第9話 一匹狼の秘策
個人競技の体育は楽だ。もっとも外周走がそうかと言われると、疑義はあるが。一人で走るのだから、個人には該当するだろう。
むんむんとした熱気が立ち込める男子更衣室。四クラス分が詰め込まれているので、窮屈なことこの上ない。
一足先に着替え終えた俺は、人混みの中に目的の人物を探していた。部屋の中に素早く視線を巡らせていく。
奴は他クラスだ。そもそもにして、クラスで棚の位置が決まってるわけじゃない。だから、見つけるのは結構骨が折れる。
やがてその奇抜な髪の色が目に入った。奴は孤独にのろのろと着替えている。
「おい、飯行くぞ」
「正宗、俺はまだ着替え終わってないったら」
「誰が今すぐと言った。……お前がそのケンタウロスみたいな格好で来たいってんなら話は別だが」
「ケンタウロス……? 正宗って、たまに本気でわかりにくたとえ方するよね」
その男――
上がワイシャツ、下がジャージというちぐはぐな出で立ち。その上下異なる系統の姿を、あえてかの幻獣と重ね合わせてみせたのだが。
「やっぱりわかりにくいよ、それ」
「かもな」
とにかく外で待ってる、と俺は先にこの生き地獄を抜けた。体育直後の更衣室なんて、学校の中で最もいたくない場所の一つだろう。
壁にもたれながら、目の前を左から右へと抜けていく生徒の姿をぼんやりと眺める。やや複雑な心境で。その行く手にこそ、食堂がある。
無事に奴と合流を果たし、そのまま目的地へと向かおうとする。しかし、いきなり呼び止められた。
「おいおい、そのまま行く気かい?」
「財布、持ってんだろ」
「まあそうだけど」
本来なら、財布は体育委員に預けることになっている。盗難防止というもっともな言い分なため。
実状は、預ける奴はほとんどいない。俺なんかももちろんそうで、馬崎もまた俺と同じだった。
「すでに出遅れてるんだ。お前なら、これがどういうことかよくわかるだろ」
「いつも言うけどさ、遅れたってちょっと待つくらいで、座れないってことはないからね」
「その
「だから四時間目が早く終わらない限り、使わないんだろ?」
それがどうして、言いかけて奴は言葉を飲み込んだ。代わりに、意味ありげな表情を作る。
言いたいことはあるが、俺は強く睨みつけてから歩き出した。馬崎も流れるようについてくる。
お互い注文を済ませて、昼飯の載ったトレイを抱えたまま、食堂の中を練り歩く。隅っこの、まさに人気のなさそうな席が空いていた。
「ねっ、言ったでしょ」
「でも時間はかかったぞ」
「しょうがないさ、それは」
「馬崎君は人間ができてるな」
「君の人間ができていないだけだろって」
余計なお世話だと思いつつ、肉うどんを啜る。学食の強みはなんといっても、麺類……と個人的には思っている。ご飯ものなら、ぎりぎり購買でもカバーできるし。
そんなことを言ったら、あの仏頂面の女主にはっ倒されそうだが。
馬崎は日替わり定食にしたようだ。初めて一緒に来た時からずっと同じメニュー。考えるのがめんどくさい、なんて言ってる時点で、やっぱりこいつの人間もできていないと思う。
「それで? いったいどういう心境の変化だい? そんなに行列を毛嫌いする君が俺を食堂に誘うだなんて」
「別に。たまにはいいか、と思っただけさ」
「嘘つけよ。あれかい? クラスで浮き過ぎて寂しくなった」
「そうだと思うか?」
「まっさか。去年一年、同級生とろくに親睦を深めなかったのに今更って感じさ」
馬崎はサバの付け根を丁寧な手つきで箸を入れていく。一口サイズにした一つを挟み上げると、そのまま口へと運んでいった。
俺もまたうどんを吸引する。
「――あれだ。華宮綾芭のことだろ?」
「…………知ってんのか」
核心をつく名前が出て、咄嗟に箸を置いた。まじまじと元クラスメイトの顔を見つめる。
