第25話 尋問の時間
果たしてこれはいったいどういう状況なのか。
四人座れる食卓、そこは全て埋まっている。目の前には、苦い表情の夕さん。その隣にすわる、兄貴はにこやか。正直、こいつのみがこの場から浮いている。
対してこちら側はといえば。
俺はそっと右を窺い見た。夕さんとは逆で髪の長い女子がそこにいる。普段よりかは、幾分か大人しい。しかし、その奥の好奇心が微かに辺りに漏れていた。
「改めまして。二人は初対面、よね?」
口火を切った夕さんが、兄貴と華宮の顔を交互に見やる。
「初めまして。正宗君と同じクラスの華宮綾芭です!」
「正宗の兄の晴純です。いつも、弟が世話になってます」
「いえいえ、あたしはそんな……」
「とりあえず、自己紹介は済んだわね」
夕さんが満足そうに頷く。とんだ司会気取りだ。
俺は一人蚊帳の外。微妙な気持ちで、二人が挨拶を交わすのを聞いていた。
「それでまず訊きたいんだけど、華宮ちゃんはなんで隠れてたわけ?」
「サプライズです! 正宗君を驚かせようと思いまして。……まあその、あたしの方が驚かされちゃいましてけど」
ふざけたことを口にしながら、華宮は正面の二人を見比べた。そこに、先ほどまでの畏まった感じはもうない。
対照的に、濱川先生の顔に苦い色が広がっていく。彼女からしてみれば、非常に気まずいこと、この上ないだろう。
ちょっと身じろぎをして、彼女は兄貴に小さく目配せをした。
「まさか、夕ちゃん先生と正宗君がそーゆーかんけーだとは!」
「そっち⁉ ち、違う、違う。私がお付き合いしてるのは、はるくんで――」
「はるくん。……ふっふっふ~、ラブラブですなぁ、夕ちゃん先生!」
「くっ、なんか盛大に謀られた気分だわ……」
「赤くなってるぅ」
さしもの華宮といえど、今のはわざとだったらしい。
とはいえ、夕さんも言動にもう少し気を配ればいいものを。華宮を出迎えてしまった時の動揺がぶり返したのかもしれない。
インターホンを切った後、彼女はかなり慌てていた。休日、こんなところで自分が受け持っているクラスの生徒に遭遇したんだから、当たり前だ。きっと、一ミリもそんなこと想像していなかったはず。
華宮はニヤニヤしながら、兄貴たちを眺めている。テーブルに両肘をついて、組んだ手の上に顔を載せて。横目から見ていてもとても楽しげ。
夕さんこそ照れてはいるが、兄貴は微笑みを絶やさない。揶揄われているのに、全く気になっていないようだ。
……一刻も早く、この意味不明な空間から逃げ出したい。
「でも正宗君も、人が悪いよ。教えてくれればよかったのに、こんな素敵な話」
「いつまで名前で呼ぶつもりだ、アンタは」
「えー、いいじゃない。だって、この場に鹿久保は二人いるわけでしょ。混乱するじゃん」
「アンタは兄貴のことも君付けする気か?」
「……も、もしかしたら」
「自分のことだろうが」
意味不明なクラスメイトに向けて、苦々しげに吐き捨てた。
「こらこら、正宗。友達にそんなぞんざいな口、聞いたらダメだぞ?」
「友達じゃねえ。ただの同級生だ」
「ははっ、照れなくてもいいのに」
「勝手に言ってろ」
「……正宗君、お兄さんに対してもこんな感じなんだ」
「ついでに、私にもね」
夕さんはいつの間にか立ち直っていた。その顔には余裕そうな笑みまで浮かんでいる。
非常に居心地が悪い。華宮と兄貴は案外波長が合うらしい。そして、夕さんは相変わらず俺の天敵だ。
カップに口を付けるが、中の液体はすっかり冷めきっていた。苦みの中に、強いえぐみを感じる。
「それで華宮ちゃん。正宗君に、何の用だったの?」
「用ってほどじゃないです。暇だったので、なんとなく」
「そんな理由で来るな。だいたい、もし俺がいなかったらどうするつもりだったんだよ」
「あっ、それは大丈夫。奈穂さんに確認済みだから」
すると、あいつは足元に置いた鞄をごそごそし始めた。
やや時間があって、机の上にビニール袋が現れた。表面に、よく見知ったパン屋のロゴが入っている。
「おみやげです!」
「あら、ご丁寧に。華宮ちゃん、なほねぇとも知り合いなの?」
「なほねぇ……も、もしかして、夕ちゃん先生のお姉さん⁉」
「ああ、違う、違う。いとこなの。昔から仲良くてね」
「へー、びっくり! いやぁ世間は狭いってやつですねぇ」
ただこの人たちが地元を愛し過ぎてるだけな気もするが。兄貴も含めて、どうしてこの街に留まり続けるのか、よくわからない。
俺は早く、ここから離れたいというのに。
「しっかし、正宗君。バイトについても教えてるなんて、なんだかんだ言って仲、いいんじゃない。この間も、起こしに来てもらってるわけだし」
「……ちょっと待て。なぜ、夕さんがそれを?」
「華宮ちゃんから立候補してきたからね。あなたの遅刻癖を直してみせるって」
「勝手なこと言ってんな、アンタ」
「さすがに放っておけないからね~」
えっへん、と華宮は胸を張った。強気な顔をして、真直ぐに俺の目を見つめてくる。
本当にヤバい奴に絡まれてしまったものだ。改めて、あの日の自分の軽率な行いを反省する。これこそまさに、風が吹けば桶屋が儲かる、だ。
「正宗、その話、初耳なんだけど? ダメだよ、他人に迷惑かけちゃ」
「迷惑だなんて、勝手にやってることですから、気にしないでください!」
「そうは言ってもなぁ」
「はるくん、それだけじゃなくて。この間の風邪の時、プリント届けてもらったりしてるわよ」
「……ほう」
兄貴の眼鏡が妖しく光った気がした。
その不気味な雰囲気に、思わず背筋がぞっとする。
謎の沈黙が広がっていく。息苦しさは、ここにきて頂点に達した。主に目の前から、冷ややかなものが伝わってくる。
落ち着かなくて、どうしても視線が泳いでしまう。
そんな中、夕さんは何かを真剣に考え込んでいる様子だった。腕を組んで、眉に皺が寄ったり、緩んだりしている。
やがて何かを思い立ったように立ち上がると、台所に駆け込んでいった。
「ねえ、華宮ちゃんに一つ訊きたいんだけど、どっちかのタイミングでキッチン使った?」
夕さんはカウンターに身を乗り出してくる。その手にはみりんの瓶。
俺が初めて目撃した物体。
「……あ、わかっちゃいました? ごめんなさい、余計なことして」
「ううん、大丈夫よ。むしろ、ありがとう、かな」
ゆっくりと、彼女の目が俺の方に向いた。口元には不敵な笑みが貼りついている。
蛇睨まれた蛙の気持ちが、はっきりとわかった。
「さて、正宗君。ここから先は、君の口から何があったか、聞かせてもらおうかしら」
「それはぜひ、僕も聞きたいなぁ」
……全くどうしてこうなったのか。
いくら考えてみても、やはりあの日に立ち戻るしかないのだった。
ほんのわずかな気まぐれが身を滅ぼす。道端で泣いていた奴が、こんなにアグレッシブだと知っていれば――だがそれは、何の役にも立たない後悔でしかないのだ。
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