第29話 ギャップ

 アームは、大きなクマの頭にめり込みはしたものの、持ち上げるまでは至らなかった。

 結局、空気を掴んで所定の位置へと帰ってくる。


 この光景を、もう何度見たことか。華宮はめげることなく、同じことを繰り返している。

 ここまで来ると、その根性にいくらか尊敬の念さえ覚えた。


「もぉ~、なんで取れないわけ!」

「本当に下手くそだな、あんた」

「むっ、だったら正宗君、やってみてよ」


 華宮はすごい勢いで、振り返ってきた。手を操作盤に載せて、やや前傾姿勢のまま。今にも唸り声でもあげそうなほど唇を尖らせ、飛び出しそうなまでに眉間に皺を寄せている。


 激しさを増した賑わいの中、駅ビル最上階の一角を占めるゲームセンターにやってきた。言い出しっぺの目標は、クレーンゲームだった。

 しばらくの間、得物を探す野生動物のように、コーナーをぐるぐる。ようやくお眼鏡にかなったのが、このファンシーなぬいぐるみ様というわけだ。

 ガラスケースの中に、数体が鎮座している。寸分の違いがないそれらが並ぶさまは、中々に壮観だった。


「やだね。面倒くさい」

「そんなこと言って。ホントは自信ないんでしょ~」

「安い挑発だな」

「…………代わりってよぉ」


 ぐすぐすと鼻を鳴らす。ぐっと目を細めるのを繰り返すと、端の方が滲み始めた。

 どうやら心は折れてしまっていたらしい。こいつを突き動かしていたのは、つまらない意地やプライドだったみたいだが、それを俺の一言が粉々にした。

 ……と言ったところかもしれない。ともかく、その泣きまねは迫真。傍を通る他の客が、何事かと俺の方を遠巻きに眺めてくる。


 一応、止めはした。初めてにしては、少々相手が悪いぞ、と。

 それでも意気揚々と立ち向かうことに決めたのは、この女なわけで。俺が手を貸す理由はないのだが。


「そんなに欲しいのか」

「うん。かわいいでしょ」

「本当に、動物好きなのな」


 大きくため息をついた。

 何を思ったのか、あの女は照れたように微笑んだ。ちょっと恥ずかしそうに、身を捩る。


「わかったよ。やってやる。……言っとくが、いつかの礼だからな」

「五日? なんかしたっけ」

「また古典的なとぼけ方を……看病ん時の分だ」

「ああ、なるほど、なるほど。別にいいのに。でも気にしてくれてたのは、ちょっとうれしいかも」

「なんだよ、それ」


 釈然としないながらも、華宮と入れ替わって、クレーンゲーム機の前に立つ。華宮とは違い、人並みの経験は持ってる。かといって、得意なわけでもないが

 それにかなりのブランクもあるため、ちゃんと獲れる自信はない。


 百円玉を取り出そうとポケットを探ると、横から手が伸びてきた。台の上に、五百円玉が置かれる。つい、数時間前に貰ったお礼のことを思い出した。あれは、とっくの昔に液体へと姿を変えた。


「多くないか」

「この方がオマケつくんだよ」

「百円ありゃ十分だ」

「ひゅー、かっこいい~」

「馬鹿にしてんな」

「ちゃんと応援してるってば」


 改めて取り出した百円玉を投入。耳障りな音楽が流れて、ボタンの一方が光る。


 華宮が獲ろうとしていたのは、ちょっと分が悪そうだ。さっと目を這わせ、より取りやすそうな奴を見つけ出す。


 何度か距離感を測り、まず横軸を合わせにかかる。気を付けなければならないのは、アームの開き具合だが、あいつの奮闘によりばっちり頭に入っていた。


 ここで機械の横に回り、慎重に縦軸を測る。真ん中よりもちょっと手前。狙い的に、あまりズレは許されない。


「おぉ、プロっぽい!」

「これのプロなんかいてたまるか」

「えー、案外いそうじゃん」


 奴に集中力をかき乱されながらも、ボタンを押す。

 アームが奥へと進んでいく。目標の上、少し手前で手を離した。

 ややぶれながらも、ほとんど狙った通りの位置に止まった。


 ゆっくりと、アームが下りていく。


「……ねえ、空ぶってるけど?」

「まあ見てろ」


 開き切ったアームは、確かにクマの本体部分は捉えていない。

 しかし、俺の狙いは初めからそこにはない。


「すごっ!」


 閉じたアームが、タグに空いた穴にいい感じにハマった。

 そのままクマを持ち上げていく。後は取り出し口に戻ってきて――


「ほらよ」

「わぁ、ありがとー」


 大きな音を立てて、落ちてきたクマを手渡した。

 華宮は愛おしそうにギューッとそれを抱きしめる。やはり同学年には見えない、その姿は。


「いやぁ、すごいね。達人だね! ゲームセンターはよく来るの? ほら、馬淵君と、とか」

「いや、全く。そもそも、あいつと外で遊んだことはない」

「えー、なんで? 友達でしょ」

「学校でただ顔合わせるだけの付き合いだ」

「……じゃああたしが一歩リードだね!」


 果たして、何を競っているのだろう。こいつの言動は、ぶっ飛び過ぎてて、たまに本気でついていけなくなる。


 そんな俺の困惑をよそに、奴はなおもぬいぐるみをかわいがる。何がそこまで奴の琴線に触れたのか。俺には全く理解できない。


「大切にするね」

「お好きにどうぞ」

「どこまでもクールだねぇ、キミは……」

「袋、貰ってきてやる。まさか、そのまんま帰るつもりじゃないだろ?」

「えっ、そのつもりだったけど」

「マジでやめてくれ」


 未だクマにしがみつくクラスメイトを置いて、俺は店員を探す旅に出ることにした。



          *



 駅前のバスターミナルで解散することになった。その時初めて知ったが、奴の家はここからバスで一本のところにあるらしい。


 すっかり日が落ちかけて、夕焼けに染まる中、バスを待つ華宮と向かい合う。


「今日はありがとう。暇つぶしに付き合ってくれて」

「もう勘弁してくれ。二度と家に来るな」

「えー、つれないなぁ。ちょっとは仲良くなれたと思ったのに」

「どこがだよ……」


 鬱陶しいことをのたまう華宮に、つい顔を顰めてしまう。


 そんな俺を微笑ましく思ったのか、奴はちょっと目を細めた。そして、持っていた大きな袋から、例のクマを取り出す。


「あたしね、こういうのに憧れてたんだ」

「なんだ、藪から棒に」

「また難しい言葉……植物園でさ、この袋持った家族連れにすれ違ったじゃない」


 そう言うと、華宮は眩しそうにゲームセンターの袋を掲げて見せた。かさかさと、風に揺られて音がする。


「子供がさ、本当に楽しそうで。ああ、羨ましいなぁって思っちゃったの。あたしには、そういう思い出ないから」

「そうか」


 物憂げな表情は、華宮綾芭の平時の姿をぐっとぼやかす。

 当然なのだが、こいつも色々と悩むところがあるんだろう。学校の中では底なし沼のように明るいから、ついそんなことはないと思ってしまうが。


 だが、俺は知っている。道端で泣いていた姿を。その理由は知らない。訊くつもりもない。話してもらう必要もない。

 それは、こいつの中の問題だ。俺がとやかく口を出せる話じゃないし、頼るべき人間はもっと他に相応しい人間がいるはず。


 急に黙り込んだせいで、辺りの寂しさがぐっと深まった気がした。バスを待つ列はあるのに、通行人入るのに、くたびれた雰囲気がしっとりと漂っている。


「ねえ。正宗君はさ――」


 その続きは、やってきたバスによって掻き消された。

 物々しい音を立てて停車すると、ゆっくりとその扉が開く。


 列が進んでいく。俺たちの後ろにも、いつの間にか人がいた。


「行かないと。それじゃあ、また学校でね、正宗君」

「ああ、じゃあな…………なんだよ?」

「べっつに~」


 何やらこちらを睨み続けていた華宮だったが、程なくして歩き出した。

 振り返ることなく車内へ。手近なところに座ると、車窓からこちらの方を見てくる。


 それには気づかない振りをして、俺はその場を立ち去った。

 華宮が言おうとしたであろう続きが、俺にはあまりにもクリティカル過ぎて、それ以上あいつのことを見ていたくはなかった。


 仮に俺が思っていた内容でなくとも、その前の家族の話でかなり精神的には参っていた。それは、俺がもっとも忌み嫌う話題だから。

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