第7話 主導権を握るは……

 鐘の音が鳴り始めても、陽気な社会科の教員の手が止まることはなかった。ナチュラルに延長に入るタイプ。個人的には、もう少し雑談の時間を圧縮すればいいのに、と思ってしまう。


 結局、授業が終わったのはこの二分後のことだった。


 礼が終わると同時に、一部の同級生が廊下へと飛び出していく。彼らは完全に、闘いの後手に回っている。


「しーかくーぼくーん!」


 うちの高校には購買の他、食堂もあった。ただし、どちらも昼の時間はかなり混みあう。四時間目が長引く、ということはそういうことを意味する。


 だからこそ、登校時に購買に寄っておいた。時間割が予めわかっているのだから、この事態にも容易に想像がついた。


「無視するなっ!」

「…………しつこいな、アンタも」

「そっちもね」


 目の前で何度も呼びかけられた挙句、視界に手がちらちらと差し込めば、嫌でも反応するしかなかった。


 華宮は片手を腰に当てて、にやりと尖った笑みを浮かべている。一方の手には謎の包みと可愛らしいピンクの水筒。


「で、何の用だ?」

「一緒にご飯を食べましょう」

「嫌だね」


 鮭弁当とお茶のペットボトルを手に持って席を立った。


 すぐにあいつは回り込んでくる。その顔はとても不服そうだ。ふくれっ面でそれを過激に表現している。


「なんでさ?」

「理由はない」

「じゃあいいじゃん」

「……あれはいいのか?」


 俺はと教室内に存在するとある一団の方を顎でしゃくった。俗っぽい言い方をすれば、キラキラした男女の集まり。華宮の取り巻き、みたいなものだと思う。

 彼らは強い警戒心を持って、こちらを睨んでいた。


「うん。今日はいいんだ」

「どうもそうは見えないんだけどな」

「ねえ、どこ行くの? それどこで買ったの?」

「…………なんでこうなるんだか」


 聞こえないように呟いてから、俺は歩き始めた。


 案の定、というかあの女もついてくる。


「ついてくんなよ」

「あたしの行きたいところに、鹿久保君も歩いているだけだし」

「どこ行きたいんだ?」

「えっと……ご飯が食べられるとこ?」

「食堂か?」

「ううん。お弁当は持ってる」


 なんだこの会話……うんざりしながら速度を上げる。


 後ろの奴も負けじとペースを上げるが、もはや気にしない。一心不乱に、玄関へ。


「なるほど、中庭か!」

「アンタ、自分の行きたい場所に行きたかったんじゃなかったのか?」

「そっかー、鹿久保君も中庭に用があったんだね!」

「言いなおしてももう遅いぞ」


 うちの校舎はロの字型。その構造上、内側にこうした無駄なスペースができる。そこに緑を植えて、中庭としてあるのだった。

 それぞれの辺の中央から道が伸びて、渡り廊下になっている。その二階上にも連絡通路。上から見れば、本当は田の字だ。


 時期のせいと、曇りという微妙な天候のためか、人の姿は全くない。ベンチはどれも空っぽだ。


「あっちいけよ」


 適当なところに座ったら、我が物顔であの女も隣に腰かけてきた。しっしと手の甲で払う仕草をするが、奴は全く意に介さない。


「キミがあっちにいったら?」

「でもついてくるんだろ」

「それはうぬぼれというものだよ、鹿久保君」


 奴は、アハハと朗らかな笑い声を上げた。


 イラっとしながらも、俺は弁当を開封することに。もはや、諦めの境地にすら達しそうだった。


「いやぁ、ようやく謎が解けたよ。いっつも鹿久保君、お昼どっか行くからさ」

「よく見てんな」

「まねー」


 何でもないことのように答えて、華宮は包みを開いた。中からは、小さな二段重ねの弁当箱が出てきた。そして膝の上にランチョンマットを広げて、そこに弁当箱を鎮座させる。


「いただきまーす」

「いただきます」


 ……凄い妙な感じだ。この場所で、誰かと昼飯を共にするなんて。むず痒くて、ひどい居心地の悪さを覚えてしまう。


 華宮もまた苦悶していた。その内容は、弁当のどこから手を付けるか、という至極子供っぽいものだったが。


「そだ! 一個あげるよ、せっかくだし!」

「いや、別にいらな――」

「いいから、いいから。遠慮しないの」


 奇麗な形をした、艶のある卵焼きを、華宮は上手に摘まみ上げた。そして、こちらの鮭弁当の白米部分の上にそっと置いていく。


「一応ね、手作りだから」

「……自分で作ってるのか?」

「手作りってそういう意味でしょ? そんなことも知らないの、キミ?」


 小ばかにするように笑い飛ばされた。物を知らないのはどっちだよ、と胸の中で吐き捨てる。

 本当は弁当を、というニュアンスで訊いた。でも、さすがに今のは言葉足らずだったと思う。


