第28話 ちらりと見える……
地上に出てもなお、日はまだ高いままだった。とっくの昔に南中は終えてるので、後は沈むだけというのに。
燦然と輝くあの天球が、とても鬱陶しい。おまけに、放出される熱は強いし。
「いやぁ、天気ですなぁ」
のうてんきな女がのんきなことを言っている。
何も返さず、俺はゆっくりと視線を正面へと戻した。歩行者信号は赤のまま。
早く変わって欲しい。この待ち時間、心の底から息苦しい。
「ちょっと無視しないでってば!」
「何か言ったのか? 聞こえなかった」
「嘘だよ、ぜったい!」
「そんなに大事なことだったら、もう一回言ってくれよ」
「……むぅ! 今日はいい天気ですね!」
「そうだな」
まさか本当に繰り返すとは思っていなかった。相槌がついぎこちなくなってしまう。
会話が途切れたところで、タイミングよく信号がその色を変えた。
一斉に動き出した周りに合わせて、俺たちも横断歩道を渡っていく。
目的地は、東西に広がる巨大な公園。一番東側には、古びた電波塔もある。それぞれ、この街の数少ない観光名所の一つだ。
『いつまでも地下に籠ってるのって、モグラみたいだよね!』
という、天然女の妄言で外を歩くことになった。もし、これが土竜なら、日差しを浴びた瞬間に息絶えていることだろう。
まあ、陽の光を迂遠に感じている今、俺も連中と大差ないわけだが。あるいは、
「あのぉ、すみません。ちょっと道を訊きたいんだがねぇ」
次の信号に引っかかった時、わきから声を掛けられた。
見ると、そこにはやや小柄なばあさんが立っていた。くるくるとした白髪が、そよ風に靡いている。
「ええ、構いません。どこへ行きたいんですか?」
「植物園なんだけどね」
「ちょっといいですか?」
彼女の持っていた冊子を受け取った。植物園のパンフレット。中身の地図には目もくれず、住所を真っ先に確認する。
碁盤の目になっているから、それさえわかればおおよそ目的地には辿り着く。くわえて、植物園ともなればきっと外観もわかりやすいだろう。
……辺りにそんなものが存在することを、たった今知ったのだが。
「どうだい、わかるかい?」
「はい。――よかったら、案内しましょうか」
「いやでもねぇ……いいのかい?」
つい、普段の要領でそんな言葉が口をついていた。
ばあさんが俺の背後に目を向けるまで、華宮が一緒のことなど完全に忘れて。
ゆっくりと、顔だけ奴の方に向ける。なんだか、少しだけ呆けた顔をしていた。
「アンタも、別に問題ないよな」
「……う、うん。あたしも、放っておけないし」
「そうかい、わるいねぇ」
同行者の許可も得られたため、進路を植物園へと向ける。ここから南と西に、いくつかブロックを移動する必要がある。
俺が先を行き、華宮とばあさんが横並びに続く。時折、談笑する声が後ろから聞こえてくる。
奴の人当たりのよさが十分に発揮されているようだ。
正直な話、凄く助かっている。道案内をしている時、その相手と気まずくなって仕方がないことがほとんどだからだ。
十分ほどして、植物園の前まで辿り着いた。距離があったというより、ひたすらに信号が多かった。
だから街中は嫌いだ。地下歩行空間が、隅々まで広がっていればいいのにと思う。
「ありがとねぇ、助かったよ」
「いえ、大したことじゃないので、これくらい」
「はい! あたしもおばあさんと色々お喋りできて楽しかったです!」
「でも、せっかくのデートだったんだろ? 邪魔しちゃったみたいで、わるかったよ」
「で、で、で、デート~~~っ!」
人が大勢行き交っているというのに、この女は大声を出して大げさに驚いてみせた。目は完全に見開かれ、口はあんぐりと開き、その頬にはほんの微かに赤みがさしている。
年寄り特有の、なんてことはない冗談だろうに。こいつはずいぶんと真に受けてしまったようだ。
「全然、そんなことないので。ただの顔見知りですから、こいつは」
「そうなのかい? まあともかく、大したお礼はできないけど、これでジュースでも」
「……いえ、受け取れません」
ばあさんが差し出してきたのは五百円玉。
流石に受け取るわけにはいかない。別にそこまで感謝されるようなことは仕方ないのだから。
ふと、華宮の顔を窺うと、奴は依然としてフリーズしていた。ったく、肝心な時に使い物にならないな。
数回のラリーを経て、結局、五百円玉は俺の手の中に納まった。納得いかない落としどころで、非常に後ろめたい気がする。
「ありがとねぇ」
「お気をつけて」
何によ、と心の中でツッコミながら、婆さんが園内に入っていくのを見送る。
その頃には、華宮は復活して、何度もお辞儀を繰り返していた。
やがて顔を上げた華宮は、ぎこちなくこちらに向きなおしてきた。
「……ね、ねぇ、これってデート、なのかな」
「なわけないだろ。お互い、ただの暇潰しだったはずだ」
「そ、そうだよね! 暇潰し、暇潰し……あたしたち、普通に遊んでるだけだもんね!」
「なに動揺してんだか、まったく……」
「キミの方こそ――」
その続きはごにょごにょとし過ぎて、全く聞き取れなかった。
ムッとした表情から、どうせろくなことではないようだが。
「それで、これからどうしよっか? せっかくだし、あたしたちもここで暇潰してく?」
「まあいいんじゃないか」
「華宮だけにお花好きってね……ちょっと、笑いなさいよ!」
「くだらねー親父ギャグだな」
五月も半ばに差し掛かるというのに、なんだか急に寒気が襲い掛かってきた。
*
園内をたっぷり見て回ったはずなのに、時刻は十六時少し前。
人生初の植物園。正直あまり期待はしていなかったが、それなりに満足がいった。
まあいっそのこと解散でもいいか。この時間なら、家に戻っても夕さんは許してくれるはず。
それと、俺があんまり帰りたくないのは別問題だが。
あのバカップルめ、体よく追い出しやがって……
「じゃあ帰るか」
「……へ?」
「何が、へ、だ。とぼけやがって」
「でもまだ時間あるよね」
ちらりと、奴はスマホで時刻を確認した。俺とは違い、こいつは腕時計をしていない。
「そうだけど……どっか行きたいところでもあるのか?」
「うん。歩いてる時ね、ちょっと思いつくところがあって」
「よかったな。じゃあ俺はこれで――」
「待ちなさい! こうなったら、最後まで付き合ってよ。乗りかかった舟とかいうんでしょ、こういうの」
無理やり乗せられたわけだけどな。とんでもない暴論だと思う、これは。
だがまあ、こうなるとこいつを振り切れないのは事実なわけで。その自分勝手さに、順応し始めてる自分が恐ろしくなってきた。
付け加えるならば、あまり早く家に戻ってもどうしようもないという事情もある。
大人しく、奴の要求に従うことにした。
「で、どこ行きたいんだ?」
「ふっふっふ、それはね~」
クイズ番組の司会者のようにもったいつける華宮。その不敵な笑みがなんともまあ、腹が立つことこの上ない。
「げーむせんたー!」
紡ぎ出された突拍子のない言葉に、俺は思わず自分の耳を疑った。
こいつのイメージと、それはあまりにも合致しなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます