第32話 居残り歓談

 くたびれた気持ちで職員室を出る。しばらくぶりに、かなり濱川先生に絞られた。

 しかも、途中で学年主任が参戦してきたものだから、しんどさはケタ違い。長々と、俺自身もよくわかっているありがたいお話を頂いた。


 手に持っている、キャリア調査用紙が忌々し気に眺める。内容如何より、今の今まで自分が忘れていたことに、落胆している。

 提出期限をスルーしてしまったことが今日の悲劇に繋がった。


 放課後の校舎内はどこか物寂しい。もう帰りのホームルームが終わって、一時間が経とうとしている。

 これが体育館や、校庭、あるいは音楽室にでも近づこうものならきっと賑やかなのだろうが。

 人気の少ない廊下を歩いて、教室を目指す。急な呼び出しだったせいで、鞄を持ってくることにまで頭が回らなかった。

 本当に二度手間。自分の愚かしさが恨めしい。


 教室の前の廊下に、俺の鞄だけがポツンと置かれていた。持ち主を失って久しいそれは、かなりの哀愁が漂っている。

 近づいていくと、開け放たれた扉から教室の中の様子が見えた。よく見知った女子が、見覚えの薄い女子と何やら話し込んでいる。


「うーん、こっちのがいいんじゃない?」

「そうだねぇ、そっちもいいねぇ」

「綾芭、おばあちゃんみたい」

「むっ、お年寄りっぽくて悪かったですね!」


 キャッキャッと騒ぐ声が聞こえてきた。

 何かを相談しているらしいが、興味はない。君子危うきには近寄らず。鞄を手繰って、そそくさと身を翻す。


 ――ガタッ。


 何事もうまくいかないものだ。つい物音を立ててしまった。

 思わず身を固くする。


「あ、やっぱり正宗君だ!」

「ちっ」

「ふつう、舌打ちしますかね」


 華宮は顔だけ突き出してきた。明るかったその表情が一気に曇る。

 俺は蛙じゃないし、奴は蛇でもない。竦むことなく立ち上がる。別れの言葉など残さず、そのまま下校する腹づもりで。


「ちょうどよかった。キミ入れたらキスーだ」

「何言ってんだ、アンタ」

「キスーも知らないの? 正宗君って、やっぱり勉強できない系?」

「疑問符を乱れ打つのを止めろ」


 この女、ゴールデンウィーク最終日の嫌がらせを完全に忘れてやがる。余計に腹立たしい。ヘラヘラと笑いやがって。

 キスー……偶数でない整数のことはおいといて、これ以上構っていられない。バイトだ。俺には早急に変えるべき理由がある。


「じゃあこれで」

「待ってって。せっかく奇数になるんだから」

「同じことを繰り返しやがって。オウムか、アンタは」

「オウムってなんて鳴くんだろ」


 ポツリと漏れた一言は確かに気になる。

 カラスやハト、スズメはわかる。だが、オウムは……可能性は無限にありそうだ。人が教え込めば。


「それは後でゆっくり考えてくれ」

「そうだね、この後じっくりと」

「話が通じてないな。俺は帰る。バイトだから」

「閉店セールに間に合えばいいじゃん。そしたら、あたしが菜穂さんに連絡したげるよ」

「いやそういう問題じゃなく」

「スマホ、あっちだ」

「この間俺に注意したの誰だっけ」


 下手くそな口笛と一緒に、バレバレのごまかし顔を作る。ここまでくると、いっそ清々しい。


「駄目だ、駄目だ。迷惑かけられないから」

「えぇ〜、わりと本気で困ってるんですけど」


 今度は八の字に眉を曲げる。それでも真剣味はあまり感じられない。


 いい加減振りほどこうと思ったら、別の顔が華宮の後ろから出てきた。


「ああ、鹿久保か。誰と話してると思ったら」

「……どうも」

「うちのこと、わかんない感じ? 同じクラスなのに」

「仕方ないよ、ほのかちゃん。正宗君、はくじょーな人だから」


 ぐっと睨まれた。そこに別の意図が含まれてる気がして仕方ない。具体的には、なんで残ってくれないんだ、という的外れな抗議。


 ともかく、奴が話し込んでいたのは、うちのクラスのほのかちゃんという女子らしい。名前を訊いてもピンとはこない。


 明るい髪色でくるくる巻き。チャラそうな見た目は、華宮とはまるで正反対。制服もかなり着崩されている。


「ってか、アヤ。名前で呼んでんの、こいつのこと」

「うん。仲良しさんだから」

「幼稚園児みたいな言い方だな……」

「ふうん。ま、どうでもいいけど。そろそろ再開しない?」


 ほのかちゃんがちょっと顔を曇らせて、グイっと華宮の背中辺りを引っ張った。


 連動して、俺まで引っ張られる。ふざけた連結機構だ。


「ああ、そうだね。ほら正宗君も」

「アンタなぁ」

「なに、手伝ってくれるわけ? 正直助かるわぁ、誰かの意見訊きたかったから」

「いや、こいつが勝手に言ってるだけで――」

「はい、けって~! ほのかちゃん、ナイスアシスト!」


 ここまでくると抜け出すのも至難の業なわけで。さらに、一応は困っているのだったら見捨てるのも気が引ける。


 しっかりと華宮の腕を放してから、俺も教室の中へ。二人の他に、残っている生徒は少ない。座っていた席には、何かのカタログが開いておいてあった。


「クラTのデザインを考えててね」

「アンタ、担当だったのか?」

「ううん。お手伝い。ほのかちゃんが一人で大変だからって」

「ごめんね、アヤ。何とかなると思ったんだけど」

「ううん、気にしないで。今休部中で時間あるから」


 休部、ねぇ。釈然としないままに、なんとなくもう一人のクラスメイトの方を見る。そこに不思議そうな様子はない。このほのかちゃんとやらは、真実を知らないらしい。


 俺も適当なところに腰を下ろす。机の上には数枚のプリント。デザインの下書きのようだ。


「なかなかうまいな」

「でしょ~、ほのかちゃん。絵心すごいから」

「やめて、そんな褒めないでってば」


 言いながらも、明らかに照れている。見た目の派手さからはちょっと想像できない反応だ。


「というわけで、三人で会議、だね。あっ、奈穂ちゃんには連絡しといたから。『正宗君、借りてきます』って。いいよって返ってきた!」

「ぜひとも断って欲しかったんだが、あの人には……」

「なになに、その奈穂ちゃんって? いい機会だし、色々と聞かせてもらいたいねぇ」


 そう言うほのかちゃんの顔は好奇心がぎらついている。俺と華宮の顔を見比べると、にやりと唇の端を曲げるのだった。

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