「あ、もしかして、からあげの方がよかった? こっちは冷凍のだから、ダーメッ!」

「勝手に人の考えを読み取るな」

「それとも、あーん、したげよっか?」

「ほんと喧しい奴だな……」


 俺は卵焼きを口の中に放り込んだ。こうでもしないと、この女の攻勢が無限に続く気がした。


 何度か咀嚼する。たかが卵焼きだと思っていたのだが――


「……美味いな」

「でしょっ! 自信あるんだ、卵焼きは特に!」


 小さく言ったつもりなのに、あいつはしっかり聞きつけていた。ドヤッとするあいつに対して、ちょっと負けた気分になった。


「そんなに気に入ってくれたんなら、もう一個上げよっか?」

「いや、それはいい。アンタの分がなくなるだろ」

「いいんだ。また作ればいいから。それとも、続きはまた明日、の方がお好み?」

「……明日はないぞ」

「今日まだ水曜日だよ。祝日でもないし」


 こいつの中では、明日も俺と一緒に昼を共にするのは確定しているらしい。改めてとんでもない奴だ、と再認識した。しかも、遠回しに断られてるのがわかってないようだし。


 まあ明日のことは、明日の俺に任せればいい。今は一刻も早く、ここから抜け出さなければ。

 どうして息抜きに来たのに、息が詰まる思いをしなければいけないのだろう。


「鹿久保君はさ、いつも購買なの?」

「ああ」

「それともたまには、食堂も使う?」

「ああ」

「いいなぁ、あたし一回もお昼に使ったことないんだよね~」

「ああ」

「むっ! 話聞いてないな、キミ!」


 声を張り上げると、箸を止めて奴はこちらに顔を向けてきた。


 それでも気にせず、機械的に弁当を口に運び続ける。ゴールは近い。


「食事時は静かに、って習わなかったか?」

「楽しく食べた方が楽しいじゃん」

「……やめろ、その頭痛くなる言い方」


 時々、酷くこの女が本当に同い年なのかと、強い疑問を抱く。振る舞いや言動があまりにも子供っぽい。

 裏表のない無邪気さ。それが人を惹きつける理由なのかもしれないが。

 俺にとっては、ただひたすらに疎ましいだけ。


「ちょっとどこ行くの?」

「戻るんだ。飯は食い終わったしな」

「ま。待ってよ~」

「その義理はない」

「泣くよ!」

「どうぞご自由に」


 歩きながら、それは冗談になってないだろうと、心の中で思うのだった。



          ※



 しっかりとあいつが教室にいることを確認してから、俺は教室を出た。急ぎ足に、玄関へと向かう。

 同じ轍は踏まない。自意識過剰な取り越し苦労ならそれでいい。どうして俺がこんなにも他人を気にして行動しなきゃならないのか。全くもって腹立たしい。


「どうなってやがる」


 憎々しげに吐き捨てた。いてはならない人物を目撃して。

 俺の心配は杞憂ではなかった。


「鹿久保君、きぐーだねぃ」

「アンタは瞬間移動でも使えんのか?

「ヒ・ミ・ツ!」


 もったいつけるような言い方で、奴は自分の唇に人差し指を押し当てた。


 今後のためにも、ぜひそのカラクリをご教授いただきたいのだが。それは多分に時間を浪費する行為で、しかも徒労に終わる確率がものすごく高い。


「……どけ」

「いや!」


 鋼の意志がそこにはあった。でも折れるわけにはいかない。


「今日バイトなんだよ」

「……鹿久保君、バイトしてるの?」

「嘘ついてどうする」

「あたしから逃げられるでしょ」

「避けられてる自覚あるなら、自重してくれ」

「うーん、考えとく」

「それ結論が変わらないやつだろ」

「……えへへ、バレた?」


 しかもこいつの場合、考えることも決してしない気がする。つまりこれは、無敵の言葉だ。


 それにしてもこの女に、俺が嫌がっているという意識があったとは。意外だった。ただのお気楽脳天気女だと思っていただけに。

 ただ行動が伴ってくれなければ、その事実は何の意味も為さないが。


「まあでも、そーゆーことなら仕方ないなぁ」

「それは妨害してた側の言うことじゃない」

「まーまー、細かいことはいいじゃない。老けるよ」

「それでさっさと高校を卒業できるならいいことだ」


 軽口を叩きながら、アクセス可能になった靴箱に手を伸ばす。


 素早く靴を履き替える様を、あいつは黙って見ていた。その顔に微かな笑みが宿っていることが妙に気にかかる。


「じゃあ、またね、鹿久保君!」


 昨日同様、その言葉を聞き流す。


 ただ俺は不思議に思うべきだった。この質問しいのお喋り女が、この時ばかりは簡単に引き下がったことを。

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