまでも孤独な人間だと、再確認できる。……今は少しも喜ばしくないけれど。
「ほら、正宗。いい機会だから、ちゃんと華宮さんにお礼をしなさい」
「礼って言われてもな……」
「そうそう、別にいいよ、そーゆーの」
「華宮ちゃんは人間ができてるわねぇ、どこぞの同い年の男とは大違い」
「遠回しな言い方はやめろ、ダメダメ国語教師」
小さないざこざがやがて発生した。
結局、押し切られる形で、俺と華宮は、鹿久保邸から追い出された。夕飯までには帰ってこい、との言伝を与って。
「さて、どうしよっか、鹿久保君」
マンションの前で、俺たちは途方に暮れていた。
大変忌々しいが、奴と顔を見合わせることに。
「どうもしねえよ、って言いたいが、こうなるとな……」
「おっ、デレモード?」
「殴るぞ」
「女子に暴力奮うとか、ひどいやつだなぁ、キミは」
からかうように、華宮は笑い始めた。
「でも、あたしはやさしーから、仕方ないけど、今日一日付き合ったげる」
「そもそも、来襲してきたのはアンタの方だけどな」
「とりあえず、そろそろお腹減ったな~」
わざとらしい言い方で、華宮は両手で腹を押さえた。腰の方から、ぎゅっと縮めるようにして。ともすれば、ウエストの細さをアピールしているのかもしれない。
そんな冗談はさておいて。
確かに、時刻は十一時を回っている。正直、俺も空腹を感じ始めていた。
「とりあえず、
「そうだね。色々あるだろうし。……値は張るけど」
「それ、奢れって言ってるんだよな?」
「ううん、別に」
ということで、俺たちは街一番の駅へと向かうことにした。大きな商業ビルがあり、まあ腹も満たせるし、時間も潰せるだろう。
――あわよくば、こいつを撒けることを期待して。
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