第6話 本領発揮

 目が覚めた時、アラームは鳴っていなかった。時刻を確認して、状況を察して全てを諦めた。


 本当に、しばらくぶりに寝過ごした。今日は朝から行こうと――これは華宮に言われたわけでなく――決めていたのに。

 どうあがいても一時間目には間に合わない。開き直ってのんびりと支度を始めた。


「だから、今回は本当に寝坊だってば」

「まるで狼男ね、まったく。そもそもの話、寝坊したからと言って遅刻して良いわけじゃないのよ?」


 担任の濱川……いや、知り合いのとバトルを終えてから、余裕たっぷりに出発した。


 昨日のような事がそう何度も起こるはずはない。わかってはいても、どうもこの通い慣れた道に強い警戒心を抱いてしまう。


 結局、一時間目が終わるかなり前には学校についた。


「おや、お前さん。相変わらず、周りからはぐれて生きてんねぇ」


 来客用玄関の近くに、トラックが一台停まっていた。作業服姿の男が、懸命に台車を転がして荷物を運んでいる。


 それを傍らで見ている背の高い、明るい髪色のセミロングの女性。それを無造作に一つに束ねている。

 いつも通り、不機嫌そうな顔。『スレた感じのする美人』とある知り合いはそう評していた。


「おはようございます、購買のおばちゃ――」

「その呼び方はやめろって言ったよね。二度と取り置きしないよ?」

「すみませんでした、真紀お姉さま」

「現金だねぇ」


 呆れたように首を振ると、購買の主は宅配業者に二言三言話しかけた。

 

 お疲れ様ですまた明日、なる男の言葉を聞いて、俺はこの場から逃げ出したくなった。さらに男は頭を下げ、トラックの後ろに回り出す。

 

「まだ時間あるだろ、ちょっと手伝っていきな」

「……生徒に手伝わせるのはどうかと思いますけど」

「普通の生徒はこんな時間に、こんなところをウロウロしてないだろ」

「職務怠慢だ……」


 俺の一言を真紀さんは物ともしない。ただ薄く笑い続けるだけ。


 この人はいつもこんな感じに飄々としていて、おまけにテキトーだ。


「そう言いながらも、そんなに嫌がらない辺り、お前さんは本当に天邪鬼だよねぇ」

「昼飯のためですよ」

「そういうことにしておこう」


 真紀さんと一緒に校舎の中へ。すぐ近くに平たいトレーがいくつか積み上げられている。中身はパンやおにぎり、弁当。大雑把にひとまとめにすれば、昼飯だ。


 ひとまず靴を履き替えてきてから、早速一番上のトレーを持ち上げる。重くはない。中の物を眺めつつ、テキパキと購買へと運んでいく。こっちの玄関からなら、購買は目と鼻の先だ。……俺の手伝いなんかいらないとも言える。


 何度目かの往復の果て、ついに仕事をやり終えた。手持無沙汰になった俺は、真紀さんが商品を並べるのを手伝う。


 粗方終わると、店主はカウンターの奥へと引っ込んでいった。


「いつも悪いねぇ、少年」

「微塵も思ってませんよね、そんなこと」

「ま、嫌だったら、ちゃんと登校しなさいな」


 言いながら、彼女は鮭弁当をカウンターに載せた。頬杖を突いて、その顔は不愛想なまま。


 俺は五百円玉を置いて、それを手前に引き寄せる。


「はい、お釣り」

「ありがとうございます」

「マイドアリ」


 お決まりの呪文を聞いてから、俺は職員室へと向かった。タイミングよく、チャイムが屋内に鳴り響いた。



        *



 違和感にはすぐに気が付いた。教科書類がすんなり奥へと入らなかったからだ。何か柔らかい感触の物にぶつかった。


 思わず中を見ると、ビニールに包まれた何かがぎっしり詰まっている。二段重ねになって、一つ一つのサイズはそんなに大きくない。

 一つ手に取ると、すぐにその正体は判明した。


(ポケットティッシュテロ、か。新しいな)


 犯人には目星がついている。ご丁寧なことに、犯行声明もといメモ書きが入っていた。なかなかに汚い手書きの文字で。


『遅刻した罪だよ!』


 ……さすがになんとも言えない気分になった。


 それと、そいつはちらちらとこちらの様子を窺ってきている。周りの人間と談笑しなが、その隙をついて。器用な奴だと感心した。


 にしても、なぜ大量のポケットティッシュなのか。

 