そこにはいつもの本心が見えない、薄い笑みが貼りついていた。この得体の知れなさが、こいつとウマが合った最大の要因かもしれない。
「そりゃそうさ。綾芭ちゃんを知らないのは、それこそ正宗みたいなはぐれものだろうねぇ」
「お前だって、似たようなもんだろうが」
「……俺は君と違って、一応の親交は保っているから」
本当かよ、と思いつつ、そういえばこいつはやたら学校の事情に詳しかったのを思い出す。くだらないゴシップを、よくこういう時間に聞くされたものだ。
「正宗は大人の女性が好きだから、わかんないだろうけど――」
「おい、勝手なこと言うな」
「綾芭ちゃん、すっごい可愛いじゃん。目はぱっちりで、肌とか白いし、いつも笑顔で愛嬌があって、制服だとわかりづらいけどスタイルも――」
「落ち着け、変態。通報されんぞ」
俺は顎をしゃくった。周辺の連中が、異様なものを見る視線を、この男にぶつけていた。俺もまあ同様だが。
しかし、話がどんどん逸れていくな。俺が利きたかったのは、どうして俺と華宮を関連付けたのか、だったのだが。
まあ時間はあるし、好き勝手に話させておこう。できれば昼休みいっぱい使わせたい。変に教室にいると、あの女が鬱陶しくて仕方がない。
「まああれだよ、とにかく、アイドルみたいなルックスってことさ」
「ピンとこねえよ」
「ちなみに通称『籐円の妖精』!」
「妖精って……またおおげさな」
「体操部だから、綾芭ちゃん。レオタード姿もまた格別」
「いちいち興奮すんな、下衆野郎」
「さらっとランクダウンさせるのはやめておくれ、正宗君……」
隣の席の奴がいきなり、立ち上がったのは偶然だと思いたい。
というか、俺もそうしたい。
「って、今体操部って言ったか?」
「あれ? 正宗もレオタードに興奮するタチだった?」
「お前と一緒にするな。――で、それ本当なんだろうな」
「間違いないよ。表彰とかもされて……そうか、正宗集会いっつもいないもんね」
「失敬な。いる時もある。寝てるが」
「いないのと一緒だよ、それは」
そんなもの俺だけじゃあないだろうに。誰もが、全校集会とか学年集会を不毛なものに思っている。学校生活にはそうした無駄なものが、あまりにも多すぎる。
とまあ、学校行事についての私見は、また別の機会にこいつにぶつけるとして――
「体操部って、暇なのか?」
「まさか。毎日練習してるんじゃない? 特に体操なんて、その特殊性が高いだろうしさ」
「それはどのスポーツにも言えることだと思うぞ。――それこそ、野球部だって毎日練習してるじゃねえか」
「非効率的で、時代遅れの根性論を繰り広げてるだけさ」
俺の皮肉を、馬崎は軽く受け流した。でも辛辣な言葉と、その口調に強い感情が込もっていた。
腕組みをして難しい顔をしていた馬崎だったが、いきなりはっとしたような表情になった。視線の先に何かを見つけたらしい。あいつは入り口に相対して座っている。
「っと、ほら。噂をすれば四十九日だ」
「ミックスさせるなよ……」
すべてに察しがついた。忌々しい気持ちになりながら、一応身体を捻ってみる。
「あ、やっぱりここにいたか! おーい、鹿久保くーん!」
案の定、華宮綾芭がいた。こちらに向かって大きく手を振っている。ぴょんぴょんと少し飛び跳ねながら。
近くの席の奴らだけじゃなく、あちこちからあいつに向かって視線が集まっていた。中には、ちらちらとこちらを見るものがあった。
そして食堂が一気にざわめき立った。
「あらら、大変だ」
ツレの呟きが、俺の耳にはっきりと届く。
うどんは依然として、どんぶりの中でだしを吸っている。
この事態を避けるために、真っ直ぐここに来たというのに。全ては水泡と帰した。
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