 ともかく、この猟奇的犯行の謎解きは二時間目が終わるのを待つしかなかった。

 とりあえず、現場保存をして、数学の授業に集中する。


「おそよー、鹿久保君」


 案の定、奴は笑顔でこちらにやってきた。そのご自慢の長い髪を弾ませながら。


「綾芭のやつ、またかよ!」

「鹿久保に弱みでも握られてんのかな」

「朝もなんかこそこそしてたしね」


 周りの注目が集まっている。ひそひそ話のつもりなのだろうが、中にはこちらまで漏れ聞こえてくるものがあった。


「……これはなんだ?」

「あれ、フセン入ってなかったかな」


 中が見えるようにして、向きを変えた机のそばに、華宮はしゃがみ込んだ。我が物顔でその中に手を突っ込んでいく。


「ほら、あるじゃん。だよ!」

「俺には、としか読めないが?」

「えっ、うそっ!?」


素っ頓狂な声を上げて、目を丸くする華宮。まばたきの回数が劇的に増えた。


 こそっとため息ついて、ポケットに手を突っ込んだ。スマホを取り出し、検索バーに文字を打ち込む。白っぽい画面を突きつけた。


「ホ、ホントだ……ってか、ダメだよ、学校でスマホ弄っちゃ!」

「へいへい、すみませんでした。罪、が当たるな」

「~~~~っ!」


 クラス委員の顔は真っ赤に染まった。唇がプルプルと震えている。


 ちょっとだけ胸がすっきりした。


「しかしこの並び、ドストエフスキーを思い出す」

「へ? もう一回言って? 今なんて言ったの?」

「聞かなかったことにしろ」

「えー、気になる! ドスドススキー!」

「まあ自分で調べてみてくれ」

「うん、そうする!」


 絶対に正解にたどり着くことはないと思うが。『ドスドス』なんて、最もスキーから遠い位置にあるオノマトペだ。


 そんなこと、おくびにも出さず、しっしと手で払う。

 でも、華宮は頑に動こうとしなかった。


「家に帰ってからのお楽しみだ。ここは学校だから」

「クソがつくほど真面目っぷりだな」

「そういう汚い言葉使うのやめてよね、不真面目君!」


 一つ言うことがあれば、図書室に行けばすぐに答えは手に入る、ということ。この高校のそれがどこにあるかは知らないが。


「それはいいとして。この尋常じゃない量のティッシュはなんだ?」

「……そ、それは、その、男の子だからたくさん使うかなーと」


 奴は顔を背けてしまった。しかも、珍しく小声。変な想像がその脳裏で渦巻いているらしい。


「何言ってんだ、アンタ。控えめに言って、頭おかしいぞ」

「全然控えてない!」


 驚愕の表情で、奴は絶叫した。


「そういう冗談はよせ。これが罰だというのはわかったが、これだけの量をわざわざ用意したってことは、初めから俺がちゃんと来るって思ってなかったってことだよな。クラス委員だからーとか言っといて」


 本気で腹が立っているわけじゃないが、強い言い方をする。初めてこいつの弱点をつけた気がした。


「ああ、それはね、ノリ」

「ノリ?」

「うん。元々ティッシュの件はサプライズだったの。でもキミ、結局来なかったから。…………それで怒りのままにあのフセンを、ね。慌ててたから間違ったの、罪と罰」


 意外なところで、ドストエフスキー著の作品が出てきたな。まあ奴は無自覚な

ようだが。


 だが、そこを除けば腑に落ちた。ただ残るは――


「なんでポケットティッシュなんだよ」

「先にくれたのは鹿久保君の方じゃん」 「……ハムラビ法典みたいなこと言ってんな、アンタ」


 目には目を~の。一応付け加えておく。


 それが功を奏したか。奴はどこか納得のいった風だった。


「そうそう、そんな感じで」

「絶対後付けだろう……それにしたって、多すぎるぞ」

「鹿久保君、ポケットティッシュ、好きなのかなって」

「はあ?」

「あのティッシュに入ったチラシ、去年の夏季講習のだったよ」


 図らずも、年季を入れてしまったようだ。制服のポケットはちゃんと整理しようと決めた。


 それにしても、とは思うが、これ以上は話がややこしくなるのは、火を見るより明らから。

 さっさと、こちら側の唯一の要求を口にしなければ。


 俺はすっと右手を差し伸べた。


「なにかな? ……あっ! 足りかなった?」

「いや、高校生活で使い切れない量あるから」

「そう? 足りなかったら、言って。頑張るから!」


 何をだよ、と頭を抱えたくなった。


 もっと他に寄越すべきものがあるだろうに。素で忘れてやがるのか、こいつ。


「金だ」

「かね?」


 初めてその単語を聞いたかのような顔をして、華宮は首を傾げた。


「おいおい、やばくないか?」

「あれって、カツアゲだよね」

「鹿久保って、そこまで悪い奴だったのかよ!」


 盛り上がるギャラリー。

 これは非常に旗色が悪い。


「金返せ」

「ああ、ああ。それね! 昨日言ったよね、朝来ないなら返さないって」

「本気かよ? 然るべき法的手続きを取らせてもらうぞ」

「いいよ、やってみなよ! たかが千円、警察はそこまで暇じゃあないんだから!」


 謎の開き直り。これこそ、盗人猛々しい。諺時点に載せるべき好例。


 正直な話をすると、金は返ってこなくともよかった。ただ繋がりを断ちたかった。


 一応、こうして礼ももらって(嬉しくないが)、残るはこの一件だけ。

 それが済めばこの女も少しは大人しくなるだろう。


「わかった。じゃあ返さなくてもいいから、俺に二度と関わらないでくれ」

「そ、それって……」


 拒絶の言葉に、さしもの華宮も言葉を失った。驚きのあまり目が丸く……なっていなかった。


 次の瞬間には、俺は奴のにやけ面を目の当たりにしていた。途端、強い寒気を感じる。


「なるほど、そういうことか! ホント、素直じゃないねぇ、鹿久保くん。それって、お金返せば、からんでいいってことでしょ?」


 ……別次元の解釈が繰り広げられていた。


 唖然とする俺をよそに、奴は自分の席に戻っていく。


 休み時間が終わる頃、俺の手に野口は返ってきた。

 でも、なにか大切なものを失った。


 果たしてどこで間違ったのか。

 その答えは見つかることはなかった……

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